「フンフーン」
 
 夕食を食べ終えた後、四人は梢賢の部屋に集まっていた。(はるか)八雲(やくも)から借りた道具をさっそく使って、もらった絹糸をご機嫌で編み始めた。それを鈴心(すずね)は心配そうに眺めている。
 
「で、明日はどうするんだ?」
 
 蕾生(らいお)が聞くと、梢賢(しょうけん)は伸びをしながら迷っていた。
 
「そやなあ。(すみれ)さんちも気になるけどなあ……」
 
雨辺(うべ)が信仰してる内容を調べてこいって言われたんだけど」
 
銀騎(しらき)にか?」
 
「うん」
 
 蕾生が頷くと、梢賢はますます困っていた。
 
「そうかー。でも四人で街に行くのはリスクがあり過ぎるなあ」
 
「なんでだ?」
 
「オレもう金ないねん!明日もルミから自転車借りたら今度は何を要求されるやら!」
 
 くだらない理由でがっかりした蕾生は白い目で梢賢を見ていた。
 
「あーどないしょー」
 
「おい、永、なんとか──」
 
 梢賢のちゃらんぽらんさは蕾生では捌ききれない。永に助けを求めると永はたった数分なのにぐったりしていた。
 
「ふうー……、あ、すっごい肩凝った!」
 
「それしか編んでないのにか?」
 
「疲れが溜まってるのかなあ。急にしんどくなったなあ」
 
 編み針と絹糸を持て余していると、鈴心が急に青ざめて永から針と糸をひったくった。
 
「ハル様、いけません!」
 
「え?何?」
 
「やはり、この針……」
 
 鈴心の態度とは逆に、梢賢はのんびりとして当たり前のように言った。
 
「ああ、それで一気に編んだらあかんよ。寝込んでまうで」
 
「ええ?」
 
「梢賢は知ってたんですね……」
 
「ひいぃ、ごめんなさい!」
 
 鈴心の猛禽睨みが炸裂すると、梢賢は焦って謝った。
 
「どういうこと?」
 
 永が素朴に聞くと、鈴心は眉を顰めて驚きの事実を口にする。
 
「この針はハル様の生気を吸っています」
 
「げっ!」
 
「針が使う人の生気を吸い上げて、編まれた絹糸にそれを移しているんです」
 
「げげっ!」
 
 永は二段階に分けて丁寧に驚いていた。
 蕾生も引きながら唾を飲む。
 
「マジかよ……」
 
「そんな気持ちの悪い言い方せんでも。あんな、奉納する絹製品に子孫のエネルギーを託して、祭の儀式で天のご先祖にお送りすんねん。修行の役に立ててくださいねーつって」
 
「生贄ってことでしょ!言い方変えてもダメだよ!」
 
 梢賢の言い分を永は物凄い勢いで否定した。蕾生は言葉を選ばずに言う。
 
「おい、この村、マジぶっ飛んでんぞ」
 
「ライオンくん、そんなんでいちいち言うてたら里では暮らせんで?」
 
「村の人もそれを承知しているんですか?」
 
「もちろん。だから毎日少しずつ編むんや。疲れたらまた明日ってな。一週間くらいかけて編めば何の問題もあらへんよ」
 
「えー……」
 
 さすがの永もドン引きしていた。
 しかし鈴心はさらに思考を発展させている。
 
「では、祭の日には村中のエネルギーが一堂に集まるんですね……」
 
「そやね。最後にお焚き上げしてまうから、何も残らへんよ」
 
「最後に燃やすって、マジ生贄じゃん……」
 
 心底嫌がる永に、梢賢は開き直って言った。
 
「郷に入っては郷に従う!雨都(うと)家の鉄則や!」
 
「あー、ヤバいもんに巻き込まれたあー……」
 
「だからオレは君らを祭に参加させるつもりやなかってん。でも、康乃(やすの)様からの御招待じゃなあ」
 
「じゃあ、もっと強く止めてくれたら良かったんです」
 
 鈴心が文句を言うと、梢賢は目を丸くして大袈裟に言う。
 
「何言うてんの!?鈴心ちゃんもまだわかってへんな、康乃様の命令は絶対や!剛太(ごうた)くんまで連れて言わはる事に逆らえる奴なんか里にはおらん!」
 
「と言うことは、あの子が次の当主ってこと?」
 
「そういや、あいつの親は?見てないな」
 
 永と蕾生はまだ康乃の次の世代の人を見てなかったことを思い出した。
 
「剛太くんの両親──康乃様の息子夫婦はな、事故でのうなってしもうた。九年前や」
 
「交通事故ですか?」
 
「いや、この村ほとんど車ないでしょ。眞瀬木(ませき)(けい)のしか見たことないんだけど」
 
 永が鈴心の言葉を否定すると、梢賢は短く説明した。
 
「里で起こった事故やない。高紫市(たかむらさきし)での事故や」
 
「村の外に出たのか?雨都じゃなくても出れるのか?」
 
「いや、里を出れるのは、ウチと、高校に通う必要のある子どもだけや。あれは特例中の特例やった」
 
「と言うと?」
 
 永が促すが、梢賢は珍しく言葉に詰まる。
 
「うー……、あの話は、できれば思い出したないねん……可哀想過ぎてなあ」
 
「何があったんです?」
 
「聞きたいんか?悪趣味やな。でも、里の闇を代表する出来事としては適当か……」
 
「闇?」
 
 ここに来て梢賢は初めて直接的な言葉を使った。三人は俄然興味が湧く。その視線を受けて梢賢はポツポツと語り始めた。
 
「あんな、息子はんの奥さん、剛太くんのお母さんに乳癌の疑いがかかったんよ」
 
「ああ……」
 
 その一言で永は大部分を察したが梢賢の話を黙って聞くことにした。
 
「里には小さな診療所しかなくてな。ここでは大病患ったら逆らわずに療養して静かに死を待つのが常識なんや」
 
「ですが、こと次期当主の奥方ともなれば話は別、ということですね?」
 
「せや。剛太くんが生まれたばっかだし、不憫すぎる言うて、特別に街の病院にかかる許可が出た。その検査に夫婦で出かけた日に──」
 
「事故にあったのか?」
 
 蕾生の問いに梢賢は静かに頷いた。
 
「なんという……」
 
「確かに不幸なことだけど、どこが闇なの?」
 
 永の質問に、梢賢はますます暗い顔で話す。
 
「葬式出してしばらく経った頃や、里で陰口叩くもんが出てきた。厳格な里の掟を当主自ら破ったからこんなことになった──てな」
 
「ひどい……」
 
 鈴心はその出来事に感情移入して青ざめていた。
 
「康乃様はそんなこと気にせんで無視しとった。だがな、奥方の実家は違った」
 
「奥さんも村の人なんだね」
 
「そら、当然や。で、責任を感じた奥方の実家は──とうとう一家心中してもうた」
 
「──!!」
 
 その結末に蕾生ですらも大きな衝撃を感じた。鈴心は恐怖で震え出す。
 
「……」
 永だけは冷静にその話を噛み締めているようだった。

 梢賢は初めて悲痛な気持ちを吐露した。
 
「そん時オレは子どもやったけど、酷いもんやったで。思えば、そん時かもしれんよ。里に嫌気がさしたのは」
 
「梢賢」
 
「ん?」
 
 蕾生は改めて感じていた。この村の特異性と終末が近いことを。
 
「この村は、終わってるぞ」
 
「──かもしれんな」
 
 その言葉に、梢賢は目を閉じ深く息を吐いて頷いた。
 
(かえで)サンが、言ってた」
 
「?」
 
「里はもう限界だって。なんとかしないと、もっと酷い、取り返しのつかない事が起こるって」
 
「ああ……楓婆は正しかったかもしれんなあ」
 
 梢賢は既に諦めているような顔をしていた。永はそれを何とかしたくてかつて聞いた言葉の真の意味を探る。
 
「僕は、雨都の呪いが解けたら、君達の村は救われるんだと思ってた。だから楓サンはあんなに一生懸命だったんだって。でも、そうじゃなかったのかもしれない」
 
「雨都の呪いと、この里の闇は関係あらへんよ」
 
 弱々しく言う梢賢に永は首を振ってきっぱりと言った。
 
「関係ないことはないよ。楓さんはまず雨都の呪いを解いて、この村の結界を解きたかったんじゃないかな。
 雨都がここに来たことで、村の掟はより厳しくなってしまった。そこに責任を感じて、雨都がまず自由になることで、村の解放のための一歩目にしたかったんじゃないかな」
 
「ほうか……だとしたら、オレ達は楓婆の遺志を無駄にしたことになるな」
 
 梢賢は楓の顛末を悲しみ過ぎて何もしてこれなかった祖母を思いやっていた。祖母だけではない、両親も姉も、そして梢賢自身も。この家は、楓が死んだ時からずっと止まったままだ。
 
「まだだ、まだ無駄じゃねえ」
 だが蕾生の瞳にはまだ光が宿っている。
 
「ライオンくん……」
 
「梢賢が俺たちをここに呼んでくれた。何かできることが、あるはずだ」
 
「ライはやる気のようですよ?まだ自分は他所者だからって逃げるんですか、梢賢?」
 
 鈴心が挑発すると、梢賢は困ったように笑った。
 
「えー……?若者は単純やから困るわあ」
 
「僕は、楓サンの遺志を継げるのは梢賢くんだと思うよ」
 
「斜に構えとったハル坊まで熱くなっとる!?──わかった、オニイサンは降参ですわ。若者に導かれましょ」
 
 梢賢が永達を探した本当の理由は、導いて欲しかったのかもしれない。里の闇を見て見ぬ振りをして自分だけ抜けることもできた。だが、それは首元の楓石(かえでいし)が引き留めていた。
 楓が信頼したであろう彼らなら、梢賢を、ひいては里そのものを光ある道へ導いてくれる。そんな希望があったのかもしれない。