「ふむふむ、なるほど……大体わかったよ。僕、ひと探しは苦手だけど、これはちょっと得意分野かもしれない」
「え……?」

 ひととおり事情を説明した後、それまで黙って聞いていた牧瀬さんの言葉に、わたしは思わず首を傾げる。
 隣で立ち上がった牧瀬さんは、どこか得意げに笑みを浮かべていた。

「ねえ、あやりちゃん。ルナティークのこと、もう一度抱っこしてみてくれる?」
「……? はい?」
「それから、きーちゃんのことを思い浮かべて、会いたいなぁって考えながら、名前を呼んでみて」

 突然不思議なことを言う牧瀬さんにわたしは混乱しながらも、思えば最初からこんな感じだったなと納得し、言う通りにすることにした。

「えっと、はい……じゃあ……」

 ふわふわのルナちゃんをそっと抱き締め、ほんのり温かい気のするその毛並みに、涙のあとの残る頬をそっと寄せて、わたしは目を閉じる。

「……きーちゃん」

 わたしは、きーちゃんのことを思い浮かべた。
 きーちゃんは小さい時からずっと一緒の、大切な家族。あの子に初めて出会ったのは、わたしが幼稚園の頃。
 きーちゃんは白くて小さくてとびきり可愛くて、一目見て大好きになった。

 それからは、ご飯の時も、お昼寝の時も、遊びに行く時にも、いつでもどこでも傍にいた。小さなきーちゃんは自分で歩けなかったし、当然ついてきてはくれない。
 傍に居るためには、わたしから近付いたり、抱いて連れ歩くしかない。わたしの好意ありきだ。そんな光景を、お父さんとお母さんも微笑ましそうに見ていた。

 けれど成長するにつれ、次第に一緒にお出掛けすることも減っていた。
 もちろん大好きなのは変わらなかったし、家では相変わらず一緒に居るけれど、大きくなって、わたしにはお友達も増えて、四六時中一緒というわけにはいかなくなってきたのだ。

 昔はいつも一緒に居たのに、ふたりの世界で十分楽しく幸せだったのに、いつしかわたしは、人目を気にするようになった。新しく出来たお友達に、きーちゃんを見せたくなかった。

 でもそれは、きーちゃんを独り占めしたい気持ちじゃなくて、恥ずかしい気持ちからだった。
 きーちゃんのことは、今でもこんなに大好きなのに、『見られるのが恥ずかしい』なんて、わたしは弱い。こんなことを思っているなんて、きーちゃんにも申し訳ない。

「きーちゃん……」

 それでも、どうしても今日は、久しぶりに一緒に出掛けたかった。
 でも、こんなことになるなら、今日も連れてくるんじゃなかった。
 ぐるぐると考え込んでいると、不意に牧瀬さんの声がした。

「……あやりちゃん。あっちみたいだよ」
「え?」

 後悔して再び泣きそうになる中で、牧瀬さんは不意に、わたしの腕の中のルナちゃんを軽く引っ張る。

「きーちゃん、あっちに居るって。行こっか」
「え、え?」

 思わず困惑して立ち止まってしまうと、周囲の視線を感じた。じろじろと、さっき一人で泣いていた時よりも纏わりつくような、嫌な視線。
 そうだ。傍目から見ると、わたしの持つくまのぬいぐるみをお兄さんが奪い取ろうとしているような絵面だ。これはいけない。

「えっと、はい……今行きます!」

 わたしは慌てて頷いて、ルナちゃんを抱き締める腕を解く。けれど何故かそのまま触れていてと言われたので、少し考えて、二人でルナちゃんを真ん中にして、片方ずつ手を持つことにした。くまさん宇宙人の連行シーンみたいだ。
 これはこれで目立つけれど、さっきよりは微笑ましい光景になっていると信じよう。


「えっとね、確認したいんだけど」
「はい?」
「きーちゃんを連れてると、恥ずかしいの?」
「え……っ」
「なのにどうして今日は連れてきたの?」
「え、あの……なんで……」

 歩きながら、つい今しがた考えていたことをすべて言い当てられて、ぎょっとする。もしかして口に出していたのだろうか。

「ふふ、ルナティークを抱いている間に思ったことは、僕にも伝わるんだよ」
「……? 人の心を読む魔法のアイテムとか、ですか?」
「あはは、魔法かぁ……素敵な響きだね」
「う……五年生にもなって、そんなの信じてませんけどね!?」

 牧瀬さんはひととおり楽しそうに笑って、けれど答えてはくれない。
 なんとなく納得いかないながらも、きっとこのまま問い詰めてものらりくらりとかわされてしまう。この短時間で牧瀬さんの不思議っぷりに大分慣れてしまった。
 そこでわたしは、ひとまず質問に答えることにした。

「……きーちゃんを連れてると恥ずかしいのは、人目が気になるから……それでも今日連れてきたのは、明日……きーちゃんのお誕生日だからです。わたし、きーちゃんに合うプレゼントがしたくて……」
「ふふ、そっかぁ。プレゼント。それは素敵だね。……だからきーちゃんは、あんなに嬉しそうなんだ」
「え……?」

 牧瀬さんの言葉に、思わず顔を上げる。すると、彼はルナちゃんと手を繋いでいない方の手で、正面を指差していた。
 その先に、確かにきーちゃんは居た。
 向こうが吹き抜けになっている通路の手すりに、目立つようにぶら下げられていた。

「きーちゃん……!?」

 わたしはルナちゃんの手を離して、きーちゃんに駆け寄る。手すりにすっかり錆びたチェーンでぶら下げられているのを慎重に外して、汚れがないか確認した。

「よかった……よかったぁ……」

 ようやく見付けた、わたしの可愛い可愛い、手のひらサイズのうさぎのマスコット。
 すっかりぺしゃんこにくたびれた長い耳に、少し色褪せた桃色の可愛いお花のリボンをつけている。お母さんがわたしとお揃いにと作ってくれた、世界に二つだけの特別製だ。
 ふわふわの手触りで、当時は真っ白だったらしい毛並みはすでにクリーム色に近い。しっぽも昔ちぎってしまったようで、今はない。

 そんなぼろぼろで、一見がらくたにも見えるマスコット。五年生にもなってそんなのを大事に連れ歩いているなんて、人に見られるのが恥ずかしい。
 だけど、それでも。小さい頃からずっと一緒の、わたしの大好きな、世界にひとつだけのきーちゃんだ。

「無事に会えてよかったね」
「あの、牧瀬さん! 本当にありがとうございます、でも、どうしてきーちゃんの居場所が……?」
「ふふ。ルナティークは不思議なぬいぐるみだからね。ぬいぐるみと持ち主の心が通じ合ってたら、それを辿れるんだよ」

 先程心を読まれたことといい、随分と不思議なことを言う、ミステリアスなお兄さん。
 実際は、わたしに話を聞く前に、偶然きーちゃんがここにぶら下がっていたのを見ていたのかもしれない。
 それでも、見るだけで安心させてくれるような朗らかなその微笑みは、嘘をついているようには見えなかった。

「ふふ。ともあれ、お役に立ててよかったよ、ひと探しは苦手だけど、ぬいぐるみ探しは得意なんだ」
「さっきもそんなこと言ってましたね……?」
「うん。僕は人形やぬいぐるみ専門の探偵だからね」
「……専門の、探偵さん?」

 珍しい職業もあるものだ。お人形やぬいぐるみなんて、こうして連れ出しでもしなければ早々なくなることもないだろうに。

「うん、ルナティークは僕の頼れる助手なんだよ」

 ひょっとしたら、ルナちゃんはわたしが知らないだけで、ぬいぐるみ探しに必須の定番探偵アイテムなのかもしれない。

 ふと、牧瀬さんはきーちゃんの耳についた花飾りを指先で揺らしながら、とても嬉しそうに笑う。

「あ、そうだ。きーちゃんね、今日は連れてきてくれて、嬉しいんだって」
「え……?」
「久しぶりにあやりちゃんと一緒にお出かけして、同じ物を見て、自分のことを考えてくれただけで、とっても嬉しいってさ。それが何よりのプレゼントだって」
「きーちゃんが……?」
「うん。帰りたくなくてついはぐれちゃったけど、探しに来てくれたのも嬉しいって。……でも、泣かせちゃったのはごめんねって」
「……」

 牧瀬さんの言葉は、やっぱり不思議だ。きーちゃんの声が聞こえるはずなんてないのに、本当にそんな風に言ってくれている気がする。
 牧瀬さんはにこにこと、本当に嬉しそうに話すのだ。

「あやりちゃん。きーちゃんから、もう一個。『お誕生日おめでとう』ってさ」
「え……っ」

 明日がきーちゃんのお誕生日だということは、さっき伝えた。けれどわたしの誕生日のことは、牧瀬さんには教えていなかったのに。
 きーちゃんしか知らないはずのことを当然のように言われて、わたしは思わず驚いて、両手で包み込める小さなきーちゃんをじっと見つめる。

 幼稚園の時、出張で当日祝ってくれなかったお父さんから、一日遅れのわたしの誕生日プレゼントとして贈られた、きーちゃん。
 だからわたしときーちゃんの誕生日は、一日違い。今日が、わたしの誕生日なのだ。
 だからこそ、普段は恥ずかしくても、今日だけはずっと一緒に居たかった。大好きなきーちゃんと、昔のように過ごしたかった。

「ありがとう……きーちゃんも、おめでとう。恥ずかしいなんて、思ってごめんね……大好きだよ」

 わたしは涙でぐちゃぐちゃだった顔を袖で拭って、ようやく再会できたきーちゃんを抱き締めた。


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