“念話”が切断されて少ししてから、キルシュが薬草とポーションが入った袋を手にしてこちらに向かってきた。

「いや、お待たせしたね。ボクは魔術師のキルシュ、紹介はザイがしてくれているかな。早速だけど怪我を見えてもらっていいかな?」

二人の獣人が頷くのを確認して、キルシュは診断を始める。

「これは酷いね……。全身に打撲と擦過か。よくこんな体で逃げてこられたものだ。とりあえず治癒をかけておこう」

キルシュがエーリカとシュールに“治癒”の魔法をかけると、全身についてた擦過傷がみるみるうちに消えていく。

痛みからも解放されたようで、シュールが傷が消えた自分の体を見て驚きの声を上げた。

「す、凄い……」

「本当はもう少し強い治癒をかけておきたいところだけど、その体力だとよろしくないね。とりあえず今は栄養をつけてもらうほうが大事だ。これ、食べられるかな?」

そう言ってキルシュが二人に差し出したのは、俺が昼食用に用意しておいたサンドイッチの入っているバスケットだった。

ローストビーフがサンドされているパンを見たエーリカとシュールは、それを鷲掴みにすると貪るように食べ始めた。

「ああ、そんなにがっついて食べると喉を詰まらせるよ……って、言わんこっちゃない。はい、これ水ね」

ロクに噛まずに飲み込むように食べ続けたため、息が詰まってむせるシュールの背をさすりながら、キルシュは水袋を差し出す。

エーリカも必死にサンドイッチに喰らいついている。

どうやら二人とも、まともな食事をとるのも久しぶりらしい。

「すまないね、ザイ。折角昼食として用意してくれたサンドイッチだけど、今は二人にちゃんとした食事を取らせる必要があると思ってね。」

「いえ、正しい判断だと思います。それよりキルシュ、二人の胸元にある紋章ですが……」

「ああ、ザイも気づいたんだね。まさかこんな場所で禁呪を目にすることになるとは思わなかったよ。まさかボクたちが知らない間にこの国では奴隷化が承認されていた……とかいうことはないよね?」

「アルテンブルク王国を含め、現在世界に存在する国家の中で奴隷制度を認めている国家はありません。未開地では例外があるかもしれませんが、それにしても異常な事態です」

「そうなると益々この地域で現在おかしな事が起きているわけだね。冒険者の極端な減少に隷属紋が刻まれた獣人の親子、か……」

エーリカとシュールの胸元に刻まれた紋章は、隷属紋と呼ばれる対象を強制的に術者に隷属させる魔術刻印である。

古代魔法帝国において貴族階級であった魔術師や魔法使いたちが、己の所有物である奴隷を隷属させるために用いていたとされるもので、“叡智の塔”では禁呪に指定されている禁断の代物だ。

人間の心を支配する精神属性や呪い属性の魔法はその大半が人間に対しての使用を禁止されており、人間の国家間でも奴隷制度そのもののが法によって厳しく制限されている。

人間を奴隷として扱う事は国家からも魔術師の世界からも異端者として排斥されるのだが、二人恩話からするとそれを平然と行う者たちが現在この王国に存在しているのだ。

本来はあり得ないものであるはずの隷属紋を目にした俺は、この国に起きている異変の予兆を感じ戦慄を覚えるのだった。

それから俺たちは馬車に戻り、一路ディリンゲンの町を目指して歩みを進めた。

エーリカとシュールはやはり親子であることが、シュールの話により明らかになった。

獣人の親子は置かれていた状況からしても、魔術師であるキルシュが一時保護する必要があると判断し、ディリンゲンに同行してもらうことになった(勿論、二人の運賃は支払い済みである)。

その道中話を聞き出してみたところ判明したのは、二人は遥か西方のシュパンダウ連邦の出身であり、かの地の妖術師に捕らえられ奴隷商人に売られたという事だった。

妖術師とは“叡智の塔”に所属していない魔術師の事を指す。

「シュパンダウ、かぁ。確かにかの国は“叡智の塔”の影響が及びにくい特殊な国家だったね。モグリの魔術師……ああ妖術師だったね、それが人身売買なんてロクでも無いことに手を染めてる者がいるなんて事を耳にすると、同じ魔術の徒として恥ずかしくなるね」

シュールから一連の話を聞いたキルシュは、彼にしては珍しく生の感情を表に出し忌々しそうに顔を歪めた。

人に非ざる力を持つ魔術師はそれ故にこそ掟を守り、己を厳しく律しなくてはならない。

さもなければ古代魔法帝国の貴族のように、人を人とも思わずモノのとして扱う外道になり果てるのだ。

「今回の件に“叡智の塔”は無関係と見ていいでしょうか?」

「だろうね。“叡智の塔”に所属する魔術師がそんなことをしていると発覚したらタダじゃ済まないよ。それはさておき、王国内で人身売買を行っている連中がいるということのほうがが問題だよ。流石に見過ごせないね、これは……」

前述したようにこの国で獣人はとても珍しい種族だ。

それを奴隷化して飼ってみたいと考えるような犯罪者が、この国の貴族の中にいることがシュールの話から分かった。

彼らの主人である奴隷商が、

「恐れ多くもこの国のお貴族様がお前たちをご所望だそうだ。せいぜい大事にされるんだな」

と二人に嬉しそうに語り聞かせていたそうだ。

しかしエーリカとシュールの搬送に手間取り、納期が差し迫ったことに焦りを感じた奴隷商は(違約金の金額が高いようで、しきりに急がねばと言っていたらしい)、街道を外れて裏道であるティリンゲンの待ち周辺の林を通り抜けようとしたらしい。

確かに林を突っ切ることができれは一気に旅程を縮めることができるのだが、この判断が裏目に出た。

「なるほど、道を急ぐあまり林に張られたギガントスパイダーの巣に突っ込んでしまったわけか」

俺の意見にシュールが首肯する。

「はい……。馬車が襲われて、その商人も喰われてしまいました。そこで逃げ出せるチャンスではないかと思ったんですが、この娘を連れて逃げ出したら蜘蛛がもう一匹いまして……」

「そいつに追跡されたわけだな。一つの巣に複数の蜘蛛が生息していることは珍しくない」

ギガントスパイダーは群れで行動することが多い。

洞窟や森にひっそりと張り巡らされた巣に入り込んでしまい、そこで待ち受けていた魔物の巨体に目を奪われていると、いつの間にか何匹ものギガントスパイダーたちが背後に回り込んでいるという事態は割とよく起きる事だ。

駆け出しの冒険者などは特にこの罠にかかりって命を落としやすい。

「なるほど、これでこの魔物が平地に現れた事に合点がいったね。その奴隷商から話を聞きだせなかったのは残念だけど、とりあえず君たち親子を保護できたことは良かったよ。ああ、それからその隷属紋についてだけど、術式の解析ができれば消せるはずだよ」

「こ、これを消せるんですか!?」

キルシュの言葉にシュールが驚きを露わにした。

隷属紋とは魔術による刻印を対象の体に刻み、魂を呪縛することで対象を支配下に置く物だ。

紋が刻まれた対象は、術者の言動に一切逆らう事が出来なくなってしまう。

かといって無理に紋を剝がそうとすれば、刻まれている魔術刻印が対象の心臓を止めるよう作用するため物理的な方法では解除できないようになっている。