これは体に情報を伝達して指令を流す中枢神経と呼ばれる部位が、一時的に魔術によって“麻痺”させられているからだ。
キルシュが使用した“麻痺”の魔術は、視界内にいる対象の動きを一時的に麻痺させる魔術だ。
魔素をコントロールして対象の神経に複雑な制御をかけるため効果対象が一度に一体と限られてしまうが、行動の自由を奪える効果は非常に高い。
残ったホブゴブリンはディートリヒが制圧していた。
ハルバートは多様な攻撃手段をもつ優秀な長柄武器だが、彼はそれを遺憾なくその性能を発揮させている。
長柄武器の利点は、剣などの近接武器に比べて圧倒的といえるその射程の長さだ。
一体目のホブゴブリンを槍の部分で腹を貫き、続く第二撃はハルバードを右に払い隣にいるホブゴブリンの胸元に斧の部分を叩きつける。
これらの攻撃の間、ロングソードやショートソードを装備しているホブゴブリンたちは一切ディートリヒに反撃できないでいた。
剣などの近接武器が自分の間合いに入ってくる前に、ハルバードであれば叩く、薙ぐ、斬る、払うなど相手の動きに対応した攻撃を繰り出すことで、一方的な戦況に持ち込めるのだ。
勿論この戦術に対処法がないわけではないが、槍の扱いに習熟した戦士の隙をつく事は至難の技である。
最後に残ったホブゴブリンは仲間たちが一瞬で制圧されたことを見ると、こちらに背を向けて部屋の奥にある厨房の方向に脱兎のごとく逃げ出した。
自分の不利を悟るや躊躇なく撤退を選ぶ姿勢は戦術的に間違っていない。
しかし目の前の相手が悪かった。
「逃がさねぇよ!」
ディートリヒは投擲用の短槍を取り出すと、逃げるホブゴブリンの背に向けてそれを投げた。
ドスッという鈍い音と共に背中に投げ槍が突き刺さり、口から血を吹きだしながらホブゴブリンは床に倒れ伏す。
「ホブゴブリン三体を一人で片付けるとはやるな」
ここにいた全ての敵が制圧されたことが確認できたので、俺は手首を切り落とした男の体をロープで縛り、切断した腕の断面を包帯で覆いきつく縛る。
このままだと出血多量で意識を失い、尋問に差し障りがでるからだ。
「さっきあれだけの数のゴブリンを一人で斬り殺してきたアンタに言われても、嫌味にしか聞こえねぇよ」
「いや、これは俺が護衛士として感覚と肉体の強化を行っているからの結果であって、強化が一切ない状態でこれだけ動けているあんたは戦士として中々なものだと思うぞ」
「ありがとよ。ただまぁ……そうだよ。あんたのいう通り、俺はすでに冒険者としての自分に限界を感じてる。修練を重ねてここまではこれた。たが、これ以上自分が伸びるイメージも湧かねぇんだよ」
イメージする事は大切だ。
イメージできるということは、ある程度のレベルでそれを実現できる可能性がある。
しかし自分がイメージできないことは、自分の力だけで実現することはまず不可能だと言える。
自分が想像できない事は今の自分の能力をはるかに超えたものであるからだ。
キルシュが“麻痺”によって体の自由を奪った男にもロープを用いて拘束しながら、俺は自分の持つ考えをディートリヒに述べた。
「肉体の限界なのか才能の限界なのかそれは神ならぬ身で分かるはずもないが……。可能性があるならそれに賭けてみるのも一つの手だろう。護衛士になったからといっていきなり強くなるわけはなく、それなりの時間修練する必要があるがな。それでも伸びしろが生まれるのは悪くない選択だと俺は思う」
「あんたも自分の力に限界を感じたから、護衛士を目指したのか?」
「いや、俺は……なんでもない」
「……?」
キルシュの方に一瞬目をやって、俺は言葉を濁した。
俺が護衛士になった理由はただ一つなのだが、その理由を本人の前でいうことはさすがに憚られた。
愛した人の傍らにいるためというこの想いがキルシュに通じているかどうか分からないし、ましてやストイックに自分の戦士としての限界に悩んでいるディートリヒにする話でもないだろう。
麻痺している男の拘束も終えて、俺はキルシュに尋問に準備が完了したことを伝える。
「キルシュ、拘束完了しました。どうぞ」
「ありがとうザイ。じゃ、そろそろ尋問を開始しようか。この部屋でも行方不明になった冒険者たちに繋がるものは見つからないからね。分からない事は分かる者に尋ねるのが手っ取り早いよね」
パチンとキルシュが指を鳴らすと、“麻痺”の魔術が解かれて男は体の自由を取り戻した。
「ぷはぁッ……はぁ……はぁ……。お、俺に何をしたんだ?」
“麻痺”に初めてかかった対象は、神経伝達が阻害され体の大半の個所に電気による信号が十分に送れなくなるため、頭で考えた行動がまったく取れなくなるという恐らく生まれて初めての経験を味わう事になる。
全身の筋肉が緊張したまままったく動かせない状態に陥るため、拷問に近い状況に陥らされるのだ。
キルシュを見る男の瞳に恐怖の色が浮かぶのも無理のないことである。
「“麻痺”の魔術で君の体の自由をほんの少しだけ奪っただけだよ。さて、自分の置かれた状況はよく分かっていると思うから余計な説明は省くね。単刀直入に聞くよ、君の知っていることを全て教えてもらいたい」
「……」
男は無言で顔を横に向け、拒否の意思を見せた。
キルシュの魔術に恐怖を感じているようだが、秘密を漏らすことにはそれ以上の恐怖を感じているようだ。
この男の立ち居振る舞いを見るに忠義心など皆無である匹夫の野盗の類に見えるので、矜持などではなく圧倒的な恐怖のせいで口を閉ざしていると見るべきだろう。
「素直に話すつもりはなさそうだな。こりゃ拷問するしかないんじゃねぇか?」
魔物に協力していたと思われるこの男はすでに論外であるが、野盗や強盗、奴隷商や麻薬商など道を踏み外した人間に対して世界の法は厳しい。
発覚した時点で問答無用で斬首など極刑が下され、基本的には情状が酌量される余地はない。
ディートリヒの発言はごく当たり前の発想なのだが、この男が口を閉ざしている原因が恐怖だとしたら多少の尋問では口を割らないだろう。
しかしキルシュはこのような状況に対しても様々な交渉のカードを用意している。
「いやぁ、それは徒に時間を消費するだけで成果が上がりにくい方法だね。恐怖で口を閉ざしている者の口を開かせるのは中々に苦労するよ。心に壁を作ってしまってるからね」
「だからといってキルシュさんよ、手をこまねいていても事態は変わらないぜ」
「その通りだね、ディードリヒくん。こういう時はね、無理に壁を打ち壊すより横からすり抜けさせてもらったほうが効率がいいんだよ」
キルシュが男の瞳を見つめると、顔の横に指を寄せてもう一回パチンと音を鳴らした。
すると瞳が死んだ魚のように灰色に濁り、表情が弛緩して口が半開きの状態になる。
そして、もう一度キルシュが男に質問した。
「さて、ではもう一度やり直そう。ボクの質問に答えてくれるかな? まずはキミの名前を教えて」
「……オルフ……です」
キルシュが使用した“麻痺”の魔術は、視界内にいる対象の動きを一時的に麻痺させる魔術だ。
魔素をコントロールして対象の神経に複雑な制御をかけるため効果対象が一度に一体と限られてしまうが、行動の自由を奪える効果は非常に高い。
残ったホブゴブリンはディートリヒが制圧していた。
ハルバートは多様な攻撃手段をもつ優秀な長柄武器だが、彼はそれを遺憾なくその性能を発揮させている。
長柄武器の利点は、剣などの近接武器に比べて圧倒的といえるその射程の長さだ。
一体目のホブゴブリンを槍の部分で腹を貫き、続く第二撃はハルバードを右に払い隣にいるホブゴブリンの胸元に斧の部分を叩きつける。
これらの攻撃の間、ロングソードやショートソードを装備しているホブゴブリンたちは一切ディートリヒに反撃できないでいた。
剣などの近接武器が自分の間合いに入ってくる前に、ハルバードであれば叩く、薙ぐ、斬る、払うなど相手の動きに対応した攻撃を繰り出すことで、一方的な戦況に持ち込めるのだ。
勿論この戦術に対処法がないわけではないが、槍の扱いに習熟した戦士の隙をつく事は至難の技である。
最後に残ったホブゴブリンは仲間たちが一瞬で制圧されたことを見ると、こちらに背を向けて部屋の奥にある厨房の方向に脱兎のごとく逃げ出した。
自分の不利を悟るや躊躇なく撤退を選ぶ姿勢は戦術的に間違っていない。
しかし目の前の相手が悪かった。
「逃がさねぇよ!」
ディートリヒは投擲用の短槍を取り出すと、逃げるホブゴブリンの背に向けてそれを投げた。
ドスッという鈍い音と共に背中に投げ槍が突き刺さり、口から血を吹きだしながらホブゴブリンは床に倒れ伏す。
「ホブゴブリン三体を一人で片付けるとはやるな」
ここにいた全ての敵が制圧されたことが確認できたので、俺は手首を切り落とした男の体をロープで縛り、切断した腕の断面を包帯で覆いきつく縛る。
このままだと出血多量で意識を失い、尋問に差し障りがでるからだ。
「さっきあれだけの数のゴブリンを一人で斬り殺してきたアンタに言われても、嫌味にしか聞こえねぇよ」
「いや、これは俺が護衛士として感覚と肉体の強化を行っているからの結果であって、強化が一切ない状態でこれだけ動けているあんたは戦士として中々なものだと思うぞ」
「ありがとよ。ただまぁ……そうだよ。あんたのいう通り、俺はすでに冒険者としての自分に限界を感じてる。修練を重ねてここまではこれた。たが、これ以上自分が伸びるイメージも湧かねぇんだよ」
イメージする事は大切だ。
イメージできるということは、ある程度のレベルでそれを実現できる可能性がある。
しかし自分がイメージできないことは、自分の力だけで実現することはまず不可能だと言える。
自分が想像できない事は今の自分の能力をはるかに超えたものであるからだ。
キルシュが“麻痺”によって体の自由を奪った男にもロープを用いて拘束しながら、俺は自分の持つ考えをディートリヒに述べた。
「肉体の限界なのか才能の限界なのかそれは神ならぬ身で分かるはずもないが……。可能性があるならそれに賭けてみるのも一つの手だろう。護衛士になったからといっていきなり強くなるわけはなく、それなりの時間修練する必要があるがな。それでも伸びしろが生まれるのは悪くない選択だと俺は思う」
「あんたも自分の力に限界を感じたから、護衛士を目指したのか?」
「いや、俺は……なんでもない」
「……?」
キルシュの方に一瞬目をやって、俺は言葉を濁した。
俺が護衛士になった理由はただ一つなのだが、その理由を本人の前でいうことはさすがに憚られた。
愛した人の傍らにいるためというこの想いがキルシュに通じているかどうか分からないし、ましてやストイックに自分の戦士としての限界に悩んでいるディートリヒにする話でもないだろう。
麻痺している男の拘束も終えて、俺はキルシュに尋問に準備が完了したことを伝える。
「キルシュ、拘束完了しました。どうぞ」
「ありがとうザイ。じゃ、そろそろ尋問を開始しようか。この部屋でも行方不明になった冒険者たちに繋がるものは見つからないからね。分からない事は分かる者に尋ねるのが手っ取り早いよね」
パチンとキルシュが指を鳴らすと、“麻痺”の魔術が解かれて男は体の自由を取り戻した。
「ぷはぁッ……はぁ……はぁ……。お、俺に何をしたんだ?」
“麻痺”に初めてかかった対象は、神経伝達が阻害され体の大半の個所に電気による信号が十分に送れなくなるため、頭で考えた行動がまったく取れなくなるという恐らく生まれて初めての経験を味わう事になる。
全身の筋肉が緊張したまままったく動かせない状態に陥るため、拷問に近い状況に陥らされるのだ。
キルシュを見る男の瞳に恐怖の色が浮かぶのも無理のないことである。
「“麻痺”の魔術で君の体の自由をほんの少しだけ奪っただけだよ。さて、自分の置かれた状況はよく分かっていると思うから余計な説明は省くね。単刀直入に聞くよ、君の知っていることを全て教えてもらいたい」
「……」
男は無言で顔を横に向け、拒否の意思を見せた。
キルシュの魔術に恐怖を感じているようだが、秘密を漏らすことにはそれ以上の恐怖を感じているようだ。
この男の立ち居振る舞いを見るに忠義心など皆無である匹夫の野盗の類に見えるので、矜持などではなく圧倒的な恐怖のせいで口を閉ざしていると見るべきだろう。
「素直に話すつもりはなさそうだな。こりゃ拷問するしかないんじゃねぇか?」
魔物に協力していたと思われるこの男はすでに論外であるが、野盗や強盗、奴隷商や麻薬商など道を踏み外した人間に対して世界の法は厳しい。
発覚した時点で問答無用で斬首など極刑が下され、基本的には情状が酌量される余地はない。
ディートリヒの発言はごく当たり前の発想なのだが、この男が口を閉ざしている原因が恐怖だとしたら多少の尋問では口を割らないだろう。
しかしキルシュはこのような状況に対しても様々な交渉のカードを用意している。
「いやぁ、それは徒に時間を消費するだけで成果が上がりにくい方法だね。恐怖で口を閉ざしている者の口を開かせるのは中々に苦労するよ。心に壁を作ってしまってるからね」
「だからといってキルシュさんよ、手をこまねいていても事態は変わらないぜ」
「その通りだね、ディードリヒくん。こういう時はね、無理に壁を打ち壊すより横からすり抜けさせてもらったほうが効率がいいんだよ」
キルシュが男の瞳を見つめると、顔の横に指を寄せてもう一回パチンと音を鳴らした。
すると瞳が死んだ魚のように灰色に濁り、表情が弛緩して口が半開きの状態になる。
そして、もう一度キルシュが男に質問した。
「さて、ではもう一度やり直そう。ボクの質問に答えてくれるかな? まずはキミの名前を教えて」
「……オルフ……です」