真っ白な空間。見渡す限り、何もない。
 目の前には、ポツンとデスクが一つ。座っているのは、スーツ姿で眼鏡をかけた、いかにも公務員みたいな七三分けの男。
 ここは、どこだ。

「この度はご愁傷さまでした」

 大して思ってもいなさそうな声で、七三分けが言った。

「え、なに、なにが」
長野浩太(ながのこうた)様。令和五年三月一日、午後六時三十三分。就職活動中に、駅のホームから突き落とされ、電車に轢かれて死亡。お間違いないですね」
「は……?」

 言われた内容が飲み込めなくて、間抜けな声しか出ない。突き落とされた? 俺が? 轢かれた?

 ――死んだ?

 ぞわっと全身に鳥肌が立った。なんだそれ。なんだ、それ。

「突き、落とされた、って、なんで」
「仕事に疲れたサラリーマンの犯行だそうです。あなたが恨みを買ったとかでなく、誰でも良かったようですよ。ホームの先頭に立っていると、たまにある事例ですね」

 淡々と告げられて、俺は怒りが込み上げてきた。たまにあるって。あんたにとっちゃ何度もあった事例かもしれないが、俺にとっては、たった一度きりの人生だったのに。

 俺が文句を言おうと口を開く気配を察したのか、七三分けが先手を打った。

「お怒りはごもっともですが、私に言われてもどうにもできません。あなたが死亡したのは変えようのない事実です。私の職務は、あなたを次の人生にご案内すること」
「次の、人生……?」
「三十歳未満で死亡した場合、救済措置として次の転生先を自由に選択できるようになっています」
「て、てんせいさき……?」
「生まれ変わりですよ。普通はそれまでの人生を考慮して自動で決まりますが、若くして亡くなった方は次の人生を謳歌できるよう、ご本人の意思を尊重するようになっています。どのような世界で生きたいか、どのような職で働きたいか。ご希望を言っていただければ、近い形になるように魂を転生させます」

 未だ混乱してはいるものの、俺は七三分けの言葉に耳を傾け始めていた。
 人生を、好きに決められる?

「それって、例えば大金持ちの嫡男に生まれて、一生働かずに金にも困らずに女の子に囲まれてハーレム、みたいな生き方もできんの?」
「大金持ちの嫡男に生まれることはできますが、その先は保証いたしかねます」
「できないのかよ!」

 思わずつっこんだ。好きに選択できるんじゃないのか。

「選択できるのは、あくまで最初の一歩。他人より有利に進められる、生まれや才能の有無です。それを活かせるかどうかは本人次第です。継続的なサポートはいたしかねます。特定の職業をお選びいただいた場合、本人がよほどのことをしでかさなければ、一度はその職につけるように因果を調整いたします。しかし継続して勤務できるかどうかは、やはり本人次第です」

 小難しい言い方に眉を寄せた俺に、七三分けは続けた。

「先ほどの例で言えば、生まれを資産家の嫡男とすることは可能です。容姿を女性に好まれるレベルにすることもできます。ですが、家業を継いだとしても、資産運用に失敗すれば破産する可能性はあります。きちんとしていれば美形でいられても、自堕落な生活を送れば肥え太り醜くなる可能性はあります。初めに受け取ったギフトを、人生の最後まで保有していられるかどうかは保証対象外です」

 俺は考え込んだ。決められるのは、人生のスタートだけ。
 つまり、大きく躓いたとしても問題がないほど恵まれた環境を指定するか、失敗したとしても自分で挽回可能な範囲の環境を指定するのが安全というわけか。

「それって、今すぐ決めないとダメなのか?」
「いえ、皆様悩まれますので、一週間ほど猶予があります。選択肢も自由すぎると困るという意見を反映し、過去のサンプルをご用意しておりますので、こちらをご覧いただければ」

 そう言って渡された分厚い冊子をぱらぱらと捲ると、驚くような情報が並んでいた。

【転生先:剣と魔法の冒険中心世界。職種:冒険者。技能:強靭な肉体。出自:騎士家庭】

【転生先:近代西欧風世界。職種:王太子妃。技能:絶世の美貌。出自:公爵家長女】

 なんじゃこりゃ。

「ゲーム?」
「最初に申し上げた通り、どのような『世界』に転生するかも選択できます。もちろん、今までと同じ世界も選べますよ。ちなみに記憶の保持も選択できますので、同じ世界でやり直しをご希望される方もいます」
「ああ、本当だ」

【転生先:現代日本。職種:公務員。技能:中の上程度の知能。出自:中流家庭】

 俺は首を傾げた。何もかも自由に選択できるというのに、なんだろうか、この普通すぎる選択は。いったい何を思ってこんな選択をしたのだろう。やり直すにしたって、もっとハイスペックにしておけば楽そうなのに。

「そちらの冊子はお持ちいただいて結構です。それでは、今後一週間滞在するお部屋にご案内いたします」

 七三分けの案内に従って歩くと、何もない空間にぽつりと扉があった。そこを潜ると、最高級ホテルのスイートルームのような部屋が広がっていた。

「すっげ……」

 俺は思わず感嘆の声を漏らした。

「一週間、こちらを自由にご使用いただけます。何かご入り用なものがありましたら、インターホンでお申し付けください。期限より先に決められた場合は、すぐにでも転生いただけます」
「りょーかいっす」

 こんな贅沢な空間で一週間だらだらできるのなら、期限いっぱい使いたい。むしろ延長したい。
 そう思いながら、部屋から出ていった七三分けに目もくれず、俺は広々としたベッドにダイブした。

 ごろごろしながら冊子を見て、俺はわくわくしていた。自分の人生を自由に選べるなんて、こんな幸運なことはない。家族には悪いが、こんな特典が受けられるなら、むしろ若い内に死んで良かったかもしれない。
 だって俺は――落ちこぼれ、だったのだから。

 じゃなきゃ、三月の上旬にもなって就職活動なんかしていない。内定が決まっていなかったからだ。
 このまま就職浪人するんじゃないかと、ノイローゼ寸前だった。だから俺は、正直、あの瞬間。ほっとしたのだ。
 これでもう、就職活動をしなくていいのだと。ここで死んだとしても、俺は『大学生』として報道されるだろう。『無職』とか『フリーター』などと言われることはない。

 今度こそ。俺は、輝かしい人生を送るのだ。


*~*~*


 一日目は、とにかく冊子を読んでいた。色んな人生を選択した人たちがいて、設定しか書かれていないのに、その先を想像しては一つの物語を読んだかのように楽しんだ。
 二日目は、冊子を眺めながらも、自分のことを想像した。この人と同じ設定にしたら、自分はどんな風に生きようか。この人とこの人の設定を組み合わせたら。自分の明るい未来を想像して、わくわくした。

 そして三日目。俺は、既にブルーになっていた。
 もう三日目だ。いい加減、真面目に決めなくちゃならない。
 紙に色々書き出しては、俺という人間がどう生きられるかを考えてみた。

 剣と魔法のファンタジー世界で冒険したら? 男なら誰もが憧れる世界だ。きっと楽しいだろう。
 でも、魔物がいるような世界で。俺は、果たして無事に生きていけるのだろうか。冒険者になって冒険したとして、五体満足で生きていられるだろうか。
 肉体を頑強に設定しても、どんな強敵にも必ず勝てるわけじゃない。もし負けたら? 足でも失ったら? その先俺はずっと片足で生きていけるのか。リタイア後の仕事はあるのか。誰かが支えてくれるのか。その誰かを、俺はどうやって見つけるのだろう。

 もっと安全な世界なら。女のように、誰かに婿入りして主夫になるのはどうだろう。俺はずっと女が羨ましいと言っていたじゃないか。
 近代西洋、華やかな世界。階級がものを言う世界なら、生まれが高貴なだけでそこそこ安泰だ。金持ちと結婚して、三食昼寝付き。夢見たぐうたら生活だ。
 けど、それが自然にできるほど女が稼げる世界なら。俺はもしかして、馬鹿にされるんじゃないだろうか。
 使用人が家事一切をしてくれるような家なら、格式が求められるだろう。俺にそんな堅苦しい生活ができるだろうか。常に誰かに見張られているような生活で、息ができるだろうか。
 自分で家事をする生活なら、俺が妻の分まで飯を作ったり掃除したり洗濯したりしないといけないのだ。そのくらいできるって思っていたはずなのに、いざ実際に未来永劫妻と死に別れるまで三六五日やり続けるのだと思ったら、何故だかぞっとした。

 やっぱり慣れた世界がいいかもしれない。現代日本。
 金持ちの家に生まれて、社長にでもなればいい。社長で女が寄ってこないはずはない。仕事にも金にも困らないし、地位も名誉もあって承認欲求も満たせる。
 けれど、社長になったとして。その先は俺次第、ということは、俺の手腕で会社がどうにでもなってしまうということだ。
 技能で高知能を獲得していれば、なんとかなるだろうか。けど、社長業は頭脳だけでなんとかなる仕事じゃない。能力があったとして、常に与えられるプレッシャーに、俺は耐えられるのだろうか。俺の決断一つで社員が路頭に迷う。そんな仕事を、一生。もしも俺のせいで職を失う社員が出たら、それこそまたホームから突き落とされるかもしれない。

 ぐるぐる、ぐるぐる。考えても考えてもまとまらない。

 大丈夫だ、まだ三日目だ。期限まで、ゆっくり考えればいい。
 俺は少しでも脳を休めようと目を閉じた。


*~*~*


 四日目。ぐるぐると同じことを考え続けて、考えて考えて、考えるだけで時間が過ぎた。もうとっくに、スイートルームを満喫する気力は残っていなかった。
 五日目。思っていることを紙に書き出してみた。言葉はどんどん連なって、絵になって、塗りつぶして、最終的に紙はぐちゃぐちゃになった。
 六日目。紙だけでなく、もう頭の中もぐちゃぐちゃだった。あと一日しかない。明日には決めないといけない。今日中に、考えを固めなくては。

 どうしよう。どうやって決めよう。いっそ運に任せてみようと、あみだくじを作ってみたりもした。でも結局、出た結果に納得ができないのだ。

 何にでもなれるのに。どんな風にも生まれられるのに。
 親ガチャとか言ってただろ。環境が全てだ、と思ってたろ。最高の設定を作ればいいじゃないか。それなのに。

 強くなっても。偉くなっても。賢くなっても。美形になっても。金持ちになっても。

 その先の未来を、想像できない。自分がそうなった姿を、具体的に思い描けない。
 分不相応なギフトを与えられて、俺はそれをうまく使いこなせるのだろうか。

 新しく生まれ直すのだから、俺は『俺』のままじゃない。そのはずなのに、今の俺が選べるとなると、やはり『俺』を基準に考えてしまう。
 記憶を失くすのは怖い。できれば覚えておきたい。同じ失敗をしないように。
 しかしそうすると、結局俺の人格は『俺』のままなのだ。俺のままで生きるのなら、今の俺が無理だと感じることは、来世でも無理だろう。

 怖い。知らない生き方をするのは怖い。知らない人生は怖い。何が起こるかわからないのは怖い。怖い。怖い。怖い。

 ああ、もう、なんだか。

 何も考えたくない。


*~*~*


「長野浩太様。来世はお決まりになりましたか?」
「…………はい」

 長い間を置いて、俺は蚊の鳴くような小さな声で答えた。
 正直、まだ決心がつかない。でも期限だ。答えなくちゃならない。
 これで本当に後悔しないか。嫌だと思ってもやり直せない。だけど、他の選択肢も全部後悔する気しかしない。
 だって俺は俺だから。俺のやり方しかできないから。だから。

「以前と、同じにしてください」

 俺の回答に、七三分けは黙って視線を向けた。俺は俯いて、目を合わせなかった。

「よろしいのですか?」
「……はい」
「記憶はどうなさいますか?」
「持った、ままで」
「承りました。それでは、ご案内いたします」

 重い足取りで、七三分けについていく。
 足が止まったので、俺も立ち止まって顔を上げた。そこには扉が一つ。

「この扉を潜ると、転生となります。一度潜れば、後には戻れません。最終確認ですが、よろしいですね?」
「…………はい」

 この期に及んで、即答できない。それでも、これ以外、考えつかなかった。
 これで、いいのだ。同じであれば。一度、学習しているのだから。きっと前世よりうまくいく。
 同じことの繰り返しだから。知っているから。わかっているから。
 慣れていることなら、安心だ。

「それでは、行ってらっしゃいませ」

 頭を下げた七三分けには目もくれず、俺は鉛のように思い頭と体で、その扉を潜った。


★★★


「せーんぱい! おつかれさまでーす」

 甲高い声に、七三分けの男はファイリングしていた手を止めて、顔を顰めた。
 明るい声の持ち主は、スーツ姿の小柄な女だった。彼女は男の手元を見て、疑問の声を上げた。

「あれ? これ、さっきまで担当してた男性ですか? 電車事故の」
「ええ、そうですよ」
「えーっ! なんか厨二病みたいな顔してたのに! こーんな普通の転生選んだんですかぁ!? てっきりダンジョンで無双! とかしたいのかと思ってましたぁ」
「失礼ですよ。顔は関係ありません。ま、こうなる気はしてましたけど」

 溜息を吐いた男に、女は首を傾げる。

「こういう自分に自信のない臆病な人間は、未知の世界に飛び込む勇気なんかないんですよ。現状にあれやこれやと文句を言ったところで、いざ変えてもいいとなったら、変えられない。未知の恐怖に耐えられないからです。例え今が辛くても、その辛さには慣れているから耐えられる。理不尽な目に遭っていても、逃げた先が今より理不尽かもしれないと恐怖する。考えすぎて動けないから、とにかく現状を維持しようとするんです。『今』を維持している限り、少なくとも今より悪くはなりませんから」

 ファイルに目を落とした男に、女は腕組みをして唸った。

「んー? あたしにはよくわかんないです。だって自分が変わらなくても、周りは変わっていくじゃないですか。ずうっと不変のことなんてないのに。自分だけ変わらないなら、それって維持じゃなくて、悪化してませんかぁ?」
「それをわかっていて、維持できなくなるぎりぎりまで引き延ばしたいのが、こういう方々なんですよ。だから大抵、より良くしようとして記憶の保持を選ぶのに、同じ人生をなぞる。新しい選択肢を掴み取ることができず、以前と同じ選択をして、同じ失敗をする。難儀なものですね」
「全くおんなじなら、転生させる意味ないじゃないですかぁ。あーあ、あたしたちのお仕事ってなんなのか考えちゃいますねぇ」

 ぼやいた女に息を一つ吐いて、男はファイルを閉じた。

「私たちの仕事は、チャンスを与えるところまでです。そのチャンスを生かすか殺すかはお客様次第。チャンスを掴む勇気のない人間は、幸福も掴むことはできないんですよ」
「せちがらーい」
「いいから早く仕事に戻りなさい。いつまでさぼっているんですか」
「はぁい」

 気だるげに返事をして、女は姿を消した。
 男はそれを見送って、ファイルを片付ける。

 しばらくして、光が瞬く合図を目にすると、男は姿勢を正し、やがて目の前に現れた人間に視線を向けた。

「この度はご愁傷さまでした」