隷属紋とは古代魔法帝国期に開発された人間に魔術刻印を施し、術者の意のままに従わせる術式である。

魔術を使えない人間を奴隷として扱うための術式として生み出された隷属紋は、帝国の崩壊と共に魔術の才能の有無による身分制度も否定された現在、世界中の大半の国で奴隷制度そのものが禁止されている。

隷属紋は使用するどころか知識を得たり習得することすら禁止事項にされており、“叡智の塔”が魔術師たちを厳しく取り締まっているのだ

このため現代の魔術師たちはその存在を知ることすら難しい魔術となっているのだが、抜け道がないわけでもない。

「恐らくこれはどこかの術者が、遺跡から発掘された魔術書の知識を元に不完全な術だけど何とか改変して復刻したものなんだろうね。術式を簡易化したせいで命令に対する絶対性も失われているよ」

「それでは解除防止用の妨害術式も大したものではないと?」

隷属紋は奴隷である私有財産を盗まれないよう、妨害術式と呼ばれる罠のような魔術を仕込まれていることが多い。

術者以外が解除しようとすると対象の体に激痛が走ったり、最悪心臓が破壊されるなどかなり悪質な魔術がしかけられているので、隷属紋を解除するときはまずこの妨害術式の探知と解除が必須となるのだ。

しかし魔術にはそれぞれを組み上げのに必要な魔素の容量が決まっており、組み上げ方を簡単なものにすれば、必要な魔素の総量を減らし魔術の発動を簡略化することができるメリットがあるものの、組み込める魔素の量が減るため魔術の効果自体が減退してしまうというデメリットも抱えてしまう。

即席で作った小さな箱に沢山の重い荷物を入れれば、すぐにそこが抜けてしまうのと同じようなものだ。

「うん、そうだね。こんな粗雑に術式をくみ上げてしまったら、とても複雑な妨害魔術を乗せる余地なんてないよ。この程度なら簡単に消せるから、今から解除するね」

キルシュがシュールの胸に刻まれた赤い隷属紋に指を這わせると、“解呪”の魔術により指先が青白く光り、触れた箇所の刻印が消えていく。

「う……ううん?」

するとシュールが妙な声をあげて体をねじったので、キルシュは“解呪”を停止して尋ねた。

「おや、ごめん。痛たかったかな?」

「い、いえ。触れられた箇所がくすぐったく感じたものでつい……。失礼しました。もう大丈夫ですので続けてください」

「ああ、なるほど。確かに変わった感触がするだろうね。では続けるよ。違和感があったらすぐに教えてね」

それから数分の後、何事もなく処置は済み“解呪”が完了した。

「よし、これで完了だ。違和感とかないかな?」

「いえ、特にありません」

「いいね。さて、あとはエーリカちゃんなんだけど……」

キルシュがエーリカに視線を向けながら、シュールに質問を投げかけた。

「その前に確認しないといけないことがあるね。前に見た時に思ったけど、エーリカちゃんはただの獣人じゃないよね?」

「そ、それは……」

キルシュから思いがけない指摘を受けたシュールは、視線を逸らし口ごもった。

確かにエーリカは銀髪に赤い瞳、雪のように白い肌と人間離れしてた容貌をしているが、これはもしや……。

「キルシュ、まさか彼女はホムンクルスですか?」

俺は“叡智の塔”で学んだ知識を思い出していた。

ホムンクルスとは魔法帝国時代に生み出された人造の人間のことである。

労働力や実験材料として作り出された種族で、帝国時代の最盛期にはかなりの数のホムンクルスが精製されたらしいが、現代の魔道技術で製造することはでない。

僅かな数のホムンクルスが遺跡から発掘されることがあるが、そのほとんどが機能停止しており動いているホムンクルスはかなり珍しい。

“叡智の塔”としては人為的に生命を創り出すことの是非について魔術師間で結論が出ておらず、ホムンクルスの研究は実質的に凍結されているのが実情だ。

「うん、最初に彼女を見た時にその考えが頭をよぎってね。…それにしても珍しい。普通ホムンクルスといえば人間をベースにしたものだけど、彼女は獣人をベースにした素体みたいだね」

「……」

キルシュにエーリカの正体を指摘されたシュールは、しばらく沈黙していたがやがて重くなった口を開いて答えた。

「……はい、その通りです。彼女は獣人をベースにしたホムンクルス、です」

「なるほど…。これは事態が色々と込み入ってきたね。どうして獣人タイプのホムンクルスが存在しているのか、君と彼女の関係は、とか質問したいことだらけなんだけど、多分これらの質問には今答えられないよね?」

「……」

キルシュの問いにシュールは沈黙で答えた。

「分かった。今はその件についての質問は止めておくよ。しかし彼女がホムンクルスとなると、隷属紋の解除はかなり難しいものになるね……」

「と、おっしゃると?」

「ホムンクルスは人間でいうところの心臓の部分に魔石が埋め込まれていてね。それが動力源となってホムンクルスは動いているんだけど、隷属紋と魔石は体内の魔道回路で直結させられているんだよ。つまり隷属紋と魔石は連動しているわけだね。この状態で一方だけの情報を書きかけるとどうなるか? 受信側の情報を受け取るコードが対応していないために処理のエラーが引き起こされるんだ。そうすると受信側に深刻な不具合が発生するわけね。その具体的な例としては……」

「キルシュ、キルシュ。また始まってますよ」

俺はまた専門的な話を語り始めたキルシュを制止した。

当然のことながら、シュールは話についていけず唖然としている。

エーリカはというと、そもそもこの話も含めてキルシュの会話にこれといった反応を見せていない。

話を理解できていないのか、それとも理解した上であえて反応がないように見せているのか、今の彼女の態度からは察することができなかった。

もっともキルシュがこの話をしている思惑が別のところにあるのだとしたら、シュールはえらく芸達者な男とみるべきなのだが……。

「ああ、ごめんごめん。また一人で話続けてしまったようだね。興味のある分野だと話が止まらなくなるのはボクの悪い癖だ。とりあえず話を戻すとして、彼女の隷属紋は一般的なホムンクルスの構造と同じように、動力源である魔石と直結しているはずだ。このまま隷属紋だけを解除しようとすると、連動している魔石の動作に深刻な影響が発生する可能性が高いね」

「つまり現時点で隷属紋を消すことは得策ではない、という事なのですね?」

「端的にまとめてくれてありがとう、ザイ。エーリカちゃんの隷属紋を安全に消すには魔石の魔術回路の切り離しと情報の書き換えが必要になるんだけど、それには専用の設備が必要になるんだよ。その時は彼女の体を詳しく調べることになるから、処置を受け入れるかどうかはそれを踏まえて判断してね」

シュールはしばらく時間を置いた後、こう答えるのだった。

「……少し考えさせてください」