シンのお母さんが駅前で小さな美容室を営んでいるのは、夏休みの間にシンから聞いていた。案外私の家から近くて、小さい頃からその店があるのは知っていた。もしかしたら、ずっと昔からシンとすれ違っていたかも知れない。そんなことを想像してくすぐったい感じがしていた。

 そこへ、まさか殴り込みに行くとは思っていなかった。

 小さな美容室のガラス戸を、私は勢いよく開いた。ドアチャイムがけたたましく鳴り響き、華奢な鋏を持った女性が振り返る。

 シンをそのまま大人の女性にしたような、綺麗な人だった。

「どういう事よ!どうして一方的にシンからバスケを取り上げるの!?」

 ぽかんと振り返ったまま私を見つめるお母さんを、私はこれまでの人生で一番すごみをきかせて睨み付けた。シンのお母さんは驚きをたたえた瞳で私を見つめる。

 しばらくして、お母さんはお客さんに小さな声で謝ってから私の方を向いた。

「初めまして、私はシンの母です。あなたはどちら様ですか?」

 私の正面に立って、両手を前に合わせて尋ねる。大人に対するのと同じ、礼のこもった態度に度肝を抜かれる。私は言葉を忘れたようにじっとシンのお母さんを見つめた。

 お母さんも、私の目を見つめたまま答えを待っている。

「えっと……遠藤那帆といいます。シンと同じバスケのチームにいます」

 次第に黙っていることに居心地の悪さを感じて、しどろもどろにそう答えると、お母さんは頭を下げた。

「そうですか。遠藤さん。私にご用があるのですね?」
「…………はい。」

 改めて問われると更に居心地が悪くなる。とても行儀が悪いことをしたのだと、私は気付いた。

「申し訳ありませんが、今接客中です。こちらのお客様がお帰りになるまで、そちらでお待ち頂けますか?」

 お母さんは入り口近くのソファーを手で指し示した。私は大人しく頷いて、その指示に従った。

 シンが手渡してくれた漫画をぱらぱら捲るけれど、内容は頭に入らなかった。

 私はシンのお母さんの仕事を邪魔してしまった。凄く無作法なことをした。それがとても恥ずかしかった。シンのお母さんは、私の事などいないみたいにお客さんの髪を切りながらにこやかに会話をしている。お客さんは、楽しそうにお母さんに子供の話をしていた。お母さんは笑いながらその話に相槌を打っていた。

 会話をしていても、お母さんの手は絶え間なく動いた。

 するすると鋏は髪の間を滑り、はらはらと髪の束が落ちていく。

 お母さんの手がとても綺麗で、思わず溜息をついた。まるで独自の意思を持つように繊細に動くその白い手を、ずっと見つめ続けていた。