転生帰録2──鵺が嗤う絹の楔

 麓紫村(ろくしむら)雨都(うと)家では、(はるか)が祭用の針と糸でレースを編んでいた。
 
「はあ……疲れた」
 
 三十分ほど経って永は手を止める。横で見ていた鈴心(すずね)は心配そうに顔を曇らせた。
 
「お休みください、ハル様」
 
「うん。吸い取られるってわかってやってるから、余計気持ち悪いね」
 
「横になりますか?」
 
 そう聞かれて、膝枕ならいいなあと思いかけた己を律して永は首を振った。二人きりだと邪念が入ってしまう。疲れているせいだ。
 
「──いや、そこまでは大丈夫。気分転換に聞き込み行こうか」
 
「御意。柊達(しゅうたつ)氏の所ですね」
 
「うん。どこにいるかなーっと」
 
 それなりに広い寺の中を少し歩いていると、雨都(うと)柊達(しゅうたつ)は縁側で新聞を読んでいた。
 
「お時間、あります?」
 
 永がひょっこり顔を覗き込むと、柊達はあからさまに迷惑がって鋭い視線を投げた。
 
「何か用か」
 
「ええーっと、少しお聞きしたいことがあって」
 
「最初に言ったと思うが、私は息子のように直接協力はしない」
 
「そういうスタンスなのは承知しているんですが、文献を見ることができなくなったし、康乃(やすの)様が昨日おっしゃいましたよ?教えてもらえって」
 
 永が抜いたのは伝家の宝刀「康乃様」である。この村ではこの三文字ほど効果がある言葉は他にない。永はそれを充分学んでいた。
 
「むむむ……いたしかたない。モノによるが何かね」
 
 仕方なく柊達は新聞を折り畳んで腕を組んだ。永と鈴心はその場に座って質問することにした。
 
慧心弓(けいしんきゅう)ってご存知ですか?」
 
 永の言葉とともに、鈴心も緊張して柊達の回答を待った。柊達は鋭い目のままで言う。
 
「弓か。(かえで)がここから持ち出したと言う」
 
「そうです。見たことあります?」
 
「ない。私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
 
 柊達は抑揚なく一気につらつらと喋る。まるで用意していた箇条書きの台詞を言っているようだった。
 
「……」
 
 誰かにそう言えと言われているのか、それとも寡黙なキャラクターを保つためなのか。永が少し考えていると先に鈴心が話題を進めてしまう。
 
「では、橙子(とうこ)さんならご存知でしょうか?」
 
「橙子しゃ──妻も知らないと思う。なにせ妻が生まれたのは、楓がここに帰ってきてから二年後だからな」
 
 言葉尻の油断が垣間見えて、永はちょっと面白かった。だがそれは聞かなかったことにして尋ねる。
 
「なるほど、そうですか……その頃には既に楓サンは弱っていたんですか?」
 
「うむ。帰って間もなく寝たきりになったと聞いた」
 
「誰に?」
 
「ばあさま──(まゆみ)からだ」
 
 その名前を出されると、それ以上は聞きにくくなる。永は少し質問の角度を変えた。
 
「他に当時の事を知ってる人はいますか?」
 
「楓の容体は隠していたから、知る人はほとんどいない」
 
 ここまでの柊達の答えはほぼ「知らない」「わからない」の一点張りだ。いいかげん痺れを切らせた永は疲れている精神も手伝って口調に気を遣えなくなっていた。
 
「ほんとにぃ?こんな小さい村なんですよ、噂くらい立つでしょ?しかも雨都のことなんだから」
 
 だが続く柊達の返答はさらに酷かった。
 
「私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
 
「あんたはロボットか!」
 
 同じ言葉を同じ顔で、しかも棒読みで喋った柊達に永は思わずつっこんでいた。
 横で聞いていた鈴心が少し焦る。
 
「ハ、ハル様!目上の方にそんな事……!」
 
 収集がつかなくなった所で、呆れ顔の橙子が静かにやってきた。真夏だと言うのにこの婦人は涼しい顔で着物を着こなしている。
 
「何をしているんです」
 
「橙子しゃん!」
 
 女神現る、のような目で柊達は助けを求めていた。
 永はやっと現れた真打に向き直り、軽く頭を下げる。
 
「あ、どうもー」
 
「ごめんなさいね、うちの人が頑なで」
 
「では、奥様から伺っても?」
 
「いいえ。私からお話することはありません」
 
 取り付く島もない橙子の態度に、永はがっかりしている態度を素直に表した。
 
「えー。お願いしますよー、困ってるんですぅ」
 
「ハ、ハル様?」
 
 戸惑っているのは鈴心だけではなく、橙子も眉を顰めて言った。
 
「貴方、最初に話した時とは随分印象が違うわね」
 
「そうですか?すいません、編み物してたら疲れちゃって、あんまり頭が働いてなくて」
 
「ああ、祭の……。慣れない方には重労働のようね」
 
 実感が込められていないような橙子の言葉尻を見逃さなかった永は、祭の情報を探ることに舵を切った。
 
「そう言えば、雨都では誰が編むんですか?」
 
「うちは編みませんよ。当たり前でしょう、この里の者ではないのだから」
 
「ええ!そうなんですか!でも雨都のご先祖様も資実姫(たちみひめ)様のお弟子さんになってるんでしょ?」
 
 永は少し気安く、世間話をするような雰囲気で聞いてみた。それで橙子の態度が軟化することはなかったが、一応話は続けてくれた。
 
「いいえ。うちの先祖は元々の宗派でお弔いします。里の信仰とは一切関係ありません」
 
「あ、そうなんですか。割り切ってるんですねえ」
 
「そんなことより、先程のお話だけど」
 
「はい?」
 
 きょとんと首を傾げた永に、橙子は厳しい表情で言った。そんな顔をしても通じないと言いたげに。
 
「よもや、当時を知る人がいないか探したりなさらないわよね?」
 
「えっ!?」
 
 当然どさくさに紛れて村を散策するつもりだった永は先を制されてギクリと肩を震わせた。
 
墨砥(ぼくと)様に言われたことをお忘れなく。藤生(ふじき)眞瀬木(ませき)、雨都以外の里人には一切話しかけないように」
 
「はあい……」
 
 これ見よがしに肩を落とした永に、橙子は袂から鍵を取り出した。蔵の鍵だ。
 
「では、これを」
 
「いいんですか?」
 
「そういう約束でしょう。読めるものは少ないけど、ご自由にどうぞ。その代わりうちの人を尋問しないように」
 
「わかりましたぁ!」
 
 鍵を受け取ってにこやかに笑った永に、橙子は少し毒気を抜かれたような顔で困惑していた。
 
「ほんとによくわからない子ね」
 
「よし、行こう、リン」
 
「御意」
 
 そうして元気よく立ち上がった永は、鈴心を伴って再び蔵へと向かうのであった。







 蔵の中は一昨日入った時と同じ、薄暗く閑散としていた。書棚も変わった所はなくほとんどが空の状態のまま。その中の一ヶ所だけは新めの書物が数冊仕舞われている。
 
「二日ぶりに入ったけど──、リンは何か感じる?」
 
 (はるか)が蔵の中を見回しながら聞くと、鈴心(すずね)は申し訳なさそうに首を振った。
 
「いえ……特に何も」
 
「ふーむ、仮に眞瀬木(ませき)が式神かなにか使って入ったなら気配くらい残ってるかなーって思ったんだけどな」
 
「何もない……とは言い切れません。私には何も感じないだけです。眞瀬木と銀騎(しらき)の術の(ことわり)が違うとしたら、私程度では感知できないと思います」
 
「それ、ちょっと引っかかってるんだけど、リンは銀騎の術が使えるってこと?確認なんだけど」
 
 永は以前に星弥(せいや)に聞いたことがある。だが星弥は具体的なことは知らなかった。
 ただ、鈴心は幼少期に銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)から頻繁に健康診断を受けていたと聞いた。その診断の内容や目的などは、結局聞けずにいる。
 あのクソジジイにお前は何をされたんだと、面と向かって聞く勇気が持てないまま、永はそのことがずっと気がかりでいる。
 
「いいえ、使えません。習っていないので。ただ、私の身体は銀騎詮充郎の精子からできていますから、銀騎のDNAによる感知能力だけはあるようです」
 
 鈴心は思いの外平然としていた。だがもたらされた事実は永の度肝を抜いた。
 
「ええ!?ちょっと待ってよ、てことは遺伝子上ではリンは詮充郎の子どもってこと!?」
 
「ああ、はい」
 
「いやいやいや、そんなケロっとした顔で言われても」
 
 永の動揺を見て、鈴心は肩を落として謝った。
 
「すみません。なんだかバタバタしていてウラノス計画の詳細を報告するのを失念していました……」
 
「まあ、そうだね。銀騎さんの昏睡とライくんの鵺化(ぬえか)があったから、それどころじゃなかったよね──て、待って。じゃあ、銀騎さんも孫じゃなくて……」
 
「遺伝子上は詮充郎の娘です」
 
「ああ、そう……なんか腑に落ちたよ」
 
 星弥のしたたかな性格や、鈴心に対する変態的な執着心などは確かに詮充郎寄りだと永は思った。皓矢(こうや)の妹というよりは、詮充郎の娘だと思うとしっくりくる。
 
「ウラノス計画の説明をいたしますか?」
 
「いや、今はいいよ。今度ライくんもいる時にね。それよりも今は慧心弓(けいしんきゅう)だ」
 
「御意」
 
 ウラノス計画はキクレー因子を人工的に保有させたデザインベビーを作ることだと皓矢から聞いている。その被験者が鈴心と星弥だ。
 それ以上のことを今この場で聞いて一人きりで受け止める覚悟が永には出来なかった。せめて側に蕾生(らいお)がいないと心細い。
 
 そうして鈴心との話をはぐらかした後、永は唯一書物が残されている箇所に近づいてその中の一冊を手に取った。
 
「うーん。読むのが怖いけど、これからいってみるか」
 
(まゆみ)さんの日記ですね?」
 
「うん。(かえで)サンが帰ってきた日のことが書いてあるといいなーって……あった、ここだ」
 
 永は日記帳をパラパラとめくって内容を追う。鈴心もその手元を覗き込んだ。
 
「『──ようやく楓が帰ってきた。ぼろぼろの姿で。弓矢もどこへやってしまったのやら。戻るなり倒れるように眠ってしまった』」
 
「これ……」
 
「やはり、弓は焼失してしまったみたいだね……楓サンは弓をここに持ち帰っていない」
 
「……」
 
 永はあまり気が進まないが、心の中で日記の持ち主に謝って読み進める。
 
「『眞瀬木に診てもらったが、楓は鵺の呪いを受けたらしい。これから徐々に体が弱っていくだろう。解除の術はない』」
 
「……」
 
 鈴心は黙って聞いている。当時の楓を思い出しながら。
 
「『もう、一日のほとんどを寝て過ごしている。ただ口だけは達者で、橙子(とうこ)に鵺話をするので困る』」
 
「……」
 
「『楓には私の姿も見えていないようだ。手指も冷たく、唇は乾き続ける。このまま死んでしまうのだろうか──』」
 
 楓の死にゆく姿が生々しく綴られており、それ以上は永も読めなかった。鈴心も啜り泣きながら止める。
 
「ハル様……、もう……」
 
「うん……僕もこれ以上は読めない……。それに、檀さんも僕らに読んで欲しくないと思う」
 
「ううっ」
 
 グスッと鼻を啜る鈴心の頭をそっと撫でて、永は日記帳を棚に戻した。
 
「他の手掛かりを探そう」
 
「そんなもの、あるでしょうか」
 
 目を擦りながら鈴心が弱音を吐くと、それを優しく受け止めてから永は日記帳の隣にある書物に手をのばす。
 
「うん。後はこれだね。雲水(うんすい)一族がここに来た当時の記録。恐らくその時は弓矢を持ち込んだはずだから、何か──」
 
 またページをめくる永の手元を鈴心は覗き込んだ。
 
「えーっと、ものすごく端的だなあ。書き留めただけって感じ」
 
「そうですね。『里に着いた』、『寺を与えられた』、『婿をとる』……」
 
「ん?」
 
 永と鈴心はある一文に注目した。
 
「『弓を……眞瀬木に──』」
 
「『──貸した』!?」







「うーん、勢いがついて思わず来ちゃったけど……」
 
梢賢(しょうけん)がいないのに、会ってくれるでしょうか?」
 
「その前に玄関に行く勇気も出ないんだけど」
 
「た、確かに……」
 
 (はるか)鈴心(すずね)眞瀬木(ませき)家邸宅の前で立ち往生していた。
 雨都(うと)の蔵から出た後、優杞(ゆうこ)から昼食に呼ばれたので二人は急いでそれを食べてから、勢いのままに眞瀬木家に向かってしまった。
 しかし、いざ屋敷を目の当たりにするとその静けさから徐々に頭が冷えて今に至る。
 
「何やってんの?あんたら」
 
 不意に背中から呼びかけられて、永も鈴心も心臓が飛び上がる思いだった。
 
「わあ!」
 
瑠深(るみ)さん!」
 
「あのねえ、ここ、あたしンチ。驚かれる筋合いがないんだけど」
 
 瑠深は怪訝に眉を顰めて二人に毒づいた。永は呼吸を整えてから普段の調子を取り戻そうと努める。
 
「ああ、ごめんなさい。お出かけだったんですね」
 
「まあね。あんた達だけ?あのバカは?」
 
「梢賢くんなら今日はうちのライくんとツーリングです」
 
 永が答えると瑠深は薄く笑った。
 
「へえ、ウケる。あの二人の見てくれなら暴走族と間違われて逮捕されちゃうんじゃない?」
 
「さすがに自転車ではそこまでされはしないかと」
 
 鈴心がそう答えると、瑠深はまるでスベッた芸人のような気まずさで言った。
 
「──冗談よ、真面目な子だね、あんた」
 
「そうですか。すみません」
 
「……なんか調子狂うわ。それで?何か用?」
 
「えーっと、ちょっと調べ物をしていまして」
 
 どこから話したものか、永が目を泳がせていると瑠深が先を制した。
 
「それは知ってる。雨都にある文献でしょ。でもほとんど盗まれたって聞いたけど」
 
「はい、ですから僕らも困っちゃってて。辛うじて残ってた記録を読んだら眞瀬木の名前が出てきたので──」
 
「ふうん。そりゃ名前くらいは出てくるでしょ。里の仲間なんだから」
 
 自然に言ってのけた瑠深の言葉尻を永は反芻した。そう思っているのは眞瀬木では瑠深だけかもしれない、と思ったからだ。
 
「仲間、ですか」
 
「何よ」
 
「いいえ、別に」
 
 永と瑠深の間に不穏な雰囲気が漂い始めたのを察知した鈴心は急いで話題を変えた。
 
「あの、瑠深さん。慧心(けいしん)という名の弓をご存知ですか?」
 
「けいしん……?さあ、知らないな」
 
「では、雨都(うと)(かえで)についてはどれくらいご存知ですか?」
 
 すると瑠深は少し意外そうな顔をして答えた。どうして聞かれたのかわからない、という顔である。
 
「ううん?ああ……例の。どれくらいって言われても名前ぐらいしか。だって(まゆみ)ばあちゃんの妹でしょ?随分昔に亡くなった」
 
「そうですか……」
 
「眞瀬木では楓サンのことは伝わってないんですか?」
 
 続けて永が聞くと瑠深は肩を竦めて答える。
 
「さあね。父さんや兄さんなら知ってるかも。あたしは跡取りじゃないからわかんない」
 
「え?でも呪術の修行をしているって聞きましたけど」
 
「そりゃそうよ。眞瀬木の術を絶やす訳にはいかないもの。あたしが術を相伝して、それを兄さんが使う。そういうことになると思うわ」
 
(けい)さんは相伝できないんですか?」
 
 その永の質問は、瑠深にとっては地雷だったようだ。瑠深はあからさまに機嫌を悪くして語尾を強めながら言う。
 
「できないんじゃない。あたし達兄妹は役目を分けたの。今の時代、全部が全部を長子に継がせるなんてナンセンスよ。あたし達は新しい方法で眞瀬木を続けていく」
 
「なるほど……」
 
 訳知り顔をした永の受け答えは更に瑠深の癇に障った。
 
「悪いわね、ご期待に添えなくて。じゃ、サヨナラ」
 
「ああ、ちょっと待って!もう一つだけ!眞瀬木では、(ぬえ)ってどう思われてます?」
 
 瑠深が二人を通り過ぎて玄関の引き戸を開けようとした時、永は食い下がって芯を食った質問を投げた。すると瑠深は立ち止まって低い声で言う。
 
「──何それ。どういう意味?」
 
 かかったな、と思った永は挑発するように尋ねた。
 
「いやあ、雨都が深く関わった化物ですから、呪術師の立場としてどうお考えなのかなあって。銀騎(しらき)なんかは病的なくらいに研究してますけど」
 
「銀騎ね……あんなマッドサイエンティスト爺さんと一緒にしないで」
 
詮充郎(せんじゅうろう)をご存知なんですか?」
 
 鈴心が聞くと、瑠深は少し斜に構えて答える。
 
「まあ、噂くらいは?こっちの界隈でも超有名人だし、何度も派手な事やってるしね」
 
「申し遅れました。私、銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)の娘です」
 
「はあ!?」
 
「リン!?」
 
 鈴心の爆弾発言に、瑠深だけでなく永も驚いていた。そして永の放った言葉に瑠深が戸惑っている隙をついて鈴心が真顔で近寄る。
 
「リン?何?」
 
「私、瑠深さんともう少しお話したいです」
 
「あんた、あたしと腹の探り合いをしようっての?」
 
「ご都合がよろしければ」
 
 怯むことなく真っ直ぐに瑠深を見つめる鈴心に、瑠深は挑戦的に笑って玄関を開けた。
 
「いい度胸だ、気に入ったよ。入りな」
 
「どうも」
 
 落ち着いている鈴心とは逆に辺りを気にしている永に、瑠深は一声かける。
 
「父さんも兄さんも出かけてるよ」
 
 それを聞いた永はわかりやすく胸を撫で下ろして鈴心の後に続いた。
 
「お邪魔しまーす!」
 
 これが吉と出るか凶と出るか、永も鈴心も、瑠深もまた大きな賭けだと固唾を飲んだ。







 (はるか)鈴心(すずね)は昨日とは違い、瑠深(るみ)の自室に通された。おおよそ女子高生らしくない閑散とした和室で、居間とほとんど差がなかった。
 だがそんなことを気にしている余裕はなかった。これから情報交換という名の腹の探り合いをするのだから。
 
「で?銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)の娘ってどういうこと?確かあの爺さん大分トシよね。それとも相当元気なの?」
 
 下世話な言い方なのに瑠深が言うとあまりそう聞こえない。サバサバ系とはこういう事か、と永は思った。
 そういえば今日はお茶も出ない。歓迎ムードではないこともその発言からよくわかる。
 
「娘と言っても、詮充郎の精子を使って行われた実験で生まれたデザインベビーです」
 
 瑠深は、淡々と話す鈴心に向かって眉を寄せながら聞く。
 
鵺人(ぬえびと)のあんたが?どういう経緯でそんなことに?」
 
「そこまでは申し上げられません」
 
 だが鈴心はそれ以上の事は言わなかった。そんな態度で大丈夫なのか、永は横で内心ハラハラしていたが、瑠深は口端を曲げて挑戦を受けてたつボクサーのような趣きで頷いた。
 
「──わかった。うわずみだけの情報交換がお互いのためってことね」
 
「恐れ入ります。私はそちらで言う鵺人のリンが、今回の転生で銀騎の身内として生を受けた者です」
 
「それで、リンって呼ぶのか」
 
 先程の疑問について納得したようにこちらを見た瑠深に、永は遠慮がちに頷いた。どうもこの場は鈴心に任せた方が良さそうだ。
 
「まあ、そう言うことです」
 
「過去にこだわる男ってサイテー」
 
「うっ!」
 
 永に悪態をついた後、それを悪びれる風もなく瑠深はまた鈴心に向き直った。
 
「けど、あんた御堂(みどう)って名字じゃなかった?」
 
「あくまで私は実験体ですから、詮充郎と親子の情はありません。今の養父母は銀騎の分家の御堂に連なる者です」
 
「へえ。噂通りのマッドサイエンティストクソジジイだね、反吐が出る」
 
「そこは全く同意です」
 
 言葉を選ばない瑠深の物言いに、永は頷くだけで特に口をはさまなかった。鈴心の動向を見守ろうと思ったからだ。
 
「ふうん。あんたが随分ややこしい身の上なのはわかった。で、こっちからは何が聞きたいの?」
 
眞瀬木(ませき)の縁者の中に、(ぬえ)を崇めるような方がいるか、です」
 
 ずばり聞いた鈴心の胆力はたいしたものだった。そしてそれにあっさり答えた瑠深の回答にも永は驚いた。
 
「──やるね、そこまで掴んでるんだ。いるよ」
 
「ほ、ほんとに!?」
 
 思わず声がうわずってしまった永の反応を特に気にもせず、瑠深はサバサバした口調で言ってのける。
 
「たまに出るね、そういう人。鵺ってさ、雨都(うと)から聞いた話じゃあんた達を千年近く呪ってるんでしょ?そんな執念深い化物、珍しいもの」
 
「つまり、興味の原点は銀騎と大差ない感じですか?」
 
「そうね。しかも特定の人間を思いのままに転生させるって言うじゃない。そんなの化物って言うか、もう神でしょ。そう考える呪術師が出るのは別におかしいことじゃない」
 
 その瑠深の見解は永にとってはとても興味深いものだった。
 
「なるほど。眞瀬木は転生させているのは鵺自身だと考えているんですね」
 
「何、違うの?」
 
「いえ、その辺は僕らもわかっていなくて。鵺に「お前ら転生させて呪ってやるからな!」って言われたわけじゃないんで」
 
 永が少し笑いながら言うと、瑠深は意外な顔をしていた。
 
「あ、そう……」
 
「まあ、おっしゃる通りなのかもしれませんけど」
 
 永は愛想笑いをしながら会話の主導を鈴心に任せ続ける。
 
「眞瀬木で鵺を崇めることは許されているんですか?」
 
 そう聞くと、瑠深は大袈裟に首を振って答えた。
 
「まさか。表向きは許してないよ。雨都の鵺嫌いを立ててるからね。でも、別に禁止してる訳でもない」
 
「隠れて信仰する分には見逃していると?」
 
「そんな感じ。そもそも、雨都がここに落ち着けたのも当時の眞瀬木の当主が鵺肯定派だったからよ」
 
 だいぶ芯を食った話になってきた。永はその続きが聞けないかを試みる。皓矢(こうや)から聞いた銀騎と眞瀬木の因縁は知らないふりをした。
 
「雨都が来る前から、ここでも鵺が知られていたんですか?」
 
 だがさすがに瑠深はそれ以上は口を閉ざす。
 
「詳細は言えない。けど、大昔は鵺肯定派も鵺否定派も単なる派閥に過ぎなかった」
 
「今は違うんですか?」
 
 鈴心の質問の切り口は的確だったようだ。
 瑠深は少し苛立って言う。
 
「だから、雨都の鵺嫌いを基本的にウチは尊重してんの。今は眞瀬木の当主のスタンスは鵺否定が基本」
 
「つまり、雨都が来る以前は鵺に対して寛容だったけれど、雨都が来て以後は鵺を表向き否定していると?」
 
「あー、うん、そうね。そうそう」
 
 どう聞いても誤魔化しの生返事をする瑠深は、嘘がつけない人だと永は感じていた。思い切ってずばり聞いてみる。
 
「ちなみに、今、鵺肯定派の人が誰かなんて──」
 
「言える訳ないでしょ。てか、今はいない!そう、もういない!!」
 
「ソウデスカー」
 
 やっぱり嘘がつけない人だ、と永は思った。すぐに否定できなかったことがそれを物語っている。
 
「ありがとうございました。大変有意義な時間でした」
 
 これ以上は干渉無用と判断した鈴心は礼を述べた後立ち上がった。瑠深はそうやって冷静さを見失わない鈴心に挑発するように言う。
 
「いいの?あんたの身の上、父さんに報告するよ?」
 
「どうぞ、ご自由に。私達に話してくれたことも報告なさいます?」
 
「うっ!わ、悪かったよ、試しただけ!」
 
 この腹の探り合いは鈴心に軍配が上がった。それも当然だと永は思う。たかが十八かそこらの小娘に遅れをとる鈴心ではない。
 見た目は子どもだが、鈴心も永同様に九百年以上の修羅場を潜ってきているのだから。
 
「では、女同士の内緒話という事で」
 
「はいはい。スズネちゃんとハルコちゃんとあたしのね」
 
 女子同士の駆け引きを目の当たりにした永は、自分も女子扱いされたことよりも二人の間に漂う雰囲気に閉口していた。
 
「お邪魔しました」
 
「あんた達の最終目的が何かはわからないけど……」
 
 瑠深は最後にそのプライドをこめて言う。
 
「あんまりウチのことをつつくと痛い目見るよ」
 
「肝に命じます」
 
 鈴心は心の内を見せずに態度だけは余裕ぶって微笑んだ。







 (すみれ)(あおい)は粛々と準備を始めた。
 仏壇の扉を開ける。普通ならそこに安置されているはずの位牌はひとつもなく、代わりに小さな仏像が一体置かれていた。
 奥に安置されているため暗がりで全貌がよくわからない。合掌しているその姿は観音像に見えるが、どことなく奇異な雰囲気である。その仏像の手に、菫は葵が持ってきた小さな黒い石の輪をかけた。
 
「じゃあ、貴方達は私の後ろで正座しててね」
 
「は、はい」
 
「……」
 
 菫はおりんや香炉が乗った経机の前に、葵とともに正座する。
 梢賢(しょうけん)蕾生(らいお)も黙って従い、これから何が起こるのか緊張は頂点に達していた。
 
 菫は蝋燭に火を灯し、線香を焚いた。その後おりんを鳴らして手を合わせて祈る。葵はその隣でただ祈り続けていた。
 一見、一般的な先祖参りの作法に見えた。葵は祈りながら微動だにしなかったが、菫はおりんを鳴らして祈る、という動作を繰り返し行っていた。
 
 二人が何を祈っているのかは梢賢にも蕾生にも窺い知ることはできなかった。経などは一切あげず、親子揃って黙々と祈り続けるだけであった。
 
 せめて経文などが聞ければどんなことを祈っているのかわかるのに、と梢賢は当てが外れた思いだった。
 蕾生はこの「修行」の場に(あい)が姿を見せないことが気になっていた。やはり藍の存在は放棄されているのだろうか。ならばできるだけ急いでこの現状を打破しなければならない。
 
 蝋燭の灯火が揺れる。
 ゆらゆらとたまに仏壇の奥が明るくなっては暗くなる。
 
 菫がおりんを鳴らしながら一心に祈っていく。
 
 炎が一瞬だけ大きくなった。仏壇の奥の観音像の顔が見えた気がした。──狒々(ひひ)の顔だった。
 
「!」
 
 その顔を見た瞬間、蕾生の身体がざわつく。悪寒に似たような、けれど更に酷い、背筋に痛みが走った。

 
「はい、おしまい」
 
 五分ほど経っただろうか、菫が祈りを止め後ろをにこやかに振り返る。葵も姿勢を直していた。
 
「もうですか?」
 
「ええ。これをね、日に五回行うの」
 
「はあ……そうでっか」
 
 梢賢は少し気の抜けた返事をした。祈りの光景は少し珍しかったものの、何の経文も発されなかったので手掛かりが得られずがっかりしている。
 
 細かい分析は梢賢がしているだろうとふんだ蕾生は、皓矢(こうや)に頼まれた事を実行しようとした。
 
「あの、前に聞いた薬って言うのは……?」
 
「ああ、それはね、夜のお祈りが終わった後。一日の最後にうつろ神様に感謝しながらいただくのよ」
 
「小さいお札なんでしたっけ……?」
 
「ええそう。──これよ」
 
 菫は仏壇下部の引き出しから、和紙に包まれた小さな紙の札を取り出して見せた。
 
「へえ、ほんまに小さい紙のお札ですなあ」
 
 その手元を興味深そうに覗き込む梢賢につられて蕾生もそれを見ようとした時、突然の吐き気に襲われた。
 
「──!!」
 
 口元を押さえて青ざめる蕾生の異変に気づいた梢賢は慌てて立ち上がる。
 
「あ、ありがとうございました、菫さん!貴重なもん見せてもろて」
 
「いいえ。貴方達もいずれやる事ですからね」
 
 菫は満足そうに笑っている。梢賢はその背に蕾生を隠すようにして愛想笑いを返した。
 
「じゃあ、僕らはこの辺でおいとまさせてもらいます」
 
「そう?またいつでもいらしてね」
 
「お、お邪魔しました……」
 
 蕾生は一言言うのが精一杯で、菫の方も、葵の方も省みることが出来ずに玄関を目指した。梢賢もその後をそそくさと追って二人は雨辺家を後にした。

 
「ふいー。大丈夫か、ライオンくん?」
 
「う……まだ気持ち悪い」
 
 マンションを出て、ガードレールにもたれながら蕾生は俯いて答えた。
 
「よっしゃ、冷たいモン買うてきたるわ」
 
 梢賢は数メートル先の自動販売機へ駆けていった。
 
「うう……」
 
「ほれ、レモン水」
 
「サンキュー……」
 
 冷たい水の入ったペットボトルを蕾生は一気に半分ほど飲み干した。レモンの香料が喉を抜けて、気分が楽になっていく。
 
「ふう……」
 
「落ち着いたか?」
 
「ああ、少し……」
 
「なんや、原因はあの薬か?」
 
 梢賢の問いに、蕾生は菫に見せられた札を思い出しながら言った。
 
「多分。あのお札に書いてある変な絵を見たら急に──」
 
 その絵は、仏壇の中の観音像とも違う、もっと獣に近い何かだったような気がしていた。
 あまり覚えていない蕾生に対して、はっきりと見た梢賢は言い切った。
 
「あれは、(ぬえ)の姿やろな」
 
「そうだな……」
 
 黒く、禍々しい獣の姿を朧げに感じながら蕾生は深く息を吐いた。







 (すみれ)のマンションが建っている辺りは、同じようなマンションが数棟集まっており、歩道は日陰が多い。
 あまり人通りもなかったので、蕾生(らいお)梢賢(しょうけん)はガードレールに寄りかかりながらしばし休息していた。
 二人が買った飲み物を飲み終える頃、蕾生の携帯電話が鳴る。
 
「うん?」
 
「なんや、ハル坊か?」
 
 蕾生が携帯電話の画面を確認すると、そこには星弥(せいや)の番号が表示されていた。メッセージのやり取りは何度もしているが、電話がかかってくるのは初めてで、蕾生はにわかに緊張する。
 
「いや、違う。銀騎(しらき)──の妹だ」
 
「えっ、何、女の子からラブコール!?付きおうてんの!?」
 
 すぐ恋愛に変換する梢賢の勘繰りを鬱陶しく思いながら、動画通話に切り替えて蕾生は電話に出た。
 
「そんなんじゃねえ。──皓矢(こうや)!……サン」
 
 画面に映ったのは銀騎(しらき)皓矢(こうや)だった。星弥の姿は見当たらない。
 
「なんや、結局兄貴からかいな!つまらん!」
 
 梢賢の言葉が聞こえたようで、画面の中の皓矢は困ったように笑っていた。
 
「ごめんね、星弥の携帯でかけた方がわかりやすいと思って。今大丈夫かい?」
 
「いいけど、(はるか)はいないッスよ」
 
「うん、知ってる。永くんと鈴心(すずね)は村なんだろう?永くんからメールをもらってね、今日は連絡するなら君の方にって」
 
 改めてその画面を覗き込んだ梢賢は、皓矢の顔をまじまじと見てから呟いた。
 
「うわ……マジイケメンや、引くほどイケメンや」
 
「君、もしかして雨都(うと)梢賢(しょうけん)くん?」
 
「ああ、そうです。ハジメマシテー」
 
 元々銀騎に対していい感情を持っていないのに加えて、美貌と実力を兼ね備えているであろう皓矢に対する梢賢の態度は、愛想笑いから嫌悪を引いて差し引きゼロの無表情だった。
 皓矢も特に気にすることなく少し微笑んで自己紹介する。
 
「初めまして、銀騎皓矢です。お噂はかねがね」
 
「ええ?銀騎サンに噂されてるなんて面映いですわー」
 
「お調子者のふりをしながら、非常に思慮深いとか」
 
 皓矢の言葉に、梢賢は顔を顰めた。
 
「……あかんわあ、お兄さん。そないに真っ直ぐな目で言われたらシラけまっせ」
 
「おや、これは手厳しいね。では本題に入ろうかな」
 
 二人の会話からは雨都と銀騎の間にはまだ壁があることがわかる。化かし合いのような会話を続けられるよりは早く用件を言ってくれた方が蕾生も気が楽だった。
 
「なんだ?」
 
眞瀬木(ませき)の例の件、もう少しわかったことがある」
 
「本当か!あー……」
 
 蕾生が隣の梢賢を気にすると、梢賢は少し目を泳がせてからわざとらしく欠伸をする。
 
「ああ、あかん、急に眠たなってきた……」
 
 立ちながら狸寝入りを始めた梢賢を見せながら蕾生は皓矢に確認をとった。
 
「こんなもんでどうだ?」
 
「あ、ああ……まあ、いいか」
 
 皓矢は苦笑しながら話し始めた。蕾生にもわかるように現代の表現を使いながら。
 
「当時の資料やら記録やらを片っ端から漁ってみたんだけどね、スカウトした眞瀬木の子息は研修期間を終えた後、(ぬえ)の腕を分析するチームに配属されたらしい」
 
「鵺の腕?」
 
師羅鬼(しらき)幽保(ゆうほ)がかつての君達に遭遇した際、腕を切り落として持ち帰ったんだ。後にその爪から幽爪珠(ゆうそうじゅ)という呪具を作り、銀騎の当主としての証──つまり家宝にしたんだけどね」
 
「幽爪珠って、あの時の?」
 
 蕾生は銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)が得意げに掲げて星弥を苦しめた時のことを思い出す。
 
「そう。お祖父様が星弥を鵺化させようとして使ったアレだ。幽爪珠を幽保が作った後、残った腕の遺骸を部下に分析させ、記録に残そうとした。そのために結成されたチームに眞瀬木の子息は抜擢されたんだ」
 
「優秀だったってことか」
 
「それは間違いない。恐らく眞瀬木の結界術を買われたんだろう。腕だけとは言ってもとんでもない妖気があっただろうからね。それを外に漏らさず、安全に作業するためには必須の能力だよ」
 
「そうなのか」
 
 陰陽師とか呪術とか、蕾生はそういう類の知識が乏しい。これを聞いたのが永だったらどう言うのだろうと思いながらも頷くだけで精一杯だった。







「しばらくは淡々と分析作業が進められていた。だけどある日、眞瀬木(ませき)の子息は突然乱心したとある」
 
「狂ったのか?」

 普通に暮らしていたらそんな状況には縁がない。蕾生が驚いて聞くと、皓矢(こうや)は言葉を選びながら答えた。
 
「──その表現が正しいかはわからないが、眞瀬木の子息は突然暴力的になり、その場を荒らして、同僚達の制止を振り切ってそのまま出奔したそうだ。乱闘のどさくさに紛れて、(ぬえ)の腕の毛を一握りむしってね」
 
 イマイチ情景が見えてこない蕾生(らいお)は、とりあえずの事実だけを確認する。
 
「持って帰ったっていう遺骸は、腕毛だったのか」
 
「そうだね。最初に見た記録に遺骸とだけあったから、もっと肉体に近いものを持ち出したのかと思ったのだけど、詳しく調べてみたら体毛を数グラムというものだった」
 
「毛だったら、たいした被害じゃねえってことか?」
 
 蕾生の問いに、皓矢が少し困って言った。
 
「うーん、そこは意見がわかれるね。お祖父様だったら毛一本でもお怒りになると思うな。
 だけど、当時は鵺の分析を始めたばかりだったし、幽保(ゆうほ)は天才がゆえに物事を過小評価するくせがあったから、僅かな体毛だけではどうにもできないだろうと見逃した可能性が高い」
 
「ふうん……」
 
「眞瀬木は結界術の達人だったから、僅かな体毛のために本格的な探索をするのが面倒くさかったのかも」
 
 皓矢がわかりやすい言葉を使っているおかげで、蕾生もなんとか理解できている。
 
銀騎(しらき)の爺さんが尊敬してるわりに、テキトーなヤツだったんだな」
 
「まあ、天才がゆえだ。何かあったとしても、退ければいいだけという自信の表れだね」
 
「そうすると、昨日永が言ってたのとは違うくならねえか?」
 
 蕾生がそう聞くと、皓矢は少し考えた後答える。
 
「……眞瀬木の技術と銀騎の技術に鵺の未知数の妖気を足したヤバい術かも、っていう話かな?」
 
「それ」
 
「いや、昨日の話を否定するのはまだ早いかな。鵺の体毛を眞瀬木がどう使ったか、それ以前に体毛にどれだけの妖気があったのかがわからないからね」
 
「銀騎ではわからねえのか?」
 
 蕾生の問いに、皓矢はまた困りながら笑う。
 
「そういうアプローチで調べ直すにはサンプルがいるんだ。残念ながらうちにあった鵺のサンプルは君が二つとも壊してしまったろう?」
 
「ああ、そっか……」
 
「まあ、とりあえず僕からの報告は以上だ。(はるか)くんに伝えて欲しい」
 
「わかった」
 
 とは言ったものの、蕾生には些かの不安が残っていた。それまでの話を頭の中で反芻する。だが皓矢の質問でその作業は中断された。
 
「君達の方は何かわかったかい?」
 
「ああ、実はさっき──」
 
 問われるまま、蕾生はさっき見聞きした雨辺(うべ)(すみれ)の状況を辿々しく説明した。
 
「……一日五回のお祈り、小さな像に、家宝の……指輪かい?」
 
「さいしんのわ、って言ってた。言葉の意味はわかんねえ。見た目は黒くてピカピカの石でできた指輪だった。民芸品みたいなやつ」
 
「さいしん、さいしん……ね。わかった、こちらでも調べてみよう」
 
 それがどういう意味でどんな漢字で書くのか蕾生にも全くわかっていないので、皓矢も頭を捻っていた。
 狸寝入りしている梢賢(しょうけん)なら検討がついているのだろうかとは思ったが、横を見ると梢賢は相変わらず寝息をわざとらしく立てているので諦めるしかなかった。
 
「あと、(あおい)のやつが飲んでるっていう薬も見せてもらったけどよ……」
 
「ほう?どんなだった?」
 
「小さい紙のお札だった。変な動物の絵が描いてあって、それを見たら吐き気がした」
 
 蕾生がそう言うと、皓矢は更に真面目な顔で聞き返す。
 
「──比喩ではなく、物理的に?」
 
「ああ。気持ち悪くて、急いで家を出たんだ。梢賢はあの絵は鵺なんじゃないかって」
 
「そうか……何故そんなことをするんだろう」
 
「あの女が言ってたのは、あれを飲むのは鵺の使徒として覚醒するためだって」
 
 蕾生の説明に、皓矢は顔を近づけて興味深そうに聞いた。
 
「覚醒?するとどうなるんだい?」
 
「そこまではわかんね。人によって違うって言ってた。なんか、上位の存在になれるとか……」
 
「随分漠然とした表現だね。それでも雨辺菫はそう信じてるんだね?」
 
「ああ」
 
 蕾生は改めて小さな仏像を一心に祈っていた菫の姿を思い浮かべた。今思い出しても少し寒気がする。
 皓矢は何かを考えながら蕾生に注告した。
 
「そんなふわっとした表現で、人一人を洗脳しているんだとしたら、伊藤という人物は相当危険かもしれない」
 
「……」
 
「とにかく気をつけて、慎重に行動しなさい。永くんと鈴心(すずね)にもきつく言って欲しい」
 
「わ、わかった」
 
 蕾生達を簡単に手玉に取った皓矢がここまで言うには相当な危険があるのかもしれない。蕾生は改めて気を引き締める。
 
「じゃあ、切るよ。炎天下で熟睡するのも限界だろうからね」
 
「ああ」
 
 皓矢の電話が切れるとすぐに、梢賢は片目を開けた。
 
「ぐうぐう……終わった?」
 
「おう」
 
「あーよく寝たー!」
 
「嘘つけ、汗ダラダラじゃねえか」
 
 蕾生がつっこむと、梢賢は待っていたと言わんばかりに大袈裟に怒って見せた。
 
「死ぬかと思ったわ!男の長電話は嫌われるで!」
 
「す、すまねえ……」
 
 だが素直に謝る蕾生に毒気を抜かれて、梢賢は溜息を吐きながら腰掛けていたガードレールから飛び降りた。
 
「よし、冷房の効いた店で昼飯食って帰ろ!姉ちゃんのメシは薄くてかなわんわ」
 
「はいはい……」
 
 そうして二人はまた駅前へ戻っていった。日差しがジリジリと更に厳しくなってきていた。







 雨都(うと)家に戻ってきた(はるか)鈴心(すずね)を振り返りながら大きく息を吐いた。
 
「やー、しかし、リンも危ない橋渡るよねえ」
 
「事前に相談もせずに申し訳ありませんでした」
 
 鈴心は軽く頭を下げて反省の意を示した。
 
「うん、まあ結果オーライかな。でも思いつきで動くのはライくんだけで勘弁して欲しいなあ」
 
「ああ……ライと同等のことをしてしまうとは」
 
「まあ、直前にウラノス計画の話をしてたのが良くなかったよね!しかし、僕らも運が良くてよかったよかった」
 
「恐れ入ります」
 
 軽く諌めはしたが、永は全く怒っていない。むしろ鈴心の機転のおかげで眞瀬木(ませき)瑠深(るみ)から重要な情報を引き出せた。
 
「瑠深さんの調子じゃ、僕じゃあそこまで踏み込めなかった。上出来だよ、リン」
 
「有難きお言葉……」
 
「かたいなあ」
 
 鈴心は反省しきりでいるので永は苦笑する。蕾生(らいお)と同等に見られたのがショックだったようだ。

 
 蕾生と梢賢(しょうけん)が未だ帰らないので、永は再び編み物を始めた。
 
「ハル様、大丈夫ですか?」
 
「うん。疲れたらすぐ止めるから。祭まで日もないし」
 
「はあ……」
 
 心配そうにしている鈴心を他所に、永は編みながら瑠深から聞いた話を整理していく。
 
「しかし、あれだね。眞瀬木の(ぬえ)信者って誰だろうね」
 
「そうですね……あの口ぶりでは瑠深さんではないとは思いますが」
 
「僕らが知ってる眞瀬木の人は、墨砥(ぼくと)さんと(けい)さんぐらいだもんなあ」
 
 永の手元を注視しながら鈴心はもう一人の人物を思い出していた。
 
八雲(やくも)という人も眞瀬木の系列ですが、なんと言うかそういう派閥に関わるようなタイプには見えませんね」
 
「ザ・職人!って感じだったもんね」
 
 二人が抱く八雲の印象は、さながら芸術家のようなものであり、派閥と言われるような浮世のものとは遠いイメージだった。
 
「まだ眞瀬木には会ってない方もいるんでしょうね」
 
「そうだねえ……瑠深さんの「もういない」っていう言い方が気になるんだよなあ」
 
「最近までは確実に一人いた、ということでしょうか」
 
「それが誰なのか、何故いなくなったのか……」
 
 永は考えながらも着実にレースを編み上げていく。鈴心もその側で瑠深の言葉をもう一度思い出していた。

 
 
「ただいまさーん!」
 
 三十分も経った頃、陽気な声が聞こえた。梢賢が帰ってきたのだ。蕾生も後に続いて永と鈴心がいる居間にやってきた。
 
「あ、お帰り。今日は門限までに帰ってこれたね」
 
 永が声をかけて顔を上げると、蕾生も梢賢も汗だくになっていた。
 
「まあな。炎天下の中自転車漕ぐはめになったけど」
 
「ああもう、キツイキツイ!汗びっしょりや!」
 
 そんな二人の出立ちを見て、鈴心は少し遠ざかる。
 
「ちょっと、鈴心ちゃん?」
 
「臭いので来ないでください」
 
「ガーン!」
 
 ショックでよろめいた梢賢に、永は笑っていた。
 
「ははっ、じゃあまずシャワーでも浴びてきたら?」
 
「おう!そうさしてもらうわ!行くで、ライオンくん!」
 
 梢賢に肩をがっしと掴まれた蕾生は大袈裟に嫌がった。
 
「ええっ、お前と一緒に入るのか?ヤダよ!」
 
「ワガママ言いなや!時間の節約や!」
 
 上機嫌で蕾生を引きずっていった梢賢がこの世の終わりのような顔をして戻ってきたのは、それから二十分後だった。
 
「……」
 
「どしたの、梢賢くん?」
 
 永が驚いていると、その後ろで蕾生は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
 
「だから嫌だったんだ、俺は」
 
「あかん……完敗どころか、オレなんか豆粒や……」
 
「ああ……」
 
 梢賢の敗北感は、かつて永も味わったことがあるものだった。それを察した永は深く頷いて同意を示す。その様子を見ていた鈴心は更に嫌悪感を強めて男共を見下していた。
 

「あーあ、疲れちゃった!」
 
 梢賢がメソメソしているのを誰も構わなくなった頃、永が急にレース針を投げ出した。
 
「編み物、進んだか?」
 
「遅々として進まないよぉ。すぐ疲れちゃうんだもん」
 
 蕾生の問いに腑抜けた返事をする永を見て、鈴心が楚々と労った。
 
「ハル様、肩をお揉みします」
 
「いいの!?やったー」
 
 無邪気に喜ぶ永を見て、梢賢は少し引きながら言う。
 
「なんか、ハル坊おかしくない?」
 
「永は疲れ過ぎると精神年齢が下がるんだ」
 
 蕾生が説明すると、梢賢は顎に手をあて興味深そうに頷いた。
 
「ほう。自己防衛かね、これ以上疲れないように頭脳を使うのをセーブしてんのかな」
 
 永の手が止まったのを機に、蕾生が話し始める。
 
「永。俺達が街にいる時に皓矢(こうや)から連絡がきた」
 
「え?マジ?あー、そこそこ!で、何だって?」
 
「例の長男のことだ」
 
 嬉々として肩を揉まれていた永は、その言葉が出た途端、いつもの表情を戻していた。
 
「わかった。聞くよ」
 
「おお、急に正気に戻った!」
 
 梢賢が揶揄うのを無視して、蕾生は辿々しく説明を始めた。







 蕾生(らいお)の頼りない説明を聞いた(はるか)は腕組みをして唸っていた。
 
「うーん、彼が盗んだのは体毛だったんだね。それはちょっと期待外れだな」
 
皓矢(こうや)はまだわからないって言ってたぞ」
 
 鈴心(すずね)も同じように考えながら言う。
 
「その毛にどれだけの力があったか、ですね」
 
「確かに眞瀬木(ませき)の結界は現実に強固だもんね」
 
「その所見はあくまで呪術の素人の目から見てですが……」
 
「まあ、皓矢が実際に見たらどう思うかは知らないけど、銀騎(しらき)を長年欺いてきた実績もあるじゃん」
 
「そうですね」
 
 永と鈴心は蕾生を置き去りにして、先ほどの話題を掘り返し始めた。
 
「毛でもなんでも、これで眞瀬木に(ぬえ)の遺物があることは確定したね」
 
「それを崇めることで、眞瀬木に鵺信者が現れたんでしょうか」
 
「だろうね。目に見える物があれば、信仰は広がりやすいし」
 
 二人だけで納得していく会話に、蕾生は痺れを切らして質問を投げかける。
 
「眞瀬木に鵺信者ってなんだ?」
 
「あ、そうかそうか。ごめん!実はこっちもわかった事があってね──」
 
 永はやっと顔を上げて蕾生と梢賢を見ながら瑠深とした話を伝えた。
 
「はばつ……」
 
 一連の話をきいて蕾生が何の気無しに反芻した言葉を鈴心が意地悪く捉えた。
 
「ライには単語が難し過ぎましたかね」
 
「バカにするな、クソガキ。派閥くらいわかる!」
 
 恒例のデコボコ口喧嘩を揶揄う余裕もないほどに、梢賢は青ざめていた。
 
「ていうか、君達……とんでもないことしてくれたやん」
 
「大丈夫です、瑠深さんとは内緒話のつもりなので」
 
 ケロッとして言う鈴心に、梢賢は首を捻って訝しんだ。
 
「そこも不思議やねん、いつの間にあのルミを手懐けたんや!」
 
「手懐けた訳では……リンのおかげだよ」
 
「身を切った甲斐がありました」
 
「何したんだよ」
 
 蕾生も怖々聞いた。鈴心なら得意のスンとした表情でとんでもないことを言うだろう。それは既に経験済みである。
 
「私の身の上を少し話しただけです」
 
「何それ、教えて!」
 
 梢賢が興味津々で身を乗り出すので、鈴心はウラノス計画のことをかいつまんで話す。
 銀騎(しらき)詮充郎(せんじゅうろう)がキクレー因子を持つデザインベビーの実験をしていたこと。鈴心と星弥(せいや)はその被験者であること。
 二人の遺伝子上の父親は精子提供者である銀騎詮充郎であること、卵子にリンの魂を憑依させるのに時間がかかったため鈴心は二年遅れて生まれたこと、などを聞いて梢賢は口をあんぐり開けて驚いていた。
 
「なんや、そのSF設定は!銀騎詮充郎ってそんなことまでするん?」
 
「驚くよねえ。なのにリンてば涼しい顔で「詮充郎の娘です」なんて言ったもんだから、瑠深(るみ)さんも面食らってた!」
 
 梢賢の正当な反応を面白がって永は笑っていた。詮充郎によりとんでもない事態に慣らされてしまった自分への嘲笑でもあった。
 
「銀騎もそれを知ってるのか?」
 
 蕾生も詮充郎が父親だと知って驚きながら聞くと、鈴心は溜息を吐きながら答える。
 
「そのはずです。たまにふざけてお姉ちゃんとか呼んでくるので」
 
 ウラノス計画では鈴心の卵子が被験体一号で、星弥の卵子が二号である。その為、鈴心が姉、星弥は妹ということになる。
 
「うん、彼女は本当に強いね」
 
「そうだな」
 
 永と蕾生がリモートの向こうで荒ぶっている星弥を思い出しながら頷いていると、梢賢はまだ口を開けたままであった。
 
「おいおいおいー……、見知らぬカワイコちゃんの話で君らだけで和まないでくれる?こっちは理解が追いつかへんやんか!」
 
「ま、あまり深刻に捉えられても困ります」
 
「あー、しんど。今回の君らはほんとに複雑やねえ」
 
 鈴心は涼しい顔をしてその話題を切り上げた。