私は高田未来。今日も会社で上司から理不尽な嫌味・叱責をされ、心身ともに参っている状態だ。なぜうちの上司はいつもこうなのだろうか…?社員を実力や日々の努力で見るような人ではなく、好きか嫌いかだけで会社での私を評価しようとする。なんで日本社会ってこんなにもブラックなんだろうか?いつからこうなったのだろうか?普通だったら夜寝る時も今日のことを思い出しつつ、寝れない日々が続くもんだけど、私の場合はちょっと例外だ。

なぜなら私はいつも夢の中の不思議な異世界(?)のような場所に行くことが大きな楽しみであり、夢の中に行けることを考えるとすぐに寝付いてしまうからだ。はぁ…ずっとこの夢の中に居たい。会社なんかくそくらえだ。さて私は夢の中に着き、今日はどこに行こうかなと考えていた。そうだ今日こそあの桜の川沿いへ…って思ったけど、どうしても今日はそんな気分じゃない。会社での上司にいつも以上に腹が立ち、そのくらいでは心が休まりそうにないからだ。

なので今日は適当に歩いて見つけた居酒屋でチューハイでも注文し、そうやって過ごすことにした。居酒屋の雰囲気は現実世界での焼き鳥屋さんのように至って普通で、食べ物のいい匂いが漂った。店長に案内されカウンター席に座ると、まずは適当にチューハイでも頼んだ。そしてチューハイが運ばれると、少しだけ口に入れた。

「ぷはー、やっぱりおいしいですね仕事後のアルコールは」

とうとう自分もおっさんごっこをするようになったのかと思い、どこかしんみりさを覚えた。そうしてぼーっとしていると、茶色いロングヘアーで赤いカーディガンを着た女性が私の隣の席に座り、「すいませんチューハイ1つー」と言い、私と同じものを頼んだ。…この人、背が高くて外見からも内面からもすごく大人の雰囲気がある。私とは別次元に住んでいるんだろうなと思いつつも、私はその女性を無意識に眺めていた。すると女性もこちらの顔をチラ見し、きょどった私はあわてて顔を正面に戻す。

「…?」
(やば…ついキレイすぎて見すぎてしまった…。)

何とかやり過ごそうとしたけど、それは失敗に終わった。なぜならその女性がこちらに話しかけてきたからだ。

「…どうかした?」
「あ、い、いえすみません!見た目が美しすぎてつい…!」
「ふふふ」

あれ、めっちゃ優しい…。こんな美しい見た目で性格も素敵とか女神ですか!?と心の中で突っ込んでしまった。

「あなた、名前はなんて言うのかしら?私は麻理恵。よろしくね」
「わ、私は未来って言います…。よろしくお願いいたします。」
「未来ちゃんね。さっきからやつれたような顔をしていたけど、ちゃんと休めているかしら?」
「…え、そう、見えますか?」

確かに今の私は会社での疲弊がピークにまで達している。この人は初対面の私を一瞬で見抜いたとは…

「表情と話し方を見ればすぐに分かるわ。」
「あ、すみません気を遣わせてしまいました…」
「気にしないで。今の日本の職場ってそんなのばかりよね。」
「え…?」

この人、今「日本の職場」って言った…?ということはこの人もまさか、現実世界からこの夢に来た人?どうしても気になり、私は思わず質問してしまった。

「あの、麻理恵さんはもしかして、夢の中ですか?」
「ええ、そうよ。その質問の仕方から察するに、あなたも同じみたいね」
「は、はい…」

なんとまさか私と同じように現実世界から来ている人がいたとは、これは驚いた。そして麻理恵さんはその次の瞬間、私に質問をしてきた。

「未来さんは、今が楽しい?」
「楽しい…ですね。この夢の中はですが。」
「ふふ、ということは現実世界は楽しくないってことね。やっぱり会社かしら?」
「…」

この人、本当に人を見抜く力がすごいなと心の中で感心していた私は、こんな人みたいになれたらなとどこかで思っていた。けどそんな日はきっとやってこない。どれだけ私が努力してもこの人のようになるのは不可能だろうなと思った。

「未来ちゃんは、今どうしたい?」
「え、どうしたい…というのは?」
「今の人生がこのまま続いてほしい?」
「…それは、できることなら続いてほしくないです!」

思わず私はずっと心で思っていたことを口にしてしまっていた。それもたった今会ったばかりの人に…。普通ならこういうことはある程度親睦がある人にしか話さないことなのに、なぜかこの人には本心を打ち明けてもいいと思ってしまった。

「そうよね。それならもうその会社にいてはいけないわ。」
「え、でもそんな簡単に…」
「人生なんて意外とどうにかなるもの。1度きりの人生、選択を誤らないでね」

そう言うと麻理恵さんは突然、居酒屋を去って行った。何だったんだ今の…すごくかっこいい人ぶって行ったけど実際あの人はかっこよく見えたからいいや。…というか問題はそこじゃない。

麻理恵さんの今の言葉は、どこか今の私の心にすごく突き刺さった。思えば会社では上司に不当な叱責を受けた日々、先輩同僚からは「しっかりしなよ~」という、突き放したような態度の一言。思えば会社員である今はずっとそんな人たちとばかり顔を合わせていた。そんな日々だったからこそ、麻理恵さんのあの一言に、私は思わず泣きそうになった。…いや、泣いてしまった。

あんなシンプルな一言で泣いてしまったのは、私がそれだけ我慢してきた証拠だ。できることならこの夢の中でずっと暮らしたい。もう現実世界なんかには戻りたくない。…いや現実世界自体が嫌なのではなく、現実世界にある一会社だった。そうだ人生は1度きり。ここで我慢してあの会社で働いても死ぬ直前になったら、辞めなかったことを絶対後悔する。親や友達に相談しても「気にすんなよ」「辛いかもしれないけど、それは今だけだからね…」という言葉ばかりだった。今思えばあんな言葉を真に受け続けてきた自分に腹が立ってきた。そうした様々な思いが生まれた中で飲んだチューハイの味は今でも忘れない。

そして私はこの時すでに、1つの決断をした

「決めた。会社、辞めよう。」

そう決断した途端、また視界がぐらついた。あぁ…また現実世界に戻るんだな。今までだったら憂鬱さが復活していたけど、この日は憂鬱さなんて勝手に消えていた。だってもう辞められるんだから。

…え、あの上司のことだから話をとりあってくれないって?大丈夫、そんなことも想定できないほど私は鈍くない。そんなの昨日の居酒屋でとっくに想定していたことだ。ここは確実に退職が通るように1つ手を打った。

「…では、あとはこの日にお金を振り込んでくださいね。あと、会社から電話が鳴っても絶対に取らないようにしてください。それでは改めまして一足先に、高田さん、退職おめでとうございます。」
「ありがとうございます(ニッコリ)」

こうして私は日中のうちに退職の手続きを済ませた。今日の会社は頭痛が止まらないと嘘をつき、代行の手続きをする時間をとった。…私だって人間。自分の身がやばいと思ったら多少非道なことをしてでも身は守る。だって私の人生なのだから。

さて、これで大きなストレス要因が消えたのはいいとして…これからどうしよう?この後のことを全く考えていなかった。