『時雫がアンタと来れなかったって泣いてるから、来なよ』
家にいた俺は、しのぶからのメッセージを見て、飛び出した。
あの日以来、時雫とは家にいても顔を合わせなかった。彼女から声をかけられても、無視をしていた。彼女はそういうのに傷つきやすいってわかっていたはずなのに、どうしてそんな幼稚なことをしてしまったんだろう。自分の矮小さに呆れながら、会場までの道を走り抜けた。
まだほのかに明るい空に、星々が薄っすらと輝いている。
会場は様々な声や歌、音楽に包まれ、ガーランドやキャンドル、風船などが収穫祭全体を華やかにしている。
たくさんの人が行き交うなか、彼女を探す。すると以外にも彼女は早く見つかった。会場の入り口を出て、すぐのところにいたからだ。
彼女も必死に誰かを探しているようで、すぐに目がパチリと合った。
「………会いたくて、来たんだ」
「ふふ……私も。ジュンくんが会いたがってるって聞いて……探してたの」
俺が会いたがっているという嘘を、恐らく時雫にも言ったのだろう。
会いたいと、ただその願望を叶えるために俺たちはまんまとしのぶの策にハマってしまったのである。
「あっちに、ジュンくんが好きな風鈴あるよ」
「うん」
「スイカも売ってるところあったし」
「……うん、全部回ろう。キミの好きなところも」
「…………そうだね」
沢山の人が俺たちを横切っていく。小さな彼女の手をとる。弾かれたように彼女が顔を上げたが、それについては何も言わず、ただブンブンと繋がれた手を振り「どこから行く?」と嬉しそうに笑った。
彼女といると、たまに、夢を見ているような気分になる。
時雫と出会ってから、不安にかられて逃げたくなる時も、苦しくてしんでしまいたくなる時も、あった。
彼女が笑って、自分も馬鹿みたいに笑う。自分が笑って、彼女がそれを見てまた笑う。彼女が近くにいるという事実だけで、胸が踊る。こんなに近くにいれば、二人の気持ちはずっと、一緒でいれる気がする。
覚めないでほしいと思った。
俺たちは小さな会場を、何周も、何周もした。別れも、時間も、何もかも忘れて。
すっかり夜は更けて、会場は撤収作業に入っていた。もう時間がないことを、腕時計を見て悟った俺は、彼女の手を取り、会場を出た。そのことに関して彼女もなにも言わなかった。
いつも二人で自転車で帰っていた道を、彼女と二人で歩く。なにから話そうか、どう言おうか、考える。そうしていると、彼女がおもむろに口を開いた。
「……ジュンくんって私の従兄弟じゃないよね」
「……なんで、それを」
予想外の言葉に、彼女を見るも、下を向いたままだった。
「計算したの。そしたら、夏子さんが家を出ていった年数と、ジュンくんの歳が全然違くて……まぁおじいちゃんはジュンくんの歳知らないから気づいてないと思うけど」
「そうか……騙すことになって、すまない。色々と……どこから話せばいいのかわからな……」
「いいよ、もう」
「ジュンくんが従兄弟でも、そうじゃなくても、もういなくなっちゃうんでしょ」
腕時計が、不意に光る。『18:09』と表示されているが多分これは、今の時間じゃない。おそらくブロック状に区切られた時間の終わりをカウントしている。それを証明するように、09の数字は刻一刻と減っていく。
「俺が来たのは……いや、一旦この話はやめる。それよりこっちを向いてくれ」
悲しそうに目を伏せる彼女に、そう声をかけると、遠慮がちにこちらを見る。自分よりも低い位置にある頭にそっとてをのせて、さきほどの店で買ったイヤリングを一つ、つけてやると、彼女が俺の手を掴んだ。
「ま、待って……いきなり何!? 何つけたの?」
「なにって……あんな子供っぽいネックレスは普段つけれないだろう。だからこれだ」
そう言って、彼女によって掴まれた手を開いて中身を見せる。もう片方のイヤリングをまじまじと見た彼女は「あ……レインボーローズ?」と不思議そうに見た。
「いや、レインボーローズじゃなくてこれは薔薇(まだら)だ。よく似てるけどな」
もう一つのイヤリングを彼女から奪い取り、反対側の耳につけてやる。両耳にしっかりとつけられたのを確認して「うん、さりげなくていいな」と改めて彼女を見ると顔を真っ赤にしていた。
「……ほっんと、なんなのジュンくんって……」
「え……あ! 泣いて……!? すまない、泣かせるつもりは……」
「好きって」
「え?」
「私のこと好きだって、一言さえ言ってくれればいいのにっ……」
「好きだよ、好き! わかったから、泣き止め! 心臓に悪い」
「本気で言ってないでしょ!」
「本気だよ! ……本気じゃなきゃこんなことしないし、こんなに迷わない」
「俺はキミと、将来を約束できるイイやつじゃない。だから無責任に気持ちを言えなかった」
「キミは……騙されやすい。だから気をつけろ」
「……うん」
「無理をしすぎるな、自転車にいくら乗り慣れてるからって坂道であんなに飛ばすなよ」
「わかったよ、心配性なんだから」
「それと……この先何があっても孤独にはなるなよ。今まで通り、幸彦さんや、しのぶ……藍徒と仲良くするんだ」
「ふふ……ジュンくんこそね。てゆうか藍徒と仲良くしていいの?」
「もちろん。なんなら結婚したっていい……でも」
「…………でも?」
「…………俺のことを忘れるな」
「あははは、ジュンくん意外と重いなぁ。もしかして薔薇の花言葉って忘れないで、とか?」
「……まぁ、それはできたらでいい。とにかく幸せに生きてくれ、それだけで十分だ」
「いま、話しそらしたね」
いい加減、はずかしくなって時雫を離そうとすると、いままでされるがままだった彼女が、やわい力で俺のことを抱きしめ返す。
「わかったよ……ジュンくんのことも忘れないし、ちゃんと幸せになる……だから」
「ジュンくんも約束して、私を忘れないって、自分も幸せになるって、やくそ…」
また泣き出しそうになる彼女をもう一度抱きしめ返す。「約束するよ」そういうと彼女は安心したように力を緩めた、そして俺も彼女を離した。泣いているかと思ったけど、彼女の眼にもう涙は浮かんでいなかった。時計がもう『01:24』を表示している。
「もう帰らなきゃな……幸彦さんが心配する」
「うん……ジュンくんは、
「幸彦さんにお礼を言っておいてくれ」
「……分かった」
「気をつけて」
「ジュンくんもね……じゃあ」
時雫は無理に作った笑顔でそういった後、家の方向に足を進める。さっき藍徒に「迎えに来てほしい」とメッセージを送ったからきっと大丈夫だろうが、それでも小さな背中を見ると、心配になる。これから先、彼女がこういうふうに孤独になってしまうんじゃないかと。いつか寂しくなるんじゃないかと。だから最後に、大きな声であのときと同じように、呼びかける。
「時雫!」
振り返ることはせず、足を止めた彼女に俺は続けた。
「花言葉は、『忘れないで』じゃない、『キミを忘れない』だ」
