【2040年 日本】
長い眠りから覚める時、大きく伸びをしてはいけないと本に書いていた。理由は忘れてしまったけれど、たぶんきっとそんなに重要なことじゃない。そんなことをぼんやりと考えながら、脳の中心で、執拗に眠りの中へ引きずり込もうとする何かを振り払った。無意味な思考と目覚めへの意志が激しく戦う。もう何十年もそれを繰り返してきたような気がしている。俺は伸びをせず、目を閉じたまま大きく息を吸い込んだ。鼻から流れ込んでくる空気が気道を通過していくのがわかる。いつもとは違う匂い、違う濃度、違う味。
目を開けると、そこには道があった。どこかの山の裾野に広がる森のようだ。どこの山かはわからない。針葉樹林が作り出す暗い森の道。獣と虫の声がする。
「ここが、2040年の日本なのか?」
ひたすら下をめざして道を歩く。
人に管理されている林を歩いたことはあるが、こんな野放図な自然の中を歩いたのは初めてだった。
「……空気が美味しい、な」
昔の人は空気が美味しいとよく言っていたがあれは本当なんだな。しかし、いつまでも自然をありがたがっていられない。おそらくここは「ホッカイドウ」だ。ぼやぼやしていれば「クマ」に襲われる。周囲を警戒しながら暗い森の出口を目指してひた歩く。こんな山の中でも、70年前のホッカイドウなら民家があるはずだ。あの老婆、白河時雫にはやく会わなくてはならない。タイムリープ の制限時間は、1ヶ月。ブロック状に区切られた時間を過ぎれば強制的に現代へと戻される。その前に、ミッションを達成しなければおそらくは……。嫌な考えだけが脳裏を過ぎる。時雫に関する情報は、数十年の時間遡行をまったく気にした様子はなく、簡単に腕時計から読み出すことが出来た。自分に課せられた使命もまた、わかりすぎるほど具体的に入力されていた。エルドさん、あなたはいい上司だな、まったく。
すべてを振り払うように頭をかきむしり、あるであろう民家を目指した。