巨大なエルドシア山脈から流れるおそよ三十㎞以上の横幅があるエムルト川。

その西側の川の畔にある人口おおよそ三十万人ほどの小国イザヴェル王国。

イザヴェル王国の名産品の一つであるブドウ畑で作る葡萄酒が有名で、一度飲むと他の葡萄酒が不味くなるとまで言われるほど人々から絶賛されている。

毎年秋になるとたくさんの葡萄酒を入れた樽を馬車に積み込み、遠い所だと六百キロも離れた村にも運ぶほど、その味はたくさんの国や村に愛されていた。

対して東側にある人口百五十万人を超える軍事国ラムスンド大国。

千年以上前からドラゴンを飼育管理し、戦になると最大で五万を超えるドラゴン部隊が上空から敵に攻撃を仕掛け、地上からは二十万にもなる大軍勢が突撃する大国だ。

東側の小国はラムスンド大国に支配され、毎年少しづつその領土を広げていた。

イザヴェル王国と軍事国ラムスンド大国の二つの国は何百年も前からお互いに貿易交渉を行っている。

ラムスンド大国は武器や吸収した国のガラス細工などを積んだ船が、イザヴェル王国は葡萄酒やジュース、民芸品などを積んだ船が行き来している。

イザヴェル城下町の居酒屋は何十件と乱立しているが夜になると街の人々や他国からの旅人などですべての店が満員になるほど繁盛していた。

とある朝、港側にある一つの居酒屋『マリン』

二階建ての家は上が居住スペースで下がお店になっている。

入口から左に十人ほどが座れるカウンター席があり、右には四人が座れる席が縦に五つ並んでいた。

経営者のマリンは朝から忙しく動いている。

それは他の居酒屋とは違い、朝に店を開けるからだ。

席にはすでに数人の客が葡萄酒を飲んで気持ちよさそうに出来上がっている。

 「うめー、マリンちゃん。もう一杯頼むぜ」

洗っても取れない汚れがしみ込んだ青のツナギを履き、汚れて茶色になっている元は白とかろうじて分かるシャツを着た、頭はすでに禿げ、顔を真っ赤にしている常連客の老人ジャン・ドロシーはカラになったグラスを突き出した。

  「今ので五杯目よ。もうやめたら?」

カウンターの後ろに立つ店の主マリンは優しそうな顔立ちで、ふくよかな体系をしている。

茶色い髪は後ろでお団子に丸め、お腹に大きな白いエプロンをつけているマリン・ミクトリアがため息交じりに言った。

   「もうじゃないわ。まだ五杯目じゃ、早く葡萄酒をつがんか」

口を開いたら歯が三本しかないジャンは赤い顔を更に赤くする。

   「はいはい。分かりました」

マリンは料理している手を止めると、少し笑いながら壁に備え付けられた樽からグラスに葡萄酒を入れてジャンの前に置いた。

ジャンはグラスの葡萄酒を半分ほど一気に飲み干すと、マリンが作る手料理を口に運び舌つづみを打つ。

二階からドタドタと音がし、階段を下りてくる音がする。

カウンターの後ろにあるドアが開き、幼稚園児の男の子がおはようと言いながら入ってくる。そのあとから高校生の女の子が入ってきた。

茶色い肩までの長さの髪を二つの三つ編みにし、顔にはソバカスがある女の子は腰につけてるエプロンを取ると無造作に椅子に置いた。

   「お母さん。洗濯物干し終わったよ」

   「マニー。ありがとう。ご飯出来たからクックと二人で食べて」

マリンはフライパンの上にある料理をお皿に二つ取り上げるとマニーに渡す。

   「はーい。いくよ、クック」

二つの皿を受け取ったマニーとクックは扉の奥に入っていった。

マリンは二人から目線をふと窓の外の海に目をやると、ドラゴンの紋章が描かれた二つの旗を掲げた船が近づいて来るのが見えた。

  「何かしらあの船」

マリンの声に客達は一斉に立ち上がり外を見る。

  「なんだあの豪華な船は、初めて見たぜ」

一人の客の声に前に陣取っていたジャンが答えた。

  「あの船はラムスンド大国の、それも大臣クラス以上の人だけが乗れる船じゃ。わしがこの目で見たのは二回目。一回目はまだ鼻垂れ小僧だったわ」

毛のない頭を触りながら呟くように言った。






イザヴェル王国の港に船が四隻現れた。

四隻の船はどれもニ匹の竜が描かれた旗をなびかせている。

三隻の船の大きさは百五十メートルくらいか、大砲が左右に取り付けられ、簡単な鎧を身に着けた騎士が何人も辺りを警戒している。その三隻の船に守られるかのように大きさ三百メートルほどの豪華な一隻の船が港についた。

港で働く人々は豪華な船に驚き、動きを止め、食い入るように見つめる。

豪華な船から龍の紋章が入った黒を基調とした服を着た一人の老人が下りてくる。

その後ろに腰まで伸ばした青く長い髪をした美しい女性が続いて降りて来た。

膝から下と胸からお腹、肩にラムスンド大国の紋章が入った鎧を身に着け、その他は白い肌を露出し、腰には一つの剣を携えている。

その女性と同じ紋章を施した全身鎧《プレートアーマー》に身を包み、面頬付き重兜(クローズドヘルム)をかぶった四人の騎士が更に後ろから降りてくる。

  「安心してください。私はラムスンド大国から来たベルーラ・アンジェットと言います。この方はラムスンド大国の大臣、ザムス・カッシム様です。ザヴェル国のヘルモズ王に我が国王ルバス・バルナーツより伝令を持ってきました」

透き通るような声でベルーラが言うと、人々は安心したかのように動き出した。

ザムス達の前にイザヴェル国王の紋章が入った赤い色の全身鎧《プレートアーマー》に身を包んだ一人の男が近づいて来る。

男は四十代前半、黒の髪の毛に右耳に変わった形のピアスをしている。

首から上と手の肌が茶色に日焼けし、鎧の上からでも分厚い胸筋と大きな腕の太さが分かるくらい盛り上がっていた。

   「お待ちしておりました。ザムス様。何度かお会いしてますが、改めて挨拶いたします。聖騎士団長のロレッド・ファヴニールです。ではお城にご案内いたします」

   「ロレッド殿。よろしく頼むぞ」

ザムスは軽く頭を下げると、ロレッドの後ろをついていく。

二人の後ろをついていくベルーラはしばらく見ない間に聖騎士団長ロレッドの鎧の内から溢れ出すオーラの輝きが増しているのに気がついた。

   「数回しか会っていないが、会うごとに確実に腕をあげているわね。この国を落とす時は二日はかかりそうだわ」

ベルーラはため息混じりに小さく呟いた。



ロレッドの後ろを六人が列をなし、後をついて来る。

綺麗に並んだ石のブロック道を歩いて行くと左右には木で出来た家々が立ち並んでいる。

真っすぐ伸びた道をしばらく進んでいくと広い広場に出た。

真ん中に噴水があり、子供たちが楽しそうに遊び、端には野菜や、お肉、武器などのお店が並ぶ。

更にその先に城が見える。

人々はベルーラ達を見てお互いに耳元で内緒話をする。

噴水の横を通ろうとした時、水遊びをしていた小さな子供が手に持つ、入れ物に入った水がほんの少しベルーラの鎧にかかった。

小さなコップ半分にも満たないごくわずかな量だが、相手が相手である。

幼き子供も理解しているのか小さく震えるのが分かった。

ロレッドはどうこの場を収めるか考え、口に出そうとする前に、離れた場所から少女らしき女性が謝罪の言葉を口にしながら真っ青な顔をして近づいてきた。

(この子供の家族か?)

少女はベルーラの前まで来ると、子供をかばうようにし、震える声で何度も謝罪の言葉を口にする。

ロレッドは少女を庇うよに前に立ち、謝罪する。

   「構わぬ。水がかかって死ぬわけじゃないし。そんな何度も謝る必要はないぞ。そうじゃろベルーラよ」

ザムスの言葉に続けるようにロレッドも口に出す。

   「ベルーラ様。鎧はこちらで弁償いたします。幼い子供のしたこと。どうかお許し願いたい」

かばうように子供の前に立ち頭を下げた。

広場の空気がシーンを静まり、息を吸うのも忘れるくらい皆の動きが止まった。

  「ザムス様の言う通りです。水で死ぬわけじゃありません。頭をお上げください。弁償も謝罪もいりませんわ。子供が元気で遊べるのはその国が豊な証拠。この暑さですし、鎧もすぐに乾きますので。それよりお城に急ぎましょう」

ベルーラの大人の対応に周りから歓声が上がる。

人々は「さすがラムスンド大国使者だな」

   「見たところ若そうなのに、大人の対応がしっかりしてるね」

   「上に立つ人間が素晴らしいと部下も素晴らしくなるってもんだよ」
 
と、声があっちこっちから聞こえてくる。

  「ありがとうございます。その言葉に感謝いたします」

ロレッドはほっと胸をなでおろすともう一度頭を下げ、向きを変えて城えと進みだす。



ザムス、ロレッドの二人が前を向いたの待ってからベルーラは部下の一人に手招きし、真横に来させた。

  「おい。あのガキを後で殺しておけ」

鎧を着た兵士が了解しました。と小さな声で答えた。

ベルーラは続けて「せっかくだ。ガミドス様が実験に使いたいって言っていたあの毒薬を貰ってきて実験に使え」

兵士は了解と頷く。

何かを察知したのか前を向いていたロレッドが立ち止まって振り向いた。

  「ロレッド殿。どうなさった?」

ザムスが尋ねると、「いえ、なんでもありません」

ベルーラの微笑む顔を見ながら前に向きなおした。