「修行……ですか?」
「どんなことするんだ?」
「んー、それは有宇儀様の指示がないと何とも言えないわね。でもおそらく貴方方にもお薬が処方されるはずよ」
「く、薬ッ!?」
鈴心と蕾生が代わる代わる聞いてみても結果は同じだったが、その後の菫の発言に一同は驚愕した。
「大丈夫。便宜的にお薬って言ってるだけで、危険なものじゃないわ。これくらいのね、お札を飲むのよ」
親指と人差し指で一センチほどの隙間を作ってその大きさを表現しながら菫は笑う。
しかし鈴心には到底受け入れられることではなかった。
「な、なんですか、それは?」
「私達の頂点にはね、メシア様という方がおられるの。メシア様はうつろ神様が降臨される時にはその器となるお方。その方が毎日祈りを捧げられたお札をね、有宇儀様が持ってきてくださるの」
「そんなの飲んで大丈夫なのか?」
蕾生が疑心を言うと、梢賢はまずい、と肩を震わせる。
「そうね、不安になるのはわかるわ。でも最初だけよ。メシア様のお力を体に蓄えることで、素晴らしい力に目覚めると思うわ」
「……」
猜疑の目を向ける蕾生に梢賢は人知れず焦った。そんな態度をとって菫が不機嫌になったらと思うと気が気でない。だが、その心配は無用だったようだ。菫のご機嫌なお喋りは続く。
「実はね、私の息子の葵も貴方方と同じく使徒様のひよこなのよ」
「ええっ!」
永の驚きを好意的にとった菫はさらにウキウキした調子で息子を見ながら言った。
「葵はお薬を飲み始めて随分経つけど、健康そのもの。むしろ日々力が増してるわ。貴方方の先輩なのよ」
そんな母の言葉に、葵は暗い表情で俯き、藍は睨みながら葵の手を握っていた。
「なんだかすごい世界ですねえ」
永はそう言うしかなかった。何か反論でもしようものならきっと恐ろしい事が起こる、と直感していた。
「大丈夫!私が一生懸命サポートさせていただくわ、一緒に頑張りましょうね!」
鈴心も蕾生も永を見習って薄ら笑うだけに留める。
「こずえちゃんは、この方達の後見人として有宇儀様に報告しておくわ。これからはずっと一緒に頑張りましょう!ね!」
「あ、あはは、よろしく頼んます……」
梢賢も同様に愛想笑いしていると、菫はあらぬ方向を見ながらうっとりして言った。
「ああ、今日は素晴らしい日だわ!使徒様がこんなに増えるなんて、雨辺家の未来は明るいわね!」
ここまでイッてしまっている者をどうやって正気に戻せばいいのか?永はそれが途方もないことに思えた。
皆が二の句が告げなくなっていると、小さくも侮蔑を孕んだ声で藍が呟く。
「バカじゃないの?」
「──え?」
ぐる、と急に首を回して菫は地獄の底から聞こえるような低い声でようやく藍の方を振り返った。
「そんな神様いるわけないじゃん!葵はあのお札のせいで毎日苦しんでる!それを修行なんて言ってお母さんは見ないフリして!」
しかし藍はそんな雰囲気にも構わずまくしたてた。菫は恐ろしい顔で黙って聞いている。
「葵だけじゃなくて、おバカな子ども四人も丸め込んで責任とれるの!?この人達の保護者に訴えられたら終わりなんだよ!?」
怒りに任せて訴える藍の言葉に、菫はワナワナと震え出す。堪らず梢賢が割って入った。
「あ、藍ちゃん、ちょっと落ち着こうな?な?」
「うるさい!間男!お前もお母さんを上手くのっけて調子に乗らせて!お前なんか来なければこんな事にならなかった!」
「う……」
押し黙ってしまった梢賢にも構わず、藍は耳を塞いで泣き叫ぶ。
「もう嫌!もう沢山!葵、行くよ!こんな家、いたくない!」
「お、お姉ちゃん!?」
藍は葵の手を引いて、そのまま玄関を飛び出してしまった。パタパタと走る足音が遠ざかる。
「葵!?」
菫は悲鳴を上げんばかりの動揺を見せる。梢賢はすぐさま立ち上がった。
「皆、追うで!」
永達も頷いて立ち上がったが、それよりも早く菫は息子の名前を呼びながら玄関に向かっていた。
「葵!葵!」
「菫さんはここで待っとってください、オレ達が連れ戻します!」
咄嗟に梢賢が止めるけれど、菫は半狂乱で叫んだ。
「嫌よ!葵は私の息子よ!私がいなければ葵はだめなのよ!」
「菫さん!!」
梢賢は大声を張り上げ、菫の肩を掴んだ。
「悪いけど、菫さんに反抗して藍ちゃんは出ていったんです。だから菫さんはいかない方がいい。オレ達がうまく宥めますから!」
すると少し弱気になった菫はその場で止まって梢賢に懇願した。唇がフルフルと震えていた。
「ああ……わ、わかったわ。こずえちゃん、葵のことお願いね」
「藍ちゃんの話もちゃんと聞いてきます」
「……」
「行くで、皆!」
菫を玄関に残して、梢賢の号令とともに四人はマンションを出た。
「子どもの足じゃ遠くまでは行けないと思いますけど、もう姿がありませんね」
街並みを走りながら鈴心が言うと、梢賢には明確な目的地があるようで、目指す方向を示しながら走る速度を緩めた。
「多分、街外れの公園やと思うわ。あの子らも頭を冷やす時間がいるやろ。少し緩く走るで」
「わかった。しかし、ここまでの事態になってるとはね」
「常軌を逸してるぞ、こんなん」
永と蕾生の遠慮のない言葉に、梢賢は悔しそうに歯噛みしていた。
「オレが迂闊やった。まさかこんなに闇が濃くなってるなんて……」
ゆっくり走る四人の頭上には厳しい日差しが当たり続けていた。
四人がゆっくり走って十分もすると小さな公園についた。象を形どった遊具の中に藍と葵は身を寄せ合って座り込んでいた。
「……」
「お姉ちゃん、だいじょうぶ?」
涙目でうずくまる藍に、葵はその頭を撫でて気遣った。藍は目元を手で拭きながら強がっている。
「うん。ごめんね、あたしがしっかりしないといけないのに」
ふるふると頭を振っている葵に、藍は精一杯の笑顔で答える。
「葵、あたしが絶対守ってあげるからね」
「うん、お姉ちゃん」
そんな二人の会話に割り込んだのは梢賢の首だった。
「おお、おったおった。良かったわあ」
「!」
遊具を無遠慮に覗き込んだ梢賢はその顔にグーパンチをくらう。
「イテ!うーん、藍ちゃん、ナイスパンチやで」
「そんなこと一ミリも思ってないくせに!キモいんだよ!!」
「ガーン!」
少し遅れた永達がそこに近づくと、梢賢がよろめいていた。
「どしたの、梢賢くん?」
「うう……心が、心に穴があいてん……」
わざとらしい演技の真似を放っておいて、鈴心がしゃがんで藍と葵に声をかけた。
「あんな親で災難ですね。少しお話ししません?」
「あんた達、お母さんの手下じゃないの?」
藍が葵を守りながら言うと、鈴心はにっこり笑って答える。
「まさか。油断させて情報を聞こうとしていただけです。こちらの周防永様はきっと貴女の力になってくれますよ」
突然紹介されたので咄嗟にうまい言葉が出ず、永は少し屈んで挨拶した。
「はは、どうもー」
「……笑顔が胡散臭い」
「ガーン!」
今度は永がオーバーリアクションをする番になり、蕾生がつっこんだ。
「どうした永?」
「うう……純真な子どもに言われると堪える……」
「うふふ、お兄ちゃん達面白い」
梢賢と永のコミカルな動きが功を奏して、葵はクスクス笑っていた。その反応に藍が態度を軟化させて答えた。
「まあ、少しなら話してもいいけど」
「良かった。じゃあ、ベンチに移動しましょう。木陰があります。ライ、何かジュース買ってきてください」
「おう」
言われた蕾生はすぐ近くの自動販売機に駆けていった。その間に鈴心は二人をベンチに誘導する。一緒に腰掛け、梢賢と永はその脇で立つことにした。
間もなく蕾生が両手にジュースを持って帰ってきた。
「コーラとオレンジジュース、どっちがいい」
「葵は炭酸飲めないから、あたしがコーラ飲む」
「ん」
二人にジュースを渡すとすぐに蓋を開けてゴクゴクと飲み始める。真夏の炎天下を走ってきたのだから当然のことだが、葵は殊更感動するように飲んでいた。
「お、おいひい……」
「なんだよ、大袈裟だな」
「大袈裟じゃない。うちにこんな甘い飲み物ない。こんなに冷たいのも」
藍の言葉に改めて永は菫の異常性を感じている。二人が落ち着くのを待って、鈴心が話しかけた。
「藍ちゃん、お母さんがああなってしまったのはいつからですか?」
「そんなのわかんない。お母さんはずっとああだから」
「相当だな」
蕾生の吐き捨てた感想を鈴心はひと睨みで制して、また藍に向き直る。
「それでは、今日みたいにうっとりするような感じになるのは?」
「時々。伊藤のおじさんが来た時とか」
「この梢賢が来た時は、お母さんはどんな感じですか?」
「えっ」
梢賢は肩を震わせて何かを期待している。そんな姿に冷ややかな視線を送った後、藍は淡々と言った。
「別に。今日こそしょうけんをかんらくするわって意気込んでる」
「──」
放心してしまった梢賢の肩を永が叩いて慰めた。
「オツカレ」
だが、心の中は爆笑している。
「葵くんはいつからお札を飲んでるんですか?」
「え、えっと……」
鈴心が今度は葵に尋ねると、葵はうまく言葉が出ず、代わりに藍がスラスラと説明する。
「二年前。そいつがうちに来るようになって、そしたら伊藤のおじさんが新しい修行だよって持ってきた」
「二年間、毎日?」
「うん」
「藍ちゃん、君は飲んでるの?」
永が聞くと、藍は少し俯いて首を振った。
「あたしは──飲んでない。お母さんには無視されてるから」
その反応を見て、鈴心は少し躊躇いながら言葉を選びながら尋ねてみた。
「あの、違ってたらすみません。今日着ている服、一昨日も着てましたよね?一日あれば洗濯して乾くとは思うんですが……」
「お洋服はこれしか持ってない」
「──」
藍の回答に、さすがの鈴心も言葉を失っていた。
「おい、永……」
「うん。これはかなり深刻だ」
重度の育児放棄を連想した蕾生と永を他所に、梢賢が会話に割って入る。
「藍ちゃんよ。君の状況はわかった。けんど、今の所君らは菫さんと暮らすしかない。わかるな?」
「ちょ、梢賢!」
戸惑う鈴心を制して梢賢は藍に顔を近づけ瞳を見据えて言う。
「もうちょっとだけ我慢してくれるか?菫さんはオレ達が必ずなんとかする」
「そんなの信じない」
「できるだけ早く菫さんが正気に戻るように、オレ達が頑張るから」
「……」
疑惑の眼差しを続ける藍に、梢賢も少し力を抜いて本音で接した。
「まあ、そら何ともならんかもしれん。そん時は、君らはオレの家に来たらええ」
「お母さんは、どうなるの?」
葵が純真な顔で聞くのに梢賢は少し心を痛めた。本当に最悪の場合は言える訳がない。優しい嘘が正しいかなんてわからない。けれど梢賢は今はそうするしかなかった。
「そうやな、菫さんも一緒に来たらええよ。優しい普通のお母さんになってな」
「お前を父親とは認めないぞ」
「ええっ!?やだ!そういう意味じゃないのにっ」
藍に言われた言葉に梢賢は努めてコミカルに照れた。その気持ちが伝わったのか、藍も渋々と頷いた。
「まあ、考えてやってもいい」
「そうか、あんがと。絶対に助けるからな」
藍と葵の頭に手をおいて笑ってみせる梢賢の姿は健気だった。永達は改めて梢賢の胸の内を思いやる。
「よし、じゃあ送ったるから帰ろ。一緒に謝ったる」
「あたしは悪いことなんかしてない」
「わかったわかった。オレが謝ったるから」
藍と梢賢のやり取りの中、永の携帯電話が軽快な呼び音を立てた。
「うん?」
「どうした永?」
「皓矢からメッセージだ。調べがついたから電話して欲しいって」
「おう、ちょうどええわ。オレは二人を送って、ルミ御所望のタルト買ってくるわ。その間に電話したらええ」
梢賢は既に藍と葵と手を繋いでいた。
「いいの?」
「里では出来んやろ。オレもいない方がよさそうやしな」
「わかった。じゃあ、後で」
「おう、後でな」
そうして梢賢は二人の手を引いて公園から出て行った。
永が皓矢に電話をかけるとすぐに繋がった。動画通話に切り替えて、その画面を三人で覗き込む。
「ああ、早かったね。大丈夫なのかい?」
画面の向こうの皓矢は本棚を背に映っていた。薄暗いのでおそらく研究所の書庫だろう。
「うん。今公園なんだけど、周りは誰もいないし、念のため梢賢くんは外してもらった」
「そうか。それなら話しやすい」
「そう言えば、ホテルのことはいろいろ、あ、ありがとな」
永は珍しく小声で呟いた。銀騎に対しては下手に出たくない意地があるので素直になれないんだな、と蕾生は思った。
皓矢の方もそれを充分察しているので苦笑しながら頷く。
「どういたしまして。不自由はないかい?」
「大丈夫です、お兄様」
鈴心が少し身を乗り出して返事をすると、皓矢もにっこりと笑った。
「やあ、鈴心。元気そうだね」
「はい。おかげさまで」
その声を聞きつけたのか、最初からいたのかはわからないが突然星弥の顔が画面に飛び込んできた。
「すずちゃーん!!」
その弩級の大声は永と蕾生の鼓膜をつんざいた。
「せ、星弥……」
「すずちゃん、そっちはどうなの!?暑いんじゃないの!?熱中症は大丈夫なの!?」
鈴心に関する星弥に洞察の鋭さに永も蕾生も少し怖くなった。鈴心はその剣幕に押されて少し口篭っている。
「ええっと、昨日少しアレでしたが、今日はもう慣れました」
「ええ!?気をつけてよ、もう!蕾生くんっ!わたし言ったよねっ!?」
「も、申し訳ない」
とばっちりだったが、星弥の雰囲気に逆らえず蕾生は思わず謝った。
「すずちゃんもすずちゃんだよ!毎日電話してって言ったのに、兄さんにばっかり電話してずるいったらない!」
「ハル様、あれは気にせずお兄様と会話してください」
ついに鈴心は永の後ろに引っ込んだ。しかし星弥の方は更に画面に近づいてどアップで迫る。
「あ、ちょっと、すずちゃん?すずちゃーん!」
その変態性が更に増しているので蕾生もつい一歩後ずさる。画面の奥から皓矢の溜息と呟きが聞こえた。
「ルリカ」
するとその声に反応して青い大きな鳥が甲高い声とともに現れた。鳥は星弥の首根っこを嘴で掴んで部屋の奥へ引きずっていった。
「あっ、ちょっと、ルリちゃん、待って!もう少しだけえぇぇ……」
「その鳥──」
何度か見たことはあったけれど、皓矢が何かを攻撃したり守ったりする以外にも出てくるのかと蕾生は驚いた。
「ああ、そういえば色々忙しくてきちんと紹介してなかったね。あの子は瑠璃烏と言う僕の式神だ。気軽にルリカと呼んでるけどね。今は修行中の星弥のお目付役をさせている」
「そうか。まあ元気そうで良かった」
蕾生にはその形容しか穏便に言えることがなかった。
「星弥も修行がだいぶキツくてね。ストレスが溜まってあんなことに」
「いやあ、元からだよねえ」
遠慮しない永は星弥のあれがストレスからではないことをはっきり言う。星弥は陰陽師の修行をするためについてこなかったので、蕾生は一応その進捗を気にした。
「皓矢……サンが、修行をつけてるンスか?」
「最初はそのつもりだったけど、僕は妹を甘やかしてしまうようでね。僕の師匠にそれがばれて、今は師匠に指導してもらっているよ。師匠は厳しいから、ストレスが溜まって……」
困ったように笑いながら言う皓矢に永はもう一度言い切った。
「だから、元からだって」
「まあ、その辺は帰ったら教えてあげよう。本題に入るけどいいかな?」
「もちろん。何かわかった?」
堂々巡りになりそうな雑談から脱して、皓矢は少し真面目な顔に戻して話し始める。
「そうだね、お尋ねの眞瀬木という呪術師とうちに接点があるかだけど、結論から言えばあった」
「へえ!」
「銀騎はどこにでも出てくるな」
予想はついていたが、自分達の周りに必ずいる銀騎の存在に永も蕾生も改めて驚いていた。
「ははは、申し訳ない。あったと言っても、かなり昔の話だ。ざっと二百五十年前の記録に少しだけね」
「そんな前かよ」
「当時は陰陽師という稼業そのものが衰退していてね、それを打破するべく銀騎朝詮という人が身内以外にも術者を募ったんだ」
「銀騎朝詮って、おたくの開祖でしょ?」
永が確認すると、皓矢も大きく頷いた。
「そう。お祖父様が尊敬してやまない偉大な先祖だ。尤も、銀騎という字に改めてからのことだけどね」
「改名したってことか?」
「そうだね。それ以前は違う漢字を充てていたんだけど、師羅鬼幽保──元々の朝詮の名前なんだけど、彼が改革して身内以外にも全国から有力な術者を集めたんだ」
「へえ……」
永がそれを初めて聞くような感じで聞いているので皓矢は首を傾げながら尋ねる。
「永くんは覚えていないかい?」
「そんな昔のことは鮮明にはわかんないな。もっと前から陰陽師には狙われてたけど、そいつの名前なんて興味なかったし。銀騎って言う名前も知ったのは最近な気がしてる」
永の記憶力のセーブについては梢賢から言われていたので、蕾生はそんなものだろうと思っていた。
「そうか。確かに君達から見ればうちはいつも胡散臭い奴らだったろうからね。
で、師羅鬼幽保は身内と有力な術者をまとめて陰陽師集団・銀騎を作った。それが今でも続いている我が家という訳だ」
「それはちょっと知ってる。親戚筋を分家において、外部からの人達を部下としてこき使ってるんでしょ。親藩と外様みたいな」
容赦ない永の例えに皓矢は苦笑しながら頷いた。
「まあ、そうだね。今から二百五十年前、銀騎の黎明期において、眞瀬木家はその外様候補だった」
「集めるというと、どのようにしたんですか?」
星弥がこれ以上出てこないと見定めた鈴心が永の後ろからひょっこり顔を出して聞いた。
「公募もしたし、こちらからスカウトに行ったりもしたようだ。眞瀬木家はこちらから幽保本人が当時の麓紫村に出向いている」
「ええ?だって隠れて住んでたのに?なんか不思議な結界が張ってあったけど?」
「そうです。私達も目の当たりにしましたが、とても奇妙なものでした。銀騎に見つかるとは思えませんでしたよ」
永と鈴心が口々に言うと、皓矢は少し考えてたら見解を述べる。
「恐らくだけど、君達が見たその奇妙な結界は雨都が村にやってきてから張り直したものじゃないかな?当時はごく普通の結界だったと記録されている。ただ、その記述を僕は少し疑っている」
「と言うと?」
「麓紫村の結界は幽保本人が出向かなければ破れないものだった可能性もある。天才の幽保には普通の結界に見えただけかもしれないね。
総じて考えると、村に張ってある結界は今も昔も強力なものであることは間違いない」
「つまり、開祖の力をもってしかコンタクトがとれなかったほど、眞瀬木の力は強いということですか?」
「そう。スカウトしたくなる気持ちもわかるだろう?」
鈴心の確認に皓矢は満足そうに頷いていた。
「それで?銀騎がスカウトしてどうなったんだよ」
永は皓矢に話の続きを急かした。
「眞瀬木家は民間出身の呪術師だ。衰退しているとはいえ、陰陽師の肩書を持つ銀騎の誘いには両手を挙げて喜んだそうだ。そして当時の当主の長男をうちに修行に出したとある」
「へえー、銀騎はお弟子さんも集めたんだあ」
嫌味を込めた永の言葉を皓矢は気づかないフリをして続けた。
「銀騎の下で働いてもらうためにはうちの術や理を学んでもらう必要がある。当時は全国から術者の子息が集められて教育を施したそうだ」
「でも良かったのか?よくわかんねえけど、他人に自分家の手の内を教えるなんて危ねえんじゃ?」
「集められた子息達は二度と実家に戻ることはない」
蕾生の質問に皓矢は平然と言ってのけた。それに永はまた嫌味で反応する。
「出た。卑怯なやつ」
「当時は切羽詰まっていたからね。子息の実家にはきちんと説明しているはずだけど」
「それで、眞瀬木の長男はどうなったんですか?」
鈴心の問いに皓矢は溜息混じりで答えた。
「それが、どうもこの長男が問題でね。詳しい経緯は記されていないんだけど、銀騎に来た後ごく短い期間で出奔している」
「ああ……それが確執ってこと?」
「だろうね。うちにある記録はこちら側から書いたものだから、眞瀬木が悪いようになっているけど、真相はわからない」
「まあ、呪術師なんてどいつもこいつも良くはないよ」
公平を気取った皓矢の説明も永にしてみれば同じ穴の貉である。
「はは、耳が痛いね。だけど、うちにも言い分はある。眞瀬木は出奔する際、銀騎から鵺の遺骸の一部を持ち出している」
「──!」
皓矢の言葉に鈴心は大きな衝撃を受けていた。
「じゃあ、眞瀬木が悪いんじゃね?」
「問題は、そこじゃないよ」
のんびり言った蕾生の言葉を永が真面目な顔で否定した。画面上の皓矢も今までで一番神妙な顔つきになっている。
「そう。出奔した眞瀬木家の長男が鵺の遺骸と銀騎の技術を麓紫村に持ち帰ったんだとしたら……」
「眞瀬木の技術、銀騎の技術、鵺の未知数の力が合わさって、独特のやばい術に進化を遂げた──なら、あの変な結界も説明がつく」
永の考えを捕捉するように皓矢も言った。
「そういう雑種の力は、時として我々のような正当な陰陽師には想像もつかないような術を作り上げる」
「うわー、自分で言った。高飛車発言!」
永がそう揶揄すると、皓矢は苦笑していた。
「今のは眞瀬木を褒めたんだよ?それにこの件があってからうちもオリジナリティのある術の開発を始めた。それを完成させたのが僕の父だ」
「マジかよ、超天才じゃん。どうりでお前の使う術って変な呪文だと思った」
皓矢が使う陰陽術はその祝詞からまず違う。永は今まで使われてきた一般的なものとは一線を画す皓矢の術を思い出していた。
「父の作り上げた術体系の使い手は、僕と師匠だけ。あ、星弥はまだタマゴだね」
「ではお兄様の力なら麓紫村を探せたのでは?どうして放っておいたんです?」
鈴心の素朴な疑問に皓矢は呑気に答えた。
「んー、それを言われると困るなあ。なにせ二百五十年前の出来事だったからねえ。僕もそんな古い記録を理由もなくわざわざ読んだりしないしねえ」
「なんだよ、ちゃんと代々言い伝えろよな。だから今になって問題になるんだ」
「それは申し訳ない。そんなに眞瀬木とうちの因縁は問題なのかい?」
「もう、ちょっと酷いよ。心して聞けよなあ」
そうして永は文句を言いながら雨辺家についての現状を皓矢に説明した
「……ちょっと、言葉が出ないな」
「でしょ?」
あらましを聞いた皓矢は開口したまま頭を抱えた。
「一体、どこをどうしたら、そんなひん曲がった信仰心が生まれるんだろう……」
「所詮お坊ちゃまには下々の考えなんてわかんないよねえ」
「永、言い過ぎだぞ」
「えー。だって眞瀬木と雨辺がこうなったのは、銀騎が介入したからでしょう?」
永が不服を言うと、それに鈴心も追随した。
「銀騎はきっかけに過ぎないかもしれませんが、責任はあると思います」
「ほらぁ」
すると皓矢は更に真顔になっていた。
「とにかくもう一度うちの文献を漁る必要があるな。少し時間が欲しい」
「おう、もっと詳細に調べてくれよな」
「俺たちはその間どうするんだ?」
「お兄様、私達にできることはありますか?」
鈴心が聞くと皓矢は考えながら答える。
「そうだね。その雨辺菫が信じている組織が知りたい。眞瀬木の協力者、伊藤と言う男、何よりメシアなんて存在は僕は初めて聞いた」
「うん、それはもうちょっと探ってみる」
「あと、できればそのお薬とやらのサンプルは手に入るかい?それが分析できれば──」
「ああ。わかった。やってみる」
「ハル様、危険です!」
簡単に頷く永を鈴心が嗜めると、永は手を振って笑った。
「大丈夫だって、気をつけるから!梢賢くんもいるしね」
「無理はするな。何かある前に引き返すんだ、いいね?」
「う、うん」
しかし皓矢も鈴心同様神妙な顔で言うので、永は少し態度を改めた。
「蕾生くん」
「?」
「白藍牙は持っているね?」
「ああ」
麓紫村に来てから蕾生は外出時はずっと白藍牙を背負っている。背にあるそれに手をかけて頷いた。
「何かあったら、鈴心と永くんは君が守るんだ」
「もちろん。けど、これが役に立つのか?」
今の所白藍牙はただの木刀でしかない。蕾生は少し不安を覚えていた。だが、皓矢は自信を持って頷く。
「それは君の牙だ。使い方は君の心が知っている」
「……?」
そんな抽象的に言われても困る。ただ白藍牙を握ると少し勇気が出る気がする。蕾生はその自分の感覚を信じることにした。
「こうなっては慧心弓どころじゃないかもしれないけど、そっちも探りなさい」
「ああー!そうだったー!どんどん最初の目的から遠ざかる!」
今まさにそれを思い出した永は頭を抱えて大袈裟に叫んだ。しかし鈴心は既に諦めたような顔で溜息をついた。
「それもいつもの事です」
「ではまた連絡するよ。くれぐれも気をつけて」
皓矢が締めようとした所で遠くから星弥の声が聞こえてきた。
「すずちゃーん!すずちゃー……」
だが、その姿を再び見せることもなく電話は切れた。
「はあ……」
鈴心は今日一番の大きな溜息をついていた。
皓矢との電話を切って数分も経たずに梢賢が戻ってきた。
のんびりした口調で手を上げて近寄ってくる様に三人は菫とはさほど揉めずに収めたようだと思った。
「おおーい、戻ったでえ」
「あ、梢賢くん。お疲れ」
「なんかわかったか?」
「うん。すんごいことが」
「そうか。そらあ、良かったなあ」
永が力強く頷いて答えても、梢賢は興味なさそうにのらりくらりとしている。
わざとらしくて白々しいと蕾生は思ったが、それが梢賢の立場でとれる態度なのだろうと理解してやることにした。
「藍ちゃんは大丈夫そうですか?」
「まあな、現状維持や。しばらくはしゃあないやろ」
「可哀想に。あんな親で……」
藍を心配する鈴心を見ても梢賢はそれ以上のフォローなどはしなかった。
ドライに立ち回ることが梢賢のやり方なのかもしれない。そうやって俯瞰を貫いて最終的に何を終着点とするつもりなのか、永にはまだそれが見えなかった。
「ほな、ルミへの土産が腐る前に、里に戻ろか」
「そうだね。炎天下で動いたら疲れたよ」
「帰ればちょうどおやつの時間やな!」
梢賢が下げているケーキ箱が入った紙袋を鈴心はじっと見つめていた。それはもう熱心に。
「おい、もの欲しそうに見んなよ」
「しっ、失礼な!私は街で一番高価なタルトのクオリティに興味があるだけです!」
蕾生が嗜めると鈴心は真っ赤になって反論する。梢賢は肩をがっくり落としていた。
「あー、もう、ほんと散財やわ。財布すっからかんよ」
「じゃ、最後に村まで頑張りますか!」
そうして四人は自転車を停めてある駅前へ向かう。その後は来た時と同様以上の地獄が永を待っていた。
麓紫村に着いたのは午後の四時を過ぎていた。村は小高い山の上にあるので、街から向かう方こそが本当の地獄だった。ママチャリで山道を一時間以上かけて登ってきた永は既に虫の息だ。
「ぜー、へええぇ……」
「ハ、ハル様大丈夫ですか?」
「な、なにがぁ!?全然余裕だけどぉ!?」
あろうことか鈴心にすらキレ散らかす始末で、おろおろする鈴心に蕾生は溜息が出た。
「ほい、ごくろーさん。じゃ、まずはルミんとこやな」
涼しい顔で言う梢賢に文句を言う気力も永にはない。ママチャリは鈴心が押して、蕾生は永を支えながら眞瀬木の家の前までやってきた。
するとその家の前で恐ろしい顔で仁王立ちしている者がいる。瑠深だった。
「ええ、何々、怖いんやけど!」
「しょーおーけーえーん」
「ひいぃ!」
「あんた達こんな時間まで何やってたの!」
ビビる梢賢を他所に蕾生も鈴心も首を傾げる。
「そんなに遅くねえだろ」
「夕方までには帰ってこれましたよ」
「都会の不良どもは黙ってな!里の門限は三時!そんなの赤ん坊だって知ってるよ!」
瑠深の言い分は蕾生達にとってみれば理不尽だった。そんなことは知らなかったのだから。梢賢はそれを悪びれもせずケーキ箱をちらつかせながら瑠深の機嫌をとった。
「まま、ま、ルミちゃあん、ほれ」
「うっ!」
燦然と輝くパティスリーの店名ロゴ入りの紙袋を見て瑠深は瞬時に黙った。
「お代官様、ここはひとつこれで」
「ま、まあ仕方ないね。お客人は慣れない道だったでしょうから!」
「ルミ様、感謝やでえ」
機嫌が治った頃合いを見計らって、蕾生は借りた自転車を返した。
「あ、自転車、ありがとな」
すると瑠深は少し頬を赤らめてツンをかます。
「べ、別にいいけど!?キズつけたりしてないでしょうね!?」
「それは大丈夫だ。大事に乗った」
「そ、それならいいけど!」
そんな瑠深の様子を永が息を整えながら細目で見ていた。
そして瑠深の持つ紙袋に再び熱い視線が送られている。鈴心だ。
「何、あんた、食べたいの?」
「えっ!まさか、そんな、一切れだけでもとか、そんなつもりはありませんけど!?」
ギクリと肩を震わせて素直に欲求をどもりながら言う鈴心に、瑠深は初めて優しい笑顔を見せた。
「フフッ!おかしな子。いいよ、あたしも一人で食べたら太っちゃう。おいで」
「よろしいので!?」
鈴心は目を輝かせて前のめりだ。
「ついでに野郎どもも食べてきな。あ、でもお前らは一人一センチな」
「そんな殺生なー、ルミはーん!」
言いながら梢賢は先だって眞瀬木家の玄関に入っていく。
「お、お邪魔します……」
それに続いて鈴心も浮き足立つ心を抑えつつ入って行った。
「永、大丈夫か?」
「うん。糖分とれるなら。お邪魔しようよ」
最後に蕾生と永も玄関へ入った。
眞瀬木の家屋は雨都のものと同じくらいに見えたが、雨都は寺部分があるので生活区域だけで比べたら眞瀬木の方が何倍も広そうだった。
しかしどこか殺風景だった。藤生家のような華美なものもないし、雨都家のような生活感溢れるもの──例えば洗濯物が出しっぱなしとかいうようなものは感じられなかった。
最小限の家具が置いてあるだけの広々とした居間に四人は通されていた。少しして、瑠深がケーキと冷たいお茶を持ってきた。
「はい、どうぞ」
「はー!」
瑠深はまず鈴心の前にタルトを置いてやる。タルトはキラキラと輝いており、鈴心の顔も輝いていた。
続けて男子達の前にもタルトを置いていくが、鈴心のものの半分以下で自立できないほどだった。
「おおお、オレの分け前はこんなもんか……金出したのはオレやのに……」
「うるさいね。半分は康乃様とゴーちゃんに持ってくんだよ!」
「はい……」
しゅんとする梢賢の横で、瑠深の発言から揺るぎない藤生への忠誠心を永は感じ取っていた。
「──!」
タルトを一口食べた鈴心は言葉を失っていた。それを見て満足そうに瑠深は笑う。
「いい顔だ。梢賢が大枚はたいた甲斐があったね」
「恐縮ですぅ」
梢賢は一口でタルトを平らげてしまって、お茶をしかめっ面で飲んでいた。
各自タルトを堪能して疲れが取れた頃、瑠深が聞いた。
「あんた達、いつまでここにいるの?」
しまった長居し過ぎた、と梢賢はギクリと肩を震わせる。だが時既に遅い。それで永ものんびりとした口調ではぐらかそうとした。
「え?えーっと、そうですねえ、蔵の書物の件がひと段落つくまでですかね?」
「最大で夏休みが終わるまでです」
しかし鈴心が真面目に回答してしまい、瑠深の方が驚いていた。
「はあ!?あんたらバカじゃないの?そんなに置いておける訳ないでしょ!」
「はあ……やっぱご迷惑ですよねえ」
「当たり前じゃない!夏は織魂祭で忙しいんだから!たださえ兄貴が──とと」
永は愛想笑いを浮かべ続けたが、瑠深は困惑と苛立ちでテンションが上がりつい口を滑らせた。
「しょく、こんさい、とは?」
「うっ!」
鈴心が首を傾げてきくと、瑠深はあきらかに狼狽して言葉に詰まる。だが、梢賢はそれにあっさり答えた。
「里でやる祭や。お盆みたいなもんやで」
「梢賢!?」
「ええやん、参加させる訳やなし。なんなら祭の間は高紫市のホテルにでも行ってもらうから。なあ?」
「ああ、はい。地域のお祭りに部外者が禁止なのはわかりますから」
永としてはその祭には当然興味がある。だがここで教えてもらうことは叶わないだろうと踏んで、興味のない振りをした。後で梢賢に教えてもらえばいいのだから。
だが永の態度をイマイチ信用できない瑠深は不服そうな顔をしていた。
「……」
「それはどういう祭なんだ?」
すると蕾生が聞いてしまった。さっきの鈴心と言い、どうも意思の疎通がままならないと永は心で残念がった。きっと体力を使い過ぎて頭が回っていないんだろうと思うことにする。
案の定瑠深は喧嘩腰で言う。
「はあ!?部外者のあんたらに教える訳ないでしょ!」
「そうか……」
「そ、そんなにしおらしくしてもダメなんだからね!」
蕾生ががっかりした態度を見せると、瑠深は急にうろたえる。そこへ梢賢が割って入った。
「まあまあまあ。ちょっとくらいええやろ、あんな、うちの寺が資実姫様をお祀りしてるのは言うたよな?
里の先祖は資実姫様のお弟子さんやろ。里の信仰では、亡くなった先祖は今も資実姫様の元で修行中やねん。ご先祖さま、よう頑張ってはるなあ、達者でなあって応援する祭やねん」
「へえ……結構珍しい考えだね。普通のお盆だと帰ってくるご先祖をおもてなしするのに」
永はますます興味が湧いた。雨辺や麓紫村の独自の宗教観は自分達がこんな運命でなければワクワクするものばかりだ。
「んで、修行中のご先祖のために、各家庭で織物をこさえて奉納すんねん。あなたの子孫も頑張ってますよーってな」
「ということは、ここではその修行というのは織物のことですか?」
「せやね。資実姫様は糸の神様やから、ご先祖は織物を資実姫様から教わってるっちゅー設定やねん」
鈴心は修行という単語に注視していた。雨辺の言う修行に比べたらこちらのものは健全な考えに思える。
「設定とか言うな!まったく、あんたそれでも寺の息子!?」
喚く瑠深を無視して梢賢は更に続ける。
「でな、祭で奉納する織物の材料はちょっと特別でな。毎年藤生の当主がお籠もりやって祭祀用の糸を用意して、それを皆に配るんや。そういや、そろそろ時期やな」
「喋りすぎだ!」
「ふがっ!」
ついに瑠深の怒りの平手が飛んだ。次いで永達を凄みながら脅す。
「あんた達、今の話は絶対に外で漏らすんじゃないよ!てか知ってるって事も黙ってな、死にたくなかったらな!」
「はあ……」
永はなぜ梢賢がここで教えたのかが気になっていた。後で雨都家に帰ってから存分に聞こうと思っていたのに、何故眞瀬木瑠深が同席した場でわざわざ。
もしかしたら梢賢は瑠深を味方に引き入れようとしているのでは、と思うのは考え過ぎだろうか。
「さ、もう話はおしまい!食べ終わったらとっとと帰る!」
「ご、ごちそう様でした」
「おー、こわ。じゃあ、うちに帰るか」
流石に引き時だろう。これ以上は瑠深を怒らせるだけだと全員が思った所で帰り支度をする。
「……梢賢」
「なんや?」
帰り際、瑠深は真面目な顔で静かに注告した。
「あんたがこいつらにペラペラ余計な事話してるのは黙っといてあげる。でもくれぐれも気をつけな」
「──おう」
梢賢は力強く頷いた。
眞瀬木家を出ると少し薄暗くなっていた。
「ただいまー」
「あ!梢賢くん!良かった、帰ってきた」
雨都の家に戻ると楠俊が珍しく慌てて四人を出迎える。
「なんや、ナンちゃん。慌てて」
「いいから急いで入って!皆も!」
「どうかしたんですか?」
永が聞くと楠俊はさらに大慌てで言った。
「康乃様がいらしてるんだよ、君達に会いにね!」
「えええっ!」
それを聞いた梢賢は腰が抜けそうなほどに驚いて奇声を上げた。
雨都の家で一番格式の高い奥座敷へと急いだ四人は、梢賢を筆頭に恐る恐る襖を開けた。
「失礼しますぅ……」
「遅いぞお前達!里の門限は三時だろうが!」
息子の顔を見るやいなや、柊達が怒鳴った。普段なら愛想笑いで揶揄うくらいはする梢賢も、康乃の眼前ではそうはいかない。
「すいません、お客人達は慣れない道なもんで……」
「……だったら三時に帰れって言ってくれねえと」
「ライくん、シー!」
小声で文句をたれる蕾生を永はさらに小声で制して康乃に一礼した。
「遅くなって申し訳ありません」
それを受けていち早く鈴心が跪いて正座し、手をついて頭を下げた。それに永と蕾生も続くと、上座に座る康乃は笑って答える。
「あら、いいのよ。若い人達は元気に遊ぶのも大事だもの。それにいきなり来てしまった私達が悪いんだし」
「そんな、滅相もないことです!お前達、早く康乃様と剛太様の前に」
恐縮しきりの柊達に逆らえるはずもなく、四人は康乃と剛太に相対して座った。すると康乃はまず隣の剛太を紹介する。
「皆さんにはまだ紹介していませんでしたね、孫の剛太です」
「藤生剛太です。初めまして。よろしくお願いします」
礼儀正しく一礼する姿は先日見た時よりも大人びて見えた。
「ははっ!」
慌てて土下座する梢賢に続いて永達も挨拶をする。
「これはどうもご丁寧に。周防永です」
「唯蕾生……ッス」
「御堂鈴心と申します」
鈴心が顔を上げると、剛太は目を丸くして顔を赤らめた。だが鈴心には伝わっていなかった。
「今日はね、お誘いをしに来たの」
「お誘い、ですか?」
「せっかく里に来ていただいたのに、うちの墨砥が堅物だからろくなおもてなしができなくて──ごめんなさいね?」
康乃はかなり気安く接してくる。その雰囲気に少々面くらいながら永は慌てて答えた。
「ああ、いえ、そんな!僕らこそ図々しくご厄介になってますから」
「もうすぐ里でお祭があるのだけど、ご存じ?」
「あ──、いえ……」
ついさっき聞いたばかりだが、隣の梢賢が目で訴えてくるので永は素知らぬ振りをした。
「織魂祭って言って、お盆のようなものなんだけどね、それに貴方がたをご招待したいと思ってるの」
「ええええっ!!」
「あなた!」
先に驚いて奇声を上げたのは柊達で、横で座っていた橙子に叱責された。
「も、申し訳ない……。ですが御前、彼らは部外者ですよ!眞瀬木殿はなんと?」
「あら、いちいち墨ちゃんの許しを取らなくちゃいけないの?当主は私ですよ」
「は、はあ……」
簡単に柊達をあしらった後、康乃はにこにこしながら話を進める。
「織魂祭と言うのはね、里の守り神である資実姫とその弟子になった我々の先祖をお祀りする大切な行事なの。そこに貴賓としてご出席願いたいわ」
「えええー……」
「あなた!しっかりなさい!」
永達よりも先に反応して青ざめる柊達を橙子がまた怒鳴る。その後ようやく永は慎重に尋ねた。
「そんな大事な催しに僕らなんかが出席させていただいていいんですか?」
「ええ。是非」
康乃は笑って頷いている。元々興味を引かれていた祭だ、断る理由はない。
「それは身に余る光栄です」
永が一礼の後に承諾すると、またもや横で柊達が「受けるの?」と言わんばかりに声を上げた。
「えええー?」
「あーた!」
雨都夫妻の反応を完全に無視して、康乃は嬉しそうに手を打った。
「良かった。今年は特別なお祭りになりそうね。ところで、どなたか手芸なんかおできになる?」
「あ、僕、趣味でレース編みを少々……」
「マジか、ハル坊!?」
今度は先に梢賢が驚いていた。似たもの父子なのである。
そういう雨都のコミカルさには慣れているのだろう、康乃はそれを咎めたりもせずに孫の剛太を促した。
「まあ、すごい!人は見かけによらないのねえ。剛太、お出ししなさい」
「はい、お祖母様」
剛太は陰から三宝を出して永の前に置いた。その上には美しい糸の束がひとつ乗せられている。
「わあ……」
「なんて美しい……」
永も鈴心もその清廉な美しさに感嘆の声を上げる。
「祭祀用の絹糸です。ご査収ください」
「いいんですか?」
あまりの美しさに永が物怖じしていると、康乃はまたにっこり笑った。
「ええ。同じ糸を里の者にも配るのでね。せっかくですからそれで何か編んでいただきたいと思って。織魂祭で奉納させていただきたいわ」
「どんなものを編めばよろしいので?」
「なんでも結構よ。少ししかないから、皆もちょっとした物を編んでます。靴下とか、ハンカチとかね」
「なるほど、わかりました。お預かりします」
永は丁重にその糸の束を受け取った。手触りも素晴らしく良く、こんな極上のものは初めてだった。
「良かったわ、楽しみにしています。それから後で八雲に編み棒を届けさせますね」
「ひええええっ!」
「あなた、しっかり!」
新たな単語の登場に、柊達はついに腰を抜かした。橙子もうろたえながらその腰を摩っている。
「やくも……?」
「眞瀬木の一族の中に呪具職人がいるの。彼が作った針や編み棒で里の者も絹糸を織ったり編んだりしてるのよ」
「はー、そんな方がいらっしゃるんですか」
「ええ。会っておいて損はないと思うわ」
何かを含んだ康乃の物言いが少し気になったけれど、すぐに話題が変わってしまった。
「それから、雨都の蔵に入った盗人の件ですけど……」
「あ、はい」
「うちでも調査をしたのだけれど、手がかりのようなものが全く見当たらなくてね」
「はあ」
「もう少し時間をくださる?調査を続けますから」
「わかりました。よろしくお願いします」
永は一応頭を下げたが、予想していた通り康乃が有耶無耶にしようとしていることは明白だった。
「まあ、文献については柊達や梢賢が内容は熟知してるのよね?」
「はひ!」
「内容が知りたかったら、柊達と梢賢に教えてもらったらどうかしら」
「ははっ」
梢賢と柊達が揃って土下座するのを見ながら、永は犯人のことは追及するなと言われたのだと思った。
「では、そろそろ帰ります。長居してしまってごめんなさいね」
「とんでもございません!」
「失礼しました」
「剛太様も御足労いただきありがとうございました!」
土下座を繰り返す柊達の様は雨都での威厳ある父親像をかき消す。二人を玄関へ案内しようとする腰の低さも大袈裟で滑稽だった。
座敷を出る直前、剛太は振り返って鈴心を見た。目があったので鈴心が会釈すると、またぽっと頬を赤らめた。その様子を見ていた永は少し胸がムカムカしている。剛太は赤面したまま祖母の後ろをついて行こうとしていた。
「剛太」
「?」
しかし蕾生が呼び止めたので剛太はもう一度振り返る。梢賢は焦って蕾生を嗜めた。
「ああっ、バカ!様つけんかい!」
「……くん」
「な、なんでしょう」
「多分、後で──えっと、眞瀬木のなんてったっけ?」
蕾生に聞かれた鈴心が答えた。
「瑠深さんですか?」
「そうそう。そのルミが後でケーキ持って行くって言ってた」
「は、はあ……?」
「すげえ美味かったから、楽しみにしとけよ」
なんの脈絡もない蕾生の話題に、梢賢が困り果てて言う。
「もう、バカちんが!剛太様へのもん、オレらが先に食べたことになるやろが!」
「なんか問題あんのか?」
あっけらかんとしている蕾生を手で制して鈴心が代わりに謝った。
「すみません、ライが失礼なことを」
「あ、いえ!大丈夫です!お兄ちゃん、ありがとう。楽しみにしておくね」
「おう」
康乃と剛太が帰っていくのを見届けて、永が蕾生に近づいた。
「珍しいね、ライくん」
「何が?」
「わざわざ子どもを気にかけるなんて」
蕾生の図体では子どもには怯えられるのがいつものことなので、自分から世間話をしに行った様に永は多少なりとも驚いていた。当の蕾生は不思議そうに首を傾げている。
「あー、そうだな……なんか気になってな、アイツも」
「ふうん……」
も、と括ったからには他にも気になる子どもがいるのだろう。おそらく藍と葵のことだと永は考える。
三人の子どもと蕾生の共通点。今の所はそれがなんなのかはわからなかった。
眞瀬木家の離れで伊藤の報告を聞いた珪はあまりの事に顔を歪めて聞き直した。
「康乃様があいつらを祭に呼んだ?」
「はい」
理性よりも困惑が勝り、珪の言葉遣いは更に酷くなった。
「あのババア、何考えてやがるんだ?」
「お言葉が過ぎますぞ」
「ああ、いけない。僕としたことが。しかし何故?」
伊藤の一言ですぐに冷静さを取り戻した珪は椅子に深く座り直して首を傾げた。
「例の件を気取られたのでしょうか?」
「──まさか。そんな甲斐性があるとは思えないが」
藤生康乃の能力は珪も認めるところだが、所詮はただの旗頭。里を実際に動かしているのは眞瀬木だと自負している珪には今回のことも康乃の暢気な気まぐれとしか思えなかった。
「いかがいたしましょう。延期なさいますか?」
だから伊藤が弱気な進言をしても珪は一笑に付す。
「それこそ、まさかだよ。かえって好機かもしれない。上手くいけば……鵺が二体顕現するかも」
「なるほど。ですが、御しきれますかな?」
伊藤は口端を曲げて愉快そうにしていた。その態度に怒るどころか珪はますますやる気を見せていた。
「やってみせるさ。そのためにはアレの開発を急がせなければ──」
突然離れ屋の入口の戸を叩く音が聞こえた。来客の気配を感じて伊藤はその場から陽炎のようにゆらりと消えた。
「どうぞ」
珪にはもちろん心当たりがある。戸を開けて入ってきたのは、父親の従兄弟にあたる男だ。
「珪、呼んだか」
「ああ、八雲おじ様、わざわざすみません」
珪は立ち上がって八雲を迎えた。作務衣を纏い手拭いを頭に巻いている様子から作業の合間に来たことは明白で、不機嫌そうだった。
「まったくだ。俺はお前に仕えている訳ではない。用があるならお前が来い」
「ですが、おじ様、仕事中は集中なさっているから僕が訪ねても気づかないじゃないですか」
屁理屈屋の珪から素直な謝罪が聞けるはずがないことは十分承知している。八雲は溜息を吐きながら用件を尋ねた。
「まあいい。なんだ?」
「頼んであった例のモノはどうです?そろそろ出来そうですか?」
「む……もう少しかかるな。調整が難しくてな」
八雲が険しい顔で答えると、珪はわざとらしく下手に出て笑いながら言った。
「ご冗談を。おじ様に難しいことなんてあるものですか。それなんですが、出力を上げていただけますか?当初の──三倍ほど」
言いながら指を三本立てる珪の表情は少し興奮していた。しかしそんな珪を八雲は一言で切り捨てる。
「無理だ」
「ええ?」
それでも珪は笑っていた。畑違いの小僧にわかる道理ではないと思いつつ、八雲は忖度せずにきっぱりと言ってやる。
「今の出力でもギリギリだ。お前の呪力ではこれ以上はもたない」
「ああ、もう、そういうのは気にせずやっちゃってください」
こいつは自分のことをただの便利な道具屋だとでも思っているのだろう、と八雲は心中苦々しく思ったが、無表情を崩さずに言った。
「断る。それでお前に何かあったら墨砥兄さんに顔向けできない」
すると珪は不服そうに顔を顰めた。それから少し考えて低い声で聞いた。
「では、瑠深なら?」
「む?」
「アレを扱うのが瑠深なら、可能ですか?」
歪んだ顔のまま聞く珪の心中は察するに余りある。だが八雲はそういう気遣いなどはしない。事実を事実のままに言うだけだ。所詮自分は道具屋なのだから。
「瑠深なら可能だ。なんならもう少し上げても大丈夫だろう」
すると珪は途端に顔をぱっと明るくしてより興奮していた。
「本当ですか!それはすごい!ではアレは瑠深が使いますから、最大限まで上げてください」
「お前は何を企んでる?」
八雲は嫌な予感がしていた。それでも請われれば従うしかないのが八雲の役割だった。珪からの依頼なら尚更だ。
「嫌だなあ。全ては里のためですよ。おじ様も職人として挑戦したいでしょう?伝説のアレに……」
「わかった。やってみよう」
「ありがとうございます!楽しみですよ!」
珪はまるでクリスマスプレゼントを待つ子どものような目をしていた。その無邪気さの奥にはドス黒い邪気があることはわかっている。八雲は少し頭が痛くなった。
「では、俺は用事があるので行く」
悩ましい呪具の調整について気が重くなったので、八雲は早々にここを立ち去ろうとしていた。ただ次なる用事も悩ましいものではある。
「鵺人のところでしょう?」
「お前は本当に耳が早いな」
「よく彼らを観察してください。きっとおじ様のお仕事の参考になりますよ」
「……行ってくる」
八雲は珪の言葉に特に動揺もせず、いつもの淡々とした調子のまま離れ屋を出て行った。
「……」
部屋には珪が一人残される。それまで燻っていた嫉妬の炎が一気に燃え盛り、珪は力任せに机を叩いた。
「瑠深ィ……ッ!」
瑠深の名を出した途端に要求を飲んだ八雲の顔が脳裏から離れない。
俺と瑠深はそんなに違うのか。珪はその屈辱を野望への闘志に変えている。
すっかり陽も落ちた夕食時、雨都家を訪ねる者があった。
「御免」
「はい、あ、八雲様!」
優杞が出迎えると玄関には作務衣姿の中年男性が立っていた。その男、八雲は無表情で用件だけを簡潔に言う。
「周防何某という御仁はいるか?」
「ええ、もちろん。どうぞ」
「いや、ここで結構。呼んでいただきたい」
「かしこまりました。お待ちください」
優杞はお淑やかに返事をした後、八雲が見えないであろう所から全力ダッシュして居間へ向かった。
「梢賢!梢賢!!」
「なんや、姉ちゃん」
食事中の梢賢と永達は食べながら優杞が慌てる様に驚き、その名を聞いて更に驚く。
「八雲様、来た!」
「ブッ!もうかいな!」
「あんた達も行きな!玄関でお待ちだから!」
もう夜になったのですっかり油断していた四人は飯を喉に詰まらせながら急いで玄関へ向かった。
「む、食事中だったか。すまない」
「いいえ、とんでもない!わざわざすいまっせん!」
八雲の姿を認めた途端にスライディング土下座をかます梢賢。そのすぐ後ろで永達も会釈しながら名乗る。
「初めまして、周防永です」
「唯蕾生ッス」
「御堂鈴心と申します」
すると八雲は三人を順番にゆっくりと品定めでもするように見ていく。
「ふ……む……」
「あのー……?」
その視線に居心地の悪さを感じて永が声をかけると、八雲は我に返って道具箱を取り出した。
「む、失礼した。康乃様の御命令でかぎ針などを持ってきた」
言いながら八雲は道具箱から様々な太さの金属製の編み棒等をその場に並べる。永はそれを見て興奮して言った。
「うわっ、すごい!いろんな太さがある。レース針もありますね。手芸屋さんみたい!」
「ハル坊!失礼なこと言うたらあかん!」
「あ、すみません……」
慌てて諌める梢賢の声に永も罰が悪そうに謝ると、八雲は特に気にしていないようで表情も変えなかった。
「いや、最近は裁縫道具ばかり作っているからな。言い得て妙だ」
「はあ……」
「好きなものを使うといい」
「ええと、じゃあ、これとこれ、お借りしてもいいですか?」
永は数ある中から普段使っているかぎ針とレース針に長さが近いものを二本選んだ。
「うむ。構わない」
「ありがとうございます」
永は新しい裁縫道具にご機嫌だったが、それを見る鈴心の視線は重たかった。
そんな鈴心の反応を見定めた後、八雲は蕾生の顔を凝視していた。
「……?」
じろじろ見られて少しムッとした蕾生は目上であろうと関係なく睨み返す。
すると八雲はまた表情を出さず視線を逸らし、残った道具を片付けた後立ち上がった。
「──ふむ。ではこれで失礼する」
「どうも、ご苦労様でございました!」
ペコペコ土下座が止まらない梢賢を無視して、八雲は何も言わずに雨都家を出て行った。
「あー、会うだけで疲れるおっさんやで……」
八雲が去った後、梢賢はぐったりとその場で寝転んだ。
「職人さんというだけあって、気難しそうな印象です」
鈴心がそう感想を述べていると、永は弾んだ声ではしゃいでいた。
「わー、すごい。このレース針ピッカピカだあ。武器になりそっ!」
もう一度その針に視線を移して、鈴心は神妙な面持ちで言った。
「そして、その針。ものすごい力を感じます」
「あー、やっぱり?」
永もそう同意すると、梢賢が捕捉してくれた。
「祭で奉納するもんを編む道具はな、普段のよりも清めてあんねん」
「このクオリティのものを各家庭に配っているんですか?」
「せや。だから、どこん家でも仏壇の中にしまって、祭以外では使わんよ」
「──でしょうね」
永の手元をしげしげと見つめながら鈴心は頷く。そうしてその後ろで不機嫌な顔をしている蕾生にようやく気づいた。
「……」
「ライ、どうしました?」
「あのおっさん、俺にガン飛ばしやがった」
まるで不良に絡まれたような蕾生の態度に永は苦笑しながら宥めた。
「あの人も眞瀬木の人でしょ?ライくんを見定めたい気持ちが抑えられなかったんだねえ」
「気分悪い」
まだ不機嫌なままの蕾生に、今度は梢賢も手を振りながら言う。
「まあまあ、ライオンくん!しゃあないで、そら」
「なんでだよ」
「君はいろんなもんを垂れ流してるからなあ」
「梢賢くんも感じてるの?」
永はハッとして聞いた。すると梢賢は困った顔で答える。
「もちろんや。初めて会った時から、こっちはビビりまくりよ!うーわ、これが鵺の生の気配かーつって!」
「そ、そうなのか?」
そんなことは初めて言われた蕾生は驚いていた。鈴心もそれで罰が悪そうに言う。
「私やハル様は慣れてしまっているから無頓着でした。うっかりしてました……」
「この村はワカル人が多いんだね。これからは気をつけないと」
「気をつけるってどうやって?」
蕾生自身が自分がどうなっているのかわからないのに気のつけようがない。
「あー、そうだねえ……」
永もあまりピンときておらず首を捻っていると、梢賢はあっけらかんとして言った。
「今度銀騎にでも聞いたらええ。普通の人間にはわからんからそんなに気にせんでええよ」
「わかった……」
一応頷いたが、蕾生は納得がいかずにまだ不貞腐れていた。
「ところで、あの人、最近は裁縫道具ばっかり作ってるって言ってたけど、眞瀬木珪の事業の関係で?」
「そやろな。里のもんに絹製品を作らせとるからな。すっかり金物屋さんみたいになってんで」
永の問いに梢賢は可笑しそうに答えた。
「八雲ってかっこいい名前だよね」
「名前とちゃうで。八雲は役職名や。眞瀬木の呪具職人の長が代々継いどる。まあ、今はおっさん一人しかおらんけどな」
「昔ほど、呪具の需要がないんですね?」
鈴心が問うと梢賢は頷いた。
「そういうこっちゃ。眞瀬木のお家芸も今では先細り。だから珪兄やんも躍起になっとる」
「そっかあ、色々限界なんだねえ……」
永はまたかつての楓の言葉を思い出していた。
「珪兄やんの考えは間違ってないと思うんや。けど、手段がなあ……」
梢賢も頭を掻きながら村の現状について溜息をついていた。