西暦二千五十五年の七月。
ゲームテスターどんぐり社は創立三十年。
社員三百人以上になる中堅企業だ。
創業者で社長の大沢「おおさわ」隆司「たかし」に前日、明日の朝は出来るだけ早くに来るようと言われた
五十嵐「いがらし」晴翔「はると」は暑い中、不安と期待が渦巻く気持ちを抑えながら会社に向かう。
クビか、または出世か、気が付けば年は三十代後半。
ここに努めて十数年。
暑さによる汗とはまた違う汗が背中に広がっていく。
クビになった場合この年での再就職はかなり難しい。
数か月前、全部で六部署ある内の一つ、第五部署を統括するプロデューサーにようやく出世したばかりの事を考えるとまた出世という事はないだろう。
ならクビか?何度も考えるが、特に重大なミスをしたわけじゃない。
(なら部下が何かした?)
あり得る。発売前にゲームの情報を外部に漏らした場合、発売元のメーカーに莫大な慰謝料を請求され、プロデューサーは責任を取りクビになる場合が多い。(それで済めばまだいい方だろう)
事実、五十嵐の第五部署の前プロデューサーの高橋蒼汰《たかはしそうた》はある人気ゲームの新コンテンツのシナリオやボスの名前などを酔っぱらいながら動画配信で話してしまい会社に苦情の電話やメールが殺到、一時的に回線がパンクしてしまった。
そして、全責任を取りクビになり(当たり前だけど)代わりに五十嵐がプロデューサーに昇格した。
大気汚染によりよどんだ空を見つつ、バス乗り場で待つ。
キリキリと痛む胃を押さえつつ、時計を見ると朝七時前だった。
バスの中はもちろん外を見ると、何人ものスーツ姿の会社員が歩いているのが目に入る。
五十嵐は何度も噴き出す汗をハンカチで拭いながら会社がある六十階の高層ビルに入る。
中に入ると冷房で冷えていて、汗がすーと引いていくのが分かった。
(はぁー、生き返る)
どんぐり社はこのビルの十五階と十六階の二フロアを借りている。
十五階に受付、会議室、応接間、第一から第三までの部署。
十六階に第四から第六部署と社長室、秘密部屋がある。
五十嵐は備え付けられている無料のお茶を何度も飲み干してからエレベーターに乗り込み、十五階に上がっていく。
扉が開き、目の前に受付が見える。白を基調とした床に茶色い受付の台があり、左右に六十センチほどのどんぐりに顔を描いたような人形が置いてある。五十嵐自身一度も可愛いやカッコいいと思った事はないが、グッズ化したストラップや人形などが飛ぶように売れていて社長はほくほくのようだ。
受付には白を基調とした制服を着た女性が二人がすでに立っている。
(はやっ。受付の人っていつもこんな早く来てるのか)
いつもは八時過ぎに出社している五十嵐にとって驚きだった。
頭の中で考えていると、目が合った一人の受付嬢が話しかけてくる。
「おはようございます。五十嵐さん。社長が出社したら秘密部屋に来るようにとのことです」
「えっ?秘密部屋にですか?」
もう一度聞き返したのは秘密部屋という子供が考えたような名前とは裏腹に社内でもトップシークレットの情報を扱う場所で五十嵐はこの部屋に一度も入った事がなかったからだ。
「はい」と、受付嬢の一人は笑顔で答えた。
「わ、分かりました。すぐに行きます」
二人の受付嬢に頭を軽く下げると、右側にある階段を登って十六階に上がり、扉を開ける。
中は巨大なフロアで、三部署に壁で分かれていている。
横の扉を開けると中は廊下になっていて、十メートルほど先に社長室があり、三メートルほど先の左手に秘密部屋がある。
五十嵐は茶色のドアの前に立つ。
赤い文字で「秘密部屋」と書かれていた。
取っ手の横には指紋認証装置、上には監視カメラが取り付けられている。
五十嵐はネクタイを締め直してノックしようとすると、
「開いてるよ」と、中から声がした。
五十嵐は「失礼します」と、言いながらドアを開けた。
中は四十坪の大きさでかなり広く、埋め込み式のたくさんのライトが部屋全体を照らし、その光はまるで外にいるような感覚になるほどだった。
そんな明るい部屋だからこそ余計に左側にある百五十センチほどの大きさの五つ並んだ黒色の卵型のカプセルが嫌でも目に飛び込んでくる。
カプセルは真ん中から上下に割れ、その中に椅子が取り付けられている。
(なんだこれ?最新のマッサージチェアかな)
茶髪にロン毛、金のネックレスをし、カプセルの前に立っている社長がふふふと、笑いながらカプセルの一つを右手で軽く叩いた。
「おせーぞ、五十嵐。今何時だと思ってんだよ」
「遅いってまだ七時なってませんよ社長」
「うるせー。口答えするなっ」
今までの笑顔が嘘かと聞きたくなるくらい怒った社長は五十嵐に近づくとお尻を蹴ってきた。
容赦ない本気の蹴りを食らった五十嵐はあまりの痛さに叫び声をあげた。
「出来るだけ早く来いって言っただろうが松下を見習え。三十分前に来て説明書を熟読してるんだぞ」
「えっ?」
ヒリヒリと痛むお尻をさすりながら社長が向ける指先に目線を送ると、ガラスで出来た長テーブルに六つの黒い椅子が向かえ合わせに並べられており、その一つの椅子に第二開発部プロデューサー松下奈緒《まつしたなお》が座っており。電子の時代の今には珍しい三百ページはあろうかという分厚い本を読んでいた。
松下は腰まである長く黒い髪、綺麗な顔立ちで、赤いフレームのメガネをしている。
ちらっと顔を上に向けてこちらを見て「五十嵐さんおはようございます」と、微笑んだ。
五十嵐はドキッとしながらもそれに答える。
「これはお前の分だ。読んどけ」
社長はいつの間にか手に持っている厚い本を五十嵐に渡した。
両手で受け取ろうとしたが想像以上に重くて危うく落としそうになったのをなんとか堪えて持ち直しす。
五十嵐は本の表紙のグラーモウゼ社新作VRMMORPGの文字を見て奇声をあげた。
「グラーモウゼって、あの?あのグラーモウゼ?で。ですか?」
驚きのあまり舌が回らずうまく言葉が出ない。
五十嵐はグラーモウゼのゲームを仕事に影響が出るほどやり込み、危うく廃人と呼ばれるところまで落ちる所だった。
「そうだ。あのグラーモウゼだよ」
社長はニヤニヤしながら答える。
グラーモウゼ。
三十年前に大蜘蛛英雄《おおくもひでお》が作ったゲームアプリ会社だ。
第一弾のアプリゲーム『ゴッドフェス』は世界三十ヶ国同時配信をし、今までにないゲームシステムが話題になり、一年立たずに総ダウンロード数10億を突破した怪物ゲームだ。
その続編の第二弾、第三弾と合わせて五十億以上のダウロード数を記録し。ギネスブックにも記載され、今でもその記憶は破られていない。
その後、パソコンゲームに参入後二本のMMORPGを発売したが、これも十億ダウンロードの大ヒットを飛ばした。
しかし、あれから10年。
グラーモウゼは新作を一向に発表せず、世界中からいまだに新作の声が熱望されている。
そのグラーモウゼの新作。
「ただのVRMMORPGじゃねーぜ。まるでその場にいるような感覚になる仮想現実システム。通称RVF-MMORPG。RVFは「 reality|リアリティー virtualバーチャル fusion融合」 の略だ」
「reality virtual fusion」。社長はもうしたんですか?」
「俺は社長だぞ。と言っても昨日少しだけどな。でも、発売したら間違いなくゲームの歴史が変わる。世界中のゲーム会社がこぞってこれを真似するような超大作だ」
五十嵐は自慢げに言う社長に少しイラっとするが我慢する。
説明書なんて見なくていい。早く遊んでみたい。
「そのソフトはどこにあるんですか?早く見せてくださいよ」
「どこって目の前にあるだろーが。これがそうだよ」
社長は黒色の卵型の入れ物を叩いて言った。
「こっ、これが新作ゲームですか?」
生唾を何度も飲み込んでゆっくりと近づく。
近づいて初めて分かった。
卵型容器の真ん中には見るからにふかふかそうな黒色の椅子が置かれ、横にはフルメイスのヘルメットがかけられている。
しかし、肝心のコントローラーらしき物が見当たらない。
「社長。コントローラーどれなんですか?」
「コントローラーはいらないんだよ。ここに手を入れたら自動で認識するんだ」
社長は椅子の両方の先にある銀色の球体に手を入れた。
「これがコントローラー」
近未来のゲーム機に興奮が抑えきれず、五十嵐はベタベタと触りまくる。
よそから見たらきっと危ない人に見えるだろう。
「さっきからニヤニヤしながら触るな、気持ち悪いな。さっさと並べ」
社長に頭を叩かれた。
「仕方ないですよ、五十嵐は大のグラーモウゼの大ファンですから」
いつの間にか後ろに立っていた茶髪でラフな格好をしている第六部署プロデューサー大久保大樹《おおくぼだいき》が言った。その横に松下と黒髪を後ろにしたオールバックの第一開発部プロデューサー荒木誠《あらきまこと》が並んでいる。
荒木はこの会社で一番の秀才でメガネを中指で直すと五十嵐を虫を見るような目で見た。
そそくさと三人の横に並ぶ五十嵐。
「お前ら、渡した説明書はある程度読んだか?」
「はい。ところどころですが」
「おっ松下は読むのが早いな」
「俺はあえて読まないっすよ。何も分からずにした方が楽しいですしね」
「大久保。せめて最初の下りは読めと言ってるよな?」
「社長、この説明書ってゲームの中のシステム欄に詳しく書いてるんですよね?」
この時代、紙の説明書は珍しい。
ゲーム上のシステム項目欄に説明が書いてあるのがほぼ100パーセントだ。
むろん五十嵐はあると思っている。
「ねーよ。俺も見たが一切無かった。
無断アップロードを警戒して時代遅れの本で送ってきたくらいだからな。まっ、本にしたところで出回る時は出るんだから一緒と思うが。まーなんだ、少し遊んでから改めて読み直したらいいさ、お前ら四人はこれからこのゲームのバグ探しをメインでして貰うからな」
荒木は黙ったまま卵型のカプセルに入ると椅子に座り、フルマスクをかぶる。
「あっ、荒木、抜け駆けずるいぞ」
大久保は隣にある卵型の中に入って座り、フルマスクをかぶった。
二つの卵型ゲームは起動音が鳴りだし、上の蓋が閉まってまるで卵みたいになった。
「私達も早く始めましょう」
松下も三番目の卵型の中に入る。
五十嵐は慌てて松下の横にある卵型の中に入って椅子に座った。
「や、やわらかー」
まるで自分の体に合わせて中の綿が移動しているように椅子が全身にフィットする。
雲に座ったらきっとこんな感じなんだろうと思った。
横にあるフルメイスをかぶり、両手を銀色の球体に入れた。
2
遠くの方で小さな起動音がなる。
「蓋が閉まったのか。いよいよ始まるぞ」
真っ暗な目の前に轟音とともに稲妻が飛び交い、空中に金色でグラーモウゼの文字が浮かび上がる。
続けてアスフォデルスと書かれた文字が浮かんだ。
アスフォデルスの文字の下に二つの文字が現れる。
初めから開始する。
続きから始める。
五十嵐は初めからを選ぶと、名前入力画面が現れた。
昔からどのゲームでも使っている名前『テュール』と入力する。
次にキャラ設定に入る。
人間、妖精エルフ、山小人ドワーフ、小鬼ゴブリン、狼人ウルフ、豚鬼オーク、人食い怪物オルク、モンスターの文字。
「選べる種族は九種類、少ないかな。でもまだ発売もしてないから仕方ないか」
五十嵐は人間を選んだ。
自分の等身大キャラを選ぶ時は人間以外選んだ事が無い。
男を選び、容姿に移動する。
この容姿で五十嵐はいつもかなりの時間を使ってしまう。
名前はすぐ決まるが、キャラは毎回容姿を変えるため、長い時には二日、三日とキャラ容姿を決めるだけで時間を使ってしまっていた。
そこに爪の太さ、長さを選ぶ項目を発見する。
「変わった項目があるんだな。あえて爪マックスの五十センチまで伸ばすやつなんていないだろう」
いや、中には変わった容姿にするユーザーもいている。
大久保は以前、全身の色を肌色にし、キュウリを股間につけて運営から一週間のBUNにされたニュースを思い出した。
五十嵐は何度も変更してキャラ容姿を変更していると、
「五十嵐、お前いつまでしてんだ、さっさと決めて始めろ。未だにキャラで迷ってるのはお前だけだぞ」
どこからか社長の声が頭に響いてくる。
「わ、分かりましたよ」
(未だにって事はどっかで見てんのかよ。キャラくらいゆっくり考えたかったのに)
五十嵐は、髪を青色にし以外はほぼデフォルトで開始ボタンを押した。
次は職業クラス。
戦士、魔法使い、僧侶、弓兵アーチャー、暗殺者アサシン、貴族、踊り子、魔獣使いとある。
基本クラスが八個あり、さらにその下に枝分かれみたいにたくさんのクラスが並ぶ。
戦士もいいけど、魔法使いも捨てがたい。
散々さんざん迷って剣士と魔法、と両方使える聖騎士パラディンにする。
「終わったー。やっとゲーム始められるな」
と思ったが、さらに自分と旅を同伴するNPCのキャラ設定の項目が出て来る。
(ここもゆっくり決めたかったが、また社長に言われないようにさっさと決めていくか。細かな事は発売してからのお楽しみだな)
名前を《ニージ》に決め、人間、女、赤髪と簡単に容姿を設定して職業を自然司教ネイチャーマスターに決めてクリックする。
次に同伴NPCとの関係一覧が表示される。
恋人、夫婦、友人、家族、親子、奴隷、召使い、執事。
五十嵐は友人を選んでクリックすると、目の前が暗くなるなり、心地いい電子音が頭の中に響いてきた。
ゲームテスターどんぐり社は創立三十年。
社員三百人以上になる中堅企業だ。
創業者で社長の大沢「おおさわ」隆司「たかし」に前日、明日の朝は出来るだけ早くに来るようと言われた
五十嵐「いがらし」晴翔「はると」は暑い中、不安と期待が渦巻く気持ちを抑えながら会社に向かう。
クビか、または出世か、気が付けば年は三十代後半。
ここに努めて十数年。
暑さによる汗とはまた違う汗が背中に広がっていく。
クビになった場合この年での再就職はかなり難しい。
数か月前、全部で六部署ある内の一つ、第五部署を統括するプロデューサーにようやく出世したばかりの事を考えるとまた出世という事はないだろう。
ならクビか?何度も考えるが、特に重大なミスをしたわけじゃない。
(なら部下が何かした?)
あり得る。発売前にゲームの情報を外部に漏らした場合、発売元のメーカーに莫大な慰謝料を請求され、プロデューサーは責任を取りクビになる場合が多い。(それで済めばまだいい方だろう)
事実、五十嵐の第五部署の前プロデューサーの高橋蒼汰《たかはしそうた》はある人気ゲームの新コンテンツのシナリオやボスの名前などを酔っぱらいながら動画配信で話してしまい会社に苦情の電話やメールが殺到、一時的に回線がパンクしてしまった。
そして、全責任を取りクビになり(当たり前だけど)代わりに五十嵐がプロデューサーに昇格した。
大気汚染によりよどんだ空を見つつ、バス乗り場で待つ。
キリキリと痛む胃を押さえつつ、時計を見ると朝七時前だった。
バスの中はもちろん外を見ると、何人ものスーツ姿の会社員が歩いているのが目に入る。
五十嵐は何度も噴き出す汗をハンカチで拭いながら会社がある六十階の高層ビルに入る。
中に入ると冷房で冷えていて、汗がすーと引いていくのが分かった。
(はぁー、生き返る)
どんぐり社はこのビルの十五階と十六階の二フロアを借りている。
十五階に受付、会議室、応接間、第一から第三までの部署。
十六階に第四から第六部署と社長室、秘密部屋がある。
五十嵐は備え付けられている無料のお茶を何度も飲み干してからエレベーターに乗り込み、十五階に上がっていく。
扉が開き、目の前に受付が見える。白を基調とした床に茶色い受付の台があり、左右に六十センチほどのどんぐりに顔を描いたような人形が置いてある。五十嵐自身一度も可愛いやカッコいいと思った事はないが、グッズ化したストラップや人形などが飛ぶように売れていて社長はほくほくのようだ。
受付には白を基調とした制服を着た女性が二人がすでに立っている。
(はやっ。受付の人っていつもこんな早く来てるのか)
いつもは八時過ぎに出社している五十嵐にとって驚きだった。
頭の中で考えていると、目が合った一人の受付嬢が話しかけてくる。
「おはようございます。五十嵐さん。社長が出社したら秘密部屋に来るようにとのことです」
「えっ?秘密部屋にですか?」
もう一度聞き返したのは秘密部屋という子供が考えたような名前とは裏腹に社内でもトップシークレットの情報を扱う場所で五十嵐はこの部屋に一度も入った事がなかったからだ。
「はい」と、受付嬢の一人は笑顔で答えた。
「わ、分かりました。すぐに行きます」
二人の受付嬢に頭を軽く下げると、右側にある階段を登って十六階に上がり、扉を開ける。
中は巨大なフロアで、三部署に壁で分かれていている。
横の扉を開けると中は廊下になっていて、十メートルほど先に社長室があり、三メートルほど先の左手に秘密部屋がある。
五十嵐は茶色のドアの前に立つ。
赤い文字で「秘密部屋」と書かれていた。
取っ手の横には指紋認証装置、上には監視カメラが取り付けられている。
五十嵐はネクタイを締め直してノックしようとすると、
「開いてるよ」と、中から声がした。
五十嵐は「失礼します」と、言いながらドアを開けた。
中は四十坪の大きさでかなり広く、埋め込み式のたくさんのライトが部屋全体を照らし、その光はまるで外にいるような感覚になるほどだった。
そんな明るい部屋だからこそ余計に左側にある百五十センチほどの大きさの五つ並んだ黒色の卵型のカプセルが嫌でも目に飛び込んでくる。
カプセルは真ん中から上下に割れ、その中に椅子が取り付けられている。
(なんだこれ?最新のマッサージチェアかな)
茶髪にロン毛、金のネックレスをし、カプセルの前に立っている社長がふふふと、笑いながらカプセルの一つを右手で軽く叩いた。
「おせーぞ、五十嵐。今何時だと思ってんだよ」
「遅いってまだ七時なってませんよ社長」
「うるせー。口答えするなっ」
今までの笑顔が嘘かと聞きたくなるくらい怒った社長は五十嵐に近づくとお尻を蹴ってきた。
容赦ない本気の蹴りを食らった五十嵐はあまりの痛さに叫び声をあげた。
「出来るだけ早く来いって言っただろうが松下を見習え。三十分前に来て説明書を熟読してるんだぞ」
「えっ?」
ヒリヒリと痛むお尻をさすりながら社長が向ける指先に目線を送ると、ガラスで出来た長テーブルに六つの黒い椅子が向かえ合わせに並べられており、その一つの椅子に第二開発部プロデューサー松下奈緒《まつしたなお》が座っており。電子の時代の今には珍しい三百ページはあろうかという分厚い本を読んでいた。
松下は腰まである長く黒い髪、綺麗な顔立ちで、赤いフレームのメガネをしている。
ちらっと顔を上に向けてこちらを見て「五十嵐さんおはようございます」と、微笑んだ。
五十嵐はドキッとしながらもそれに答える。
「これはお前の分だ。読んどけ」
社長はいつの間にか手に持っている厚い本を五十嵐に渡した。
両手で受け取ろうとしたが想像以上に重くて危うく落としそうになったのをなんとか堪えて持ち直しす。
五十嵐は本の表紙のグラーモウゼ社新作VRMMORPGの文字を見て奇声をあげた。
「グラーモウゼって、あの?あのグラーモウゼ?で。ですか?」
驚きのあまり舌が回らずうまく言葉が出ない。
五十嵐はグラーモウゼのゲームを仕事に影響が出るほどやり込み、危うく廃人と呼ばれるところまで落ちる所だった。
「そうだ。あのグラーモウゼだよ」
社長はニヤニヤしながら答える。
グラーモウゼ。
三十年前に大蜘蛛英雄《おおくもひでお》が作ったゲームアプリ会社だ。
第一弾のアプリゲーム『ゴッドフェス』は世界三十ヶ国同時配信をし、今までにないゲームシステムが話題になり、一年立たずに総ダウンロード数10億を突破した怪物ゲームだ。
その続編の第二弾、第三弾と合わせて五十億以上のダウロード数を記録し。ギネスブックにも記載され、今でもその記憶は破られていない。
その後、パソコンゲームに参入後二本のMMORPGを発売したが、これも十億ダウンロードの大ヒットを飛ばした。
しかし、あれから10年。
グラーモウゼは新作を一向に発表せず、世界中からいまだに新作の声が熱望されている。
そのグラーモウゼの新作。
「ただのVRMMORPGじゃねーぜ。まるでその場にいるような感覚になる仮想現実システム。通称RVF-MMORPG。RVFは「 reality|リアリティー virtualバーチャル fusion融合」 の略だ」
「reality virtual fusion」。社長はもうしたんですか?」
「俺は社長だぞ。と言っても昨日少しだけどな。でも、発売したら間違いなくゲームの歴史が変わる。世界中のゲーム会社がこぞってこれを真似するような超大作だ」
五十嵐は自慢げに言う社長に少しイラっとするが我慢する。
説明書なんて見なくていい。早く遊んでみたい。
「そのソフトはどこにあるんですか?早く見せてくださいよ」
「どこって目の前にあるだろーが。これがそうだよ」
社長は黒色の卵型の入れ物を叩いて言った。
「こっ、これが新作ゲームですか?」
生唾を何度も飲み込んでゆっくりと近づく。
近づいて初めて分かった。
卵型容器の真ん中には見るからにふかふかそうな黒色の椅子が置かれ、横にはフルメイスのヘルメットがかけられている。
しかし、肝心のコントローラーらしき物が見当たらない。
「社長。コントローラーどれなんですか?」
「コントローラーはいらないんだよ。ここに手を入れたら自動で認識するんだ」
社長は椅子の両方の先にある銀色の球体に手を入れた。
「これがコントローラー」
近未来のゲーム機に興奮が抑えきれず、五十嵐はベタベタと触りまくる。
よそから見たらきっと危ない人に見えるだろう。
「さっきからニヤニヤしながら触るな、気持ち悪いな。さっさと並べ」
社長に頭を叩かれた。
「仕方ないですよ、五十嵐は大のグラーモウゼの大ファンですから」
いつの間にか後ろに立っていた茶髪でラフな格好をしている第六部署プロデューサー大久保大樹《おおくぼだいき》が言った。その横に松下と黒髪を後ろにしたオールバックの第一開発部プロデューサー荒木誠《あらきまこと》が並んでいる。
荒木はこの会社で一番の秀才でメガネを中指で直すと五十嵐を虫を見るような目で見た。
そそくさと三人の横に並ぶ五十嵐。
「お前ら、渡した説明書はある程度読んだか?」
「はい。ところどころですが」
「おっ松下は読むのが早いな」
「俺はあえて読まないっすよ。何も分からずにした方が楽しいですしね」
「大久保。せめて最初の下りは読めと言ってるよな?」
「社長、この説明書ってゲームの中のシステム欄に詳しく書いてるんですよね?」
この時代、紙の説明書は珍しい。
ゲーム上のシステム項目欄に説明が書いてあるのがほぼ100パーセントだ。
むろん五十嵐はあると思っている。
「ねーよ。俺も見たが一切無かった。
無断アップロードを警戒して時代遅れの本で送ってきたくらいだからな。まっ、本にしたところで出回る時は出るんだから一緒と思うが。まーなんだ、少し遊んでから改めて読み直したらいいさ、お前ら四人はこれからこのゲームのバグ探しをメインでして貰うからな」
荒木は黙ったまま卵型のカプセルに入ると椅子に座り、フルマスクをかぶる。
「あっ、荒木、抜け駆けずるいぞ」
大久保は隣にある卵型の中に入って座り、フルマスクをかぶった。
二つの卵型ゲームは起動音が鳴りだし、上の蓋が閉まってまるで卵みたいになった。
「私達も早く始めましょう」
松下も三番目の卵型の中に入る。
五十嵐は慌てて松下の横にある卵型の中に入って椅子に座った。
「や、やわらかー」
まるで自分の体に合わせて中の綿が移動しているように椅子が全身にフィットする。
雲に座ったらきっとこんな感じなんだろうと思った。
横にあるフルメイスをかぶり、両手を銀色の球体に入れた。
2
遠くの方で小さな起動音がなる。
「蓋が閉まったのか。いよいよ始まるぞ」
真っ暗な目の前に轟音とともに稲妻が飛び交い、空中に金色でグラーモウゼの文字が浮かび上がる。
続けてアスフォデルスと書かれた文字が浮かんだ。
アスフォデルスの文字の下に二つの文字が現れる。
初めから開始する。
続きから始める。
五十嵐は初めからを選ぶと、名前入力画面が現れた。
昔からどのゲームでも使っている名前『テュール』と入力する。
次にキャラ設定に入る。
人間、妖精エルフ、山小人ドワーフ、小鬼ゴブリン、狼人ウルフ、豚鬼オーク、人食い怪物オルク、モンスターの文字。
「選べる種族は九種類、少ないかな。でもまだ発売もしてないから仕方ないか」
五十嵐は人間を選んだ。
自分の等身大キャラを選ぶ時は人間以外選んだ事が無い。
男を選び、容姿に移動する。
この容姿で五十嵐はいつもかなりの時間を使ってしまう。
名前はすぐ決まるが、キャラは毎回容姿を変えるため、長い時には二日、三日とキャラ容姿を決めるだけで時間を使ってしまっていた。
そこに爪の太さ、長さを選ぶ項目を発見する。
「変わった項目があるんだな。あえて爪マックスの五十センチまで伸ばすやつなんていないだろう」
いや、中には変わった容姿にするユーザーもいている。
大久保は以前、全身の色を肌色にし、キュウリを股間につけて運営から一週間のBUNにされたニュースを思い出した。
五十嵐は何度も変更してキャラ容姿を変更していると、
「五十嵐、お前いつまでしてんだ、さっさと決めて始めろ。未だにキャラで迷ってるのはお前だけだぞ」
どこからか社長の声が頭に響いてくる。
「わ、分かりましたよ」
(未だにって事はどっかで見てんのかよ。キャラくらいゆっくり考えたかったのに)
五十嵐は、髪を青色にし以外はほぼデフォルトで開始ボタンを押した。
次は職業クラス。
戦士、魔法使い、僧侶、弓兵アーチャー、暗殺者アサシン、貴族、踊り子、魔獣使いとある。
基本クラスが八個あり、さらにその下に枝分かれみたいにたくさんのクラスが並ぶ。
戦士もいいけど、魔法使いも捨てがたい。
散々さんざん迷って剣士と魔法、と両方使える聖騎士パラディンにする。
「終わったー。やっとゲーム始められるな」
と思ったが、さらに自分と旅を同伴するNPCのキャラ設定の項目が出て来る。
(ここもゆっくり決めたかったが、また社長に言われないようにさっさと決めていくか。細かな事は発売してからのお楽しみだな)
名前を《ニージ》に決め、人間、女、赤髪と簡単に容姿を設定して職業を自然司教ネイチャーマスターに決めてクリックする。
次に同伴NPCとの関係一覧が表示される。
恋人、夫婦、友人、家族、親子、奴隷、召使い、執事。
五十嵐は友人を選んでクリックすると、目の前が暗くなるなり、心地いい電子音が頭の中に響いてきた。