「眞瀬木……珪……」
永の体は強張っていた。
その緊張を嘲るように珪は薄く笑って言った。
「これはおかしな所で会いますね、鵺人のお二人」
「こんにちは……」
鈴心も同様に緊張を孕んだ挨拶しかできず、瑠深も二人をここに連れてきたことを叱責されるのを恐れていた。
「兄さん、えと、これは──」
だが、珪はそんな瑠深を無視して鈴心に対してにっこり笑う。
「うちの瑠深と仲良くしてくれてありがとう。里には同年代の者があまりいなくてね」
「こちらこそ」
瑠深を気遣わなかった珪の態度に鈴心は嫌悪を感じており、それが緊張を解き臨戦態勢をとる引き金になった。
永は物怖じしなくなった鈴心を見習おうと背筋を伸ばして顔を引き締める。
そんな二人の感情を的確に捉えた珪も続く言葉が強くなっていた。
「だからと言って、うちのパーソナルな部分に立ち入るのは関心しませんね」
「それは、失礼しました」
永は言葉だけで謝ってみせたが、視線は落とさずに珪を見据えていた。
それを受け流して珪は漸く瑠深の方を一瞥する。
「ワキが甘いぞ、瑠深。お前もまだまだ、だな」
「──ごめんなさい」
「あまり瑠深を責めるな。侵入を許したのは俺のミスだ」
落ち込んだ瑠深を八雲が庇って言う。
珪は八雲には少し笑って訂正した。
「ああ、誤解なさらないでください。僕は別に怒っているわけではない」
「……」
その言葉が建前であることは永でもわかる。突然現れたジョーカーのような不気味さを感じつつ、永は珪に注目していた。
「ただ、こうして周りから固められるのは好きではないのでね。それなら僕の方から教えて差し上げようと思って参った次第ですよ」
「──え?」
「君達がお探しの、「眞瀬木の鵺信者」は私です」
「!」
こうもあっさりと暴露するとは、永も鈴心も驚いた。
珪は説明じみた言葉で続ける。
「君達の言葉を借りましたが、鵺信者と呼ばれるのは心外です。瑠深が昨日説明したと思いますが、今後は鵺肯定派と呼んでいただきたい」
「それは──失礼しました。つまり、貴方は眞瀬木の中のひとつの派閥に過ぎないということですね」
永の確認に珪は頷いて、尚も饒舌に語る。
「その通りです。雨都さんの手前、鵺については歓迎しないのが今の眞瀬木の方針ですが、鵺そのものは私達の世界ではとても興味深いのでね」
「では、貴方は呪術師として鵺に価値を見出しているんですね?」
「ええ、そうです。ですから僕個人としては鵺人の君達にお会いできたのは本当に嬉しい」
珪の言葉は人を見下しているような言い方で、永はどこまで本心を、または真実を語っているのか見極めようとする。
「……」
「慧心弓について調べているとか?」
「まあ、そうです」
永が頷くと、珪は講義でも始めるような雰囲気で朗々と語った。
「では、順を追って説明して差し上げましょう。雨都がここに来るより前、その時代には今君達が使った「鵺信者」と言うに相応しい行いをする者が眞瀬木にいました」
「──」
「そもそも、眞瀬木が鵺というものを知ったのは、当時の眞瀬木の者が銀騎に弟子入りしたからです。ああ、それはご存知ですね?」
「……はい」
この男も情報戦に長けていることはわかっていた。さらにそれをひけらかすタイプだということも。永は機を伺いながら言葉少なに頷いた。
「おい、珪。いいのか?」
「構いませんよ、身内の恥をお話することになりますが、今の僕にかけられた疑いを晴らすためですから」
八雲の言葉を軽くあしらって珪は少し自嘲気味に笑う。
「疑いって?」
瑠深の質問を無視して珪はまた饒舌に語った。
「その者は銀騎で修行を重ねるうちに、鵺そのものに魅入られてしまったんです。そしてとうとう銀騎から鵺の遺骸の一部を持ち出して帰ってきた」
瑠深は聞き入れてもらえなかったことに落ち込んでいたが、構わず珪は続ける。
「彼は眞瀬木の中にいながら、鵺を崇拝するようになった。持ち帰った遺骸を依代にね。そして秘密裏に仲間を増やしていったんです」
そこまで言うと、沈黙を守っている八雲に向かって珪は言う。
「おじ様、あれを見せて差し上げてください」
「それは、墨砥兄さんの許可がなければ……」
「いやだなあ、何をそんなに怯えるんです?あれにはもう何の力も入っていないことはおじ様自身で太鼓判を押したでしょう?」
「それはそうだが……」
躊躇ってその場を動かない八雲をおいて、珪は作業場の角で黒い布を被っている何かまで歩みを進めた。
「なんてことない、普通の仏像ですよ」
その布を珪が取り払うと、二メートルほどの木製の観音像とおぼしきものが姿を現した。
永と鈴心はそれに目を奪われていた。首から下はごくありふれた仏像に見える。問題はその頭部だ。一見穏やかな、人に似せた顔をしているが、その目元が大きく欠損していた。何かをくり抜いた様にも見える。
「当時の八雲が彫ったものです。今ではただの木偶人形ですよ。何の魂も入っていない」
「以前は何かが入っていたんですか?」
永が聞くと、珪は待ち構えていたようにスラスラと像の成り立ちを説明する。
「ええ。この像の瞳。ここに眞瀬木製の秘石がおさめられていました。かつて銀騎から持ち出した鵺の遺骸と、雨都からお借りした慧心弓から鵺の妖気を拝借して、それらの妖気を石におさめて仏像の瞳にしたんです」
「──!」
珪は簡単に言ったが、その処置が常識外れの高度な技術だとわかる鈴心は言葉を失うほど驚いていた。それで永の方が落ち着いて感想を述べる。
「言うなれば、仮想の鵺像というわけですね」
「そうです。当時はここまでの物を作って鵺を崇拝していた。そしてその余波が雨都に及んでしまった」
「まさか、それが──」
「厄介なのは、雨都側の鵺信者は暴走状態だったことです。我々は呪術の知識がありますから、節度を持ってひっそりと鵺を崇めていた。だが、素人はその匙加減がわからない」
永の言葉を最後まで聞かずに、珪は滑るように語っていく。
「ある時、暴走した雨都の鵺信者がこの仏像の瞳を奪って里を出ていったんです。それが今の雨辺家です」
「……」
「崇拝する依代を失った眞瀬木の鵺信者は次第に減っていきました。雨辺の件があって、雨都では更に鵺を毛嫌いするようになった。元はこちらの落ち度ですから、我々も雨都を立てて鵺を否定している──というのが現代の話です」
「なるほど。しかし、現代の今でも個人的に鵺に興味を持つことは禁止されてはいない……」
永が改めて言うと、珪はそこでやっと笑って言った。
「正しく理解していただけたようで良かった。先ほど名前が上がった亡き伯父の灰砥も個人的に鵺を研究していただけ。──私も同じです」
「ねえ、兄さん。兄さんが疑われてるって何?」
「ああ、そこの所をはっきりさせないとね。ですから、私が雨辺を洗脳して、鵺に関する危険思想を広めているなんてとんでもないことです」
「ええっ!?」
瑠深はそれを聞いて驚愕と嫌悪を表していた。
永はここまで好きに語らせるべきではなかったと後悔した。珪がした話は、眞瀬木の立場にある人間が聞けば筋が通っている。
「あんた達、そんなこと考えてたの!?馬鹿馬鹿しい!今の話でわかったでしょ?眞瀬木だって雨辺の被害者なのよ!うちの秘石を奪われたんだから!」
瑠深はヒステリックに叫んだ。懐柔できたような気がしていたのは間違いだった。彼女は紛れもなく眞瀬木の人間だ。
「お話は、わかりました。ですが私達は貴方を疑ってはいません」
「おや、そうですか」
それまで黙っていた鈴心は、珪の方を強気に睨んで反撃の狼煙を上げる。
「貴方が何らかの形で雨辺に関わっていることは確信しています」
「──」
その言葉に、珪は眉をピクリと震わせた。
危険を感じた永は鈴心の前に出て庇い、同じ様に睨みつける。
「若さゆえに妄想が止まらないと見える。気高き鵺人がそんなことではいけませんね」
「お話、ありがとうございました。僕らはこれで失礼します」
宣戦布告をしてしまった以上、ここに長居は禁物だ。永は鈴心の手を引いて立ち去ろうとした。その背に、珪が穏やかな声で話しかける。
「ひとつ、提案なのですが──」
「は?」
「君達は鵺の呪いを解くために行動しているのでしょう?私の力が役に立つと思うんです」
「え?」
思いもよらない言葉に、永は思わず振り向いた。
珪はにこやかに笑っている。
「どうでしょう、今後は私が梢賢と共に君達の応援をさせて頂くのは?」
「貴方が、ですか?」
「ええ。銀騎の御当主は今病床なのでしょう?私でも銀騎に劣らない支援ができますよ。例えば──」
詮充郎の現況を知っていることをこれ見よがしに披露した後、珪は更に挑戦的に笑った。
「式神を使って全国から情報を集めたり……ね」
鈴心は珪のマウント取りに辟易していた。永がどう返答するのか不安になる。そんな視線を受け止めた後、永もにっこり笑って言った。
「お断りします」
「──」
断られる想像をしていなかったのか、珪の顔は微笑んだまま歪んでいった。
「前にも言いましたが、僕らはすでに銀騎と和解しました。付き合いだけなら、あちらとは何百年単位だ。知り合ったばかりの貴方に僕らの情報を預けるのは──不安です」
キッパリと断る永の後ろで鈴心も珪を睨む。永の毅然とした態度で勇気づけられたのだ。そんな二人を可哀想な者でも見る様な目で、珪は皮肉を投げつける。
「そうですか。やはり選ばれた人は言う事が違う。ただの村人はどんなに憧れても勇者のパーティには入れないんですねえ」
「僕らは勇者なんかじゃない。貴方が勝手に英雄視するのは結構ですけど、押し付けないでください」
「……」
永もとうとう腹に据えかねて反論した後、最後だからと更に付け足した。
「失礼します──あ」
「?」
「勇者にだって選ぶ権利はありますよ。魔王に通用する力もない村人について来られても、却って迷惑です」
「──!」
正に捨て台詞を吐いて、永は鈴心を連れて荒屋を出ていった。
「兄さん……?」
後に残された珪は、妹の瑠深ですら見たことがないほど恐ろしい顔で立ち尽くす。
八雲はそんな珪の様子を見て複雑な不安を持て余していた。
雨辺家では昼食前の祈りが終わっていた。梢賢と蕾生は昨日同様、側での見学を許された。
祈りの作法は昨日と寸分違わず同じ、時間の間隔が狂うほど──と言っても差し支えないほど菫と葵の様子は変わらなかった。
「はあい、お祈りおしまい。葵、お疲れ様」
「……」
菫は昨日と同じく上機嫌だったが、祈りを終えた葵は何も言わずに居間から出て行った。少し顔色がよくないように見える。そして相変わらず藍は祈りの最中には姿を見せなかった。
「葵……くん、大丈夫スか?疲れてるみたいだったけど」
心配した蕾生が聞くと、菫は楽観的に笑っていた。
「そうね、一生懸命お祈りするから疲れるのよ。少し休めば大丈夫!」
「はあ……」
蕾生は葵が自室へと向かった方を気にし続けるが、梢賢は仏壇の中を指して菫に質問した。
「あのぅ、この仏壇の中のは観音様?ですかね?」
「いいえ、それはうつろ神像よ」
「うつろ神は、鵺──てか、獣みたいな姿だって言いませんでしたか?」
仏壇の中の仏像は、顔こそ狒々の様相だが首から下は一般的な人型の体であった。そんな蕾生の疑問にも菫はすんなりと答えてくれた。
「そうね。うつろ神様の本来のお姿は神獣ね。この神像は、うつろ神様の依代になったメシア様を模ったと言われているわ」
「だいぶ古そうっスね」
「それはそうよ。雨辺が麓紫村を出て、ここに落ち着いてからすぐに作ったものですもの」
「そりゃ、年代物ですなあ」
梢賢はさらに情報を引き出そうと煽てるような相槌を打つ。それで菫はにこやかに続けた。
「元はもっと大きな像だったそうよ。麓紫村では大勢の信者達がその像に祈りを捧げていたわ」
「里にそんな像があったんですか?」
「ええ。でも雨都や眞瀬木のうつろ神排斥のせいで、私達雨辺は里を出て行かなければならなくなった。
その時、大きな神像は持ち出せなかったから、仕方なくその瞳だけをくり抜いたの」
「もしかして──」
梢賢がその手の中にあるものを指さすと、菫は満足そうに笑った。
「そう。我が家の家宝、犀芯の輪はその瞳から作られているの。だからこうして、小さいけれど神像をまた作って、お祈りの時には像にお返しするのよ」
「瞳をくり抜いたってことは、そこが神像の大事な部分だったっちゅーことですか?」
「ええ。元々の像に収められたのも、この瞳にうつろ神様の毛髪と神気が込められていたからだそうよ。
つまり本体は瞳の方だったというわけ。だから瞳だけでも持ち出したんでしょうね。
でも昔から神像を拝んでいた習慣があったから、小さくても作ったんじゃないかしら。お祈りするにも雰囲気って大事でしょ?」
菫の話は昨日皓矢から聞いた内容と合わせても矛盾はなかった。昔は村に像があったという新情報を手に入れた梢賢と蕾生は顔を見合わせて、もう少し踏み込んでいく。
「その元瞳が、どうして指輪になったんです?」
「さあ……私が生まれるはるか昔のことだから。指輪型にすれば肌身離さず持っていられるからかしら?今の私達は恐れ多くてそんなこと出来ないけれど」
菫はそこまで知らなかった。今まですんなり話してくれている状況を鑑みてもしらばっくれているようには見えない。拍子抜けした梢賢は適当な相槌で流そうとしていた。
「ああ、お祈りのたびに葵くんがここに持ってきますもんねえ」
「大切な家宝ですからね。家の秘密の場所に隠してあるの。あら、いけない。葵ったらしまうの忘れてるわ──葵!葵!」
自分の手元にある家宝にようやく気づいたような素振りで菫は自室に戻ったはずの葵を呼ぶ。だが、返事はなく葵が部屋から出てくる気配もなかった。
「?」
「どうしたのかしら……」
仕方なく菫は立ち上がり、葵の部屋へと向かう。
蕾生はその時嫌な予感がした。葵に対して抱いていた不安がより大きくなる。
「葵!葵!!」
すぐに尋常でない声で菫が息子を呼ぶのが聞こえた。異変を悟った梢賢と蕾生も立ち上がった。
「なんや?」
「行くぞ」
急ぎ葵の部屋へ向かうと、入口で菫が半狂乱で叫んでいた。
「葵!葵!どうしたの、葵!」
葵は床に突っ伏して倒れており、菫が肩を揺すっても何も答えなかった。
「……」
「藍、何があった?」
部屋の隅で膝を抱えて震えている藍の姿を確認した蕾生が聞くと、藍は悔しそうに唇を噛んだ後感情を押し殺して言った。
「葵はもう限界だよ。疲れ果ててる。このままじゃ──」
「きゅ、救急車!?」
「やめてちょうだい!そんなもの呼ばないで!!」
慌てた梢賢が口走ると、菫は恐ろしい顔で叫んだ。
「でも……」
「有宇儀様に連絡するわ。葵を見ていただくなら有宇儀様しかいない」
倒れている葵の体を抱きしめて菫は呟くようにそればかり言っていた。菫の腕の中で意識を失った葵の顔が垣間見えた。顔色は白かったが、苦しんでいる様子はなく静かに眠っているようにも見えた。
「貴方達、悪いけれど今日は帰ってくれる?」
「いや、でも……」
蕾生は葵の姿から目を離せなかった。葵の姿はつい最近体験した出来事と重なる。
「ライオンくん、帰るで」
「いいのか?」
「出直しや。藍ちゃん、またな」
二人にはここでできることはなく、伊藤を呼ぶと言われてはここにいることすら危険になる。梢賢は冷たいようだったが、冷静な態度だった。
しかし、藍は去っていく二人を睨み続けている。それでも梢賢は背を向けて玄関へ向かった。蕾生は後ろ髪引かれる思いだったが、梢賢に従った。
「あかんなあ……一刻の猶予もないで、ありゃ」
マンションを出てすぐ、梢賢が不安な顔を隠さずに呟いた。
「じゃあなんで出てきちまったんだよ?」
「伊藤を呼ぶなんて言われたら、あそこにはおれへんやろ。オレ達はまだなんも対策をたてとらん」
「けどよ……あの葵の姿、俺、見たことある」
蕾生は彼女のことを思い出していた。
「何やて?」
「キクレー因子が暴走した時の銀騎だ……」
雨都家に戻った永と鈴心は肩を落として困っていた。
「もぉー、頼むよリン」
「すみません……」
鈴心はシュンとして俯いている。永も頭を掻きながら途方に暮れていた。
「やばいな、つられて本格的に喧嘩売っちゃったよ」
「申し訳ありません。ムカついたので……」
「まあ、確かに嫌味なメガネだけどさー」
決定的に対立したのは永の方であるが、きっかけを与えた鈴心の方がより落ち込んでいた。
するとそこにバタバタと忙しない足音を立てて梢賢が蕾生を連れて帰ってくる。
「ハル坊!ハル坊!」
「ん?どしたの、梢賢くん」
息を切らせて汗だくのまま、梢賢は永に詰め寄った。
「キクレー因子のこと、詳しく教えてくれ!」
「へ?」
間抜けな声を上げる永に、蕾生が雨辺で起こった事を説明した。
「なるほど。葵くんが……」
「なんて事……」
葵の状況を聞いた永も鈴心も神妙な面持ちで息を飲んだ。
「あの倒れた姿。この前の銀騎みてえだった」
「……ライくんがそう感じたなら、そうなのかもしれないね」
「おい!早く教えてくれ!キクレー因子が暴走するどうなるんや!?」
すっかり興奮している梢賢の問いに、永は冷静な態度に戻ってから説明する。
「キクレー因子は鵺が持ってるDNAだって言ったよね。あれが活発化すると、鵺化する危険がある」
「鵺が持ってるDNAがなんで葵くんにあるんや?」
「キクレー因子は鵺に呪われた人間にも植えつけられてるんだ。僕にも、リンにもキクレー因子はある」
「正確には、私の中のキクレー因子は銀騎詮充郎によって植えつけられたものですが」
梢賢は焦るあまりに鈴心の補足もあまりに頭に入っていない様だった。
「じゃあ、ライオンくんが鵺に変化するのって──」
「ライくんの中のキクレー因子が鵺化を促してるんだ。キクレー因子保有の濃さによって個人差があるらしい」
「ライの中のキクレー因子が一番濃く活発なため、今の所ライだけが鵺化するんです」
永と鈴心の説明は梢賢が欲したものではなく、地団駄を踏んで急かす。
「答えになってへん!君らはそうかもしれんけど、なんで葵くんまで!?」
「だから、雨都にもキクレー因子があるからだよ。雨辺は雨都の傍流なんだから、葵くんが保有していてもおかしくない」
「何やて?」
あまり冷静でない梢賢の心を落ち着かせるように、永はゆっくりとした口調で説明した。
「「うつろがたり」に書いてあったでしょう?雲水は僕らに協力してくれた、そして鵺化の戦いに巻き込まれて雲水自身も呪いを受けている。僕ら程ではないけどね」
「キクレー因子は遺伝することが銀騎の研究でわかっています」
「オ、オレにもあるのか……?」
「恐らく」
鈴心の補足が今度は届いた梢賢は、途端に青ざめて何も言えなくなった。
「ライから聞いた限りでは、星弥の時と似ているようですね」
「銀騎の孫娘か?じゃあ、彼女を助けたって言うのは……」
わなわなと震えながら梢賢がやっとそれだけ言うと、鈴心は頷いて続ける。
「星弥も詮充郎によってキクレー因子を植えつけられたデザインベビーです。星弥の実験は早い段階で失敗だとされていました。でも、私達と関わったせいで眠っていたキクレー因子が暴走して意識不明に陥りました」
「鵺化は、心身に重いストレスを与えられた時に起こる。これはライが何度もそうなっているから確かな情報だよ。あの時の銀騎さんも重大なストレスを抱えてた」
「菫が葵に与えたストレスは、相当重いものだったでしょうから……」
永と鈴心の説明を真面目に聞いていた梢賢はさらに身を乗り出して聞いた。
「どうやってその子は助かったんや!?」
「それが……」
「なんや!」
梢賢の剣幕にたじろぎながら、永は困りながら答えた。
「なんで助かったのか、僕もわからないんだよ。その後ライくんが鵺化しちゃって大変だったから……」
「それじゃ困る!葵くんも助けてくれえ!」
「リン、あの時に起こったこと、皓矢から聞いてないの?」
永は降参するように両手をあげて鈴心に振った。すると鈴心も自信なさそう答える。
「お兄様もあの時のことは今も調査中だそうです。ただ、お兄様の想像では、ライが鵺化したからではないかと」
「どういうこと?」
「星弥の中のキクレー因子は厳密には鵺由来ではなく、人工のレプリカに過ぎません。詮充郎がその活発化を図りましたが、時同じくしてオリジナルが顕現したので、レプリカの出る幕がなくなったのでは、とお兄様は仰っていました」
その仮説を噛み締めながら聞いた永は首を捻っていた。
「その理屈だと、葵くんには当てはまらないね」
「はい。雨辺のキクレー因子は何代も遺伝を経ているとはいえ、鵺由来のオリジナルですから。後は、保有するキクレー因子が少量であることを祈るしか」
「既に活発化しちまったから倒れたんだろ?」
蕾生の質問にも鈴心は予想で答えるしかなかった。
「でも少量であれば鎮静化も容易いはずです、多分……」
それを聞いて梢賢はますます青ざめた。
「少量やないかもしれん」
「──覚醒、か」
蕾生が続けると、永も鈴心もキョトンとしていた。
「何それ?」
「菫さんが言ってたんや。葵くんの使徒としての覚醒が近いって」
そこまで聞いて永もやっとこれまでの情報を繋げて導き出すことができた。
「──まさか、薬に?」
「それでキクレー因子を摂取していた……?」
鈴心も信じられない、と言うような顔をしている。そこまで考えが及ばなかった蕾生は一気に怒りが湧いた。
「そんな酷いことをしてたってのか?」
「大変や!葵くんが鵺になってまう!」
梢賢は焦り続けるが、永は半信半疑だった。
「いや、でも、それは……どうなんだろう?」
鈴心も頷きながら困惑している。
「確かに。ライの鵺化に私達は九百年以上骨を折ってきたのに、そんなにポンポン鵺化されても……」
「感情としては納得いかないよね。銀騎さんの時だって、あのまま本当に鵺化したのか今となってはわからないし」
二人が困惑するのは当然だったが、蕾生の言葉が現状を物語っていた。
「鵺化するかしないかは置いといても、葵に命の危険は迫ってるだろ?」
「それは確かに」
「やっぱり!早く鎮静化してくれよ!」
喚く梢賢を落ち着かせるように、永はゆっくりと低い声で言った。
「雨辺菫は伊藤に見せるって言ったんだよね?」
「あ、ああ……」
「それならすぐにどう、って言う事はないかもしれない」
「そうかあ?」
疑いの眼差しを向ける梢賢に、永は真っ向から向き合って冷静に言った。
「葵くんの鵺化を目論んでいるとしたら、せっかくここまで来たんだからむざむざ死なせるような事はしないでしょ?」
「でも、葵くんは今も苦しんでるんやろ!?」
「落ち着け、梢賢!葵を助けたいのはわかるけど、そうするには敵地に突っ込まねえと」
「残念だけど、今の僕らには難しいね。手段も情報もまとまっていない」
蕾生と永で宥めようとしている側で、鈴心がまるで罪を告白するように呟いた。
「眞瀬木珪と喧嘩してしまいましたしね……」
「ハア!?」
一際素っ頓狂な声を上げた梢賢に、永が詳細を報告した。
「ウソやん!何やってんのぉ!?」
「申し訳ない……」
梢賢の反応に、永と鈴心は口を揃えて謝った。
「オレは君ら二人の賢さを見込んでたんやで!?なんちゅーことになっとんねん!!」
「本当に申し訳ない……」
再度揃って謝る二人に、蕾生は一息ついてからケロッとして言った。
「まあ、仕方ねえな。オレがいたらもっとヤバいことになってただろうし」
蕾生がその場にいて、目の前で永を侮辱されていたらおそらく流血沙汰だったろう。
「自慢すんな!あああ、珪兄やん怒らせたら何が起きることか……」
「でも、これで確定だな。雨辺と伊藤と眞瀬木珪は繋がってる」
今、この場で一番冷静な蕾生が結論付けると、永もそれに頷いた。
「それは僕も確信してる。梢賢くんには申し訳ないけど」
「オレは……どうしたらええんや……」
頭を抱えて飽和状態になっている梢賢に、鈴心はキッパリと言った。
「梢賢。貴方はブレてはいけません。最初の目的はなんです?」
「そら、菫さんを正気に戻すことや。そんで葵くんと藍ちゃんを助けること……」
「ならば、貴方はその事だけ考えなさい。眞瀬木珪とは私達が戦います」
鈴心は力強く頷いて梢賢を鼓舞した。それに永も蕾生も続く。
「そうだね。喧嘩売ったのは僕だからさ」
「心配するな。こっちにも武器はある」
屋内にいる時も放さずに持っている白藍牙に手をかけて、蕾生は胸を張った。
「頼んだよ、親友」
「おう」
実際のところ、この木刀がどんな風に役に立つのかは蕾生にはまだわかっていない。けれど、狼狽える梢賢を当初の目的に踏み止まらせるには虚勢が必要だった。
「何かが起きるとしたら……」
「明後日や。それしかない」
鈴心がふと呟く。
そうしてやっと梢賢はぐっと歯を食いしばって答えることができた。
「織魂祭の日、だね」
永は祭に向けて、覚悟の光を瞳に宿していた。
織魂祭を明日に控え、雨都家では全員が準備に追われていた。
両親と姉夫婦が忙しなく家中を走り回っているが、梢賢は永達とのんびり見学を決めこんでいる。
「なんか急に慌ただしくなったね」
「まあ、毎年こんなもんや。本堂の準備が終わったら次は藤生ンチや」
「藤生でも儀式があるの?」
「ていうか、そっちが本番やな。寺で精進潔斎した後、里の皆で藤生家に行くんや」
鈴心はそれを聞いて目を丸くしていた。
「村の全員が、ですか?」
「ちゃうちゃう。各家庭の代表者だけや。さすがにそんなには入らん」
「つってもそれでも大人数だろ。そんなに広い場所があんのか?」
続いて蕾生が聞くと、梢賢は更に説明する。
「家の中ちゃうよ。藤生家にはな、裏山に祭の日だけ入れる聖域があんねん」
「聖域?」
「まあ、君らも明日行くやろうから隠してもしゃあないわな。そこには資実姫様の御神体がある」
そういう話題に一番興味がある永が身を乗り出した。
「御神体というと?」
「ふるーい藤の木や。樹齢は千年超え」
「資実姫は藤の木の化身なの?」
「いや、元は別のもんらしいで。ここは藤生の地元ではないからなあ」
すると鈴心は考えながら梢賢に聞く。
「敗戦で成実家がここに逃げてきたと言う事でしたね。御神体の御霊をその藤に移したんでしょうか?」
「さあ、ウチら他所もんには細かい事はわかりまへんわ」
「……」
ヘラヘラ笑ってとぼける梢賢の姿はすっかりお馴染みの光景になってしまった。そうやってあまり深入りしないのが雨都の処世術なんだろうと永は思う。
「しょーけええん!」
「ぐええええっ!」
四人で雑談をしていると、突然白い糸が梢賢の首元まで伸びてきて、締めつけた。梢賢はヒキガエルの様な声で苦しんでいる。
「!!!」
「暢気に立ち話とはいい度胸だ!ちったあ手伝え!この穀潰しが!」
「ね、ねえちゃん……死ぬ、死ぬ」
優杞の手から出ている艶めく頑丈な糸を初めて目の当たりにした永達は、驚きとともにそれに目を奪われていた。
「あ、忘れてた!おほほほ!見た?」
三人の視線にやっと気づいた優杞はすぐに糸を消して梢賢を解放する。愛想笑いで誤魔化そうとしたが、時既に遅い。
「内緒!内緒よ?」
梢賢の仕打ちに慄いた三人は無言で力強く頷くのが精一杯だった。
「あー苦し。姉ちゃん、オレ達の力なら話してあんで」
「ああぁ!?」
優杞は思わずメンチを切った。
それに恐れながら三人は口々に感想を述べる。
「す、すみません……」
「すげえ……」
「確かに梢賢くんのより、頑丈そう……」
「やだあ、よしてよ!褒めても何も出ないわよぅ!」
照れ隠しなのか優杞は大袈裟に笑っていた。それに愛想笑いを返していると、楠俊が外から帰ってきて四人に声をかける。
「おーい、梢賢くーん!皆も一緒に藤生に行くよー!」
「え?なんで?」
「康乃様からヘルプ要請!元気な男手が欲しいんだって」
それを聞いてまず飛び跳ねたのは永だった。
「やった、チャンス!」
「行きましょう、すぐ行きましょう」
鈴心も目を光らせてやる気を見せたが、蕾生は気乗りがしなかった。
「俺、あのおばさん苦手だな……」
「まあまあ、資実姫を探るなら今だからさ!」
「明日の有事に備えて、出来るだけ情報を集めましょう」
永と鈴心にそう促されては、蕾生も応じるしかない。すでに玄関を出て縁側に回ってきた永が蕾生のスニーカーを持ってくる。蕾生は渋々立ち上がって、縁側から降りた。
藤生の邸宅に着くと、玄関先で康乃が待ち構えていた。皆の姿を確認するといつも通りのにこやかな笑顔で迎える。
「まあまあ、ありがとう。お客様なのに手伝わせてしまうなんてねえ」
「いえいえ、気にしないでください。うちのライくんは牛三頭分くらいは働けますから」
「おい、こら」
笑顔につられて永もニコニコ笑って答えると、後ろで蕾生が渋い顔をした。その様子に康乃はますます笑って言う。
「まあ、頼もしいわ。毎年裏山に舞台を建てるのが重労働でねえ」
「じゃあ、やろうか。梢賢くん、蕾生くん頼んだよ!」
やる気十分の楠俊に促されて、蕾生はその後についていくしかなかった。梢賢もだったが、ふと振り向いて永を見る。
「ハル坊は?」
「ごめんなさい。編み物仕上げたら疲れちゃって!」
「ぐぬぬ……ずっちぃ……」
テヘ、と舌を出して笑う永に歯ぎしりしてから梢賢は楠俊達の後を追った。
「慣れない方に編み物は大変だったわよね。大丈夫?」
永の言葉は重労働から逃れるための方便だったが、康乃は少し心配そうに尋ねた。
それで永も少し罰が悪そうに笑って答える。
「ああ、はい。一晩寝れば回復しましたから」
「そう。良かった」
「眞瀬木の方は……?誰もいらしていないんですか?」
こんな重要な行事なのに眞瀬木の者が誰もいないのを確認した鈴心が聞くと、康乃は相変わらずの軽い口調で教えてくれる。
「ああ、墨ちゃん達は家で明日の道具なんかを揃えてるわ。八雲が中心でね。
今年は瑠深ちゃんも手伝ってくれるみたいでね、眞瀬木も頼もしい後継がいて良かったわあ」
「跡取りは珪さんなのでは?」
「珪ちゃんと瑠深ちゃんが半分ずつ継ぐって聞いてるわ。仲の良い兄妹だから眞瀬木も安泰ね」
「そうですか……」
康乃の雰囲気は楽観的で、眞瀬木の方針を疑っていないようだった。尋ねた鈴心にしても、部外者が口を出していい事ではないので康乃の認識を確認するだけにとどめた。
「お祖母様──あ!」
そんな世間話をしていると、裏の方から剛太が早足で駆けてきた。鈴心の姿を確認してぽっと頬を染める。
「おはようございます、剛太さん」
「お、おは、おは、おはようございます!」
「……」
どもりながらぎこちなく会釈をする剛太の態度に、永は少し苛立った。そのせいで笑顔が張りつく。
「どうしました、剛太?」
「あ、あの、楠俊さんがお祖母様に見て頂きたい箇所があるって──」
「そう。今行きます。貴方方もいかが?」
康乃は剛太に頷いた後、永と鈴心に向かって微笑んだ。
「是非」
張りついた笑顔のままで永は答えた。
藤生の邸宅の裏を通り過ぎて、少し獣道を登ると急に開けた場所に当たった。そこでは楠俊はじめ村の男達が数人で木を組んで舞台のようなものを建てている。
さらにその後方に大きな藤の木があるのがわかった。藤棚などで整えられているわけではなく、野生のまま伸び放題といった様子で、周りの木々にもその蔓が巻きついている。
すでに開花の時期は過ぎており、青々とした葉の中に点々と実がなっているのが見えた。
「おー、こりゃ凄い!」
「見事です」
堂々たる姿の藤はその長い歴史を体現しているようで、永も鈴心も感嘆の声を上げた。二人の様子を見た剛太は誇らしげに胸を張っていた。
「ひいひい、あ、だめ、これ重い。ライオンくーん」
着々と組み上げられていく舞台の下で、梢賢が泣きそうな声を出しながら木材を持て余している。
「情けねえな、ったく」
見かねた蕾生は二メートルはある木材をひょいひょいと左右に担いで梢賢の代わりに運んで行く。
「ウソやん、イカついわあ」
「まあ、凄いのねえ」
梢賢だけでなく、康乃も目を丸くして驚いていた。
「力だけが取り柄ですから」
鈴心の声が聞こえた蕾生は、視線だけこちらを向いて睨みつけた。鈴心は涼しい顔で目を逸らす。
「ああ、康乃様すみません。こちらです」
「はいはい」
舞台の横から現れた楠俊に促されて、康乃はその場を離れた。
「あの舞台の奥にあるのが、例の藤の木か……」
「とても立派です……」
残された永と鈴心が感心しきりに呟いていると、得意げな顔をして剛太がそこに割り込んだ。
「あれが資実姫様が宿る樹齢千年の藤の木です。我が家の家宝です!」
きっと鈴心に良いところを見せたいのだろうと悟った永は一歩引いて黙る。それで鈴心が剛太に話しかけた。
「あの藤の木は、藤生の方が植えたんですか?」
「いえ。元からこの地に自生していたものです」
剛太はハキハキと元気良く答えていく。鈴心は質問を続けた。
「なのに資実姫様が宿っていらっしゃるんですか?ここに移り住んでいらしたのに?」
「ああ……藤生の歴史をご存知なんですね。ならお話します!京にいた頃、資実姫様が宿っていたのは桑の木でした。その桑の木に祈るととっても綺麗で丈夫な絹糸が出てきたんです」
頼んでもいないのにスルスルと話が出て来る剛太の様子を、永は後ろで黙って見ていた。
この場を任されたと悟っている鈴心は少し笑って相槌を打つ。
「素敵なお話ですね」
「はい!その絹糸を帝に献上してご先祖様は高い地位を得ました。ですが戦に負けて、落ち延びねばならなくなりました。桑の木だけはどうしようもなくて、ご先祖様は泣く泣く京を去ったそうです」
「痛ましいことです」
鈴心に促されていることも意識しないまま、剛太は少し興奮しながら一気に喋る。
「この地に流れ着いて、ご先祖様はそれでも毎日京に置いてきた資実姫様を思って祈り続けたそうです。そうしたら、この里に古くから生えている藤の木から、京にある桑の木と同じ絹糸が出てくるようになったんです!」
「それは──奇跡でしょうか?」
鈴心がそう聞くと、剛太はパッと明るい表情になって大きく頷いた。
「僕もそう思います!それからはあの藤の木に資実姫様がお移りになったとして、御神体として手厚くお祀りしているんです!」
「そう言う事だったんですか。大変勉強になりました」
そこまで聞いたところで、舞台の上に上がっている康乃が剛太を呼んだ。
「剛太、貴方も良く見ておきなさい」
「あ、はーい!すみません、ちょっと失礼します」
「お疲れ様です」
「えへへ……」
一礼して送り出す鈴心に、はにかんだ笑顔を残して足取り軽く剛太は康乃の所へ向かった。
「……」
「ナイス、リン。グッジョブ色仕掛け」
剛太の背中を見送る鈴心に永が親指を立てて話しかけた。その顔はまだ笑顔が張りついている。
「は?何のことです?」
「いやいや。思わぬところから重大な情報が聞けたねえ」
「ちょっと、心が痛いです。よいしょし過ぎたかもしれません」
鈴心にとってみれば剛太くらいの子どもは等しく赤ん坊のようなものだ。そんな純粋な存在を持ち上げて情報を得ようとしたことに罪悪感を感じていた。
「まあまあ。しかし、驚いたね」
「はい。まさか藤絹というものが、あの木から出てくるとは……本当でしょうか?」
「それは実際に目にするまでは信じられないけどね。嘘を言っているようにも見えなかったな」
永もすでに遠くなった剛太の姿を見やってから言うと、鈴心も頷いた。
「はい。剛太さんの目は真っ直ぐでした」
「真っ直ぐリンを見てたけど、ね」
「はい?」
永の微かな嫌味にも、鈴心は首を傾げていた。
先に雨都家に帰っていた永と鈴心は縁側で涼みながら二人の帰りを待っていた。
蕾生と梢賢が藤生の手伝いから解放されたのは昼をとうに過ぎた頃だった。
「あー、疲れた!」
戻ってくるなり縁側に突っ伏した梢賢を永は苦笑して迎える。
「二人ともお疲れ様」
「ああ。そっちはなんか聞けたか?」
体力お化けの蕾生は梢賢とは対照的に散歩から帰ったような雰囲気であった。
「そりゃあもう。リンが良くやってくれたよ」
「有難きお言葉」
永はうっすら嫌味を言ったつもりなのだが伝わっておらず、粛々と受ける鈴心の態度に複雑な気持ちになった。
「……」
そんな細かい機微があることなど察することのない梢賢は縁側をゴロゴロ転がりながら、気の抜けた風体で聞く。
「ええ?なんかわかったんかぁ?」
「うん、資実姫なんだけど──」
永は梢賢と蕾生に剛太から聞き出した話をした。それを聞いた梢賢はようやく起き上がって腕を組みながら考える。
「祈ると藤の木から絹糸か……オレと姉ちゃんの力の上位互換ってとこかな?」
「つまり梢賢くんは、実際に絹糸を出してるのは藤生の人間だって思うの?」
「せやなあ。京にいた頃とは別の木からも糸が出たんやろ?てことは木を媒介にして、藤生の人間が糸を生み出してるって考えた方が自然やないか」
「確かに」
理解の早い二人の会話を聞きながら、蕾生は少しがっかりして言った。
「なんだ。絹糸を出す木があるわけじゃねえのか」
「んー、その可能性もなくはないけど、ちっと無理があるかなあ……」
「藤の木の奇跡ではなく、藤生の異能力ということですね」
鈴心も梢賢の見解に頷いていた。三人に比べて素人考えの蕾生は素朴な疑問を投げる。
「けど、直接糸を出せる梢賢達の方が凄くねえか?」
「いや、オレ達の糸はすぐに消えてまうからな。藤生の出す絹糸は完全に物質として成り立っとる」
梢賢がそう解説すると、鈴心と永も口々に考えを述べた。
「絹糸を物質として定着させているのが藤の木の力なのか、藤生の力なのかの判断が難しいですね」
「その意味で、藤の木にも奇跡の力があるとは言えるかもしれないね」
藤生の絹糸を出す異能力が梢賢姉弟のものだと同質であるなら、神木を通すことで物質化させていると考えられなくもない。その場合、神木そのものにも何らかの神秘があることになる。
「要するに、藤の木と藤生の人間はニコイチっちゅーことやな」
「ややこしい」
蕾生は眉を顰めて呟いた。結局、絹糸を生成しているのは藤生の人間なのか、藤の木なのか結論が出ないからだ。
ただ、梢賢の言う通り、藤生の人間と藤の木が揃ってはじめて絹糸が出来上がるという事実だけは変わらない。
「確かに。何にしろ、藤絹が生成されるプロセスはわかったね」
永も苦笑しながら蕾生に応えた。絹糸の生成に係る詳細はわからないが、ざっくり言えば藤生の不思議な力の結果だということだ。それは一般社会では決して理解されないだろう。
「そら、原材料なんか説明できんで。珪兄やんの事業は先が暗いな」
「でもあの人なら口八丁手八丁でなんとかしてしまうかも」
「せやなあ……」
鈴心の言葉にも頷きながら梢賢は難しい顔で考え込んでいた。
「ところで祭がいよいよ明日ですが、眞瀬木珪や雨辺菫はどう動くのでしょうか」
蕾生以外の三人が思考のために数分黙ったままでいると、鈴心が話題を切り替えた。
それにまず梢賢が答える。
「珪兄やんは明日は大忙しやで。実質、眞瀬木は織魂祭の責任者やからな。悪巧みしてる暇なんかないで」
「けど、明日は村中のエネルギーがここに集まるよね」
「絹織物のことか?そらまあ、そうやけど。ハル坊は珪兄やんがそれを利用する思てんのか?」
「どう利用するかはわからないけど、そんな膨大なエネルギーをただお焚き上げするなんて勿体無いと思うんだよねえ」
梢賢にとっては永の意見は盲点だった。毎年の行事なので慣れてしまっている梢賢には、それが警戒すべき事だとは思っていなかったからだ。
「けどそれは毎年やってんで。なんで今年に限ってそうなるんや?」
すると鈴心が神妙な面持ちで割って入った。
「雨辺葵が覚醒間近だからです」
「ちょ、っと待てよ。葵くんにそのエネルギーを使うっちゅーことか?あり得へん!そもそも、雨辺は里に入れへんよ!」
慌てる梢賢を他所に、やはりこの手の知識が足りない蕾生が鈴心に尋ねる。
「葵にそのエネルギーを使ったらどうなるんだ?」
「そこまではちょっと」
「なんだよ」
てっきり鈴心にはその先の想像がついているのかと思った蕾生はまたもがっかりした。詳しい見解がないのなら、鈴心の杞憂に終わるかもしれない。梢賢も蕾生もそう感じていると、突然永が叫ぶ。
「あ!」
「なんだよ?」
「例年とは違うことが今年は起きてる!」
「それって?」
首を傾げて蕾生が問うと、永はおもむろに編み上げたレースを見せた。
「これだよ」
「──永が編んだやつか?」
それを見て鈴心の方が青ざめて答える。
「ハル様のエネルギー……」
「あ──」
そこまで言われてとうとう梢賢も口を開けて固まる。更に永は不安気な顔で続けた。
「これに、キクレー因子が吸われてるとしたら?」
「葵くんに使ったら、鵺化の引き金になってしまうかも……」
「──まじかよ」
蕾生にもやっと非常事態だとわかった。それと同時に永は珍しく焦って狼狽えていた。
「どうしよう、梢賢くん!今からでも断れない?」
「んなこと出来るかいな!康乃様の決定は絶対やし、ハル坊かて喜んで参加する言うたやんか!」
「だってこんな事になるなんて思わなかったもん!」
「オレかてそうや!」
言い合う二人に向けて、鈴心は疑いの眼差しである可能性を述べる。
「待ってください。そうなると、私達を織魂祭に招待した康乃さんはどうなんです?」
「──え?」
「まさか、あのおばさんも……」
「グルってこと?」
蕾生も永も康乃の朗らかな笑顔を思い浮かべ、その裏に隠れる悪意を想像する。それまで気付きもしなかった可能性に皆が押し黙った。
「それはもっとあり得ん!!康乃様が葵くんを鵺化させる理由がない!」
最初にそれを打ち消したのは梢賢だった。首をぶんぶん振って否定する。
「確かに今の所、理由は見当たらないけど……」
永は消極的だったが、鈴心の考えは辛辣だった。
「眞瀬木の鵺信仰は雨都に影響を及ぼしたんですよね?本家筋の藤生には及んでいないと言い切れますか?」
言われた梢賢は心外だと言うように声を荒らげる。
「眞瀬木は今でこそ藤生の分家扱いやけど、元は成実家お抱えの呪術師やぞ!主人にそんな洗脳じみた事するかいな!」
誰よりも正しいはずの里長を疑われて憤慨する梢賢の気持ちを慮って、また沈黙が流れた。
だが、走り出してしまった想像は永の心を蝕んでいく。
「最初から、この村全体が僕らの敵だった……?」
「ハル坊!考え過ぎや!」
「でも、辻褄が合い過ぎて……」
鈴心もそんな永の不安に引きずられていく。思考が悪い方へと向かいかけた時、蕾生の大きな声がそれを堰き止めた。
「お前ら落ち着け!永の悪い癖だぞ!」
「ライくん……」
「お前、今、梢賢まで疑いかけただろ」
「……」
ピクリと肩を震わせた様を見て、梢賢も驚いて困惑した。
「なんやてぇ!?」
それを低く冷静な声で制して、蕾生は永に向き直る。
「ちょっと梢賢も落ち着いてくれ。永、そもそも俺達は雨都が困ってるから力になりたいと思ってここに来た」
「うん……」
「それは何故だ?雨都には沢山恩と借りがあるからだろ」
「そう……」
「なのに、その雨都を疑ったら本末転倒だ。雨都だけは疑ったらダメなんだ。前提を見失うな」
蕾生の真っ直ぐな言葉に、鈴心の瞳にも光が戻ってくる。
「そう、でした……」
「……ライオンくん」
そうして永も肩で大きく深呼吸してから梢賢に向き直る。
「梢賢くん、ごめん。僕、ちょっと焦ってたよ」
「──ええで。それだけハル坊は真剣になってくれたっちゅーことや」
「あー、ほんっと僕の悪い癖だよねえ!考え過ぎて疑心暗鬼になっちゃうの!」
少し大袈裟に頭を抱えて言う永の口調は、余裕を取り戻して明るくなっていた。
「ハル様は思慮深い方ですから」
「単細胞のライオンくんに救われたな」
「おい、お前ら」
鈴心と梢賢が慰める言葉に引っかかった蕾生は遠慮なく文句を言った。少しの間笑い合った後、永は改めて両手を打ってまとめる。
「よし、話を戻そう!康乃さんまで疑ったのはやり過ぎだったけど、とりあえず絶対に阻止しないといけない事はわかったよね!」
「絹織物及びそのエネルギーが眞瀬木珪の手に渡ること、ですね」
「まあ、儀式が無事に済めばお焚き上げするだけやからな」
鈴心も梢賢も思考の方向性が決まってスッキリした顔をしていた。
「絶対に、焼く」
「ライオンくんが言うと怖いわあ」
梢賢の冗談で場は和やかになったが、蕾生は一人納得のいかない顔でぶすったれた。