各自タルトを堪能して疲れが取れた頃、瑠深が聞いた。
「あんた達、いつまでここにいるの?」
しまった長居し過ぎた、と梢賢はギクリと肩を震わせる。だが時既に遅い。それで永ものんびりとした口調ではぐらかそうとした。
「え?えーっと、そうですねえ、蔵の書物の件がひと段落つくまでですかね?」
「最大で夏休みが終わるまでです」
しかし鈴心が真面目に回答してしまい、瑠深の方が驚いていた。
「はあ!?あんたらバカじゃないの?そんなに置いておける訳ないでしょ!」
「はあ……やっぱご迷惑ですよねえ」
「当たり前じゃない!夏は織魂祭で忙しいんだから!たださえ兄貴が──とと」
永は愛想笑いを浮かべ続けたが、瑠深は困惑と苛立ちでテンションが上がりつい口を滑らせた。
「しょく、こんさい、とは?」
「うっ!」
鈴心が首を傾げてきくと、瑠深はあきらかに狼狽して言葉に詰まる。だが、梢賢はそれにあっさり答えた。
「里でやる祭や。お盆みたいなもんやで」
「梢賢!?」
「ええやん、参加させる訳やなし。なんなら祭の間は高紫市のホテルにでも行ってもらうから。なあ?」
「ああ、はい。地域のお祭りに部外者が禁止なのはわかりますから」
永としてはその祭には当然興味がある。だがここで教えてもらうことは叶わないだろうと踏んで、興味のない振りをした。後で梢賢に教えてもらえばいいのだから。
だが永の態度をイマイチ信用できない瑠深は不服そうな顔をしていた。
「……」
「それはどういう祭なんだ?」
すると蕾生が聞いてしまった。さっきの鈴心と言い、どうも意思の疎通がままならないと永は心で残念がった。きっと体力を使い過ぎて頭が回っていないんだろうと思うことにする。
案の定瑠深は喧嘩腰で言う。
「はあ!?部外者のあんたらに教える訳ないでしょ!」
「そうか……」
「そ、そんなにしおらしくしてもダメなんだからね!」
蕾生ががっかりした態度を見せると、瑠深は急にうろたえる。そこへ梢賢が割って入った。
「まあまあまあ。ちょっとくらいええやろ、あんな、うちの寺が資実姫様をお祀りしてるのは言うたよな?
里の先祖は資実姫様のお弟子さんやろ。里の信仰では、亡くなった先祖は今も資実姫様の元で修行中やねん。ご先祖さま、よう頑張ってはるなあ、達者でなあって応援する祭やねん」
「へえ……結構珍しい考えだね。普通のお盆だと帰ってくるご先祖をおもてなしするのに」
永はますます興味が湧いた。雨辺や麓紫村の独自の宗教観は自分達がこんな運命でなければワクワクするものばかりだ。
「んで、修行中のご先祖のために、各家庭で織物をこさえて奉納すんねん。あなたの子孫も頑張ってますよーってな」
「ということは、ここではその修行というのは織物のことですか?」
「せやね。資実姫様は糸の神様やから、ご先祖は織物を資実姫様から教わってるっちゅー設定やねん」
鈴心は修行という単語に注視していた。雨辺の言う修行に比べたらこちらのものは健全な考えに思える。
「設定とか言うな!まったく、あんたそれでも寺の息子!?」
喚く瑠深を無視して梢賢は更に続ける。
「でな、祭で奉納する織物の材料はちょっと特別でな。毎年藤生の当主がお籠もりやって祭祀用の糸を用意して、それを皆に配るんや。そういや、そろそろ時期やな」
「喋りすぎだ!」
「ふがっ!」
ついに瑠深の怒りの平手が飛んだ。次いで永達を凄みながら脅す。
「あんた達、今の話は絶対に外で漏らすんじゃないよ!てか知ってるって事も黙ってな、死にたくなかったらな!」
「はあ……」
永はなぜ梢賢がここで教えたのかが気になっていた。後で雨都家に帰ってから存分に聞こうと思っていたのに、何故眞瀬木瑠深が同席した場でわざわざ。
もしかしたら梢賢は瑠深を味方に引き入れようとしているのでは、と思うのは考え過ぎだろうか。
「さ、もう話はおしまい!食べ終わったらとっとと帰る!」
「ご、ごちそう様でした」
「おー、こわ。じゃあ、うちに帰るか」
流石に引き時だろう。これ以上は瑠深を怒らせるだけだと全員が思った所で帰り支度をする。
「……梢賢」
「なんや?」
帰り際、瑠深は真面目な顔で静かに注告した。
「あんたがこいつらにペラペラ余計な事話してるのは黙っといてあげる。でもくれぐれも気をつけな」
「──おう」
梢賢は力強く頷いた。
眞瀬木家を出ると少し薄暗くなっていた。
「ただいまー」
「あ!梢賢くん!良かった、帰ってきた」
雨都の家に戻ると楠俊が珍しく慌てて四人を出迎える。
「なんや、ナンちゃん。慌てて」
「いいから急いで入って!皆も!」
「どうかしたんですか?」
永が聞くと楠俊はさらに大慌てで言った。
「康乃様がいらしてるんだよ、君達に会いにね!」
「えええっ!」
それを聞いた梢賢は腰が抜けそうなほどに驚いて奇声を上げた。
雨都の家で一番格式の高い奥座敷へと急いだ四人は、梢賢を筆頭に恐る恐る襖を開けた。
「失礼しますぅ……」
「遅いぞお前達!里の門限は三時だろうが!」
息子の顔を見るやいなや、柊達が怒鳴った。普段なら愛想笑いで揶揄うくらいはする梢賢も、康乃の眼前ではそうはいかない。
「すいません、お客人達は慣れない道なもんで……」
「……だったら三時に帰れって言ってくれねえと」
「ライくん、シー!」
小声で文句をたれる蕾生を永はさらに小声で制して康乃に一礼した。
「遅くなって申し訳ありません」
それを受けていち早く鈴心が跪いて正座し、手をついて頭を下げた。それに永と蕾生も続くと、上座に座る康乃は笑って答える。
「あら、いいのよ。若い人達は元気に遊ぶのも大事だもの。それにいきなり来てしまった私達が悪いんだし」
「そんな、滅相もないことです!お前達、早く康乃様と剛太様の前に」
恐縮しきりの柊達に逆らえるはずもなく、四人は康乃と剛太に相対して座った。すると康乃はまず隣の剛太を紹介する。
「皆さんにはまだ紹介していませんでしたね、孫の剛太です」
「藤生剛太です。初めまして。よろしくお願いします」
礼儀正しく一礼する姿は先日見た時よりも大人びて見えた。
「ははっ!」
慌てて土下座する梢賢に続いて永達も挨拶をする。
「これはどうもご丁寧に。周防永です」
「唯蕾生……ッス」
「御堂鈴心と申します」
鈴心が顔を上げると、剛太は目を丸くして顔を赤らめた。だが鈴心には伝わっていなかった。
「今日はね、お誘いをしに来たの」
「お誘い、ですか?」
「せっかく里に来ていただいたのに、うちの墨砥が堅物だからろくなおもてなしができなくて──ごめんなさいね?」
康乃はかなり気安く接してくる。その雰囲気に少々面くらいながら永は慌てて答えた。
「ああ、いえ、そんな!僕らこそ図々しくご厄介になってますから」
「もうすぐ里でお祭があるのだけど、ご存じ?」
「あ──、いえ……」
ついさっき聞いたばかりだが、隣の梢賢が目で訴えてくるので永は素知らぬ振りをした。
「織魂祭って言って、お盆のようなものなんだけどね、それに貴方がたをご招待したいと思ってるの」
「ええええっ!!」
「あなた!」
先に驚いて奇声を上げたのは柊達で、横で座っていた橙子に叱責された。
「も、申し訳ない……。ですが御前、彼らは部外者ですよ!眞瀬木殿はなんと?」
「あら、いちいち墨ちゃんの許しを取らなくちゃいけないの?当主は私ですよ」
「は、はあ……」
簡単に柊達をあしらった後、康乃はにこにこしながら話を進める。
「織魂祭と言うのはね、里の守り神である資実姫とその弟子になった我々の先祖をお祀りする大切な行事なの。そこに貴賓としてご出席願いたいわ」
「えええー……」
「あなた!しっかりなさい!」
永達よりも先に反応して青ざめる柊達を橙子がまた怒鳴る。その後ようやく永は慎重に尋ねた。
「そんな大事な催しに僕らなんかが出席させていただいていいんですか?」
「ええ。是非」
康乃は笑って頷いている。元々興味を引かれていた祭だ、断る理由はない。
「それは身に余る光栄です」
永が一礼の後に承諾すると、またもや横で柊達が「受けるの?」と言わんばかりに声を上げた。
「えええー?」
「あーた!」
雨都夫妻の反応を完全に無視して、康乃は嬉しそうに手を打った。
「良かった。今年は特別なお祭りになりそうね。ところで、どなたか手芸なんかおできになる?」
「あ、僕、趣味でレース編みを少々……」
「マジか、ハル坊!?」
今度は先に梢賢が驚いていた。似たもの父子なのである。
そういう雨都のコミカルさには慣れているのだろう、康乃はそれを咎めたりもせずに孫の剛太を促した。
「まあ、すごい!人は見かけによらないのねえ。剛太、お出ししなさい」
「はい、お祖母様」
剛太は陰から三宝を出して永の前に置いた。その上には美しい糸の束がひとつ乗せられている。
「わあ……」
「なんて美しい……」
永も鈴心もその清廉な美しさに感嘆の声を上げる。
「祭祀用の絹糸です。ご査収ください」
「いいんですか?」
あまりの美しさに永が物怖じしていると、康乃はまたにっこり笑った。
「ええ。同じ糸を里の者にも配るのでね。せっかくですからそれで何か編んでいただきたいと思って。織魂祭で奉納させていただきたいわ」
「どんなものを編めばよろしいので?」
「なんでも結構よ。少ししかないから、皆もちょっとした物を編んでます。靴下とか、ハンカチとかね」
「なるほど、わかりました。お預かりします」
永は丁重にその糸の束を受け取った。手触りも素晴らしく良く、こんな極上のものは初めてだった。
「良かったわ、楽しみにしています。それから後で八雲に編み棒を届けさせますね」
「ひええええっ!」
「あなた、しっかり!」
新たな単語の登場に、柊達はついに腰を抜かした。橙子もうろたえながらその腰を摩っている。
「やくも……?」
「眞瀬木の一族の中に呪具職人がいるの。彼が作った針や編み棒で里の者も絹糸を織ったり編んだりしてるのよ」
「はー、そんな方がいらっしゃるんですか」
「ええ。会っておいて損はないと思うわ」
何かを含んだ康乃の物言いが少し気になったけれど、すぐに話題が変わってしまった。
「それから、雨都の蔵に入った盗人の件ですけど……」
「あ、はい」
「うちでも調査をしたのだけれど、手がかりのようなものが全く見当たらなくてね」
「はあ」
「もう少し時間をくださる?調査を続けますから」
「わかりました。よろしくお願いします」
永は一応頭を下げたが、予想していた通り康乃が有耶無耶にしようとしていることは明白だった。
「まあ、文献については柊達や梢賢が内容は熟知してるのよね?」
「はひ!」
「内容が知りたかったら、柊達と梢賢に教えてもらったらどうかしら」
「ははっ」
梢賢と柊達が揃って土下座するのを見ながら、永は犯人のことは追及するなと言われたのだと思った。
「では、そろそろ帰ります。長居してしまってごめんなさいね」
「とんでもございません!」
「失礼しました」
「剛太様も御足労いただきありがとうございました!」
土下座を繰り返す柊達の様は雨都での威厳ある父親像をかき消す。二人を玄関へ案内しようとする腰の低さも大袈裟で滑稽だった。
座敷を出る直前、剛太は振り返って鈴心を見た。目があったので鈴心が会釈すると、またぽっと頬を赤らめた。その様子を見ていた永は少し胸がムカムカしている。剛太は赤面したまま祖母の後ろをついて行こうとしていた。
「剛太」
「?」
しかし蕾生が呼び止めたので剛太はもう一度振り返る。梢賢は焦って蕾生を嗜めた。
「ああっ、バカ!様つけんかい!」
「……くん」
「な、なんでしょう」
「多分、後で──えっと、眞瀬木のなんてったっけ?」
蕾生に聞かれた鈴心が答えた。
「瑠深さんですか?」
「そうそう。そのルミが後でケーキ持って行くって言ってた」
「は、はあ……?」
「すげえ美味かったから、楽しみにしとけよ」
なんの脈絡もない蕾生の話題に、梢賢が困り果てて言う。
「もう、バカちんが!剛太様へのもん、オレらが先に食べたことになるやろが!」
「なんか問題あんのか?」
あっけらかんとしている蕾生を手で制して鈴心が代わりに謝った。
「すみません、ライが失礼なことを」
「あ、いえ!大丈夫です!お兄ちゃん、ありがとう。楽しみにしておくね」
「おう」
康乃と剛太が帰っていくのを見届けて、永が蕾生に近づいた。
「珍しいね、ライくん」
「何が?」
「わざわざ子どもを気にかけるなんて」
蕾生の図体では子どもには怯えられるのがいつものことなので、自分から世間話をしに行った様に永は多少なりとも驚いていた。当の蕾生は不思議そうに首を傾げている。
「あー、そうだな……なんか気になってな、アイツも」
「ふうん……」
も、と括ったからには他にも気になる子どもがいるのだろう。おそらく藍と葵のことだと永は考える。
三人の子どもと蕾生の共通点。今の所はそれがなんなのかはわからなかった。
眞瀬木家の離れで伊藤の報告を聞いた珪はあまりの事に顔を歪めて聞き直した。
「康乃様があいつらを祭に呼んだ?」
「はい」
理性よりも困惑が勝り、珪の言葉遣いは更に酷くなった。
「あのババア、何考えてやがるんだ?」
「お言葉が過ぎますぞ」
「ああ、いけない。僕としたことが。しかし何故?」
伊藤の一言ですぐに冷静さを取り戻した珪は椅子に深く座り直して首を傾げた。
「例の件を気取られたのでしょうか?」
「──まさか。そんな甲斐性があるとは思えないが」
藤生康乃の能力は珪も認めるところだが、所詮はただの旗頭。里を実際に動かしているのは眞瀬木だと自負している珪には今回のことも康乃の暢気な気まぐれとしか思えなかった。
「いかがいたしましょう。延期なさいますか?」
だから伊藤が弱気な進言をしても珪は一笑に付す。
「それこそ、まさかだよ。かえって好機かもしれない。上手くいけば……鵺が二体顕現するかも」
「なるほど。ですが、御しきれますかな?」
伊藤は口端を曲げて愉快そうにしていた。その態度に怒るどころか珪はますますやる気を見せていた。
「やってみせるさ。そのためにはアレの開発を急がせなければ──」
突然離れ屋の入口の戸を叩く音が聞こえた。来客の気配を感じて伊藤はその場から陽炎のようにゆらりと消えた。
「どうぞ」
珪にはもちろん心当たりがある。戸を開けて入ってきたのは、父親の従兄弟にあたる男だ。
「珪、呼んだか」
「ああ、八雲おじ様、わざわざすみません」
珪は立ち上がって八雲を迎えた。作務衣を纏い手拭いを頭に巻いている様子から作業の合間に来たことは明白で、不機嫌そうだった。
「まったくだ。俺はお前に仕えている訳ではない。用があるならお前が来い」
「ですが、おじ様、仕事中は集中なさっているから僕が訪ねても気づかないじゃないですか」
屁理屈屋の珪から素直な謝罪が聞けるはずがないことは十分承知している。八雲は溜息を吐きながら用件を尋ねた。
「まあいい。なんだ?」
「頼んであった例のモノはどうです?そろそろ出来そうですか?」
「む……もう少しかかるな。調整が難しくてな」
八雲が険しい顔で答えると、珪はわざとらしく下手に出て笑いながら言った。
「ご冗談を。おじ様に難しいことなんてあるものですか。それなんですが、出力を上げていただけますか?当初の──三倍ほど」
言いながら指を三本立てる珪の表情は少し興奮していた。しかしそんな珪を八雲は一言で切り捨てる。
「無理だ」
「ええ?」
それでも珪は笑っていた。畑違いの小僧にわかる道理ではないと思いつつ、八雲は忖度せずにきっぱりと言ってやる。
「今の出力でもギリギリだ。お前の呪力ではこれ以上はもたない」
「ああ、もう、そういうのは気にせずやっちゃってください」
こいつは自分のことをただの便利な道具屋だとでも思っているのだろう、と八雲は心中苦々しく思ったが、無表情を崩さずに言った。
「断る。それでお前に何かあったら墨砥兄さんに顔向けできない」
すると珪は不服そうに顔を顰めた。それから少し考えて低い声で聞いた。
「では、瑠深なら?」
「む?」
「アレを扱うのが瑠深なら、可能ですか?」
歪んだ顔のまま聞く珪の心中は察するに余りある。だが八雲はそういう気遣いなどはしない。事実を事実のままに言うだけだ。所詮自分は道具屋なのだから。
「瑠深なら可能だ。なんならもう少し上げても大丈夫だろう」
すると珪は途端に顔をぱっと明るくしてより興奮していた。
「本当ですか!それはすごい!ではアレは瑠深が使いますから、最大限まで上げてください」
「お前は何を企んでる?」
八雲は嫌な予感がしていた。それでも請われれば従うしかないのが八雲の役割だった。珪からの依頼なら尚更だ。
「嫌だなあ。全ては里のためですよ。おじ様も職人として挑戦したいでしょう?伝説のアレに……」
「わかった。やってみよう」
「ありがとうございます!楽しみですよ!」
珪はまるでクリスマスプレゼントを待つ子どものような目をしていた。その無邪気さの奥にはドス黒い邪気があることはわかっている。八雲は少し頭が痛くなった。
「では、俺は用事があるので行く」
悩ましい呪具の調整について気が重くなったので、八雲は早々にここを立ち去ろうとしていた。ただ次なる用事も悩ましいものではある。
「鵺人のところでしょう?」
「お前は本当に耳が早いな」
「よく彼らを観察してください。きっとおじ様のお仕事の参考になりますよ」
「……行ってくる」
八雲は珪の言葉に特に動揺もせず、いつもの淡々とした調子のまま離れ屋を出て行った。
「……」
部屋には珪が一人残される。それまで燻っていた嫉妬の炎が一気に燃え盛り、珪は力任せに机を叩いた。
「瑠深ィ……ッ!」
瑠深の名を出した途端に要求を飲んだ八雲の顔が脳裏から離れない。
俺と瑠深はそんなに違うのか。珪はその屈辱を野望への闘志に変えている。
すっかり陽も落ちた夕食時、雨都家を訪ねる者があった。
「御免」
「はい、あ、八雲様!」
優杞が出迎えると玄関には作務衣姿の中年男性が立っていた。その男、八雲は無表情で用件だけを簡潔に言う。
「周防何某という御仁はいるか?」
「ええ、もちろん。どうぞ」
「いや、ここで結構。呼んでいただきたい」
「かしこまりました。お待ちください」
優杞はお淑やかに返事をした後、八雲が見えないであろう所から全力ダッシュして居間へ向かった。
「梢賢!梢賢!!」
「なんや、姉ちゃん」
食事中の梢賢と永達は食べながら優杞が慌てる様に驚き、その名を聞いて更に驚く。
「八雲様、来た!」
「ブッ!もうかいな!」
「あんた達も行きな!玄関でお待ちだから!」
もう夜になったのですっかり油断していた四人は飯を喉に詰まらせながら急いで玄関へ向かった。
「む、食事中だったか。すまない」
「いいえ、とんでもない!わざわざすいまっせん!」
八雲の姿を認めた途端にスライディング土下座をかます梢賢。そのすぐ後ろで永達も会釈しながら名乗る。
「初めまして、周防永です」
「唯蕾生ッス」
「御堂鈴心と申します」
すると八雲は三人を順番にゆっくりと品定めでもするように見ていく。
「ふ……む……」
「あのー……?」
その視線に居心地の悪さを感じて永が声をかけると、八雲は我に返って道具箱を取り出した。
「む、失礼した。康乃様の御命令でかぎ針などを持ってきた」
言いながら八雲は道具箱から様々な太さの金属製の編み棒等をその場に並べる。永はそれを見て興奮して言った。
「うわっ、すごい!いろんな太さがある。レース針もありますね。手芸屋さんみたい!」
「ハル坊!失礼なこと言うたらあかん!」
「あ、すみません……」
慌てて諌める梢賢の声に永も罰が悪そうに謝ると、八雲は特に気にしていないようで表情も変えなかった。
「いや、最近は裁縫道具ばかり作っているからな。言い得て妙だ」
「はあ……」
「好きなものを使うといい」
「ええと、じゃあ、これとこれ、お借りしてもいいですか?」
永は数ある中から普段使っているかぎ針とレース針に長さが近いものを二本選んだ。
「うむ。構わない」
「ありがとうございます」
永は新しい裁縫道具にご機嫌だったが、それを見る鈴心の視線は重たかった。
そんな鈴心の反応を見定めた後、八雲は蕾生の顔を凝視していた。
「……?」
じろじろ見られて少しムッとした蕾生は目上であろうと関係なく睨み返す。
すると八雲はまた表情を出さず視線を逸らし、残った道具を片付けた後立ち上がった。
「──ふむ。ではこれで失礼する」
「どうも、ご苦労様でございました!」
ペコペコ土下座が止まらない梢賢を無視して、八雲は何も言わずに雨都家を出て行った。
「あー、会うだけで疲れるおっさんやで……」
八雲が去った後、梢賢はぐったりとその場で寝転んだ。
「職人さんというだけあって、気難しそうな印象です」
鈴心がそう感想を述べていると、永は弾んだ声ではしゃいでいた。
「わー、すごい。このレース針ピッカピカだあ。武器になりそっ!」
もう一度その針に視線を移して、鈴心は神妙な面持ちで言った。
「そして、その針。ものすごい力を感じます」
「あー、やっぱり?」
永もそう同意すると、梢賢が捕捉してくれた。
「祭で奉納するもんを編む道具はな、普段のよりも清めてあんねん」
「このクオリティのものを各家庭に配っているんですか?」
「せや。だから、どこん家でも仏壇の中にしまって、祭以外では使わんよ」
「──でしょうね」
永の手元をしげしげと見つめながら鈴心は頷く。そうしてその後ろで不機嫌な顔をしている蕾生にようやく気づいた。
「……」
「ライ、どうしました?」
「あのおっさん、俺にガン飛ばしやがった」
まるで不良に絡まれたような蕾生の態度に永は苦笑しながら宥めた。
「あの人も眞瀬木の人でしょ?ライくんを見定めたい気持ちが抑えられなかったんだねえ」
「気分悪い」
まだ不機嫌なままの蕾生に、今度は梢賢も手を振りながら言う。
「まあまあ、ライオンくん!しゃあないで、そら」
「なんでだよ」
「君はいろんなもんを垂れ流してるからなあ」
「梢賢くんも感じてるの?」
永はハッとして聞いた。すると梢賢は困った顔で答える。
「もちろんや。初めて会った時から、こっちはビビりまくりよ!うーわ、これが鵺の生の気配かーつって!」
「そ、そうなのか?」
そんなことは初めて言われた蕾生は驚いていた。鈴心もそれで罰が悪そうに言う。
「私やハル様は慣れてしまっているから無頓着でした。うっかりしてました……」
「この村はワカル人が多いんだね。これからは気をつけないと」
「気をつけるってどうやって?」
蕾生自身が自分がどうなっているのかわからないのに気のつけようがない。
「あー、そうだねえ……」
永もあまりピンときておらず首を捻っていると、梢賢はあっけらかんとして言った。
「今度銀騎にでも聞いたらええ。普通の人間にはわからんからそんなに気にせんでええよ」
「わかった……」
一応頷いたが、蕾生は納得がいかずにまだ不貞腐れていた。
「ところで、あの人、最近は裁縫道具ばっかり作ってるって言ってたけど、眞瀬木珪の事業の関係で?」
「そやろな。里のもんに絹製品を作らせとるからな。すっかり金物屋さんみたいになってんで」
永の問いに梢賢は可笑しそうに答えた。
「八雲ってかっこいい名前だよね」
「名前とちゃうで。八雲は役職名や。眞瀬木の呪具職人の長が代々継いどる。まあ、今はおっさん一人しかおらんけどな」
「昔ほど、呪具の需要がないんですね?」
鈴心が問うと梢賢は頷いた。
「そういうこっちゃ。眞瀬木のお家芸も今では先細り。だから珪兄やんも躍起になっとる」
「そっかあ、色々限界なんだねえ……」
永はまたかつての楓の言葉を思い出していた。
「珪兄やんの考えは間違ってないと思うんや。けど、手段がなあ……」
梢賢も頭を掻きながら村の現状について溜息をついていた。
「フンフーン」
夕食を食べ終えた後、四人は梢賢の部屋に集まっていた。永は八雲から借りた道具をさっそく使って、もらった絹糸をご機嫌で編み始めた。それを鈴心は心配そうに眺めている。
「で、明日はどうするんだ?」
蕾生が聞くと、梢賢は伸びをしながら迷っていた。
「そやなあ。菫さんちも気になるけどなあ……」
「雨辺が信仰してる内容を調べてこいって言われたんだけど」
「銀騎にか?」
「うん」
蕾生が頷くと、梢賢はますます困っていた。
「そうかー。でも四人で街に行くのはリスクがあり過ぎるなあ」
「なんでだ?」
「オレもう金ないねん!明日もルミから自転車借りたら今度は何を要求されるやら!」
くだらない理由でがっかりした蕾生は白い目で梢賢を見ていた。
「あーどないしょー」
「おい、永、なんとか──」
梢賢のちゃらんぽらんさは蕾生では捌ききれない。永に助けを求めると永はたった数分なのにぐったりしていた。
「ふうー……、あ、すっごい肩凝った!」
「それしか編んでないのにか?」
「疲れが溜まってるのかなあ。急にしんどくなったなあ」
編み針と絹糸を持て余していると、鈴心が急に青ざめて永から針と糸をひったくった。
「ハル様、いけません!」
「え?何?」
「やはり、この針……」
鈴心の態度とは逆に、梢賢はのんびりとして当たり前のように言った。
「ああ、それで一気に編んだらあかんよ。寝込んでまうで」
「ええ?」
「梢賢は知ってたんですね……」
「ひいぃ、ごめんなさい!」
鈴心の猛禽睨みが炸裂すると、梢賢は焦って謝った。
「どういうこと?」
永が素朴に聞くと、鈴心は眉を顰めて驚きの事実を口にする。
「この針はハル様の生気を吸っています」
「げっ!」
「針が使う人の生気を吸い上げて、編まれた絹糸にそれを移しているんです」
「げげっ!」
永は二段階に分けて丁寧に驚いていた。
蕾生も引きながら唾を飲む。
「マジかよ……」
「そんな気持ちの悪い言い方せんでも。あんな、奉納する絹製品に子孫のエネルギーを託して、祭の儀式で天のご先祖にお送りすんねん。修行の役に立ててくださいねーつって」
「生贄ってことでしょ!言い方変えてもダメだよ!」
梢賢の言い分を永は物凄い勢いで否定した。蕾生は言葉を選ばずに言う。
「おい、この村、マジぶっ飛んでんぞ」
「ライオンくん、そんなんでいちいち言うてたら里では暮らせんで?」
「村の人もそれを承知しているんですか?」
「もちろん。だから毎日少しずつ編むんや。疲れたらまた明日ってな。一週間くらいかけて編めば何の問題もあらへんよ」
「えー……」
さすがの永もドン引きしていた。
しかし鈴心はさらに思考を発展させている。
「では、祭の日には村中のエネルギーが一堂に集まるんですね……」
「そやね。最後にお焚き上げしてまうから、何も残らへんよ」
「最後に燃やすって、マジ生贄じゃん……」
心底嫌がる永に、梢賢は開き直って言った。
「郷に入っては郷に従う!雨都家の鉄則や!」
「あー、ヤバいもんに巻き込まれたあー……」
「だからオレは君らを祭に参加させるつもりやなかってん。でも、康乃様からの御招待じゃなあ」
「じゃあ、もっと強く止めてくれたら良かったんです」
鈴心が文句を言うと、梢賢は目を丸くして大袈裟に言う。
「何言うてんの!?鈴心ちゃんもまだわかってへんな、康乃様の命令は絶対や!剛太くんまで連れて言わはる事に逆らえる奴なんか里にはおらん!」
「と言うことは、あの子が次の当主ってこと?」
「そういや、あいつの親は?見てないな」
永と蕾生はまだ康乃の次の世代の人を見てなかったことを思い出した。
「剛太くんの両親──康乃様の息子夫婦はな、事故でのうなってしもうた。九年前や」
「交通事故ですか?」
「いや、この村ほとんど車ないでしょ。眞瀬木珪のしか見たことないんだけど」
永が鈴心の言葉を否定すると、梢賢は短く説明した。
「里で起こった事故やない。高紫市での事故や」
「村の外に出たのか?雨都じゃなくても出れるのか?」
「いや、里を出れるのは、ウチと、高校に通う必要のある子どもだけや。あれは特例中の特例やった」
「と言うと?」
永が促すが、梢賢は珍しく言葉に詰まる。
「うー……、あの話は、できれば思い出したないねん……可哀想過ぎてなあ」
「何があったんです?」
「聞きたいんか?悪趣味やな。でも、里の闇を代表する出来事としては適当か……」
「闇?」
ここに来て梢賢は初めて直接的な言葉を使った。三人は俄然興味が湧く。その視線を受けて梢賢はポツポツと語り始めた。
「あんな、息子はんの奥さん、剛太くんのお母さんに乳癌の疑いがかかったんよ」
「ああ……」
その一言で永は大部分を察したが梢賢の話を黙って聞くことにした。
「里には小さな診療所しかなくてな。ここでは大病患ったら逆らわずに療養して静かに死を待つのが常識なんや」
「ですが、こと次期当主の奥方ともなれば話は別、ということですね?」
「せや。剛太くんが生まれたばっかだし、不憫すぎる言うて、特別に街の病院にかかる許可が出た。その検査に夫婦で出かけた日に──」
「事故にあったのか?」
蕾生の問いに梢賢は静かに頷いた。
「なんという……」
「確かに不幸なことだけど、どこが闇なの?」
永の質問に、梢賢はますます暗い顔で話す。
「葬式出してしばらく経った頃や、里で陰口叩くもんが出てきた。厳格な里の掟を当主自ら破ったからこんなことになった──てな」
「ひどい……」
鈴心はその出来事に感情移入して青ざめていた。
「康乃様はそんなこと気にせんで無視しとった。だがな、奥方の実家は違った」
「奥さんも村の人なんだね」
「そら、当然や。で、責任を感じた奥方の実家は──とうとう一家心中してもうた」
「──!!」
その結末に蕾生ですらも大きな衝撃を感じた。鈴心は恐怖で震え出す。
「……」
永だけは冷静にその話を噛み締めているようだった。
梢賢は初めて悲痛な気持ちを吐露した。
「そん時オレは子どもやったけど、酷いもんやったで。思えば、そん時かもしれんよ。里に嫌気がさしたのは」
「梢賢」
「ん?」
蕾生は改めて感じていた。この村の特異性と終末が近いことを。
「この村は、終わってるぞ」
「──かもしれんな」
その言葉に、梢賢は目を閉じ深く息を吐いて頷いた。
「楓サンが、言ってた」
「?」
「里はもう限界だって。なんとかしないと、もっと酷い、取り返しのつかない事が起こるって」
「ああ……楓婆は正しかったかもしれんなあ」
梢賢は既に諦めているような顔をしていた。永はそれを何とかしたくてかつて聞いた言葉の真の意味を探る。
「僕は、雨都の呪いが解けたら、君達の村は救われるんだと思ってた。だから楓サンはあんなに一生懸命だったんだって。でも、そうじゃなかったのかもしれない」
「雨都の呪いと、この里の闇は関係あらへんよ」
弱々しく言う梢賢に永は首を振ってきっぱりと言った。
「関係ないことはないよ。楓さんはまず雨都の呪いを解いて、この村の結界を解きたかったんじゃないかな。
雨都がここに来たことで、村の掟はより厳しくなってしまった。そこに責任を感じて、雨都がまず自由になることで、村の解放のための一歩目にしたかったんじゃないかな」
「ほうか……だとしたら、オレ達は楓婆の遺志を無駄にしたことになるな」
梢賢は楓の顛末を悲しみ過ぎて何もしてこれなかった祖母を思いやっていた。祖母だけではない、両親も姉も、そして梢賢自身も。この家は、楓が死んだ時からずっと止まったままだ。
「まだだ、まだ無駄じゃねえ」
だが蕾生の瞳にはまだ光が宿っている。
「ライオンくん……」
「梢賢が俺たちをここに呼んでくれた。何かできることが、あるはずだ」
「ライはやる気のようですよ?まだ自分は他所者だからって逃げるんですか、梢賢?」
鈴心が挑発すると、梢賢は困ったように笑った。
「えー……?若者は単純やから困るわあ」
「僕は、楓サンの遺志を継げるのは梢賢くんだと思うよ」
「斜に構えとったハル坊まで熱くなっとる!?──わかった、オニイサンは降参ですわ。若者に導かれましょ」
梢賢が永達を探した本当の理由は、導いて欲しかったのかもしれない。里の闇を見て見ぬ振りをして自分だけ抜けることもできた。だが、それは首元の楓石が引き留めていた。
楓が信頼したであろう彼らなら、梢賢を、ひいては里そのものを光ある道へ導いてくれる。そんな希望があったのかもしれない。
次の朝、一晩寝たら永はすっかり元気になっていた。鈴心が途中で止めさせたおかげだろう。永が元気に起きてきて鈴心はほっとしていた。
「あんな、今日は別行動してみいひん?」
朝食を食べ終えた後、四人はほとんど条件反射で梢賢の部屋に集まっていた。
「なんで?」
蕾生が聞き返すと、梢賢は少し勿体ぶって言う。
「昨夜、なんかいい感じにまとまってしもて、主張するのが薄かった事がある」
「なんです?」
「オレは、もう、金が、ない!」
心からの叫びだった。鈴心は聞いたことを後悔して呆れ、永は苦笑していた。
「ああ、瑠深さんから自転車を借りれないってことね」
「そゆこと!やから、今日はオレとライオンくんだけで高紫市に行くわ」
「俺がか?」
蕾生はあまり気が進まなかった。永と別行動をとるのが不安なのだ。
「ハル坊は絹を編まなあかんやろ。鈴心ちゃんかて初日に熱中症になりかけたんや、暑い山道は避けるべき。そしたら残るのは?」
「おお、俺か……」
納得するしかなくて項垂れる蕾生の横で鈴心も大きく頷いた。
「確かに、ハル様には休みながら編んでいただきたいです」
「せやろ?祭まで一週間もないからな。あと、二人だったら里でこっそり情報集めたりもできるんちゃう?」
「まあ、少人数の方が動きやすいのは確かだね。ライくんはそれで大丈夫?」
「梢賢とかー……、自信ねえなあ」
蕾生がわざと溜息を吐いて見せると、梢賢は憤慨して吠える。
「あっ、何その信用ない目!オレかて時間かけてここまで菫さんと信頼関係を築いた功績があるで!」
「そんなに信用されてねえだろ」
「まっ!なんてでしょ!ライオンくんにはそんな風に見えてたのねっ、悲しいわぁ!」
大袈裟に泣く真似などをする梢賢は放っておいて、永はウィンクしながら蕾生に言い含めた。
「ライくんの不安もわかるけど、調べないといけないことが山積みだからね。妙案だと思うよ」
「……永がそう言うなら」
渋々頷いた蕾生だったけれど、呟きには不満が込められている。
「うん。僕らは編み物をしつつ、慧心弓の事、誰か知らないか探してみるよ」
「ちなみに、梢賢は知らないんですか?」
鈴心が聞くと梢賢は首を振って答えた。
「うん?ああ、長年うちにあったっていう弓やな。オレは生まれてこのかた見たことないよ」
「そう。じゃあ、身近なところから聞いていこうかな」
「ええ?父ちゃんも母ちゃんも教えてくれるかなあ……」
不安そうな梢賢に、永は自信たっぷりのウィンク付きで答えた。
「教えてもらうさ。「康乃様の命令は絶対」なんでしょ?」
永は昨日康乃に言われた「知りたいことは柊達と梢賢に聞けばいい」を実行するつもりだ。
「ああーん……せやったな。ま、健闘を祈るわ。父ちゃんは今日はなんも予定はないはずや」
「了解。じゃあ、ライくんも気をつけてね。雨辺に行くんでしょ?」
「おう」
そうして蕾生は永と鈴心とは分かれて梢賢と行動することになった。つまり昨日永が地獄を見せられたママチャリが今日は蕾生に支給される。
しかし、体力お化けの蕾生にとっては漕ぎにくかっただけで、何と言うこともなかったことは永に知られてはならない。
菫のマンションまでやってきた蕾生は大きな溜息を吐いていた。
「はあー……」
「そんなあからさまに「めんどくせー」みたいな顔すな!」
梢賢が発破をかけるけれども、蕾生は全くやる気が出なかった。
「だってよ、あの女、怖えよ……」
「だぁいじょぶ!このオレが一生かけてでも正気に戻したんねん!」
ドンと胸を叩く梢賢を、蕾生は改めて尊敬しようと思った。ただ、見習いたくはない。
「……お前のそういうとこ、マジですげえと思う」
「オレの愛は器がでかいんや!さあ、行くで!」
威勢よく梢賢がインターホンを鳴らすと、すぐに菫がドアを開けた。
「あら、こずえちゃん、いらっしゃい。今日も来てくれたのね」
「いやあ、昨日の藍ちゃんの様子が気になりましてえ」
蕾生が恐怖すら覚える相手に喜んで会いに来る梢賢は本当に凄いと蕾生は思った。もちろん嫌味的な意味で。
「まあ、そのことなら心配ないわ。今日はケロッとしてるもの」
「そうでっか、そら良かったですぅ」
鼻の下を伸ばしてデレデレしている梢賢を綺麗に無視して、菫は後ろの蕾生に注目していた。
「まあ!蕾生様までいらしてくださったのに、長話してすみません。さ、どうぞどうぞ」
名前呼びに「様」までつけられて、蕾生は度肝を抜かれたが、なんとか平静を見せながら短く挨拶する。
「お、おはようございます……」
「我慢や、我慢やで!」
だがその嫌悪感は梢賢にはばっちり伝わっており、小声で注意されてしまった。
リビングに入ると、藍と葵が並んでテーブルの前に座っていた。それを確認した梢賢は嬉しそうに二人に近寄る。
「おお、藍ちゃんに葵くんもお揃いで、おはようさん!」
「おはようございます……」
葵は少しはにかみながら小声で挨拶をしたが、藍はキツい視線で梢賢を睨んでいた。
「葵、そろそろ午前のお勉強の時間よ」
「はい」
菫が声をかけると、葵は立ち上がって二人に一礼した後自室へ向かった。藍もまたその後を不機嫌な顔のままついていった。
「今日は永様と鈴心様は?御一緒ではありませんの?」
冷たい麦茶を出しながら菫が聞くので、蕾生は何の気なく答えた。
「あー、あいつらは村で別の用事があって」
「ええ!?」
すると突然豹変した菫は恐ろしい顔で蕾生を見ていた。その事態に蕾生が戸惑っている間に梢賢がすかさずフォローをいれる。
「あっ、バカ!あの、大した用事やないですわ。実は鈴心ちゃんが熱中症ぎみで、永くんが看病してるんですわ」
それを聞くと菫はまた穏やかな顔に戻って話し始めた。蕾生はこれでは心臓がもたないと思い、発言は全て梢賢に任せようと思った。
「まあ、そうなの?今年も暑いですからねえ。失礼だけど麓紫村の医療レベルで大丈夫なの?大事な御身ですのに」
「医者が必要な程じゃないですよ!療養すれば大丈夫でしょ」
「そうね。使徒様の大切なお体を麓紫村の医者なんかにはそもそもお見せできないわ。あれなら有宇儀様に言いましょうか?」
「ああ、いやいや!そんな大袈裟にされたら鈴心ちゃんも困るでしょうから!」
こちらが二人だけと見てチャンスだとでも思ったのか、今日の菫は更に積極的だった。少し焦っているようにも見える。
「そう?でも麓紫村は不便じゃない?いくらこずえちゃんが後見人だからって、皆で村にいなくてもいいんじゃない?」
「えー……っと、でもほら、うちは寺だから部屋がたくさんあって都合がいいんですよねえ」
「そうねえ。うちみたいな小さなマンションじゃあ狭すぎて使徒様に失礼ですからねえ。やっぱり有宇儀様に相談しましょうね!」
「いやー、それは、どうなんですかねえ?伊藤さんのお手を煩わせるのもねえ?」
梢賢はかなり健闘している。ぐいぐい来る菫をのらりくらりと交わしていたが、今日の菫の積極性は格別だった。
「あら、大丈夫よ。使徒様に快適に過ごしていただくためですもの。有宇儀様ならちゃんとしてくださるわ」
「あの、その伊藤って人なんスけど、どういう人なんデスか?」
仕方なく蕾生が助け舟を出す。話題が変われば儲けものだ。
「そうねえ、メシア様に近い、とても上位にいらっしゃる方よ。私達親子を長年援助してくださっているの」
「援助?その……生活とかのデスか?」
「そうよ。最初から説明しないとわからないわね。私達雨辺家はかつてはうつろ神様の一番弟子だったの。昔むかしのお話ね」
「はあ……」
「でも、雨都の弾圧にあって麓紫村を追い出されてからは、隣のこの街でひっそりと生きてきた。真摯にうつろ神様を讃えながらね」
思いの外、菫の話は長く続いた。蕾生は興味のある振りをするのが苦痛ではあった。だがきちんと聞いておかないと後で永に報告しなければならないので懸命に耳を傾けた。
「私の両親がいた頃は、有宇儀様のような上位の方は見たことがなかったわ。中学の時に両親が亡くなったのだけど、その頃初めて有宇儀様が来てくださったの」
「ほう……」
梢賢もまた心の中で、もっと喋れと願いながら聞いていた。
今日は菫は随分とよく喋る。おそらくこちらを取り込もうと必死なのだろうが、逆に情報をとことん引き出してやると梢賢は意気込んだ。
「両親の葬儀や手続きなんかを全てやってくださった後、身寄りのなくなった私に後見人として生活費や全ての援助をしてくださると仰ったの」
「いきなり現れたんスか?」
「私にとっては突然だったけれど、有宇儀様は雨辺のことはずっと見守ってくださっていたそうなのよ。何故だかわかるかしら?」
菫はニヤリと口端を上げて勿体ぶる。こう言う時はのせるに限ると知っている梢賢はわざとしらばっくれた。
「なんでですかね?」
「もう、こずえちゃん!最初に言ったでしょ?雨辺はうつろ神様の一番弟子なんだって!だから特別なの。それに私には特に大切なお役目があるって!」
「なんスか、それ」
蕾生の天然の無知が功を奏していた。菫はさらに増長して身振りまでまじえて話す。
「私が産む子どもはうつろ神様の使徒になるだろうって!特に男子を産んだ暁には必ず上位の使徒として立派なお役目を果たすだろうって!」
興が乗り過ぎているとすら言っていい菫の様子にさすがの梢賢も開いた口が塞がらない。
更に菫は浮かれた声で蕾生に話しかけた。
「それから私は有宇儀様のもとで修行を開始したわ。そしてその甲斐あって、葵を授かることができたの!これがどんなに凄いことかわかる?」
「いや……」
「あのね、雨都も雨辺も、昔から何故か女しか生まれない家系だったの。百年以上ずっとよ。だけど、とうとう私の代で男子を授かったの。葵は奇跡の子なのよ!」
「奇跡……ッスか」
葵よりも先に産まれている男子、即ち梢賢を蕾生が見ると、気まずそうにしていた。
「あー、えーっと……」
「あ、そうね。先にこずえちゃんも生まれてたわね。でも雨都に生まれてしまったために、使徒様の素養が持てなかったからこずえちゃんはお気の毒だわ」
菫は蔑むように笑っていた。先に産まれていた梢賢に対する負け惜しみと当て擦りなのは明らかだった。
「ムッ」
「ライオンくん、どうどう!」
その態度にカチンときた蕾生だったが梢賢が小声で宥めるのでとどまった。しかし菫はどんどん増長していく。
「でも素養がなくてもこずえちゃんは蕾生様達の後見人になれたじゃない。卑下したらダメよ、頑張りましょうね!」
「はあ、そうですねえ」
完全に梢賢を馬鹿にしている菫はもちろん、ここまで言われてもヘラヘラ笑っている梢賢にも蕾生は腹が立った。だが、梢賢はまた小声で蕾生を制した。
「ええねん、ええねん。黙って聞き!」
「という訳でね、私達親子はうつろ神様にとって特別な存在だから、メシア様が有宇儀様に命じて何不自由ない暮らしをさせてくださるの。──私は聖母だから」
「そうスか」
蕾生はすっかり臍を曲げて菫が最後に得意げに話した内容はあまり聞いていなかった。
だが隣では梢賢が愛想笑いを浮かべて頷いていた。
「ははあ、なるほどぉ、そういう尊い経緯があったんですねえ」
その梢賢の姿勢は本当に尊敬に値すると蕾生は改めて思った。今度は心から。
「だからね、蕾生様達も仮にも使徒様のたまごなんだから遠慮しなくていいのよ。急にうちの葵みたいな扱いは無理でしょうけど、それなりの事はしてくださるわ」
この女は本当に終わっている、正気の沙汰ではないと蕾生はもう言葉も出なかった。
「はあ、じゃあ、まあよろしく頼んます……」
「おい、いいのか!?」
蕾生が小声で責めると、梢賢もいい加減にキレているのだろう、小声だがその言葉は投げやりだった。
「仕方ないやろ!承知しとかんと話が進まん!」
しかし菫はそんな二人のやり取りは耳に入らないし、見えてもいないのだろう。胸を張って大きく頷いていた。
「任せて!有宇儀様にしっかりお願いしておくから」
そんな頃合いを見計らったかのように、時計がポーンと音を立てた。
「あら、いけない。もうそんな時間なのね」
「どうしたんすか?」
梢賢が聞くとすっかり警戒心を無くした菫はあっさり教えてくれた。
「お祈りの時間なのよ。ちょうどいいわ、見学していらっしゃいな」
「いいんですか?」
梢賢は思わず喜んでしまった。何せやっと儀式めいたものが見れるのだから。二年以上通ってやっと、である。
「ええ。隠す必要もなくなったしね。蕾生様にも参考にしていただけると思うわ」
「はあ……」
蕾生の方は不安で仕方なかった。なんとか逃げられないかと考えていると、葵が少し呆けた顔をして部屋から出てきた。両手で小さなクッションのようなものを持っている。
「お母さん、時間です」
「いい子ね。始めましょう」
菫は葵からそのクッションを受け取って少し厳かに立ち上がる。
「それは?」
蕾生が指差して聞くと、菫は威厳をこめた声で答えた。
「これが我が家の家宝──犀芯の輪よ」
黒い、簡素な石造りの小さな輪がその手の中で妖しげに輝いていた。
麓紫村の雨都家では、永が祭用の針と糸でレースを編んでいた。
「はあ……疲れた」
三十分ほど経って永は手を止める。横で見ていた鈴心は心配そうに顔を曇らせた。
「お休みください、ハル様」
「うん。吸い取られるってわかってやってるから、余計気持ち悪いね」
「横になりますか?」
そう聞かれて、膝枕ならいいなあと思いかけた己を律して永は首を振った。二人きりだと邪念が入ってしまう。疲れているせいだ。
「──いや、そこまでは大丈夫。気分転換に聞き込み行こうか」
「御意。柊達氏の所ですね」
「うん。どこにいるかなーっと」
それなりに広い寺の中を少し歩いていると、雨都柊達は縁側で新聞を読んでいた。
「お時間、あります?」
永がひょっこり顔を覗き込むと、柊達はあからさまに迷惑がって鋭い視線を投げた。
「何か用か」
「ええーっと、少しお聞きしたいことがあって」
「最初に言ったと思うが、私は息子のように直接協力はしない」
「そういうスタンスなのは承知しているんですが、文献を見ることができなくなったし、康乃様が昨日おっしゃいましたよ?教えてもらえって」
永が抜いたのは伝家の宝刀「康乃様」である。この村ではこの三文字ほど効果がある言葉は他にない。永はそれを充分学んでいた。
「むむむ……いたしかたない。モノによるが何かね」
仕方なく柊達は新聞を折り畳んで腕を組んだ。永と鈴心はその場に座って質問することにした。
「慧心弓ってご存知ですか?」
永の言葉とともに、鈴心も緊張して柊達の回答を待った。柊達は鋭い目のままで言う。
「弓か。楓がここから持ち出したと言う」
「そうです。見たことあります?」
「ない。私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
柊達は抑揚なく一気につらつらと喋る。まるで用意していた箇条書きの台詞を言っているようだった。
「……」
誰かにそう言えと言われているのか、それとも寡黙なキャラクターを保つためなのか。永が少し考えていると先に鈴心が話題を進めてしまう。
「では、橙子さんならご存知でしょうか?」
「橙子しゃ──妻も知らないと思う。なにせ妻が生まれたのは、楓がここに帰ってきてから二年後だからな」
言葉尻の油断が垣間見えて、永はちょっと面白かった。だがそれは聞かなかったことにして尋ねる。
「なるほど、そうですか……その頃には既に楓サンは弱っていたんですか?」
「うむ。帰って間もなく寝たきりになったと聞いた」
「誰に?」
「ばあさま──檀からだ」
その名前を出されると、それ以上は聞きにくくなる。永は少し質問の角度を変えた。
「他に当時の事を知ってる人はいますか?」
「楓の容体は隠していたから、知る人はほとんどいない」
ここまでの柊達の答えはほぼ「知らない」「わからない」の一点張りだ。いいかげん痺れを切らせた永は疲れている精神も手伝って口調に気を遣えなくなっていた。
「ほんとにぃ?こんな小さい村なんですよ、噂くらい立つでしょ?しかも雨都のことなんだから」
だが続く柊達の返答はさらに酷かった。
「私はこの里の生まれではない。雨都には婿として入った。私がここに来た時は楓の件は全て過去のことだった」
「あんたはロボットか!」
同じ言葉を同じ顔で、しかも棒読みで喋った柊達に永は思わずつっこんでいた。
横で聞いていた鈴心が少し焦る。
「ハ、ハル様!目上の方にそんな事……!」
収集がつかなくなった所で、呆れ顔の橙子が静かにやってきた。真夏だと言うのにこの婦人は涼しい顔で着物を着こなしている。
「何をしているんです」
「橙子しゃん!」
女神現る、のような目で柊達は助けを求めていた。
永はやっと現れた真打に向き直り、軽く頭を下げる。
「あ、どうもー」
「ごめんなさいね、うちの人が頑なで」
「では、奥様から伺っても?」
「いいえ。私からお話することはありません」
取り付く島もない橙子の態度に、永はがっかりしている態度を素直に表した。
「えー。お願いしますよー、困ってるんですぅ」
「ハ、ハル様?」
戸惑っているのは鈴心だけではなく、橙子も眉を顰めて言った。
「貴方、最初に話した時とは随分印象が違うわね」
「そうですか?すいません、編み物してたら疲れちゃって、あんまり頭が働いてなくて」
「ああ、祭の……。慣れない方には重労働のようね」
実感が込められていないような橙子の言葉尻を見逃さなかった永は、祭の情報を探ることに舵を切った。
「そう言えば、雨都では誰が編むんですか?」
「うちは編みませんよ。当たり前でしょう、この里の者ではないのだから」
「ええ!そうなんですか!でも雨都のご先祖様も資実姫様のお弟子さんになってるんでしょ?」
永は少し気安く、世間話をするような雰囲気で聞いてみた。それで橙子の態度が軟化することはなかったが、一応話は続けてくれた。
「いいえ。うちの先祖は元々の宗派でお弔いします。里の信仰とは一切関係ありません」
「あ、そうなんですか。割り切ってるんですねえ」
「そんなことより、先程のお話だけど」
「はい?」
きょとんと首を傾げた永に、橙子は厳しい表情で言った。そんな顔をしても通じないと言いたげに。
「よもや、当時を知る人がいないか探したりなさらないわよね?」
「えっ!?」
当然どさくさに紛れて村を散策するつもりだった永は先を制されてギクリと肩を震わせた。
「墨砥様に言われたことをお忘れなく。藤生、眞瀬木、雨都以外の里人には一切話しかけないように」
「はあい……」
これ見よがしに肩を落とした永に、橙子は袂から鍵を取り出した。蔵の鍵だ。
「では、これを」
「いいんですか?」
「そういう約束でしょう。読めるものは少ないけど、ご自由にどうぞ。その代わりうちの人を尋問しないように」
「わかりましたぁ!」
鍵を受け取ってにこやかに笑った永に、橙子は少し毒気を抜かれたような顔で困惑していた。
「ほんとによくわからない子ね」
「よし、行こう、リン」
「御意」
そうして元気よく立ち上がった永は、鈴心を伴って再び蔵へと向かうのであった。