それから五分も経たないうちに、先ほどの助産師さんは先生と、それからもう一人助産師さんを連れてきた。
 
 先生は三十代くらいの女性で細身、ショートカットに切り揃えられた栗色の髪が、少しばかり潤いを無くしてパサパサしている。
 
 もう一人の助産師さんはというと、最初の助産師さんとこれまた同年代程の女性で、髪はソバージュ。
 
 今後は分かりやすいように、ふっくら助産師、ソバージュ助産師、と呼ぶことにする。
 
 そして今、私はその助産師たちの行動に、痛みに耐えながら戸惑っていた。
 
「お隣の奥さんのお子さんがね、今年小学生に上がったみたいなんだけど、どうにも引っ込み思案で心配らしいのよ」
「それって男の子? 女の子?」
「男の子よ」
「男の子かあ。それならまだ、しばらくかかるかもね。女の子より男の子の方が甘えん坊が多いじゃない? あ、ママさんは兄弟いるの?」
 
 まさに井戸端会議。その質問の矛先が、絶賛出産中の自分に向いたものだと理解するまでに数秒を要する。
 
「私ですか……私は兄と姉がいます……うっ!」
「お母さん、お尻を台から上げないで。あぶないから」
 
 広げた足の向こうで、先生は何かを準備しながら、痛み耐える私に冷静に言う。
 
 先生は助産師同士の世間話になど特に興味もないようで、淡々と仕事をこなしていた。
 
 歯を食いしばり、身を捩らせるようにもがく私の右膝を、ソバージュ助産師がそっと手のひらで包み込む。
 
 その瞬間、私の左手を握っていたパートナーと不意に視線が噛み合った。
 声は出さずとも、おそらく考えていることは同じ。
 
 これは一体、何の時間だろうか。
 
 陣痛という名の痛みが始まってから約一時間半。私は今尚、分娩台に脚を広げて座っていて、その立てられた膝を一人の助産師にこねくり回されている。
 
 それはまるでボーリングの球を拭き上げるように丁寧に、ゆっくり。
 
 無論、この動作は私の気持ちを落ち着かせるための所作などではなく、手持ち無沙汰で行き場ない助産師の手の収まりどころが、私の右膝になったに過ぎない。
 
 間違いない。いや、絶対にそうだ。
 
「へえ。ママさん、三人兄弟の末っ子さんかあ。上二人に揉まれて世渡り上手になるものね、どうりで我慢強いわけだ。実を言うとね、陣痛で泣き叫んでパニックになっちゃう子もいるのよ。その点ママさんは痛みに強い方だと思うわ」
 
 ねえ? とソバージュ助産師が言えば、ふっくら助産師がうんうんと頷く。
 
 痛みに強い? 馬鹿な。もう我慢の限界などとっくに過ぎている。心理学の本か何かで見たけれど、実験で電気の流れる床に置かれた犬は、定期的に電流の衝撃が走るその床から逃れる術がないことを悟ると、それまでウロウロもがいていた抵抗を止め、大人しくなる。
 更には翌日、柵さえ飛び越えればその電流の床から逃れられる状況に置かれても、犬はその場に留まったまま、柵を飛び越える行動は起こさない。
 
 これを、学習性無力感という。
 
 長期にわたり逃れられない苦痛やストレスに晒され続けると、何をやっても状況を改善できないという感覚を学習してしまい、そこから逃れようとする努力を放棄し無反応になってしまう現象。
 
 私は今まさに、この学習性無力感に陥っているに過ぎないのだ。
 
 泣いても叫んでも、痛みから逃れられる術はひとつ。そのタイミングの目処が経たない以上、私はゴールの見えないマラソンを走り続けるしかない。
 
「先生……もう、無理です」
「いやいや、無理ではありません。今子宮口一円玉くらいですから。もうすぐもうすぐ」
「一円玉って。それ、一体何円玉になったら産めるんですか」
 
 途端。助産師の二人と先生が同時に噴き出した。
 
「ママさん、冗談が言えるなんて余裕ですね。何円玉って……いや、お強いお強い。そうですね、五百円玉くらいですかね」
 
 なんだか急に和やかな空気が分娩室を満たしたが、パートナーに向けた私の顔には眉間に皺が寄り、その表情から彼も私の言わんとしていることを悟る。
 
 彼は気まずそうに団扇を顔に向けて仰いできたが、またそれが今までで一番上手であることにも腹が立った。
 
 冗談——じゃ、ないわ。