麓紫村の雨都家では、永が祭用の針と糸でレースを編んでいた。
「はあ……疲れた」
三十分ほど経って永は手を止める。横で見ていた鈴心は心配そうに顔を曇らせた。
「お休みください、ハル様」
「うん。吸い取られるってわかってやってるから、余計気持ち悪いね」
「横になりますか?」
そう聞かれて、膝枕ならいいなあと思いかけた己を律して永は首を振った。二人きりだと邪念が入ってしまう。疲れているせいだ。
「──いや、そこまでは大丈夫。気分転換に聞き込み行こうか」
「御意。柊達氏の所ですね」
「うん。どこにいるかなーっと」
それなりに広い寺の中を少し歩いていると、雨都柊達は縁側で新聞を読んでいた。
「お時間、あります?」
永がひょっこり顔を覗き込むと、柊達はあからさまに迷惑がって鋭い視線を投げた。
「何か用か」
「ええーっと、少しお聞きしたいことがあって」
「最初に言ったと思うが、私は息子のように直接協力はしない」
「そういうスタンスなのは承知しているんですが、文献を見ることができなくなったし、康乃様が昨日おっしゃいましたよ?教えてもらえって」
永が抜いたのは伝家の宝刀「康乃様」である。この村ではこの三文字ほど効果がある言葉は他にない。永はそれを充分学んでいた。
「むむむ……いたしかたない。モノによるが何かね」
仕方なく柊達は新聞を折り畳んで腕を組んだ。永と鈴心はその場に座って質問することにした。
「慧心弓ってご存知ですか?」
永の言葉とともに、鈴心も緊張して柊達の回答を待った。柊達は鋭い目のままで言う。
「弓か。楓がここから持ち出したと言う」
「そうです。見たことあります?」
「ない。私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
柊達は抑揚なく一気につらつらと喋る。まるで用意していた箇条書きの台詞を言っているようだった。
「……」
誰かにそう言えと言われているのか、それとも寡黙なキャラクターを保つためなのか。永が少し考えていると先に鈴心が話題を進めてしまう。
「では、橙子さんならご存知でしょうか?」
「橙子しゃ──妻も知らないと思う。なにせ妻が生まれたのは、楓がここに帰ってきてから二年後だからな」
言葉尻の油断が垣間見えて、永はちょっと面白かった。だがそれは聞かなかったことにして尋ねる。
「なるほど、そうですか……その頃には既に楓サンは弱っていたんですか?」
「うむ。帰って間もなく寝たきりになったと聞いた」
「誰に?」
「ばあさま──檀からだ」
その名前を出されると、それ以上は聞きにくくなる。永は少し質問の角度を変えた。
「他に当時の事を知ってる人はいますか?」
「楓の容体は隠していたから、知る人はほとんどいない」
ここまでの柊達の答えはほぼ「知らない」「わからない」の一点張りだ。いいかげん痺れを切らせた永は疲れている精神も手伝って口調に気を遣えなくなっていた。
「ほんとにぃ?こんな小さい村なんですよ、噂くらい立つでしょ?しかも雨都のことなんだから」
だが続く柊達の返答はさらに酷かった。
「私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
「あんたはロボットか!」
同じ言葉を同じ顔で、しかも棒読みで喋った柊達に永は思わずつっこんでいた。
横で聞いていた鈴心が少し焦る。
「ハ、ハル様!目上の方にそんな事……!」
収集がつかなくなった所で、呆れ顔の橙子が静かにやってきた。真夏だと言うのにこの婦人は涼しい顔で着物を着こなしている。
「何をしているんです」
「橙子しゃん!」
女神現る、のような目で柊達は助けを求めていた。
永はやっと現れた真打に向き直り、軽く頭を下げる。
「あ、どうもー」
「ごめんなさいね、うちの人が頑なで」
「では、奥様から伺っても?」
「いいえ。私からお話することはありません」
取り付く島もない橙子の態度に、永はがっかりしている態度を素直に表した。
「えー。お願いしますよー、困ってるんですぅ」
「ハ、ハル様?」
戸惑っているのは鈴心だけではなく、橙子も眉を顰めて言った。
「貴方、最初に話した時とは随分印象が違うわね」
「そうですか?すいません、編み物してたら疲れちゃって、あんまり頭が働いてなくて」
「ああ、祭の……。慣れない方には重労働のようね」
実感が込められていないような橙子の言葉尻を見逃さなかった永は、祭の情報を探ることに舵を切った。
「そう言えば、雨都では誰が編むんですか?」
「うちは編みませんよ。当たり前でしょう、この里の者ではないのだから」
「ええ!そうなんですか!でも雨都のご先祖様も資実姫様のお弟子さんになってるんでしょ?」
永は少し気安く、世間話をするような雰囲気で聞いてみた。それで橙子の態度が軟化することはなかったが、一応話は続けてくれた。
「いいえ。うちの先祖は元々の宗派でお弔いします。里の信仰とは一切関係ありません」
「あ、そうなんですか。割り切ってるんですねえ」
「そんなことより、先程のお話だけど」
「はい?」
きょとんと首を傾げた永に、橙子は厳しい表情で言った。そんな顔をしても通じないと言いたげに。
「よもや、当時を知る人がいないか探したりなさらないわよね?」
「えっ!?」
当然どさくさに紛れて村を散策するつもりだった永は先を制されてギクリと肩を震わせた。
「墨砥様に言われたことをお忘れなく。藤生、眞瀬木、雨都以外の里人には一切話しかけないように」
「はあい……」
これ見よがしに肩を落とした永に、橙子は袂から鍵を取り出した。蔵の鍵だ。
「では、これを」
「いいんですか?」
「そういう約束でしょう。読めるものは少ないけど、ご自由にどうぞ。その代わりうちの人を尋問しないように」
「わかりましたぁ!」
鍵を受け取ってにこやかに笑った永に、橙子は少し毒気を抜かれたような顔で困惑していた。
「ほんとによくわからない子ね」
「よし、行こう、リン」
「御意」
そうして元気よく立ち上がった永は、鈴心を伴って再び蔵へと向かうのであった。
「はあ……疲れた」
三十分ほど経って永は手を止める。横で見ていた鈴心は心配そうに顔を曇らせた。
「お休みください、ハル様」
「うん。吸い取られるってわかってやってるから、余計気持ち悪いね」
「横になりますか?」
そう聞かれて、膝枕ならいいなあと思いかけた己を律して永は首を振った。二人きりだと邪念が入ってしまう。疲れているせいだ。
「──いや、そこまでは大丈夫。気分転換に聞き込み行こうか」
「御意。柊達氏の所ですね」
「うん。どこにいるかなーっと」
それなりに広い寺の中を少し歩いていると、雨都柊達は縁側で新聞を読んでいた。
「お時間、あります?」
永がひょっこり顔を覗き込むと、柊達はあからさまに迷惑がって鋭い視線を投げた。
「何か用か」
「ええーっと、少しお聞きしたいことがあって」
「最初に言ったと思うが、私は息子のように直接協力はしない」
「そういうスタンスなのは承知しているんですが、文献を見ることができなくなったし、康乃様が昨日おっしゃいましたよ?教えてもらえって」
永が抜いたのは伝家の宝刀「康乃様」である。この村ではこの三文字ほど効果がある言葉は他にない。永はそれを充分学んでいた。
「むむむ……いたしかたない。モノによるが何かね」
仕方なく柊達は新聞を折り畳んで腕を組んだ。永と鈴心はその場に座って質問することにした。
「慧心弓ってご存知ですか?」
永の言葉とともに、鈴心も緊張して柊達の回答を待った。柊達は鋭い目のままで言う。
「弓か。楓がここから持ち出したと言う」
「そうです。見たことあります?」
「ない。私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
柊達は抑揚なく一気につらつらと喋る。まるで用意していた箇条書きの台詞を言っているようだった。
「……」
誰かにそう言えと言われているのか、それとも寡黙なキャラクターを保つためなのか。永が少し考えていると先に鈴心が話題を進めてしまう。
「では、橙子さんならご存知でしょうか?」
「橙子しゃ──妻も知らないと思う。なにせ妻が生まれたのは、楓がここに帰ってきてから二年後だからな」
言葉尻の油断が垣間見えて、永はちょっと面白かった。だがそれは聞かなかったことにして尋ねる。
「なるほど、そうですか……その頃には既に楓サンは弱っていたんですか?」
「うむ。帰って間もなく寝たきりになったと聞いた」
「誰に?」
「ばあさま──檀からだ」
その名前を出されると、それ以上は聞きにくくなる。永は少し質問の角度を変えた。
「他に当時の事を知ってる人はいますか?」
「楓の容体は隠していたから、知る人はほとんどいない」
ここまでの柊達の答えはほぼ「知らない」「わからない」の一点張りだ。いいかげん痺れを切らせた永は疲れている精神も手伝って口調に気を遣えなくなっていた。
「ほんとにぃ?こんな小さい村なんですよ、噂くらい立つでしょ?しかも雨都のことなんだから」
だが続く柊達の返答はさらに酷かった。
「私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
「あんたはロボットか!」
同じ言葉を同じ顔で、しかも棒読みで喋った柊達に永は思わずつっこんでいた。
横で聞いていた鈴心が少し焦る。
「ハ、ハル様!目上の方にそんな事……!」
収集がつかなくなった所で、呆れ顔の橙子が静かにやってきた。真夏だと言うのにこの婦人は涼しい顔で着物を着こなしている。
「何をしているんです」
「橙子しゃん!」
女神現る、のような目で柊達は助けを求めていた。
永はやっと現れた真打に向き直り、軽く頭を下げる。
「あ、どうもー」
「ごめんなさいね、うちの人が頑なで」
「では、奥様から伺っても?」
「いいえ。私からお話することはありません」
取り付く島もない橙子の態度に、永はがっかりしている態度を素直に表した。
「えー。お願いしますよー、困ってるんですぅ」
「ハ、ハル様?」
戸惑っているのは鈴心だけではなく、橙子も眉を顰めて言った。
「貴方、最初に話した時とは随分印象が違うわね」
「そうですか?すいません、編み物してたら疲れちゃって、あんまり頭が働いてなくて」
「ああ、祭の……。慣れない方には重労働のようね」
実感が込められていないような橙子の言葉尻を見逃さなかった永は、祭の情報を探ることに舵を切った。
「そう言えば、雨都では誰が編むんですか?」
「うちは編みませんよ。当たり前でしょう、この里の者ではないのだから」
「ええ!そうなんですか!でも雨都のご先祖様も資実姫様のお弟子さんになってるんでしょ?」
永は少し気安く、世間話をするような雰囲気で聞いてみた。それで橙子の態度が軟化することはなかったが、一応話は続けてくれた。
「いいえ。うちの先祖は元々の宗派でお弔いします。里の信仰とは一切関係ありません」
「あ、そうなんですか。割り切ってるんですねえ」
「そんなことより、先程のお話だけど」
「はい?」
きょとんと首を傾げた永に、橙子は厳しい表情で言った。そんな顔をしても通じないと言いたげに。
「よもや、当時を知る人がいないか探したりなさらないわよね?」
「えっ!?」
当然どさくさに紛れて村を散策するつもりだった永は先を制されてギクリと肩を震わせた。
「墨砥様に言われたことをお忘れなく。藤生、眞瀬木、雨都以外の里人には一切話しかけないように」
「はあい……」
これ見よがしに肩を落とした永に、橙子は袂から鍵を取り出した。蔵の鍵だ。
「では、これを」
「いいんですか?」
「そういう約束でしょう。読めるものは少ないけど、ご自由にどうぞ。その代わりうちの人を尋問しないように」
「わかりましたぁ!」
鍵を受け取ってにこやかに笑った永に、橙子は少し毒気を抜かれたような顔で困惑していた。
「ほんとによくわからない子ね」
「よし、行こう、リン」
「御意」
そうして元気よく立ち上がった永は、鈴心を伴って再び蔵へと向かうのであった。