『うっかり種付け成功しちゃって』
その文章を見た瞬間、私はオフィスのデスクで脱力した。私が今読んでいたのは、エロゲーの台本かなんかだっただろうか。
いや、そんなわけはない。私が今読んでいたのは、十二歳以上対象ノベルゲームのシナリオだ。
話の流れ自体もちょっとどうかとは思うが、そこはライターの領分だ。口を出せることじゃない。しかしそれにしたって、この単語。
これは、いくらなんでもまずいだろう。
「せんぱーい」
私は隣で作業していた男性社員に声をかける。
「ちょっと見てほしいんですけど」
「なに?」
先輩が椅子を動かして、私のパソコン画面を覗き込む。私はわかりやすいように、シナリオの該当箇所をドラッグして色を変えた。
「この表現、さすがにセンシティブ判定まずいと思うので、ライターさんに変えてもらうよう指示出せませんか」
私にはライターに直接意見するような権限はない。上に報告して、ライターと直接やりとりをしてもらう。しかし。
「まずい? なんで。どこが?」
きょとん、とした先輩に「マジかよ」と思った。
種付けって。AVでしか言わんだろうそんな表現。現実の女に言ったら殴られても文句言えんぞ。エロ本読み過ぎか。
そう思ったのをぐっとこらえて、やんわりと指摘する。
「種付け、って言葉、あんまり一般的じゃない気がするんですよね。うちのゲーム、低年齢層もプレイするじゃないですか。女性ユーザーも多いですし、無難な表現にした方が安心だと思いますよ」
この業界では自身もアニメやゲームが好きなオタク層が多いので、男性の中でも特に感覚が麻痺している人が多いのはもはや把握している。
先輩に真正面から「これはおかしいだろう」と嚙みついたところで反感を買うだけなので、できるだけご機嫌を損ねないように伺わないと話を通してもらえない。
なるべく丁寧に軽い調子で告げたが、先輩は渋い顔をした。
「そうかぁ? 別に俺は普通だと思うし、いいだろそんくらい」
だから、お前の普通は、世間様の普通じゃねぇ。
という言葉を何とか飲み込んで、食い下がる。
「絶対変えろ、ってことじゃないんで。ただ、いいのかなーって確認を一回挟むだけっていうか」
「あのさぁ。ライターだってプロなんだからさ。そういうのって、表現の内じゃん? 俺らが意見することじゃないだろ」
「でも、最近はこういうの、特に気にされるでしょう。せっかくゲーム好調なんですから、なるべくネガティブな反応は避けたいじゃないですか」
年下の女に自分の意見を否定されたことが気に食わなかったのか、先輩は目に見えて不機嫌になった。
「あーそう。そこまで言うんだったら、直接主任にかけあえよ。俺は問題無いってちゃんと言ったからな。お前だけの意見だって説明しろよ」
言い捨てて、先輩は自分の仕事に戻った。これ以上話を聞く気はないだろう。
溜息を吐いて、仕方なく私は主任に相談しに行った。
「主任。ちょっと、シナリオで確認していただきたいことが」
「うーん、今忙しいんだけど。野崎くんは何だって?」
「主任に直接確認してほしいと」
「そうか、仕方ないな」
やれやれ、と言いたげな様子で、主任は私に向き直った。
私はシナリオを印刷し、該当箇所にマーカーを引いたものを主任に見せた。
「ここの台詞なんですけど。センシティブな単語だと思われるので、別の表現に変えなくて良いか、ライターさんに確認取ってもらえませんか」
「センシティブ? これが?」
怪訝な顔で、主任はプリントを手に取った。
「別にどこもおかしくないと思うけど」
「種付け、という言葉はあまり一般的ではないと思います。ユーザーに不快感を与えるかもしれません。この台詞が意味するのは、相手を妊娠させた、ということですから。別の表現でも十分伝わるのではないでしょうか」
「けど、ライターさんがこの表現が良くて、この台詞にしたんでしょう? それに口挟むのもなぁ」
渋い顔をした主任に、私は食い下がる。
主任に却下されたら、もう本当に通らない。
このゲームは、私が初めて担当した、思い入れのある作品だ。SNSでの反応も毎回チェックして、楽しくプレイしてもらえているのを嬉しく思っていた。
男性ユーザーが圧倒的で、年齢層も高いのなら、多少はエロティックな表現も入ることがあるかもしれない。けれどこのゲームはほとんど全年齢と言っていいし、男女比も男性の方が多くはあるが、女性ユーザー数も多い。この表現はどう考えても女性に不快感を与える。
この台詞を喋っているキャラは、女性に嫌われるようなキャラじゃない。むしろ好かれている方だったのに。これではキャラの人気も落ちてしまう。
「お願いします、確認を取るだけで良いので。女性目線の意見、ということで、上げてみてもらえないでしょうか」
「女性目線っていうかさぁ……。単なる君の意見でしょ。もしかしてフェミニストってやつ? こんな言葉一つにいちいち噛みついてさ、やだねフェミさんって。言葉狩りって言うの? こういうのは表現の自由でしょ」
小馬鹿にするように鼻で笑った主任に、かっと頭に血が上った。だったらなんだ。こっちがフェミさんなら、お前は表現の自由戦士か。
表現の自由戦士たちは、女に噛みつくのが楽しいだけだ。本当に表現の自由を守ろうなんて思っちゃいないし、表現の自由をはき違えている。
大半の女性が問題視しているのは、ゾーニングの問題が大きい。「こんなものを世に出すな」とも「作るな」とも言っていない。見たくない人間の目に無理やり入れるな、と言っているだけだ。
私だって、この台詞が青年誌に掲載されているなら文句は言わない。成人向けだったら一般的だと言ってもいいかもしれない。このキャラがヘイトキャラだったら、狙って書いたとも思えるだろう。
けれどターゲット層に子どもと女性がいるのだ。このキャラを好きな人たちがいるのだ。どうしてその人たちに配慮することができないのだろう。わざわざ不快感を与える可能性の高い表現を選ぶのだろう。
話の流れを変えろというわけじゃない。口調を変えろというわけでもない。たった一言、一つの単語。
このゲームで、このキャラで、このシーンで、『種付け』という単語を用いないと、どうしても表現できないことがあるとは、私には思えない。この言葉にそこまでの拘りがあるとは、感じられない。無意識に使った、慣れた言葉だというだけの可能性の方が高い。
もしそうだとしたら、言われれば気づいて直すかもしれない。どうしてもライターが拘りたいのなら、意見した上で無視されるだけだ。それはどういう結果になっても、ライターの責任だ。
けれど。私の意見は、ここで潰れる。
「わかりました。どうするのかは、主任にお任せします。ただ、私はそれを問題視して、報告を上げました。そのことは覚えておいていただきたいです」
「わかったわかった。下がっていいよ」
これは絶対にライターまで意見が上がらないだろう、と思いつつも、これ以上はどうにもならない。私は私の仕事をした。力が及ばなかったのは申し訳ないが、会社の仕組み上、私にできることはもう無い。
――ごめんね。
私は心の中で、この台詞のキャラクターに謝った。
*~*~*
暫くして、担当のシナリオ更新分がリリースされた。
私は個人的にそのゲームをプレイしていたので、仕事が終わってから、家でさっそくリリースされたものをプレイしてみる。
予想通り、指摘した箇所はそのままだった。胸の痛みを感じながら、SNSの声をチェックする。
『今回のシナリオ最低でした』
『さすがに種付けはない。もうやめます』
『女さん(笑)顔真っ赤。いいぞもっとやれ』
『お気持ち表明乙。やめるなら黙ってやめろよ。ターゲットから外れただけだろ』
『種付けとか気持ち悪い』
『ライター男? これエロゲーだったっけ? 俺はいいけど、よく通したな』
『このキャラ好きだったのに! 汚された気分。ショック』
私はスマホの画面を閉じ、クッションを投げつけた。
「ほーーーらな!!」
もうそれくらいしか言える言葉がない。ほらな!
大人気ゲームってわけでもないので、トレンドに入ってニュースになって、なんてことには多分ならないだろうが。それでも今まで付いてきてくれていたユーザーからは否定的な意見が多く上がっており、プチ炎上状態だった。
案の定湧いている表現の自由戦士たちによって、否定的な意見を上げた女性ユーザーは攻撃されていた。女性ユーザーもターゲットだ。外れてなんかいない。
社内の意見なんか聞かないところでは、ユーザーからの意見が何より大事だ。ゲームを大切に思って、意見を上げてくれるユーザーがたくさんいれば改善もされるのに。こうやって潰されて、それを見ていた多くの女性ユーザーは黙って離れていく。女性ユーザーは界隈の雰囲気も重視するので、民度が低いと判断した場合の離脱は早い。
きちんとお金を払っていた客を追い出して、勝ち誇った気分でふんぞり返るユーザーは、その分の損失を埋めたりはしない。企業にとっても害悪なのだ。
だから言ったのに。言ったのに!
通してない。無視してない。気づいてなかったわけじゃないのに。
言い訳がましい言葉が胸の内を駆け巡る。けれどそんなことはユーザーには関係がない。届いたものが全てだ。
世の中に出たら、それはもう関わった全員が認めたもの、みたいになる。
私が、女性を相手にする職業では女性社員の比率を保った方が良いと思う理由はここだ。特に政治家に女性が増えてほしいと思う理由も、ここにある。
男女では、見えているものが違う。女性に見える景色が、男性には見えない。無いことになる。
どんなに優秀でも、仕事ができても、見えていないものに対処はできないだろう。だって『無い』のと同じなのだから。
女性なら必ず気づけるというわけではないが、人数が一定数いれば、誰かが気づく。誰かが言えば、同じように引っかかった女性も賛同しやすくなる。
それが女性がいないと、まず見えないから何の指摘も上がらない。女性が少なすぎると、男性に意見を潰されてしまう。
ターゲット層が男性しかいないのなら男性の意見だけでも良いが、何故女性をターゲットに入れているのに、男性だけの視点で全く問題ないと思えるのだろう。
せめて第三者機関のチェックを通せばいいのに。社内の意見なんてどうせ聞かないのだから、だったら外部に委託すればいい。
けれどそもそも女性社員の声に全く耳を貸さない会社というのは問題意識がないので、第三者機関に頼もうなんて発想すら出ない。炎上してやっと気づく。もしくは炎上しても運が悪かったくらいにしか思わず、自分たちに問題があったとは認めない。
「私がいる意味って、なんだったんだろうな」
大事にしてきたつもりだった。愛着もあった。もちろん、自分だけで作ったものじゃない。チーム全員で作り上げたものだ。だけど、そのチームに、私はカウントされていたのだろうか。
炎上には意味がある。燃えないと気づかないからだ。大多数の女性が不愉快だと声を上げて、やっとそれは男性の目にも見えるものになる。
けれど、燃え上がる前に。火の元大丈夫ですか、と声をかけた女性がいたのだろう、ということも、想像してみてほしい。
今の社会で、女性社員が一人もいない会社というのはそうそうない。ジェンダーの問題で炎上した企業の中にも、当然いただろう。
私はそういう時、いつも反対意見はあったのだろう、と思う。潰されただけだ。
色々なものを。握り潰されて、圧し潰されて、すり潰されてきただけだ。
言い訳に、聞こえるだろうか。だとしたらあなたには、解決できるだろうか。
「転職するかぁ」
なんだか、どうでも良くなった。今回の件だけが理由じゃない。積み重なってきたものが、これで完全に崩れた、というだけだ。
女の意見なんか要らないっていうなら、女なんか邪魔だろう。意見しない従順な作業員が欲しいんだったら、誰だってすぐ補充できるだろう。
私はスマホを操作して、転職サイトに登録した。
そして月日は流れ。
「だから! ここは正統派俺様系でいきましょうよ! 鉄板ですよ!」
「俺様系は古いんですよ! 今は俺様系の振る舞いにツッコミを入れるドSヒロインの方がウケますよ! 見てくださいコレ、壁ドンを叱り飛ばす悪役令嬢!」
「壁ドンはロマンだろうがぁぁ!」
「今は恐喝だって認識の方が一般的なんですよ昭和がぁぁ!」
「なんだと平成がぁぁ!」
「二人とも一回頭冷やしてくださーい。令和入社にはわかりませーん」
私は乙女ゲームの制作会社に入社していた。
ほとんどが女性社員で占められる会社で、ゲームのターゲットも完全に女性ユーザーのみなのでわかりやすい。
それでも意見の対立は起こる。起こるが、より良いものにするために、年齢に関係なく意見をどんどん聞いてくれる。
令和入社の新人でも、トレンドに明るいから、と重宝されている。女性は流行に敏感だ。新しい風潮はどんどん取り入れていかないと、あっという間に取り残される。
さして大きな会社ではない、というのもあるだろう。老舗だったら、やはりこうはいかないかもしれない。規模が小さいから給料は安いが、やりがいは十分に感じていた。
「佐藤さん、次のミーティング始まりますよ」
「はーい!」
新しい場所で。私の元気な声が、響いている。
その文章を見た瞬間、私はオフィスのデスクで脱力した。私が今読んでいたのは、エロゲーの台本かなんかだっただろうか。
いや、そんなわけはない。私が今読んでいたのは、十二歳以上対象ノベルゲームのシナリオだ。
話の流れ自体もちょっとどうかとは思うが、そこはライターの領分だ。口を出せることじゃない。しかしそれにしたって、この単語。
これは、いくらなんでもまずいだろう。
「せんぱーい」
私は隣で作業していた男性社員に声をかける。
「ちょっと見てほしいんですけど」
「なに?」
先輩が椅子を動かして、私のパソコン画面を覗き込む。私はわかりやすいように、シナリオの該当箇所をドラッグして色を変えた。
「この表現、さすがにセンシティブ判定まずいと思うので、ライターさんに変えてもらうよう指示出せませんか」
私にはライターに直接意見するような権限はない。上に報告して、ライターと直接やりとりをしてもらう。しかし。
「まずい? なんで。どこが?」
きょとん、とした先輩に「マジかよ」と思った。
種付けって。AVでしか言わんだろうそんな表現。現実の女に言ったら殴られても文句言えんぞ。エロ本読み過ぎか。
そう思ったのをぐっとこらえて、やんわりと指摘する。
「種付け、って言葉、あんまり一般的じゃない気がするんですよね。うちのゲーム、低年齢層もプレイするじゃないですか。女性ユーザーも多いですし、無難な表現にした方が安心だと思いますよ」
この業界では自身もアニメやゲームが好きなオタク層が多いので、男性の中でも特に感覚が麻痺している人が多いのはもはや把握している。
先輩に真正面から「これはおかしいだろう」と嚙みついたところで反感を買うだけなので、できるだけご機嫌を損ねないように伺わないと話を通してもらえない。
なるべく丁寧に軽い調子で告げたが、先輩は渋い顔をした。
「そうかぁ? 別に俺は普通だと思うし、いいだろそんくらい」
だから、お前の普通は、世間様の普通じゃねぇ。
という言葉を何とか飲み込んで、食い下がる。
「絶対変えろ、ってことじゃないんで。ただ、いいのかなーって確認を一回挟むだけっていうか」
「あのさぁ。ライターだってプロなんだからさ。そういうのって、表現の内じゃん? 俺らが意見することじゃないだろ」
「でも、最近はこういうの、特に気にされるでしょう。せっかくゲーム好調なんですから、なるべくネガティブな反応は避けたいじゃないですか」
年下の女に自分の意見を否定されたことが気に食わなかったのか、先輩は目に見えて不機嫌になった。
「あーそう。そこまで言うんだったら、直接主任にかけあえよ。俺は問題無いってちゃんと言ったからな。お前だけの意見だって説明しろよ」
言い捨てて、先輩は自分の仕事に戻った。これ以上話を聞く気はないだろう。
溜息を吐いて、仕方なく私は主任に相談しに行った。
「主任。ちょっと、シナリオで確認していただきたいことが」
「うーん、今忙しいんだけど。野崎くんは何だって?」
「主任に直接確認してほしいと」
「そうか、仕方ないな」
やれやれ、と言いたげな様子で、主任は私に向き直った。
私はシナリオを印刷し、該当箇所にマーカーを引いたものを主任に見せた。
「ここの台詞なんですけど。センシティブな単語だと思われるので、別の表現に変えなくて良いか、ライターさんに確認取ってもらえませんか」
「センシティブ? これが?」
怪訝な顔で、主任はプリントを手に取った。
「別にどこもおかしくないと思うけど」
「種付け、という言葉はあまり一般的ではないと思います。ユーザーに不快感を与えるかもしれません。この台詞が意味するのは、相手を妊娠させた、ということですから。別の表現でも十分伝わるのではないでしょうか」
「けど、ライターさんがこの表現が良くて、この台詞にしたんでしょう? それに口挟むのもなぁ」
渋い顔をした主任に、私は食い下がる。
主任に却下されたら、もう本当に通らない。
このゲームは、私が初めて担当した、思い入れのある作品だ。SNSでの反応も毎回チェックして、楽しくプレイしてもらえているのを嬉しく思っていた。
男性ユーザーが圧倒的で、年齢層も高いのなら、多少はエロティックな表現も入ることがあるかもしれない。けれどこのゲームはほとんど全年齢と言っていいし、男女比も男性の方が多くはあるが、女性ユーザー数も多い。この表現はどう考えても女性に不快感を与える。
この台詞を喋っているキャラは、女性に嫌われるようなキャラじゃない。むしろ好かれている方だったのに。これではキャラの人気も落ちてしまう。
「お願いします、確認を取るだけで良いので。女性目線の意見、ということで、上げてみてもらえないでしょうか」
「女性目線っていうかさぁ……。単なる君の意見でしょ。もしかしてフェミニストってやつ? こんな言葉一つにいちいち噛みついてさ、やだねフェミさんって。言葉狩りって言うの? こういうのは表現の自由でしょ」
小馬鹿にするように鼻で笑った主任に、かっと頭に血が上った。だったらなんだ。こっちがフェミさんなら、お前は表現の自由戦士か。
表現の自由戦士たちは、女に噛みつくのが楽しいだけだ。本当に表現の自由を守ろうなんて思っちゃいないし、表現の自由をはき違えている。
大半の女性が問題視しているのは、ゾーニングの問題が大きい。「こんなものを世に出すな」とも「作るな」とも言っていない。見たくない人間の目に無理やり入れるな、と言っているだけだ。
私だって、この台詞が青年誌に掲載されているなら文句は言わない。成人向けだったら一般的だと言ってもいいかもしれない。このキャラがヘイトキャラだったら、狙って書いたとも思えるだろう。
けれどターゲット層に子どもと女性がいるのだ。このキャラを好きな人たちがいるのだ。どうしてその人たちに配慮することができないのだろう。わざわざ不快感を与える可能性の高い表現を選ぶのだろう。
話の流れを変えろというわけじゃない。口調を変えろというわけでもない。たった一言、一つの単語。
このゲームで、このキャラで、このシーンで、『種付け』という単語を用いないと、どうしても表現できないことがあるとは、私には思えない。この言葉にそこまでの拘りがあるとは、感じられない。無意識に使った、慣れた言葉だというだけの可能性の方が高い。
もしそうだとしたら、言われれば気づいて直すかもしれない。どうしてもライターが拘りたいのなら、意見した上で無視されるだけだ。それはどういう結果になっても、ライターの責任だ。
けれど。私の意見は、ここで潰れる。
「わかりました。どうするのかは、主任にお任せします。ただ、私はそれを問題視して、報告を上げました。そのことは覚えておいていただきたいです」
「わかったわかった。下がっていいよ」
これは絶対にライターまで意見が上がらないだろう、と思いつつも、これ以上はどうにもならない。私は私の仕事をした。力が及ばなかったのは申し訳ないが、会社の仕組み上、私にできることはもう無い。
――ごめんね。
私は心の中で、この台詞のキャラクターに謝った。
*~*~*
暫くして、担当のシナリオ更新分がリリースされた。
私は個人的にそのゲームをプレイしていたので、仕事が終わってから、家でさっそくリリースされたものをプレイしてみる。
予想通り、指摘した箇所はそのままだった。胸の痛みを感じながら、SNSの声をチェックする。
『今回のシナリオ最低でした』
『さすがに種付けはない。もうやめます』
『女さん(笑)顔真っ赤。いいぞもっとやれ』
『お気持ち表明乙。やめるなら黙ってやめろよ。ターゲットから外れただけだろ』
『種付けとか気持ち悪い』
『ライター男? これエロゲーだったっけ? 俺はいいけど、よく通したな』
『このキャラ好きだったのに! 汚された気分。ショック』
私はスマホの画面を閉じ、クッションを投げつけた。
「ほーーーらな!!」
もうそれくらいしか言える言葉がない。ほらな!
大人気ゲームってわけでもないので、トレンドに入ってニュースになって、なんてことには多分ならないだろうが。それでも今まで付いてきてくれていたユーザーからは否定的な意見が多く上がっており、プチ炎上状態だった。
案の定湧いている表現の自由戦士たちによって、否定的な意見を上げた女性ユーザーは攻撃されていた。女性ユーザーもターゲットだ。外れてなんかいない。
社内の意見なんか聞かないところでは、ユーザーからの意見が何より大事だ。ゲームを大切に思って、意見を上げてくれるユーザーがたくさんいれば改善もされるのに。こうやって潰されて、それを見ていた多くの女性ユーザーは黙って離れていく。女性ユーザーは界隈の雰囲気も重視するので、民度が低いと判断した場合の離脱は早い。
きちんとお金を払っていた客を追い出して、勝ち誇った気分でふんぞり返るユーザーは、その分の損失を埋めたりはしない。企業にとっても害悪なのだ。
だから言ったのに。言ったのに!
通してない。無視してない。気づいてなかったわけじゃないのに。
言い訳がましい言葉が胸の内を駆け巡る。けれどそんなことはユーザーには関係がない。届いたものが全てだ。
世の中に出たら、それはもう関わった全員が認めたもの、みたいになる。
私が、女性を相手にする職業では女性社員の比率を保った方が良いと思う理由はここだ。特に政治家に女性が増えてほしいと思う理由も、ここにある。
男女では、見えているものが違う。女性に見える景色が、男性には見えない。無いことになる。
どんなに優秀でも、仕事ができても、見えていないものに対処はできないだろう。だって『無い』のと同じなのだから。
女性なら必ず気づけるというわけではないが、人数が一定数いれば、誰かが気づく。誰かが言えば、同じように引っかかった女性も賛同しやすくなる。
それが女性がいないと、まず見えないから何の指摘も上がらない。女性が少なすぎると、男性に意見を潰されてしまう。
ターゲット層が男性しかいないのなら男性の意見だけでも良いが、何故女性をターゲットに入れているのに、男性だけの視点で全く問題ないと思えるのだろう。
せめて第三者機関のチェックを通せばいいのに。社内の意見なんてどうせ聞かないのだから、だったら外部に委託すればいい。
けれどそもそも女性社員の声に全く耳を貸さない会社というのは問題意識がないので、第三者機関に頼もうなんて発想すら出ない。炎上してやっと気づく。もしくは炎上しても運が悪かったくらいにしか思わず、自分たちに問題があったとは認めない。
「私がいる意味って、なんだったんだろうな」
大事にしてきたつもりだった。愛着もあった。もちろん、自分だけで作ったものじゃない。チーム全員で作り上げたものだ。だけど、そのチームに、私はカウントされていたのだろうか。
炎上には意味がある。燃えないと気づかないからだ。大多数の女性が不愉快だと声を上げて、やっとそれは男性の目にも見えるものになる。
けれど、燃え上がる前に。火の元大丈夫ですか、と声をかけた女性がいたのだろう、ということも、想像してみてほしい。
今の社会で、女性社員が一人もいない会社というのはそうそうない。ジェンダーの問題で炎上した企業の中にも、当然いただろう。
私はそういう時、いつも反対意見はあったのだろう、と思う。潰されただけだ。
色々なものを。握り潰されて、圧し潰されて、すり潰されてきただけだ。
言い訳に、聞こえるだろうか。だとしたらあなたには、解決できるだろうか。
「転職するかぁ」
なんだか、どうでも良くなった。今回の件だけが理由じゃない。積み重なってきたものが、これで完全に崩れた、というだけだ。
女の意見なんか要らないっていうなら、女なんか邪魔だろう。意見しない従順な作業員が欲しいんだったら、誰だってすぐ補充できるだろう。
私はスマホを操作して、転職サイトに登録した。
そして月日は流れ。
「だから! ここは正統派俺様系でいきましょうよ! 鉄板ですよ!」
「俺様系は古いんですよ! 今は俺様系の振る舞いにツッコミを入れるドSヒロインの方がウケますよ! 見てくださいコレ、壁ドンを叱り飛ばす悪役令嬢!」
「壁ドンはロマンだろうがぁぁ!」
「今は恐喝だって認識の方が一般的なんですよ昭和がぁぁ!」
「なんだと平成がぁぁ!」
「二人とも一回頭冷やしてくださーい。令和入社にはわかりませーん」
私は乙女ゲームの制作会社に入社していた。
ほとんどが女性社員で占められる会社で、ゲームのターゲットも完全に女性ユーザーのみなのでわかりやすい。
それでも意見の対立は起こる。起こるが、より良いものにするために、年齢に関係なく意見をどんどん聞いてくれる。
令和入社の新人でも、トレンドに明るいから、と重宝されている。女性は流行に敏感だ。新しい風潮はどんどん取り入れていかないと、あっという間に取り残される。
さして大きな会社ではない、というのもあるだろう。老舗だったら、やはりこうはいかないかもしれない。規模が小さいから給料は安いが、やりがいは十分に感じていた。
「佐藤さん、次のミーティング始まりますよ」
「はーい!」
新しい場所で。私の元気な声が、響いている。