誠一と一緒にパリの街を回り、お土産を買い、夕食を終えた美玲。
 いよいよセーヌ川クルーズだ。
 もう夜九時前なのだが、パリの街はまだ明るい。
 美玲も誠一も、それが普通だと思えるようになっていた。
「セーヌ川クルーズ、楽しみ。シテ島とかサン=ルイ島を回るんだっけ?」
 美玲がクルーズのパンフレットを見て首を傾げている。
 スマートフォンの翻訳アプリをかざし、何とか日本語を読み取っているのだ。
 クルーズマップには、セーヌ川の中洲であるシテ島とサン=ルイ島が載っていた。
「えっと……そうだな。パンフレットにもそれっぽいこと書いてある。お、火災から復興中のノートルダム大聖堂も見られるんだ」
 誠一もスマートフォンの翻訳アプリを使っていた。

 船に乗り込み、屋外デッキに出る美玲と誠一。
「あ! エッフェル塔ライトアップしてる!」
 時刻は午後九時。
 美玲は目を輝かせながらライトアップされているエッフェル塔を見ている。
 もちろん写真や動画を撮ることを忘れてはいない。

 少し明るい夕暮れのような空に、キラキラと輝くエッフェル塔。まるで宝石をまとった鋼のレースである。
 このライトアップはシャンパンフラッシュと呼ばれている。

「すげえな」
 誠一もゆっくりと動き出す船の上からエッフェル塔を見上げて写真を撮っていた。

 船内にはフランス語の解説の後、英語の解説が流れる。
 船の屋内でクルーズのガイドがアナウンスしているようだ。
「……何かフランス人の英語って、こう……あんまり上手くないんだな」
 癖のある英語アナウンスを聞いた誠一が少し苦笑している。
「そうだね。何か発音しにくそう。でも、こんなもんでいいんだって何か自信つく気がする。日本人のカタコト英語と似たようなレベルに感じてさ」
 クスッと笑う美玲。
「確かに」
 誠一もクスッと笑った。
 そうしているうちに、シテ島、サン=ルイ島付近までやってきた。
「おお、ノートルダム大聖堂だ!」
 誠一が目を輝かせている。
「わあ……」
 美玲もその威厳ある巨大な建物に圧倒されていた。
 ただ、二〇一九年の火災により屋根や尖塔が焼け落ちてしまっていて、現在火災から復興中である。
 復興中の姿も写真に収める美玲と誠一であった。

 のんびりとした様子で流れゆくパリの街並みのを眺める美玲と誠一。
 整頓された並木、そして白やベージュを基調とした石造りや漆喰の建物。
 美玲は穏やかな気持ちだった。
「私さ、何のために生きてるんだろうって、何のために生まれてきたんだろうって、ずっと思ってた」
 ポツリと美玲が話し始める。
 誠一は美玲の横顔を見ながら、話を聞く。
「でも、このツアーに参加して分かった。……私、この旅行のために生まれてきたような気がする」
 景色を見ながら、穏やかに微笑む美玲。
「うん、私、この旅行のために生きてきたんだ。フランスに、パリに行くために」
 美玲のその表情は、とても力強く感じた。
「そっか」
 誠一は嬉しそうに目を細めた。
「中川くんはさ、命とお金とパスポートさえあればどこにでも行けるって言ってたじゃん」
 美玲は一昨日誠一から言われたことを思い出していた。
「おう」
 誠一は頷く。
「本当にその通りだなって思った。私はどこにでも行けるんだって」
 晴れやかな表情の美玲。
 美玲はゆっくりと誠一の方を見る。
 高校時代、誠一に抱いていた気持ちがゆっくりとあふれ出す。
「中川くん、一昨日の返事だけど……」
 美玲は少しだけ頬を赤く染める。
「おう……」
 誠一は少し緊張して様子だ。ゴクリと唾を飲み込む音がした。
「私でよければ、是非付き合ってください」
 美玲はまっすぐ誠一を見つめ、微笑んでいた。
「本当に……?」
 誠一は嬉しそうに目を大きく見開く。
「うん。実はね、私も高校時代の時から中川くんのこと好きだったんだ。でも関係壊すのが怖くて言えなかった」
 懐かしむような表情の美玲。
「そっか。ああ、高校時代本当に告白しときゃよかった」
 誠一は苦笑しながらそう嘆く。
「でも十年前だよ。当時付き合ってたら、何かあって別れてる可能性もあったじゃん」
 悪戯っぽい笑みの美玲。
「でも晃樹と早乙女さんの事例あるぞ」
 フッと笑う誠一。
「まあ……それもそうか」
 美玲は凛子と晃樹の仲のいい様子を思い出す。
「ねえ、中川くん……」
 美玲は一呼吸置く。
「それでさ、またいつか……エジプトに行かない? 私と」
 美玲はまっすぐ誠一を見つめる。

 エジプト。誠一が初めて行った海外である。従兄(いとこ)の晴斗と一緒に行った思い出の場所。
 しかし、晴斗が日本に帰国後自殺してしまったことで、誠一にとっては少しトラウマになっていた。

 誠一は真剣な表情になる。
「……そうだな。……岸本さんとなら、行けそうな気がする。またエジプトに行って、楽しい思い出を作りたい」
 誠一は穏やかに口角を上げた。
「うん。絶対に行こう」
 美玲はホッとしたように微笑んだ。
「エジプト以外にも、ヨーロッパの他の国とかも行ってみたい」
「おう、いいなそれ。今の俺の給料なら、奨学金返済しながらでも年に一回は行けるぞ」
 ドヤ顔の誠一。
「奨学金返しながら!? すごいね。流石大手。私奨学金とか全然借りてないけど……まあ普通に年に一回くらいなら何とかなるかも」
 少し考えてそう答える美玲。
「いや、私立で院まで行って奨学金なしって岸本さんの実家どんだけ金持ちなんだよ?」
 誠一は羨ましそうな表情だった。
「まあ、今のクソ冬田がいる職場なんかもう辞める予定だけど。まあ先に転職エージェントに登録して転職先見つけてからになるけどさ。凛ちゃんもさ、転職先決めてから退職願出した方がいいって言ってたし。クソ冬田さえいなければまあ辞めなくてもいいかなとは思える職場なんだけどね」
「そっか。それがいいと思う。ていうかそういや早乙女さん、転職エージェント勤務って言ってたな」
 誠一は凛子に関する情報を思い出していた。
「そうだよ」
 ふふっと笑う美玲。
「よし、私はこれから自分の人生を生きてやるんだ」
 美玲のその表情は明るく輝いていた。
「おう、その意気だ」
 誠一も嬉しそうに笑っていた。

 こうして、美玲は人生の夜明けを迎えたのであった。