|私は小学受験をした。
 愛してやまない音楽のためだ。
 特技は耳コピ。趣味は音楽を奏でること、聴くこと。
 どんな曲でも好きだ。ボカーロイドもクラシックも
 ロックもジャズも。
 一年生の頃から音楽に囲まれてきた。
 音楽は私の世界をカラフルに変えてくれる。
 まるで、恋をしているようだった。
 どちらかといえば、明るい性格だったから、友達も
 たくさんできた。
 でも、そんな日常が崩れたのは小学5年生の3学期の
 ことだったんだ。
 私は感情の昂りが行動に出る人間で、
 怒りが込み上げたり、爆笑したりすると
 ものや人に手をあげてしまう人間だった。
 いつしか、そんなところが私の欠点で嫌われる原因になっていった。最初は無視されたり、陰口を叩かれていた
 だけだった。
 私の心が折れたのは親友に教室中に響き渡る声で
 「いい加減にしてよ!この暴力女!」
 と叫ばれたこととその子の真っ直ぐな軌道を描いた
 足が私の頭に大きな衝撃を来したことだ。
 もう、涙すら出なかった。
 ぶちっぶちっと心をえぐっていた小さなことが
 大きくなって私の心を大きくえぐった。
 その時、心がポッキリと音を鳴らして折れた。
 幸い、通りすがった先生によってその子は止まった。
 その時、私は頭の痛みが心に広がっていく割れるような痛みがなくなるように頭を抱えて、そこにうずくまることしかできなかった。
 その日から一年弱、学校に通うことはなかった。
 卒業式も教室で教師と私だけで行った。
 春休みに入り、親の転勤が決まり、東京に引っ越した。
 同じ地でも、同じ環境でもなかったが
 やはり、言葉で傷つけられることが怖くて、
 中学は行きたくはなかった。
 そんな時、私を助けたのは大好きな音楽や、
 推しの優しい言葉だった。
 私が恋に落とされ、惹かれ続けた音楽と。
 少し前に出会った推しの温かい言葉だった。
 知らない人に正論を語られることでも
 家族の励ましでもない。
 音楽と大好きな推しの優しくて陽だまりのような
 一言一言だった。


 「そーして、中学に行こうと思えたんだよね。」
 『へぇ。いつも陽気なイメージだったから
 そんな過去があったとは。』
 「でも、そういうことがあったから、人との距離感が
 分かったし、自分のことを知るきっかけになったんだよなぁ。」
 『なるほどねぇ』
 「まぁ、それがトラウマになってこのように
 控えめな陰キャになってしまったんだなぁ」
 『人と関わるのが怖くなったってこと?』
 「そういうことかもね。結果的には自分の行動に配慮できるようになったから、よかったのかも。」
 『今、現在、私と喋れてるしねw』
 「うんw」
 今年、中学2年生になった。
 距離感が分かったから友達と有効な関係を築けている。
 あんなことがなければこんな通話なんてしてなかったと
 思う反面、性格が捻じ曲げられてしまい、友達を
 作るのが困難になってしまって悲しい面もある。
 今も学校で思うことがある。
 陰口を言われてるんじゃないか、
 明日、無視されるんじゃないかと怯えることが。


 言葉は誰かに付き纏うことがある。
 それは、どんな言葉でもだ。
 良い意味でも悪い意味でも心にこびりつく誰かの
 言葉は人を蹴落とすことも救うことも可能だ。
 言葉とは力や刃物より強い凶器でも
 絆創膏よりも包帯よりも傷を癒す治癒魔法でもある。
 自分の軽率な言葉や、行動で人を傷つけないように
 気をつけていきたい。私はそう思ったんだ。