康乃は着眼点を変えて、今度は柊達に尋ねた。
「達ちゃん、蔵に盗人が入ったのはいつ頃だと考えられる?」
「そうですね。まず愚息は四月から大学に通うため家を出ているので、それ以降は蔵に入っておりません。四月から今日までは恐らく私しか出入りしていないでしょう。ですが私も月に一度くらいが関の山で──」
柊達の長くまとまらない報告をやんわりと止めて、康乃は端的に聞いた。
「それで、最後に蔵に入ったのは?」
「詳しくは覚えておりませんが、二週間ほど前でしたか……少し換気と掃除に入ったくらいで」
「なるほど。それ以外はもちろん施錠を?」
「御意にございます」
そこまで聞くと康乃は溜息を吐いた。
「ふう。困ったわね、今日蔵に入った時も鍵は壊れてなかったんでしょう?」
「はい。特に不自然なことはありませんでした」
「まあ……そうなの……」
梢賢の答えにまた康乃が首を捻っていると、その空間を切り裂くような珪の鋭い声が響いた。
「──銀騎なのでは?」
その発言に、並んでいた大人達はギョッと目を見開いた。永と蕾生もそれは注視せざるを得なかった。
「け、けけ、珪!」
墨砥が慌てて嗜めると、珪はそれを意にも介さず余裕の笑みを浮かべて言った。
「──ああ、すみません。つい思ったことを喋ってしまいました」
「銀騎を、ご存知なんですか?」
永が警戒しながら聞くと、その感情を読み取ったのか珪はさらに笑って語る。
「そりゃあ、知ってますよ。雨都さんちの敵ですからね。ここに雨都を住まわせる時にも説明してもらったって話ですし」
その話は確かに筋は通っていた。だが彼はそれ以上のことを知っていると永は肌で感じていたが、あえて表には出さなかった。
「そうですか。でも銀騎ではないと思います」
「ほう?その理由をお聞きしても?」
「──仕方ないですね」
永はその安い誘導尋問に乗ってやることにした。
「僕らは銀騎とつい最近まで揉めていました。
色々あったんですけど──当主の孫娘を救う手伝いを僕らがして、偶然ですけどライくんが鵺になったことで力を示し、銀騎が降参する形で僕らとは和解しました。
今も銀騎の次期当主がバックアップしてくれていますから、この期に及んで僕らを害することはしないと思います」
すると珪は腕を組んで更に永に注目した。
「へえ……興味深い話ですねえ。詳しくお聞きしたいな」
「お断りします」
にっこり笑い返して永が言うと、珪は少し眉を顰めた後挑戦的な物言いで応えた。
「おや。銀騎と同盟関係にあるとはいえ、雨都は君達の恩人。そしてこの里は雨都の恩人のようなものだ。恩人の恩人がお願いしているのに?」
「雨都の方にならお話します。失礼ですけど藤生や眞瀬木の方と僕らはまだそんなに親しくないですよね」
さらににこにこ笑って永がきっぱり断るので、珪も満面の笑みを浮かべていた。
そのやり取りを見て、蕾生は星弥と永の口喧嘩の方が百倍マシだと怖気とともに思った。
「珪!いいかげんに黙りなさい!差し出がましいぞ!」
ついに墨砥が叱責すると、珪はあっさりと引き下がった。
「申し訳ありません」
「珪ちゃんも我慢できなくて困った子ね。周防さん、私に免じて許してやってちょうだい」
「はあ……」
康乃ののんびりとした口調で毒気を抜かれた永は生返事で感情を持て余していた。そんな様子に梢賢はそわそわと落ち着かない。
「まあ、話のついでだから銀騎さんについての私の考えを言えば、銀騎さんはここの結界を発見してはいないんでしょうからこの件には関係ないと思うわ」
「その通りだと思います。次期当主も雨都についての現在の情報は持っていないようでした」
永が頷きながら答えると、また珪が含み笑いをしつつ口を挟む。
「けれど君達は彼らのバックアップを受けてここに来たんでしょう?すでにこの里の所在は報告済みでしょうし──」
「それは、そうですけど……」
困ったな、どう言えばこいつは大人しくなってくれるんだ、と永が考えていると、墨砥が更に激昂して怒鳴った。
「珪!」
だが珪はそれを無視して侮蔑を含んだ声で言う。
「鍵を壊さずに普通の人間が入れますか?銀騎が式神でも使えば容易でしょう?あいつらの鵺に対する執着を、周防くんは甘く見ているのでは?」
「……」
あまりに遠慮のない物言いに、永は衝撃とともに怒りを感じていた。こいつに銀騎の何がわかると言うのだろう。
そして蕾生もその隣で激しい怒りを携えて珪を睨む。
「珪!!」
怒鳴る墨砥の声は終いには掠れてしまう程だった。だが、そんな父の怒りなどどこ吹く風で、珪は薄く笑っている。
「珪ちゃん、言い過ぎですよ。年少者を煽るなんて関心しないわね」
遂には康乃が諌めたことで珪はやっと頭を下げた。
「申し訳ありません」
少しの静寂の後、柊達が呟くように言った。
「では、銀騎の可能性は薄いという彼の言葉を信じるとして、他に誰が──?」
それにまたしても珪が挑発的な顔で答える。
「銀騎でないなら、後は──雨辺ですかね?」
それは爆弾投下にも等しい発言だった。柊達も橙子も楠俊でさえも、目を大きく見開いて珪を睨んでいた。
「珪!!お前はどういうつもりだ!もういい、出ていきなさい!」
怒りで倒れるのではないかと思われるくらいに激昂する墨砥を他所に、康乃は大きな溜息をついて立ち上がった。
「もう結構です。話し合いにならないわ。今日はおしまい」
「御前!申し訳ありません!」
墨砥の土下座も無視して、康乃は珪に冷たく言い放つ。
「珪ちゃん、しばらく藤生への出入りを禁止します。よく反省なさい」
珪は無言で土下座した。
それを一瞥した後、康乃は大広間を出て行った。
「橙子殿、この度は申し訳ない」
「いえ……」
墨砥が頭を下げて謝るもその怒りは収まらないようで、橙子はずっと珪を睨んでいた。
「珪、帰るぞ!」
「はいはい」
台風の目のような親子はそそくさとその場を退出した。
眞瀬木親子が退出して遠慮のなくなった蕾生は素直に嫌悪を表した。
「あいつ、マジむかつくな」
「うん……ライくん、よく我慢できたねえ」
「なんだよ、俺だってTKOくらい守れる」
「うんうん、それを言うならTPOだから。TKOだとノックアウトしちゃってるから」
蕾生の真面目なボケが今の永には救いだった。怒りの感情が少し浄化された気分だった。
「いやあ、なんだかすまんかったなあ。お二人さん」
そこへ更に呑気な声で梢賢がやってくるので、永はわざと文句を言ってやった。
「ほんとだよ。吊し上げ食った挙句に挑発までされてさあ」
「珪兄やんもなあ、前はあんな人やなかったんやけどなあ」
永は更に梢賢に近寄って、聞き取れるギリギリの小声で言った。
「あの人、何者なの?わざと雨辺まで話題にあげて」
「ああ……後で話したるわ」
溜息混じりにうんざりしている梢賢に橙子が厳しい声で言った。
「梢賢、帰りますよ」
「おっす!」
全員で藤生の玄関出ると、眞瀬木瑠深が神妙な面持ちで楠俊に話しかけた。
「終わったんですか?父と兄が凄い剣幕で出ていったけど……」
「うん、ちょっと白熱しちゃってね」
「また兄がやらかしたんでしょ?」
「はは。まあ、今の彼の意見は無視できないからねえ」
楠俊の立場では愛想笑いで切り抜けることしかできない。
瑠深は固い表情で歩いてくる柊達と橙子に頭を下げた。
「おじさま、おばさま、すみません」
「あ、うむ。まあ、我々は康乃様に従うだけだ」
柊達が威厳をこめて応対する横を通り過ぎて橙子は歩いて行った。
「──先に帰ります」
「ああ、待ってよ、橙子しゃん!」
すると柊達は情けない声を出しながら慌てて橙子の後を追っていった。
「うん?」
今まで見たことのない柊達の行動に永が驚いていると、梢賢が苦笑しながら教えてくれた。
「うちの父ちゃん、ほんまはあれが本性やねん。母ちゃんには絶対逆らわずに甘えてんねん。でもそれだと威厳がないから他所の人の前ではイカツイねん」
「あ、そうなの……」
あんな強面がカカア天下で恐妻家だとは、永も蕾生も意外で驚いていた。
「……」
ふと、蕾生は自分の下の方で視線を感じた。藤生剛太が丸い瞳でこちらを見つめている。
「ん?なんか用か」
剛太を見下ろして声をかけたせいで、剛太は焦って蕾生から遠のき、瑠深の後ろに隠れてしまった。
「ゴウちゃん、どうしたの?ちょっとあんた、でっかい図体で子どもを威圧するんじゃないわよ!」
すると代わりに瑠深が吠える。まるで我が子を守る母虎の様だった。
「してねえよ!」
つられて蕾生も声を荒げてしまったので、剛太はますます小さくなって隠れる。
「まま、ライくん、どうどう。すいませんね、うちの連れが」
見かねた永が宥めに入ると、瑠深は無遠慮に永をジロジロ見た後、軽く睨んだ。
「あんたはあんたで胡散臭いわね。馬鹿の梢賢は丸めこめても眞瀬木はそうはいかないわよ」
「おおー……」
ハッキリと敵意を表され、永は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。さすがに女子相手には怒れない。
「ルミ!うちのお客さんに何してくれてんねん!」
やっと梢賢が仲裁に入ると、瑠深は剛太の手を引いて玄関へ向かった。
「会議は終わったんでしょ。ゴウちゃん、お家に入ろ。べー!!」
最後にあっかんべーを炸裂させて、玄関の戸はピシャリと閉められた。
「べー、ってお前はいくつやねん!」
「うーん、おもしろい人だね」
憤慨する梢賢とは逆に永は瑠深にちょっと興味を引かれていた。
「ほんますまんなあ、ライオンくん」
「別にいいけどよ」
蕾生はああいう聞く耳持たないタイプは何とも思わない。勝手にしていればいいと思っているので特に腹は立たなかった。
「さあ、僕達も帰るよ」
もう騒ぎは沢山、というような疲れた声で楠俊が三人を促す。
「はーい」
永は良い子のお返事をして、雨都家へ引き返していった。
気がつけば夕暮れ時だった。麓紫村に来たばかりだと言うのに色々なことが起こり、一日が経つのがあっという間だった。
雨都家に戻った一同は急に空腹を感じていた。
「あ、いい匂い」
「腹減った……」
永も蕾生も精神的に疲れており、台所からの匂いに心を弾ませていた。
「姉ちゃんが夕飯の支度してるんやな。皆今日は泊まってくやろ?」
梢賢の提案は期待通りで、永はほっと安心する。
「そうさせてもらえるとありがたいな。リンの具合も悪いし」
「ホテルはどうすんだ?」
「うん、今晩は外泊するって電話すれば大丈夫じゃない?お金は払ってあるし」
永の一見太っ腹な発言に、梢賢は急におろおろして心配した。
「宿泊代、大丈夫なんか?オレも援助してやりたいけど、この前おしゃれタウンで古着買ってもうて金欠なんですわ」
口で言っているだけで、本当に払ってやろうなどとは露程も思っていないことは永にはお見通しだ。
「大丈夫。銀騎の若当主が一週間分払ってくれたから」
永が苦笑しながら答えると、梢賢はのけぞって目を丸くしていた。
「ま、じ、か。太いパトロンがおるとええなあ」
「そ。遠慮とかはしないの。今までの迷惑料だから」
「怖いわあ、ハル坊にかかったらケツ毛まで抜かれそうやわあ」
わざとらしくブルブル震える梢賢の後ろから鈴心がひょっこり顔を出した。
「ハル様、ライ、おかえりなさい」
「リン、ただいま」
鈴心が起きてこられた様なので永は嬉しそうに返事する。蕾生も安心して念の為聞いた。
「具合はどうだ?」
「充分休ませてもらったので、もう大丈夫です。今夜はこちらに泊めていただくんですよね?」
「うん、そのつもり」
永が頷くのを待って鈴心は更に付け足した。
「ホテルの方にはお兄様から連絡を入れていただきました。問題ないそうです」
「気がきくな」
「当然です」
蕾生に向かってやや得意げにしている鈴心の報告を聞いて、永はそっと胸を撫で下ろした。
「良かった、大人同士で話してもらった方がいいもんね。ありがと、リン」
「勿体無いお言葉です」
そうしていると優杞が居間に食事の用意を始める。梢賢はもちろん永も蕾生もばっちり手伝わされた。
夕食は皆揃って食べたが、柊達と橙子の機嫌は直らず、重々しい雰囲気のまま食事が終了した。
「ご馳走様でした」
「美味しかった?」
にっこりと圧をかけてくる優杞の前で首を振れる者などいない。
「ウス……」
「すっごく美味しかったです!」
女性からの圧が苦手な蕾生の分まで永はにこにこ笑って答える。
「そう?」
「我慢せんでええで、薄味やったろ?高校生男子にはちょっとな」
「へえ?」
「ピッ!」
せっかく嬉しがっていたのだから余計な事は言わなくてもいいのに、梢賢は姉につっかかっては怒られている。それもこの姉弟のコミュニケーションのとり方なのだろう。
「ヘルシーで美容に良い理想的なお食事でした。お味も抜群です」
空気を読んだ鈴心が改めて褒めると優杞はまた嬉しそうに笑った。
「あらあ、やっぱり女の子にはわかるのね!ウチは一応お寺だからさあ」
「優杞さんのご飯はいつも美味しいよ」
「やだあ、もう!」
夫の褒め言葉に勝る物はない。満面の笑顔でイチャイチャする若夫婦を馬鹿らしそうに眺めて梢賢は立ち上がった。
「ほんじゃ、ごちそうさん」
「ああ、梢賢。男の子二人はあんたの隣の部屋使ってもらいな。布団は自分で運んでね」
「ほいほい」
永と蕾生も丁寧にお辞儀で答える。
「お世話になります」
「ッス」
「鈴心ちゃんはさっきの部屋をそのまま使って。あそこは鍵がかかるからちょうどいいわ」
鈴心もそれにお礼を言いつつ、食器を片付け始めた。
「ありがとうございます。お片付け手伝います」
「いいよいいよ!具合が悪かったんだからゆっくり休みなさいな」
「はい、すみません」
「うーん、可愛い!」
優杞は上機嫌で食器を片していく。こちらの存在に気づかれないうちにと、梢賢は小声で三人を促した。
「ほなら、皆行こか」
「夜中までおしゃべりしてちゃだめだよ。ほどほどにね」
「へーい」
楠俊のにこやかな注意に頷いて、四人は居間を退出した。
梢賢の部屋に戻ると、鈴心が藤生家でのいきさつを聞きたがった。
「ハル様、藤生の家ではどんなお話を?」
「ああ、うん。話をしたと言えばしたんだけど……」
「なんか珪って人に引っ掻き回されただけな感じだったな」
永も蕾生も思い出してげんなりしながら言うと、鈴心はきょとんとしていた。
「引っ掻き回す?」
「うん。蔵の泥棒は銀騎だろってニヤニヤしながら言ってきてさ」
それを聞くなり鈴心は憤慨しながら声を荒げた。
「銀騎は、お兄様はそんなことしません!」
「うん。だから僕も否定はした。でも僕らがここの所在を銀騎に教えてるんならわかんないだろってずっと疑ってて」
「んんん……」
鈴心は今回の転生では銀騎の身内に生まれたため、銀騎皓矢と星弥を害するものには大きな嫌悪を示す。
永の話を聞いて腹に据えかねているようで、珍しくいつまでも唸っていた。
「終いには銀騎じゃないなら雨辺だろって言って、大人にすげえ怒られてた」
「そんなに短絡的な方には見えなかったのに……」
蕾生の付け足しにも鈴心は意外な顔をして聞いていた。
「珪兄やんはな、今、コレなんや」
すると梢賢が鼻に拳を立てて口を挟んだ。
「天狗になってると?」
「そ。里にビジネスで大金を運んできてくれたからな」
鈴心に綺麗なハンカチを贈っていた珪の姿を永は思い出した。
「楠俊さんが言ってた「今の彼の意見は無視できない」ってそう言うこと?」
「そうや。元々里は自給自足が基本の貧乏村やった。村の運営に係る費用は長年、藤生の莫大な貯金と眞瀬木が呪術で稼いでくる日銭で賄っとった」
「いつまで?」
「いつまでも何も、ほぼ今もや。こんな現代にありえへんっちゅー思うかもしれんけど、事実や」
「えええー?」
さすがの永も薄笑いを浮かべずにはいられない。だが梢賢は真面目な顔で言う。
「ハル坊の疑問は当たり前や。珪兄やんもそう思ったんやろ。あの人は必死に勉強して一流大学に入った。それを卒業するとすぐ里に帰ってきてビジネスを始めたんや」
「もしかして、私がもらったハンカチですか?」
「そ。あれの繊維の正体は藤絹言うてな、この里でしかとれない希少な繊維や。さらに藤絹を編み上げる製法は里の者しか知らん」
そこまで聞いた永は不思議そうに首を傾げていた。
「そんな繊維があるなんて聞いたことないけど」
「そやろな。藤絹の歴史を遡ると、あれは藤生がこの里に落ち着く前──つまり成実家に伝わる秘宝やった。
その製法は帝にすら教えられず、絹よりも美しく丈夫で当時の朝廷では争って買われていたらしいで。
成実が一度は朝廷の覇権をとったのも、その絹があったからとまで言われとる」
「製法が秘匿された不思議な繊維ってこと?植物性?それとも動物性?」
絹によく似た光沢を思い出しながら永が掘り下げようとすると、梢賢は肩を竦めて首を振る。
「ウチみたいな末端には知る由もないわ。藤生の他には眞瀬木しか知らんやろね」
「確かに、あのハンカチはとても綺麗です。市場に出たら人気が出るかも。お値段次第ですけど」
鈴心の一般的な評価に頷きながら梢賢は続けた。
「せやな。正絹よりははるかに安い値段を設定しとる。だから販路さえ確立すれば藤絹を大量生産して大儲け──っていうのが珪兄やんの計画や」
「それが村興しの正体ってこと?」
麓紫村で大人達が話し合っているとはこの事だったかと永は確信していた。
「そう。話を少し戻すけど、藤絹──って言うのは珪兄やんがつけた名前やから、里では単に絹って言うて藤生からわけてもらえる糸やった。
その糸の編み方を藤生から教わって、里のもんは自分らの衣服を作っとった。自給自足の村やからな」
一を聞いて十を知る永は、情報を正確に整理する。
「なるほど!眞瀬木珪は村の人の手に職を与えたんだね!」
「ビンゴや。それまで藤生と眞瀬木の経済力で生かされとった里人が、絹の製法技術で自分で稼げるようになる。それを珪兄やんが確立するつもりなんや」
「え?どういうことだよ?」
永ほど的確に分析できない蕾生が聞くと、梢賢はゆっくりと分かりやすく説明する。
「順を追って言うとな、藤生から糸が精製されるやろ、その糸を里人が編んで布にする、珪兄やんがその布を売る。で、里人は報酬がもらえる。するとどうなると思う?」
「村人の自立が促せますね」
鈴心の答えに満足しながら梢賢は弾んだ声で結んだ。
「その通り!今まで藤生がいないと生きられなかった赤ん坊みたいな連中が、地に足つけて生きていけるようになんねん!」
「そりゃすごいな」
「もう、それは、ひとつの革命だね」
ようやく理解した蕾生も、永さえも感心しきりだった。
「言い得て妙やな。だもんで、今や珪兄やんは時の人。一部の里人の間ではそらもうヒーローやねん」
「ああ、やっとさっきの会議での彼の横柄な態度がわかったよ」
「お金という実にわかりやすい権力をあの人は持っているんですね」
「今の里で珪兄やんに逆らえるのは康乃様ぐらいやろね。墨砥のおっちゃんもなあ、押しが弱いから結局兄やんに言い負かされとるな」
梢賢は一種諦めたような顔で現在の状況を憂いていた。
「でもよ、結局藤絹ってのは何なんだ?肝心の原材料を説明できねえと世間の消費者は納得しねえだろ」
「ライくん、鋭い!確かに、身につけるものの原材料は大事だよ。アレルギーのある人だっているだろうし」
蕾生の投げた疑問を永が大袈裟に褒めそやして追随すると、梢賢は顔をしかめて頷いた。
「そこよ、問題は。それをどうするかって里中の大人が大揉めしてんねん」
「具体的にはどう揉めてるんですか?」
「まず珪兄やんの考えは、製法は特許申請中の企業秘密って言い張ることやね。もしくは上手くでっち上げることも考えてるらしいで」
「急にきな臭くなりましたね」
鈴心が疑いの目を向けると、永も話にならないと言うように肩を竦めた。
「そんなことできる訳ない。嘘で固められた商品を買う人がいると思う?消費者を舐めてるよ」
「せやねん。だから藤絹の製法を明かせって主張する者、儲かるならなんでもいいっていう楽観者、そのふたつに分かれて揉めとるんよ」
「藤生の考えはどうなんです?」
「康乃様は製法は明かせないの一点張りや。墨砥のおっちゃんも珪兄やんもそっち側やな」
「それじゃあ、大量生産して安く売るなんて夢のまた夢じゃない?」
肝心の藤生の同意が得られないなら、珪の事業はまさに絵に描いた餅だ。梢賢もそこのところが頭痛の種のような顔をしていた。
「最終目的はそうなんやろうけど、一部の里人が納得してへんからな。だけど実績を上げないと事業に説得力が出んやろ?だから苦し紛れに今は限られた富裕層にべらぼうな額で藤絹を売っとる」
理想と現実、あまりの違いに鈴心も蕾生も舌を巻いた。
「どんどんきな臭くなるんですが」
「最初の景気のいい話と大違いだな」
「そこが現実のやっかいなとこやな。出自不明だけど綺麗だからいいっていう金持ちしか買わんもんに未来はないよ。けど、今はそれで里が潤ってるから珪兄やんがヒーローなのは変わらん」
「一応結果が出てるから強気なんですね……」
鈴心は少し考え込んでいるが、蕾生は難しい金儲けの話よりも気になることがある。
「梢賢はどうなんだ?」
「うん?」
「藤絹の正体だよ。知りたいのか?」
蕾生にとっての関心ごとは、梢賢はその現状をどう思っているか、だった。
「まあ、そら知れるもんならなあ……。けどこの件に関しては基本雨都に発言権はあらへんのよ。父ちゃんと母ちゃんが会議に出席してるのは中立として議長的なことしとるだけでなあ」
蕾生や永にとっては梢賢が村をどうしたいのかが重要であるのに、肝心の梢賢はどこか他人事で曖昧な回答だった。
なおも永は食い下がる。
「想像したことは?梢賢くんだって藤絹は身近なものなんでしょ?」
「なんや、ぐいぐい来るのう。そやなあ、えーっと、うーんと、言うてもうても大丈夫かなあ……」
「なんだよ、歯切れわりいな」
「言ってしまいなさい。楽になりなさい」
蕾生と鈴心も梢賢に注目している。三人に詰め寄られる様はまるで取り調べのようだった。
「うーん、美少女にそこまで詰められると言うてしまいそう……」
「……」
鈴心の無言の圧が勝利を収めた。
「わかった、言うわ。この里には守り神がおんねん。資実姫様っていうな」
「たちみ……聞いたことないな」
永はこの村に来てから初めて聞く単語の連続で少し戸惑っている。それだけ麓紫村が独自の文化を築いている証拠だ。
「せやろな。元は成実家の守り神で、ここに落ち着いた時に里全体で祀るようになった独自の神様や。今も御神体は藤生家にある。
それが仏教徒であるうちのご先祖がここに来た時に資実姫様が如来様になって、それを拝むためにこの寺が出来たらしいで」
「言うなれば資実如来、ですか」
「寺の名前が実緒寺なのは?」
雨都が持ち込んだ仏教の教えを村の信仰に当てはめたのだろう。おそらく独自の神仏習合が起こったのだと鈴心も永も理解した。
「簡単に言うとな、里では死んだ者は資実姫様の弟子になるんや。で、その死んだ者を資実姫様の元へ導くのが実緒菩薩。寺はその名前を冠してる」
「村人と資実姫を繋ぐ仲介者ってことか。正に雨都にはうってつけの役割ってことだ」
「そうや。ここには独自の宗教が根づいとる」
二人とは理解の差がある蕾生には話題が逸れているような気がしていた。
「それと藤絹になんの関係があるんだ?」
「ここからがオレの想像やねんけど、藤生の絹糸は資実姫様からもたらされてるんやないかって思うねん」
「ええ!?」
驚く蕾生と違って、鈴心はある程度の予想をしていたようだった。
「資実姫は単なる偶像ではないと?」
「まあな。資実姫様は、何かの形で存在してる」
「根拠は?」
鈴心は生まれが銀騎の分家なのですんなりと超常的な説明を受け入れるが、永はもっと現実的だ。厳しい顔で梢賢に聞いた。
「根拠は──これや」
梢賢は三人の目の前に右手をダラリとかざした。するとその五本の指先から白く光る糸のようなものが出てきた。
「!!」
「げっ!」
「なっ!」
永も蕾生も鈴心も、梢賢のその手を見て言葉を失うほど驚いた。
なおも伸び続ける白い糸を、梢賢は五本まとめて右手に巻きつけてから揶揄うように言った。
「おお、こんなん見慣れてんだろうに、リアクションあんがとさん」
「見慣れてるわけねえだろ!」
蕾生は叫ばずにはいられなかった。
銀騎皓矢の術を見た時は敵だと思っていたので心の準備がある程度はできていた。
だが、梢賢のは全く油断していた。ちゃらんぽらんな大学生だとたかを括っていたからだ。
「これは、絹糸?」
梢賢の右手をしげしげと見つめて永は冷静に問うが、梢賢は首を傾げて笑っていた。
「さあなあ、見た目は似てるけど、オレの場合はこんなん一分も持たずに消えてまうよ」
「光沢があって、眞瀬木珪にもらったハンカチの材質に似ていますね。あ、消えた……」
鈴心もその掌に残されたものに注目していたが、件の物と見比べる隙もなく、白い糸はふっと消えた。
「な?姉ちゃんやったらこれで人一人ふん縛って十分は持たせるわ。オレは資質がないねん」
「うっそ、あの優杞さんが?」
「生まれつきの能力ですか?」
永も鈴心も、普通の女性だと思っていた優杞にまで超常的な能力があると聞いてますます驚いていた。
「せやな。ちっさい頃は所構わず糸出して遊んどったわ。すぐ消えるからおもろくてな!」
「雨都の人は皆できるのか?」
「いんや。出せるのは姉ちゃんとオレだけや。その意味はわかるな?」
「?」
蕾生が首を傾げていると、永は真面目な顔になって答えた。
「つまり、銀騎の呪いが解けた後に生まれた子だけが持つ力ってこと?」
「眞瀬木の見立てではな。だから姉ちゃんが初めて糸出した時は家中ひっくり返ったらしいで」
「眞瀬木に見せたってことは、藤生にも知られてるの?」
「そらもちろんや。藤生に隠し事なんてできんよ。眞瀬木に相談したらそのまま藤生に上がってくねん。
で、姉ちゃんの力を見た康乃様が資実姫様の影響かもしれんってな」
梢賢の説明はやはりどこか他人事のような雰囲気だった。
この村では雨都には人権がないような言い回しだ。
「やっぱり当時から藤生の糸に似てるってなったんだ?」
「まあなあ。誰が見てもわかるよ、こんなん。でも藤生の糸と違って、姉ちゃんのはしばらくしたら消えてまった。この力の正体は今もわかってへん」
「──雨都には、でしょ?」
永が挑発するように言えば、梢賢もニヤリと笑って答える。
「勘繰るねえ。確かに、姉ちゃんもオレも年に一回、正月になると藤生に出向いてこの力を見せろって言われとる。あちらさんとしては逐一把握しておきたいんやろな」
「経過を見たがるということは、藤生ではその力の正体がわかっている可能性があるということですね」
鈴心がそう言っても、梢賢は曖昧な姿勢を崩さなかった。
「さあなあ。うちは命令に従うだけやねん。ただ、姉ちゃんの糸もオレの糸もすぐに消えるから、大目に見られてるんやないかなって思う」
「藤生はその糸を物質化できる力があるから、雨都に発現した方は取るに足らない下位のものってことか」
永が言っても梢賢は肯定も否定もしなかった。
「まあ、ウチみたいなもんには想像するだけしかできへんねん。くわばらくわばら」
しかしすっかり盛り上がっている永と鈴心は仮説を立てていく。
「ということは、藤絹の糸は藤生康乃が超常的な力で物質化させている資源だということですね。そしてその力の源が資実姫」
「そう考えれば、藤絹の原材料を明かせないのも納得だよね」
「君らが勝手にそう考えるのは自由や」
二人の想像を聞いてなおも、梢賢はのらりくらりとはぐらかしていた。
「なんか、気に入らねえ」
「うん?」
それまで黙っていた蕾生が少し怒気を孕んだ声で訴える。
「お前らの考えが正しければ、あの珪ってやつは藤生の人に無理させて金儲けしようとしてるんだろ。誰かが犠牲になって村を維持するなんておかしい」
永も鈴心も蕾生らしい考えに頷く。だが、梢賢はそれを嘲るように一蹴した。
「ライオンくんは優しいなあ。でもここではそういう正論は通らんよ」
「え?」
「この里はな、藤生の藤生による藤生のための場所なんや。眞瀬木以下里のもん達は藤生の駒であり、藤生に生かされとる存在や。逆もまたしかりで、藤生は里人を生かす義務がある」
「……?」
梢賢の割り切った言い方に蕾生は眉を顰めたが、構わずに続けた。
「君主は、民のために犠牲になるもんや。だからこそ民も君主に命を賭して従う。それがこの里では当たり前のことなんや」
「封建的だなあ。この村は時間が止まってる」
永は溜息を吐いた後、あまり深刻にならないようにフラットな調子で感想を述べた。
「否定はせんよ。遠い昔、成実が命からがらわずかな従者を伴ってここに逃げてきてから、何も変わってへん」
「……」
全てを諦めているような梢賢の口調は、蕾生の心にモヤモヤを植えつけていく。そんな蕾生の反応を見て、梢賢は笑った。
「ははは、ピュアなライオンくんは受け入れがたいよなあ」
「お前は何とかしたいとか思わないのか?」
「思わんな。何度も言うけど雨都はこの里の客人なんや。オレたちにこの里をどうこうしようっていう権利がそもそもない」
はっきりと他人事だと言ってのける梢賢に蕾生は納得がいかなかった。少なくとも、優杞と梢賢の姉弟には村の影響が強く出ているのに。それも飲み込んで仕方ないで済ませるつもりなのだろうか。
蕾生が口をへの字に曲げて俯いていると、鈴心が優しい口調で言った。
「ライの気持ちはわかります。梢賢の言葉に冷たさを感じているのも。けれどやはり私達部外者にはどうにもなりません」
「まあ、村の人達にそれで不満や疑問がないなら周りがどうこう言うことはできないよね。尤も、誰もそれを持たないこの環境は充分異常だけど」
永が皮肉を絡めて言うと、梢賢も軽く息を吐いて何の感情も出さずに言った。
「だからよ、この話はただの世間話として聞いといてや。オレも君らに里のことを頼ろうとは思ってへん。雨都もどうせここを出るだろうし」
「そうなんですか?」
鈴心が驚いて聞くと、梢賢はあっけらかんとして言ってのけた。
「今すぐってことはないけどな。少なくともオレは里を出るよ。銀騎の呪いは解けたんやからここにいる理由はないやろ」
それは薄情にもとれる言い方だった。梢賢は自分さえよければ村のことはいいんだろうか。それは逃げることにならないか。蕾生にはそういう割り切った考えができないので、梢賢の言葉を飲み込むことができなかった。
「そういう考えがあるのに、雨辺のあの人には調子のいいことを言ってるんですね」
「だからあ!菫さんにはああ言っとかないと何するかわからへんねん!ほんと危険なとこまで来てるんよ!」
鈴心がジロリと睨みながら雨辺についての話を始めると、梢賢は慌てて弁解していた。
それまで他人事だと飄々としていた態度は薄れていた。梢賢には明確な個人的目的があるのだろう。
「ああ、そうだ。この村の状況が面白すぎて本来の目的を忘れてた」
「ひどい!」
永のいじりを受けて急におちゃらけ出す梢賢に、蕾生は苛立って聞いた。
「その雨辺の問題もそうだけど、蔵に入った泥棒の方はどうするんだ?それだけは俺達にも関係あるだろ」
「それについてはオレに心当たりがある」
「ええ?」
ふざけたかと思えば急に真面目な顔になって言う梢賢に、蕾生も混乱してきた。
「なんでさっきの会議で言わなかったの?」
永も少し責めるような口調になっていたが、やはり梢賢は飄々としていた。
「そら、雨辺が関わっとるからや。ここでは雨辺のことだけは禁句、父ちゃん達のおっかない顔見たやろ?」
「ああ……」
眞瀬木珪が会議で雨辺の名前を出した時、柊達と橙子、楠俊でさえも恐ろしい顔で睨んでいたのを永は思い出す。
「ちゅーわけで改めて雨辺をなんとかすんで!」
「でも具体策がないんでしょぉ?」
「そこはハル坊の超絶かしこなトコが頼りやねんで!」
「ええー……」
結局元のノープラン状態を再確認することになり、永は肩を落とした。
するとドスドスと派手な足音を立てて優杞が部屋に乗り込んできた。
「あんた達!いつまで起きてんの!さっさとお風呂入って寝なさい!!」
「はぁい……」
阿修羅のような雰囲気に気圧された四人は従うしかなかった。
雨都家から十数メートル離れた所に眞瀬木の邸宅がある。
そこからさらに数メール離れると、小さな荒屋が建っていた。外見は物置小屋のようだが中は綺麗にリノベーションされおり、珪はここで自分の仕事をしている。
かつてここで起こった凄惨な事件を忘れないために、あえて珪はここに居座っている。
机の上に設計図を広げてじっと考え込む。その頭の中では夥しい計算が渦巻いていた。
一息ついて珪は窓の外を見る。遠くに雨都家の灯りがあった。子どもがとるに足らない計画でも立てているんだろう。
鵺人があんな子どもでは拍子抜けだ。梢賢の動向は注意するべきだが、あいつの行動原理などわかりきっている。
珪はふっと笑った。ついにこれまでの努力が身を結ぶ時がやってくる。あの人の夢を実現する時が。
踊れ。
思う存分踊れ。
そして最後に嗤うのは俺だ。
珪はまた机に視線を移した。そこにはこの計画の要とも言える呪具が、仄暗い光を宿していた。
次の日。雨都家の朝は早い。柊達と楠俊には朝のお勤めがあるからだ。
それが終わるのを待つと、普通の家庭よりは朝食の時間が遅くなる。食べ終わる頃には陽も強くなっていた。
「そうだ、姉ちゃん。自転車貸してくれへん?」
食べ終えた食器を片付けながら梢賢が言うと、姉の優杞は怪訝な顔をしていた。
「あんた自分のがあるでしょうが」
「オレが使うんやないよ。ハル坊達に貸して欲しいねん」
「今日はどっか行くの?」
優杞がそう聞くと、梢賢は目を逸らしながら答える。
「ああ、うん、まあね。せっかくだから高紫で遊ぼう思て」
すぐに嘘だと姉にはわかった。だが両親がまだそこにいたので、仏心で問い詰めるのは止めた。
「……いいけど」
「サンキュー!じゃあ、行くか!」
返事を聞くとすぐに梢賢は立ち上がって永達を促した。早くこの場から去ろうという気持ちがミエミエであった。
「梢賢」
「ピッ!」
父の柊達の低い声が梢賢の動きを止める。
「蔵の件が解決していないのに遊びに行く、だと?」
「だって、大人達の話し合いも終わってへんのやろ?オレ達かてその間ヒマやん!」
苦しい言い訳ではあった。だが柊達は溜息を吐いた後それを許した。
「まあ、そうだな。仕方ない、夕方までには客人共々帰って来なさい」
「ほーい!行こ行こ!」
これ以上の長居は禁物。梢賢は蕾生の背中を押しながら居間を出る。永と鈴心もそれについて家を出た。
「ふー、危なかったで。なんとか誤魔化せたな」
寺の門まで来たところで、梢賢が汗を拭う仕草で言う。永は苦笑していた。
「誤魔化せたのかなあ?」
「少なくとも優杞さんは気づいているようでしたよ」
鈴心が言えば、梢賢はイタズラするような笑顔で優杞の自転車を持ってきた。
「まあ、姉ちゃんはオレの好きにやらしてくれるからな。さっさと街に出ようや!ハル坊と鈴心ちゃんはこれ使い」
「ママチャリなら二人乗りできそうだね。リンが後ろね」
永が荷台に触りながら言うと、鈴心は真顔で首を振った。
「いいえ、とんでもない。私が漕ぎますからハル様が後ろに」
「何言ってんの、そんな絵面目立つでしょ!いいからリンは後ろ!」
とんでもない想像をさせられて、永は慌てた。それは絶対にやってはならない。やるものかという固い意志を示す。
「……御意」
渋々頷いた鈴心を他所に、蕾生は素朴な疑問を投げかける。
「てか、二人乗りなんかして大丈夫か?補導されねえ?」
「おお……意外な人物から意外なご意見」
「なんだと!?」
茶化す梢賢に蕾生は憤慨する。そして少し悪巧みを話すように梢賢は小声で言った。
「まあ、里を出るまでは誰にも会わへんから大丈夫やろ。ただし、街に入ったら即自転車降りて引いて歩くで」
「うん、わかった」
永が頷いて自転車に乗り込む。鈴心も後ろの荷台に座った。梢賢は続けてマウンテンバイクを持ってくる。これが梢賢のものだろう。
「で?俺のは?」
蕾生は辺りを見回して聞いたが、梢賢はヘラヘラと笑っていた。
「あーっと……、ライオン君は足も速いやろ?」
「おい、ふざけんな。自転車に並走できる訳ねえだろ。梢賢の後ろに立つとこねえの?」
掴み掛かろうとする雰囲気の蕾生に、梢賢は大声で抗議した。
「アホちゃうか!オレのヤンバル号はごっつ高いマウンテンバイクやねんぞ!百八十の大男を後ろに乗っけるようにできてへんわ!」
「一番年上のお前が走れよ!」
「いやや!ヤンバル号はオレ専用やねん!──しかたない、この手だけは使いたくなかった」
駄々をこねた後、梢賢はがっくりと肩を落として三人を眞瀬木の屋敷まで連れて行った。
「おー、ルミおったおった」
眞瀬木邸に到着すると、ちょうど玄関先に道着に袴姿の眞瀬木瑠深がいた。
「最悪、朝っぱらから馬鹿が来た」
梢賢の姿を確認した途端暴言を吐く瑠深に、梢賢は猫撫で声で近づく。
「まあまあ、ルミちゃんは朝も早よから修行でえらいなあ」
「なんの用?あんまりあんた達に関わるなって言われてんだけど」
「なんてことないねん。ルミちゃん、今日一日自転車貸してねえな」
「はあ?」
突拍子もないことに思わず声を上げた瑠深だったが、四人を順番に見て、一人だけ自転車を携えていない蕾生を見定めて言った。
「なるほど?そこの大男が使うのね?」
「むっ」
怒りかけた蕾生を制して永が低姿勢で言う。
「すいません、今日は僕ら街に出ようと思って。お願いできません?」
「……わかった。貸してやるから早く行きな」
これ以上関わりたくない瑠深は渋々承知した。
「悪いなあ、あんがとさん」
だがヘラヘラ笑う梢賢に瑠深は当然の要求を突きつける。
「お土産はパティスリーブルーのプレミアムタルト。もちろんワンホールな」
「えっ!?」
「え?」
ギクリと肩を震わせる梢賢に瑠深は圧をかけながら聞き返す。それで梢賢は観念した。
「うう、わかった……」
「──よし。ほら、傷つけたらただじゃおかないから」
満足気に頷いた後、瑠深はスポーツバイクを持ち出して蕾生に釘を刺す。
「おう。ありがとう」
「!べ、別に、タルトにつられただけなんだからね!!」
仏頂面しか知らなかった蕾生が素直に礼を述べたので、瑠深は途端に顔を赤らめて目をそらした。
「あ、ああ……」
乙女の微妙な心は蕾生にわかるはずがない。それを生温い目で見ていた永はなんて綺麗なツンデレだと感心していた。
そうして四人は眞瀬木家を後にする。それを陰から見送る姿には誰も気づかなかった。
「プレミアムタルト、とは?」
山道に向かう途中で鈴心が興味津々で聞くと、梢賢はがっくり肩を落として答えた。
「おお……高紫で一番高いケーキやねん」
「ほほー」
鈴心の瞳がキラリと光る。次いで永も疑問を投げかけた。
「修行って何の?」
「ああ、眞瀬木の呪術の修行をな、そろそろ本腰入れて始めるらしいで。なんせ瑠深は天才やからな」
「と言うことは、兄貴よりも?」
「せやねん。珪兄やんはあんまり向いてないらしい。だから変なビジネス始めたんやろな」
それを聞いて永にも昨日の話の合点が行く。なぜ有力な家の跡取りが事業など始めたのかが少し疑問だった。
「そういうことか……」
いよいよ険しい山道に差し掛かる。永は余計なことに気を回している場合ではなくなった。
昨日乗せてもらった珪の車がどれだけ高級だったかを永は思い知った。
眞瀬木家を出た後、村の道路は古くても舗装されているだけまだましだった。問題は村を出た後。街まで出るための道はほぼ獣道だ。
それでも村と街を繋ぐ唯一の道なので過去に歩いた人間によって踏み固められてはいる。だがそこをママチャリで走るのは論外だった。
後ろに乗っている鈴心は羽のように軽いけれど、道が悪過ぎて永は悪戦苦闘で漕ぎ続けた。梢賢と蕾生は山道を得意とするタイプの自転車なので簡単そうに進んで行く。永はとんでもない貧乏くじを引いたのだった。
「ぜーはー……」
「大丈夫か、永?」
体力バカの蕾生はケロッとしている。永は常にその蕾生が側にいるので虚勢を張る癖がある。
「う、うん。なかなか遠かった……」
「ハル様申し訳ありません。やはり私が漕いだ方が──」
「それだけは絶対させないから!」
鈴心が申し訳なさそうに言うのを遮って、やはり永は必死で見栄を張った。
梢賢の采配が呪わしい。蕾生には最初走らせようとしていたし、山道に不慣れな者にママチャリなんかあてがった。
うまい具合に自分が一番楽な手段を手に入れたのは年の功だろう。そんな風に永が呪わしく思っていることなど考えもしない梢賢は威勢よく腕を上げて宣言した。
「さあて、里を出たからいくらでも内緒話が出来るな!」
「つっても、どこで話すんだ?」
「そら、オレらみたいな若者が腰を落ち着けるとこ言うたらひとつしかないやろ」
梢賢はニヤリと笑って親指で駅前の方向を指していた。
梢賢の陽気な声がハウリングとともに部屋中に響き渡る。
「イエーイ!ほんじゃあ景気付けに一発ウォウウォウ……」
カラオケボックスの一室で、三人はそんな梢賢を白い目で見ていた。
「……あっそう。ノリの悪い子らやわあ」
多勢に無勢、マイクを置いた梢賢は少し拗ねながらウーロン茶を音立てて飲んだ。
「で?蔵の泥棒に心当たりがあるっていうのは?」
「わかったわかった。真面目さんやなあ、もう」
「昨日の話では雨辺が関係してるって言いましたね?」
「うん、そうや」
永と鈴心の問いにも梢賢はつまらなさそうに頷いた。だが永は構わずに続ける。
「でも、一昨日の話ぶりじゃ菫さんは村に来たことがない感じだったけど?」
「そうや、泥棒は菫さんやない。もっと怪しい人物が菫さんの周りをうろちょろしてんねん」
「俺達がまだ知らないやつか?」
蕾生の質問に、永は嫌そうな顔で反応した。
「もう怪しい人はお腹いっぱいだけどなあ」
「ハル坊の気持ちはわかる。けど、あいつの怪しさは桁外れや」
「一体誰なんです?」
鈴心が急かすと、梢賢は少し身を乗り出して何故か小声で喋る。注目して欲しいのだろう。
「オレも苗字しか知らんねんけど、伊藤っちゅーやつや。歳の頃は五十代前半かな。かなりのイケおじや」
「どういう人なの?」
「自称、菫さん母子の後見人。覚えてるか?里の誰かが雨辺を支援してるんじゃないかって話」
「ああ……じゃあその伊藤って人は麓紫村の人なの?」
永は初日にそんな話をしたことを思い出した。村に着いてからはインパクトのある出来事ばかりだったので、既に懐かしい。
「いいや。あんなヤツは見たことがないし、里に伊藤なんて苗字はない」
「意味がわからん」
蕾生がぶすったれて口を曲げると、梢賢はさらに小声で、ゆっくりと言う。
「つまりな、伊藤は仲介人。里の誰かと雨辺を繋いでるんやないかって思うねん」
「まあ、直接支援するのはリスキーだもんね」
「ではその伊藤が書物を盗んだ犯人だと?」
永と鈴心が頷いて聞いていると、梢賢は満足そうに結んだ。
「せやな。伊藤がその誰かに命令されて盗みに入ったとオレは見てる」