電車が止まるとドアが開き人の流れが起きる。そのほとんどの人が言葉を発せずに先を急ぐ。それなのに何故にこんなにも騒がしさを立てるのであろう……。私もきっとここに独りでいたのなら、開いたドアにすぐに引き込まれていただろう。

『ホームに電車が入ってくる』ことは別れをイメージする。それが例え今生の別れでないとしても『大切な言葉』を綴っている最中の『電車』は、『視界』なのか『声』なのか、はたまた『時間』なのか……切なく空間を途切らせ、関係を遮り感情を阻む電車……。
 しかし……。

「サッカー部で何するんですか?」
「手本って言われても……」

 電車は誰も別さなかった。4人とも同じ地元、会話は続き、電車は進む。動き出した電車の中では、独りの人以外の話声が電車音と重なりボリュームを出す。

「コンビプレーよ」
「コンビプレーですか?」
「そう」
「睦美とじゃなく、ですか?」
「そう、八千とのコンビプレー」



 そう言った後、唯一パイセンはそれ以上のことは『行ってからのお楽しみ』と言いながら微笑んだ後、顔を逸らす。それはいつも通りの優しい微笑み。しかし電車の窓が写した唯一パイセンの微笑みは全く別人なほど悪女だった。見間違いだろうか?


◇◆◇◆


 平安学園はVリーグの久蜜ブラッサムと交流があり、過去にも多くの入団の実績を持っている。十色と三咲はそのスカウトを得た。十色は早くから久蜜の内定を受けVリーガーへの道へと進む決意をした。久蜜はバレー専業の契約社員としての雇用。それはバレーを辞めること=退社を意味する。
 同じVリーグの1部リーグであるNSCレッドバズーカや東コットンシューターズなどは正社員雇用であって、業務も熟さなければならない反面、引退後の不安も少ない。そう言う意味では十色は『バレー漬けの人生』を選択し、バレーボール選手としてその将来を懸けた。
反対に三咲は『バレーのない人生』を視野に入れ、久蜜への進路を断り大学への進学を選んだ。それは菜々巳からすれば驚きの決断であった。


(将来を深慮するのは悪いことではない、でも今の私たちが想像する未来はそんな先のことではない、僅か数か月先……我武者羅に突き進めるのは今しかない)


 春が来て、私たちは2年生になっていた。

 数日から何週間かの内に新入生が入部してきて私たちも『先輩』になる。中学2年生で初めて『先輩』と呼ばれたときに心躍ったそれとは少し違う、それは慣れと高慢さに違いない。


***


 部活が熱を帯びる。それはこれから夏へと向かう季節と同じくしている。1年間という高校生活は、高校生としての自信を身に着け17歳というブランドを纏う。そしてこの17歳が全身で傾けた先の熱エネルギーは、圧倒的に一途で一方通行だ。

 高校三年間の内、強豪校であれば1年生のインターハイに出場できるのは類稀なる人材でしかあり得ない。中学生との力の差……1年早く高校生をやってる、それだけのたった小さなプライドが支えにもなり、謙虚さを奪う。そんな2年生たちを締めるように唯一が訓示する。



「先輩も後輩もない。練習中、ちょっとでも仲間との意識のずれを感じたらその場で声を掛け合っていくの。『後で言おう』ではなくって、思いついたらすぐ言葉に出す。言うってことは責任を伴うこと。その責任を負う覚悟を持つってこと。だって、勝ちたいでしょ?」

 勝ちに拘ること……それに異論はない、その拘りの濃淡にアレルギー反応の差が表れる、デリケートな言葉だと感じる。合わせて年功序列の上下関係も敏感なところでもある。


「ただ勝ちたいだけの、チューボーのペタンコ胸に何か言われる程落ちぶれちゃいないよ、ね、菜々巳」

 八千が私に顔は向けずに小声で囁く。すぐに言葉を返さない私を怪訝に思ったのか、私の表情だけをチラ見したのなら、八千が言葉を足す。

「あ、あたしのサイズはBだけど?」

 何悪びれることもない……そうよ、私は何も言ってないわ?! そして私のサイズをここで言うはずないでしょ……。

「わたしたちもずっと~、無敵~とか、必殺~とか信じてたし~」

 Dカップの睦美……それを視認したのなら、何だか無性に腹が立ってきました。

「キスの味も知らない小娘たちに真の勝ち負けなど、分かろうはずもないです」
「菜々巳キスしたことあるの?!」
「あるの~?」
「すみません……勢いだけでつい……」

『天下無双』『完全無欠』なんて只の言葉だ。



 練習合間のブレイクタイム、体育館の中だけストーブの薬缶で湯を沸かしているような熱気……私たちは勝手に無駄な興を奮して暑さが増す。
 汗を拭う唯一パイセンの言葉が続けられる。

「勘違いしないで欲しい……『勝たなきゃいけない。そのためにつまらないミスはするな』そういう『上手くいかなかったときやミスをしたときのプレッシャー』を背負ってのプレーは『個』よ。『私』ではなく『私たち』あるいは『チーム』が自然に主語として口を衝くようにならないと、チームスポーツで本当の力は発揮できない。誰かのミスは『私たち』のミス。バレーボールはコート上の6人が1ミリの隙もなく考えを同じにし、判断を一致させたのなら空間を支配できる。
 ま、後ろ半分は名将・中田久美監督の言葉だけどね」

 唯一パイセンが軽い笑顔で締める。その笑顔は軽いのに、凄く軽かったのに男とは違う、大黒柱であった、頼れる先輩の立ち姿。きっとこれが環希先輩が唯一パイセンに期待した人としての才能、魅力……何だか上級生ぶってたちょっと前の私が恥ずかしくなった……。