「やっぱりいいねー、大きいお風呂って。入っただけでしあわせー」
「そうだな」
里葉湯からの帰り道。時雫が自転車から手を離して、腕を伸ばしながら大きく背伸びをする。危ないから離すな、と言いかけてやめた。彼女はバランス感覚がいいのだ。ちょっと手を離したくらいで落ちないし、自分から離れるなと言っているようで恥ずかしい。
何も遮るものがない空には、しっかりとした輪郭を保った雲と、無数の星々が広がっていた。近くに池があるからか、カエルの鳴き声と鈴虫の鳴き声がたしかに聞こえるも、その言葉の後とくに会話が続くわけでもなく、乾いた道を走る自転車の音だけが耳に届く。
ほんの些細なことを、幸せだと彼女は言う。幸せだと笑う彼女の人生は満ち足りている気がして、自分の存在が本当に彼女に影響を及ぼしなんて、しない気がしてきた。
「キミは楽しそうだな」
「ジュンくんずっとムスッてしてるね」
「してない」
「……ふふ、そっか。あ、そういえば、久々にジュンくんの後ろ乗った気がする」
「まぁ、そうだな」
「最初は私の後ろに乗ってたくせにね〜、偉くなっちゃってさ」
「キミが勝手に乗せたんだろう……偉くもなってないし」
久しぶりのいつもの会話に、口元が緩んだ。自分はいつから、こんなふうに笑うようになったんだろう。
「しのぶも言ってたけどさ、いつ帰るの」
こうなると、分かった上で同じようにタイムリープをするかと言われたら、自分は、どうするのだろう。ここで過ごしたすべてのものを抱えて、生きていくのだろうか。
俺からの返事がないのが気に食わなかったのか、それとも眠くなったのか、時雫が背中にもたれかかってくる。背中から、彼女の熱を感じる。
いっときの感情は人を狂わす。あとの後悔の、原因になる。
だから俺は認めない。
「ジュンくん」
彼女の声も、姿も、全部が全部間違いなんだ。いいや、彼女が間違いではない。俺の存在が、この『ユニバース』の間違いなのだ。
「わたし、ジュンくんに出会えてよかった」
俺も、なんて言葉は言わなかった。この感情を認めるなんて、絶対にしない。だって認めてしまったら、苦しいだけなのだから。
