La vie en rose 〜人生の夜明けはパリの街で〜

「ああ、これ美味しい。牛肉が柔らかい」
 美玲は目の前に出された牛肉のプロヴァンス風蒸し煮に舌鼓を打っていた。
 牛肉の旨味、トマトの酸味、ハーブの香りが絶妙に混ざり合い、美玲は満足そうに頬を緩める。
「確かに、美味いな」
 美玲の隣にいた誠一も料理に夢中であった。バゲットにソースを付けて食べている。

 南フランスのプロヴァンス地方から、太陽の恵みをたっぷり受けた食材を取り寄せてふんだんに使用した料理を提供するこのビストロ。観光客にも人気の店である。

 現在美玲達ツアー参加者はビストロで昼食中である。

「何か二日目はエスカルゴとか鯛のポワレとかクレームブリュレで、これぞテレビとかで写真でよく見るフランス料理みたいな感じだったけど、今日のはまたちょっと違った感じがするね」
 美玲はロワール地方で食べた昼食と比べていた。
「南フランスとか、プロヴァンス地方ってイタリア料理とか北アフリカ料理から結構影響受けてるみたいやからね」
 メインの牛肉の蒸し煮を食べた凛子は、炭酸水を飲みながらそう笑う。
「ニースで食べていた料理もこんな感じでした」
 朱理はそう言いながら、品よくナイフで牛肉を切って食べている。慣れた仕草が本当にお嬢様だ。
「フランス料理っていっぱいあるんですね〜。どれも美味しいです。量は結構多いですけど。あ、そういえば、バームクーヘンってフランスのお菓子でしたっけ?」
 穂乃果が牛肉を頬張りながらへにゃりと笑った。
「バームクーヘンはドイツですよ。フランスのお隣です」
 美桜が苦笑する。
「確かに量は多めだよね。私、昨日のお昼ちょっとだけ残しちゃった」
 菫が困ったように笑っていた。
「ああ、日本の感覚だと残すのは申し訳ないと思ってしまいますけど、フランスでは多ければ残しても大丈夫ですよ。自分の胃を守るためのことですからね」
 明美が菫の罪悪感を消すかのように、やんわりと微笑んだ。

 パリのビストロで昼食を取った後、美玲達はバスで美術館に向かった。

◇◇◇◇

「はい皆さん、ここがよくテレビやガイドブックなどで見る景色ですね」
 美術館に向かう一行(いっこう)だが、先頭の仁美が一旦立ち止まった。
 美玲達がいるのはナポレオン広場。
 広場中央付近に、かの有名な大きなガラスピラミッドがある。
「うわあ、本物だ」
「テレビとかで見るのと同じやつだ」
 新婚夫婦の佳奈と悠人が足を止める。
「まずは美術館に入りますので、写真は自由行動の時にじっくりとお撮りいただけますよ」
 最後尾から明美がツアー参加者達にそう呼びかけた。

◇◇◇◇

 簡単な手荷物検査を受けて、美術館に入った美玲達。
 仁美の話によると、実はこの美術館、元は宮殿だったそうだ。美術館の地下に宮殿として使われていた跡が残っていた。厳かな雰囲気が広がっている。

 いよいよ本格的な美術館見学スタートである。
 中学校の美術の教科書で見たことがあるような彫刻が展示してある部屋を一旦通り過ぎ、フランスの王族が使っていたとされる王冠やティアラが展示してある場所へ向かった。

 そこは、何とも煌びやかな空間だった。
 中央のガラスケースに豪華な王冠やティアラやアクセサリーなどが展示してある。
 それだけでなく、壁や天井には厳かな絵が描かれていたり、意匠が凝らされた模様が彫られたりしていた。
 ガラスケースの前には大勢の観光客が群がって写真を撮っていた。
 皆、豪華な品に夢中になっていた。
「お姉ちゃん、すごいね。フランスの王族達、こんな豪華なものを着けてたんだ」
「うん、そうだね。細部まで凝ってる」
 神田姉妹の菫と美桜が美玲の隣でそう話していた。妹の菫は目をキラキラと輝かせている様子だ。
(うわあ、結構宝石とか使われてるなあ。めちゃくちゃ豪華じゃん。でも、何か重たそう……)
 美玲はガラスケースの中に展示されている王冠を自身のスマートフォンで撮影しながらそう感じた。
 説明文はフランス語と英語でしか書いていないので読めなかった。

 その後仁美の後に続き、様々な宗教画や様々な絵画が飾られた部屋に移動するツアー参加者一行(いっこう)
 仁美から宗教画の条件など聞くのだが、宗教的なことはさっぱりの美玲である。
 朱理は熱心に仁美の解説に頷いたりしていた。
「宗教……キリスト教とかは日本人にはあんまり馴染みないからよう分からんよなあ」
 美玲の隣で凛子が呟く。
「うん。そうだよね。私も全然分かんない」
 美玲はあまり分かっていないのが自分だけではないと気付き、少しだけホッとしていた。
 美玲達はゆっくりと進み、絶対に中学校の美術の教科書に載っているような有名な絵画が展示してある部屋までやって来た。
 世界的にも有名な絵画なので、観光客でごった返している。特に、中国人の団体観光客達が我こそはとグイグイ前に行こうとするので、絵画前は色々とカオスな状況である。
 フランス・パリ在住の仁美と、添乗員としてフランスに慣れている明美曰く、「スリの温床だからくれぐれも気を付けるようにしてくださいね」とのことだ。
(うん……。教科書とかに載ってる有名なやつだ……)
 人混みの中、自身の荷物を盗まれないように守るなどして、色々とそれどころではない美玲。そんな感想しか出てこなかったのである。せっかくなので記念に一枚だけ写真に撮るのであった。
 大きなキャンバスに描かれた厳かな絵画などの解説を聞きながら、ゆっくりと歩く美玲。

 そして最初の彫刻が展示してある部屋まで戻って来た。
 世界的に有名な、紀元前二世紀頃に古代ギリシャで作られたと言われる彫刻。両腕がないことには今でも色々な説がある。
 次に、ギリシャ神話に登場する勝利の女神の彫刻の前で立ち止まる。美しい翼を持つ彫刻なのだが、頭と腕がないのが印象的だ。仁美曰く、某世界的有名なスポーツブランドの会社名はこの勝利の女神の名前にちなんで付けたそうだ。
「おお! 俺が今履いてる靴のやつやな」
 晃樹が彫刻と自分の靴を交互に見ていた。
「その話、何かのクイズ番組で見たことがあったかも……」
 晃樹の隣で宗平がポツリと呟いた。
 美玲はただ黙って彫刻を見ていた。

◇◇◇◇

 美術館から出た美玲達はミュージアムショップでお土産を選んでいた。
 絵画がプリントされたTシャツやトートバッグ、そしてエッフェル塔のキーホルダーなどが販売している。
(まあせっかくだし、せめて記念に買おうかな)
 美玲はTシャツ、トートバッグ、そしてエッフェル塔のキーホルダーを購入することにするのであった。
 美術館見学を終え、お土産も無事に買えた美玲達ツアー参加者一行(いっこう)
 いよいよ自由行動である。
 ここからは確実中にパリの街を観光し、各自でホテルまで戻るのだ。
(そういや自由行動どうするかほとんどノープランだったなあ)
 美玲は夕食などによさげな場所があるかスマートフォンの地図アプリを開いて調べる。
「晩ご飯全然考えてなかった〜。どうしよう?」
 その近くで穂乃果がオロオロしている。
「……じゃあ穂乃果さん、一緒に行きます? 私、日本出国前にレストランを一人で予約していたのですが」
 朱理が穂乃果にそう提案した。
「え? いいの? ありがとう!」
 穂乃果は嬉しそうである。
「少し待ってくださいね。今予約人数変更の電話しますから」
 朱理は自身のスマートフォンを取り出し、予約をしていたレストランに電話をする。
 流暢なフランス語で堂々と対応する朱理であった。
「穂乃果さん、予約変更できましたよ。二人でも行けるようになりました」
「ありがとう朱理ちゃん。やっぱりすごいね〜」
 穂乃果はへにゃりと笑っていた。
「美玲ちゃんは自由行動どこ行くん?」
 凛子がそう聞いてきた。
「うーん……特に考えてない。実はほぼノープランなんだ。夕食もどこで食べようか迷ってる。パンでも買ってホテルで食べてもいいかもって思ってきた」
 美玲はアハハと笑う。
「それ大丈夫なん? もしよければ私らと一緒する? 晃ちゃんもええよって言ってくれるやろうし。ほら、日本と違って午後九時とかでも明るいけどさ、パリは治安は悪いって言うやん。今から日は暮れる一方やしさ」
 心配そうな凛子である。
 ちなみに晃樹はトイレに行っているそうだ。
「いや、凛ちゃん、それは流石に何か申し訳なさ過ぎるよ。二人の邪魔するわけにはいかないしさ」
 美玲は慌てて首を振る。
「だったら俺と一緒はどう?」
 そこへやってきたのは誠一だ。
「中川くん……」
 美玲は驚いていた。
「ああ、中川さんがおるんやったら安心やね」
 凛子はホッとしたような表情だ。
「おう。岸本さんさえよければ、俺と行動しないか?」
 誠一はニッと笑う。
「……分かった。じゃあお言葉に甘えて」
 美玲は少し考えた末に、そう答えた。
「よかった」
 誠一は少しホッとしたような表情だった。

 こうして、美玲は誠一と行動することになった。

◇◇◇◇

「じゃあ岸本さん、撮るぞー」
 誠一は美玲のスマートフォンで写真を撮る。
 有名なガラスピラミッドを背景に、美玲は誠一に写真を撮ってもらっているのだ。
「ありがとう。じゃあ中川くんのも撮るね」
 美玲は自身のスマートフォンを返してもらい、今度は誠一のスマートフォンを受け取った。
「じゃあ撮るよー」
 美玲は数枚、大きなガラスピラミッドを背景に誠一が写る写真を撮った。
「おお、よく撮れてんじゃん。ありがとう、岸本さん」
 ニッと白い歯を見せて笑う誠一。
「……うん」
 美玲はほんの少しドキッとしてしまい、誠一から目をそらした。
(どうして……)
 美玲は高鳴る心臓を必死に抑えていた。
「そうそう、俺さ、リュクサンブール公園に行ってみようと思ってさ。岸本さんもどう?」
 誠一がそう提案した。
「リュクサンブール公園?」
「おう。結構有名な場所。ここから歩いて二十分くらいの所にある」
 誠一はフッと笑う。
「うん、分かった。行ってみる。ほぼノープランだから何があるか正直あんま分かってなくてさ」
 アハハ、と美玲は笑った。
「じゃ、行くか」
 こうして、美玲と誠一はリュクサンブール公園まで歩き始めた。

◇◇◇◇

 相変わらずパリの車の運転の荒さや何もないのにしょっちゅう鳴り響くパトカーのサイレン音、際どい運転の自転車、そして当たり前のように信号無視するフランス人歩行者に驚いた美玲と誠一だが、とりあえずリュクサンブール公園までたどり着いた。

「結構大きいんだね。何か宮殿っぽい建物もあるし」
 美玲は周囲を見渡して驚いていた。
「おう。あの建物、何か政治の議事堂として使われてるらしい」
 誠一はスマートフォンで調べながらそう言った。
「へえ、そうなんだ」
 美玲は宮殿のような建物を見て呟いた。

 時刻は午後五時。
 リュクサンブール公園は、まだ多くの人々で賑わっている。
 美玲と誠一はのんびりとプラタナスの並木道を歩き、ベンチに座った。
「今日結構歩いたよな」
 誠一がふう、と一息ついた。
「確かにね。貸切バスに乗ってた時間、意外と短かった気がする」
 美玲は今日の行程をゆっくりと思い出していた。
「だよな」
 誠一はハハっと笑った。
「それにしてもさ、岸本さん、お土産大人買いしてるよな。全部自分用?」
 誠一は今までの美玲の行動を思い出していた。
「うん。まあね」
 美玲はリュクサンブール公園を歩く人々を見ながら答えた。
「親とか友達には?」
「ああ……考えてなかった」
 少し誤魔化すように笑う美玲。
「何で?」
 誠一は少し訝しげな表情になっていた。
「それは……」
 美玲は黙り込む。
 帰国後のことは考えないようにしていたのだ。どうせもう死ぬつもりだったから。
「岸本さん、今から俺変なこと聞くかもしれない。もし違ったら否定してくれ」
 誠一は真剣な表情になった。
「もしかしてさ、岸本さんは日本に戻ったら死ぬつもりなんじゃないのか?」
 誠一の目は、美玲を射抜くようだった。
 美玲は驚愕し、目を大きく見開いた。
「何……で……?」
 美玲は少しだけ呼吸が浅くなり、何も言えなくなる。その声は震えていた。
(どうしよう。否定しないと……)
 言葉を考えれば考える程、言葉が思い浮かばず、何も言えなくなる。
「……やっぱり図星か」
 誠一は悲しげにため息をついた。
 二人の間に、何とも形容し難い沈黙が走る。
 リュクサンブール公園を散歩する者達の声がやけに大きく響く。
「……何で……分かったの?」
 暗い声の美玲。
 否定の言葉が出てこず、認めることにした。誠一の方を見ることができなかった。

 仕事で係長の冬田から嫌がらせなどを受けていること、手柄を取られたこと、冬田が美玲にぶつかったせいで共用パソコンが壊れたのにそれを全て美玲のせいにされたこと、郁人に浮気された上に振られたこと、郁人の浮気相手が自分とは正反対のタイプだったことなど、美玲は旅行前に日本であったことを色々と思い出していたのだ。

「……俺の身近に、似たような人がいたから」
 誠一は悲しげに笑った。
「似たような人……?」
 美玲がそう聞き返すと、誠一は「ああ」と頷く。
「俺の従兄(いとこ)。七つ年上だけど、結構仲はよかった。晴斗(はると)って名前だから、ハル(にい)って呼んでた。家が近くでさ、俺がまだ小さい頃から、ハル兄は色々と俺の面倒を見てくれたんだよ。俺の父さんと母さんが仕事とかで家にいない時は、よく遊んでもらってた」
 誠一は道行く人々を見ながら話す。その目はどこか懐かしそうであった。
「そう……なんだ……」
 美玲は暗い声で相槌を打つ。
 誠一はそのまま話を続ける。
「大学一年が終わった春休み……て言ってもまだ二月だったから冬なんだけどさ、ハル兄とエジプトに旅行したんだ。ハル兄がずっと行ってみたかった場所でさ。俺の分の旅費も出すから一緒に来ないかって誘われて」
 誠一は当時を思い出し、フッと笑う。
 しかし、その表情は悲しげであった。
 美玲は黙って聞いている。
 誠一は話を続けた。
「そのエジプト旅行が俺にとって初めての海外旅行だったわけ。これぞエジプトって言った感じの、クフ王、カフラー王、メンカウラー王が建てたって言われてるギザの三大ピラミッドとか、スフィンクスとか、それから、イシス神殿とかも見てさ。ラクダに乗ったりもした。もうめっちゃくちゃ楽しかったんだよ。ちょっとぼったくられたこともあったけどな。でも、当時の歴史とかも感じられたしさ、初めての海外旅行て色々と感慨深いものがあったんだ。それと同時に、他の国にも行ってみたいって思うようになったんだよ」
 誠一は懐かしむような表情である。
「でもさ……」
 誠一は再び表情が暗くなる。
「ハル兄は、日本に帰国してすぐ……自殺したんだ」
 悲しげな表情で美玲を見る誠一。
「え……」
 美玲は息を飲む。
 誠一はそのまま話を続ける。
「ハル兄、帰国した翌日に、会社のビルから飛び降り自殺したんだ。……ハル兄は元々死ぬつもりだったんだよ。それで、せめて死ぬ前にずっと行きたいって思ってたエジプトに行こうって決めてたらしい」
「あ……」
 美玲はハッとする。
 自分がフランスに来た理由と全く同じなのだ。
「ハル兄さ、日本に帰国した時、今まで見たことがないくらいものすごくスッキリした表情だったんだよ。今思えば、もうこの世に思い残すことはないみたいな表情でさ」
 誠一はため息をつく。
「俺はハル兄のお陰で海外旅行の楽しさを知ったからさ……何か悲しいのと悔しいのとで、当時感情がぐちゃぐちゃになってさ……」
 誠一の目は、当時を思い出したようで、悲しさを帯びていた。
 美玲は何も言えなかった。
「ハル兄、かなり会社で追い詰められてたみたいでさ。食品メーカーの営業職だったんだけどさ、ノルマとかパワハラとか、色々と……。ハル兄、真面目だから色々背負い混みすぎて……限界がきてたんだろうな。いっそのことそんなにキツいんだったらそんな会社なんかから逃げ出してもっとホワイトな職場を探せばいいと思うんだけどさ、やっぱりハル兄は真面目で今の仕事から逃げ出す選択肢がなかったんだと思う。それで、死のうとしたけど、どうせなら行きたい所に行ってからって……。金もさ、俺の分の旅費とか食費とか……お土産代とかその他にも色々……全部ハル兄が出してくれたのも、貯めた金を使い切るためだったらしい」
 誠一の目からは一筋の涙がこぼれる。
「中川くん、これ……」
 美玲はスッと自身のハンカチを差し出した。
「ごめん、ありがとう」
 誠一は美玲からハンカチを受け取り、涙を拭った。
「何でハル兄が苦しんでたのを気付かなかったんだろう、とか、そんなに仕事がキツかったら辞めて別の場所を探せばよかったのに、とか、もう色々とごちゃごちゃしててさ……」
 誠一はため息をつく。
「もし俺が何かハル兄のことに気付けてたら、ハル兄は自殺を選ばなかったかなとか、色々な……。今でも色々と、あの時どうしたらよかったんだろうとか、考える時があるんだよ」
 自嘲気味に笑う誠一。
「それは……中川くんのせいじゃないよ」
 美玲はそっと誠一の背中をさする。
「……ありがとう、岸本さん」
 誠一は悲しげに笑う。
「当時はめちゃくちゃショックだった。でも、その後しばらくしたら、だったら天寿を(まっと)うするまでにたくさんの国を旅行して、死んだ後ハル兄に自慢してやるって思えるようになったけどさ。ただ、もう一度エジプトに行く勇気はまだないけど……」
 誠一はフッと笑った。
「そっか……」
 美玲はほんの少しだけ安心した。
「中川くんにそんなことがあったなんて、全然思わなかったよ」
 美玲は少しだけ俯いた。
「まあ、普通は想像もつかないよな」
 誠一はまたフッと笑った。
 そして言葉を続ける。
「それでさ、岸本さんはハル兄と同じ表情だったんだよ。死を決意したような、そんな感じの。今までのお土産屋での大人買いも、全財産使ってから死のうとしたハル兄とほぼ全く同じでさ」
 誠一の目が、美玲の目を射抜いている。
「……そっか」
 美玲は自嘲気味に誠一から目をそらす。
「岸本さんは?」
「え?」
 いきなり疑問形でこられたので、美玲はきょとんとしてしまう。
「何で死のうとしてんだよ? シャンボール城の時も、『もう死んでもいいかも』とか言ってたの聞こえた」
 誠一がため息をつく。
「あ……」
 美玲はシャンボール城見学の時、思わずポツリと呟いてしまったことを思い出した。
「聞こえてたんだ……」
 俯いて苦笑する美玲。
「ああ。それでこのツアー、岸本さんのこと放って置けなくなった」
 苦笑する誠一。
「何か……ごめん」
 美玲は俯いたままである。
「いや、謝らなくてもいいけど……。岸本さん、何で死のうとしてるんだよ?」
 死ぬなと懇願するかのような表情の誠一。
「それは……」
 言葉に詰まる美玲。
 改めて、仕事のことや恋愛のことを思い出す。
 思った以上に限界だったようで、美玲の目からはポロポロと涙がこぼれ出した。
 ポロポロと涙が止まらない美玲。
「岸本さん、大丈夫か?」
 そっと美玲の涙を拭う誠一。
「私……色々限界だったみたい……」
 美玲は俯く。
「そっか。無理にとは言わないけど、話したら少しスッキリするかもよ」
 誠一は頷き、美玲が話すのを待っている。
 ダムが決壊したかのように、美玲の涙は止まる気配がない。
「私さ……何のために生まれてきたんだろう……?」
 嗚咽を漏らしながら、ポツリと呟く美玲。
「うん、うん」
 誠一は黙って美玲が落ち着くのを待っている。
「仕事でさ、順調だったのに、異動になってからは色々と散々だったの」
 美玲はポツリポツリと今までのことを話し始めた。
「仕事自体は研究開発でガラッと変わることはないんだけどね、移動先での新しい上司……係長の冬田って奴がとんでもなくて……」
 苦笑してため息をつく美玲。
「冬田がミスしたのにさ、そのミスを私が被るように命じてきたんだよ。意味が分からな過ぎて拒否したら、次の日から嫌がらせが始まったの。仕事を回してもらえなかったり。周りも自分が被害に遭いたくないから見て見ぬ振りだよ」
 美玲は涙を拭う。
「それでさ、部長にもかけ合ってみたけど、部長は冬田の方を信じててさ。……だから、負けるものかって思って、私なりに頑張ってみたの。製品の改良とかさ。そしたらその手柄も冬田に取られた」
「うわあ……」
 誠一は気の毒そうな表情になる。
 美玲は話を続ける。
「流石に理不尽過ぎるから冬田に直接言いに行ったらさ、上司が部下の責任を取るのなら部下の手柄も上司のものにならないと理不尽だとか言われてさ」
「それはマジで意味不明だな、その係長」
 誠一は激しく同意していた。
「それでさ、冬田がその場を立ち去ろうとしたわけ。その時さ、私にぶつかってきたの。そのせいで私、よろけて転んじゃって机にぶつかったの。そしたら、共用パソコンが落ちて壊れた。それを私の責任にされた。本当にもう意味分かんない」
 悔しさが込み上げてきて、再び美玲の目からは涙がこぼれる。
「大変だったな」
「うん……。でもね、それだけじゃなかったの。色々重なってさ……」
 美玲はため息をつく。
「このことを彼氏に愚痴ろうとしたわけ」
「……岸本さん、彼氏いたんだ」
 誠一は少しショックを受けた表情になった。
「まあその時はね。もういないけどさ……」
 美玲は苦笑する。
 そして話を続ける。
「その時の彼氏からさ、別れようって言われたんだ。もう仕事の件もあったかショックだった。おまけにさ、そいつ、別の女と浮気してた。ホテル入って行く現場ガッツリ見たわけ」
 美玲はため息をつく。
「そっか……」
「それでさ……もう疲れちゃったの」
 美玲は暗い声になる。
「何で私がこんな目に遭わなきゃいけないんだろうって……」
 美玲は力なく自嘲した。
「それで……死のうかなって思った。でも、中川くんの従兄(いとこ)の晴斗さんと同じで、どうせ死ぬなら最後にフランスに行ってみたいなって思ったんだ」
 美玲は真っ直ぐリュクサンブール公園を歩いている人達を見ていた。
 午後六時になりかけているが、日は高く、美玲の顔を照らしている。
「そっか。色々大変だったんだな。そんな中、よく頑張ったな」
 誠一は優しく美玲を見つめていた。
「岸本さん、だったら逃げ出そうぜ。まずはそんなクソ野郎がいる会社なんかからさ」
 誠一はフッと優しく笑う。
 美玲は俯いて黙ってままである。
「日本に会社がいくつあるか知ってるか?」
「……ううん、知らない」
 美玲は首を横に振った。
「俺も詳しい数は知らないけど、確か三百万社以上はあるんだぞ。今の会社にクソ野郎がいるんだったら、辞めてもいいんじゃね? 数だけで言えば岸本さんを受け入れてくれそうな会社がたくさんあるんだしさ。だから……死ぬなんて言うなよ」
 最後、誠一はまっすぐ懇願するかのようだった。
 その言葉に、美玲の目からはまた涙がこぼれる。
「中川くん……私……」
 嗚咽で言葉が詰まる美玲。
「頼む、生きる選択をしてくれ」
 誠一のまっすぐな言葉が胸にスッと入ってくる。
「この先さ、生きてて楽しいって思えること……あるかな?」
 弱気の美玲である。
 そのくらい、色々なことが重なっていたのだ。
「ああ、きっとある。今の場所が(つら)ければ、逃げたらいい。岸本さん、知ってるか? 命とパスポートと金さえあれば俺達どこにでも行けるんだぜ。日本のパスポートって最強なの知ってるか? ロシアとかウクライナとか、紛争地は別として、今どこの国でも入国できるんだぞ。例えば北朝鮮もかも。まあ北朝鮮には行く気はないけどな」
 ハハっと笑う誠一。
 そして話を続ける。
「だから、岸本さんが楽しと思える場所、ずっとここにいたいって思える場所もきっとあるはずだ」
 誠一の言葉は心強かった。
 美玲は今回の旅をゆっくりと思い出す。

 ライトアップされたシャルトル大聖堂、そしてシャルトル大聖堂の美しいステンドグラス。そして荘厳で煌びやかなシャンボール城、歴史あるモン・サン=ミッシェル。更に、憧れていたパリの街並み。

「そう……だね」
 美玲はほんの少しだけ、前向きになれた。
「それにさ……」
 誠一はふいに美玲から目をそらす。
「その、男なんてさ、世界的に考えたら星の数程いるぞ。岸本さんのこと、ちゃんと考えてくれる奴だって、絶対にいるはずだ。例えば……俺……とかさ」
 誠一の頬は、少し赤く染まっていた。
「え……」
 美玲は誠一の言葉に驚き、目を見開く。
「それは……何かの冗談?」
 少しだけ困ったように笑う美玲。
 鼓動は速くなっていた。
「冗談でこんなこと言うかよ」
 誠一は苦笑した。
「俺さ、高校時代、岸本さんのこと好きだったんだ。卒業式の日、告白しなかったこと少し後悔してた」
 誠一の目は、どこまでもまっすぐだった。
 再び美玲の心臓が跳ねる。
「……いつから?」
 美玲は冷静さを装いながら、そう聞いた。
「高二の時。物理とかの授業で話すようになって、ちょっと気になるなって思ってた。物理のテストで俺、消しゴム忘れて焦ってた時あっただろ? あれが決定打だった」
 誠一は、はにかみながら懐かしむ。
「そっか……。何か懐かしいね。私も、その時のこと覚えてる。中川くんがお礼にお菓子くれたことも」
 美玲は少しドキドキしながら微笑んだ。
「そっか。いや、あの時少しでも岸本さんの気を引きたくて必死だった」
 若干恥ずかしそうに微笑む誠一である。
「再会してさ、やっぱり俺、まだ岸本さんのことが好きだなって思ったんだよ」
 誠一の目は、真剣そのものだ。
 美玲はその目に飲み込まれそうになる。
「私は……」
 思うように言葉が出ない美玲。
「別に、返事が欲しいわけじゃない。ただ……岸本さんを想ってる人がいるってことで、岸本さんが死ぬのを思いとどまってくれたらって思ってさ……」
 誠一はまっすぐ、優しく微笑んでいる。
 いきなりのことで驚きはしたが、美玲の胸の中にはじんわりと温かいものが広がった。
「うん……」
 ポロリと美玲の目からは涙がこぼれる。
 美玲はハンカチで涙を拭う。
「ありがとう、中川くん」
 美玲は憑き物が落ちたような、スッキリと明るい表情であった。
 誠一のお陰で生きようと思えるようになった美玲。
 その時、ぐぅ、と美玲のお腹の音が鳴る。
 気持ちが落ち着いたらお腹が空いていることに気付いたのだ。
「あ……」
 美玲は頬を真っ赤に染める。
 誠一は笑い出す。
「確かに腹も減ってきたよな。まだこんな明るいけど、もう午後六時だ」
 誠一はスマートフォンを取り出して何かを調べる。
「あ、日本で事前に調べてたビストロ、やってるっぽい。リーズナブルで割と量が多いみたいだけど、そこに行くか? リュクサンブール公園の近くにある店だし」
 誠一はスマートフォンの画面を美玲に見せてくれた。
 まじまじと画面を見る美玲。
「うん。料理も美味しそうだね。行ってみる」
「よし、じゃあ行くか」
 こうして、二人はリュクサンブール公園を後にして、誠一が調べたビストロへ向かうことにした。

◇◇◇◇

 ビストロに到着した美玲と誠一。
 席に案内され、注文を済ませていた。
「Hey, where are you from?」
 陽気そうなフランス人男性の店員に英語でそう聞かれた美玲と誠一。
 ビストロに入る時に「ボンジュール」と拙くともフランス語で挨拶さえすれば、後はフランス語が不慣れなら英語で対応してもらえるのだ。
「We are from Japan」
 誠一が少し拙い英語でそう答える。
 美玲はそれに頷いて同意した。
「Oh! Japan! コンニチハ! アリガト!」
 店員は嬉しそうに表情を輝かせた。
 日本に対していい印象を持っていることは明らかであった。
 そしてその店員は「イタダキマス」と言いながらオニオンスープを運んできたのである。
 恐らく日本語の『いただきます』とフランス語の『Bon appétit(召し上がれ)』が同じ意味なのだと思っているのだろう。
 不慣れな言語はやはり誰でも間違えたりするのだ。

「確かに口コミ通り量多いね。オニオンスープだけでお腹いっぱいになりそう」
「確かにな。グリル盛り合わせを一つにしといて正解だったかも」
 目の前には二人分のオニオンスープ。よく煮込まれ、チーズがたっぷりとふりかけてある。ふわりと漂うコンソメの香りが食欲を刺激した。
 美玲はオニオンスープを一口食べてみる。
「うわあ、結構濃厚だね。トロトロしてる」
「だな。お、中にパンが入ってるぞ」
 誠一はスプーンでパンをすくい、口まで運んだ。

 美玲と誠一がオニオンスープを食べ終わって少し経過した時、再び店員が「イタダキマス」と言いながらグリル盛り合わせが運ばれてきた。
 しっかりと焼けた牛の赤身、鶏肉、スペアリブ、そしてレタスとフライドポテトがたっぷり乗ったプレートである。
 お好みでケチャップやマヨネーズをかけて食べるそうだ。
「やっぱり量多いね。食べられるかな?」
 美玲は困ったように笑う。
「まあ俺が頑張って食べるからさ」
 誠一がハハっと笑いながら、牛肉に手を伸ばした。

◇◇◇◇

 満腹になった美玲と誠一は、支払いを済ませてビストロを後にした。
 その際店員からは、「アリガト!」と満面の笑みで言われたのであった。

 その後、ホテルに戻るために地下鉄に乗る二人。
「えっと、切符ってどれ押せばいいんだっけ?」
 美玲はスマートフォンの翻訳アプリを起動させ、券売機の前で戸惑っている。
「これは……多分この正規料金とか書いてあるやつじゃね?」
 誠一は券売機と翻訳アプリを交互に見ながらそう言う。
「分かった」
 美玲はボタンを押す。
「お、多分合ってる。地下鉄の正規料金出てるからさ」
「どこで降りても一律料金なんだね」
 目を丸くしながら美玲は購入ボタンを押した。
 その後、クレジットカードを差し込んで切符を購入するのであった。

「えっと、この方面に乗って乗り換え何駅目だ……?」
 誠一は自身のスマートフォンでホテルまでの戻り方を確認していた。
「上手く乗り換えできるか不安だね。日本に来てる外国人観光客もこんな気持ちなのかな?」
 キョロキョロと不安げな美玲。
「そうかもな」
 誠一もキョロキョロしながら苦笑した。

 駅のホームで数分待てば、地下鉄が到着した。
 何とドアは自動では開かず、スイッチのようなものを上にカチャリと上ないと開かないのだ。
 美玲と誠一は最初それが分からなかったので、後ろにいたフランス人がこうするんだと言うかのようにスイッチのようなものを上げてくれた。
 二人は初めてのことに戸惑いながらも、「メルシー」とお礼を言い、スリに気をつけながら地下鉄に乗り込む。
 パリの地下鉄は多いのだ。
「スリに気を付ける以外はあんまり日本の電車と変わらないね」
「確かに。でも駅と駅の間隔がめちゃくちゃ短くね? もう次の駅到着してるぞ。それとも地下鉄のスピードが速いのか?」
「言われてみればそうかも。それとさ、開くドアが片側に固定されてるよね。あっちのドア全然開かないし。日本だとこの駅は左側のドアが開いて、次の駅は右側とかあるのにさ」
 美玲と誠一はパリの地下鉄を楽しんでいた。

 白人と黒人、そして時々アジア人が入り混じっていて、地下鉄内は人種のるつぼに近い状態である。中には外国からの観光客もいるが、フランスは意外と多民族国家なのだ。

 その時、いきなりドア付近にいたフランス人らしき男性がアコーディオンを演奏し始めた。
 美玲はギョッとする。
「何か……自由だね……」
 日本ではほぼあり得ない光景に戸惑うばかりである。
「ああ、岸本さん、ああいうのはあんまり見ない方がいい。海外の情報とか色々調べたんだけど、地下鉄とか公共交通機関であんな風にパフォーマンスをしては金を請求してくる人がいたりするからさ」
 誠一はアコーディオンを演奏するフランス人を極力見ないように苦笑した。
「そうなんだ……」
 美玲は改めて日本とは全然違う国であることを認識するのであった。
「何か……面白いね……」
 美玲はクスッと笑っていた。

 ちなみに、パリの地下鉄での演奏は法律違反なのだが、美玲も誠一もそれは知らなかった。
 無事に地下鉄の乗り換えもできて、ホテルまで戻ってきた美玲と誠一。
「中川くん、今日は本当にありがとう」
 美玲はスッキリとした表情である。
「おう。また何かあったら相談に乗るから」
 誠一はフッと優しく微笑んだ。
「うん。じゃあまた明日」
「おう、また明日な」
 美玲と誠一はお互い部屋に戻るのであった。

◇◇◇◇

 そして翌日。
 朝食を終えた美玲はこの日持って行く荷物をまとめてワクワクしていた。
 この日は美玲が一番楽しみにしていたベルサイユ宮殿に行く日なのだ。
 ちなみに、美術館で買った絵画がプリントされたTシャツを着用し、同じく絵画がプリントされたトートバッグを持っている。更に、トートバッグにはエッフェル塔のキーホルダーを着けていた。
 シャルトルの街で購入したネックレスも着用している。
 もう完全にフランスを楽しんでいる観光客の姿である。

「おはよう、岸本さん」
 集合場所であるホテルのロビーで誠一に会った。
「あ……おはよう」
 昨日誠一から告白されたことを思い出し、美玲は少し頬を赤く染め、誠一から目をそらしてしまう。
(どうしよう……)
 美玲はうるさい心臓をひたすら落ち着かせようとしていた。
「昨日の返事は急いでないからさ。避けられる方が寂しい」
 誠一が苦笑しながらボソッと呟く。
「……うん」
 美玲はゆっくりと誠一を見上げた。
 穏やかで優しげな表情だった。
 美玲はその表情に、どこか安心した。
「それにしても、完全に観光客って感じの格好だな」
 誠一は、美玲の姿を見てそう笑った。
「うん、まあね」
 美玲はクスッと笑う
 死ぬことを考え直し、生きる選択をした美玲は、今までよりも明るかった。
 その表情を見た誠一はどこか安心したようである。
「おはよう、お二人さん」
「おはよう」
 ロビーには晃樹と凛子もやってくる。
「あ、美玲ちゃん、めちゃくちゃいい感じの服装やな。楽しんでる感満載」
 凛子も誠一同様、美玲の服装を見て明るく笑う。
 凛子も相変わらず耳にはエッフェル塔のピアスを着けていた。
「それにしても、今日のベルサイユ宮殿、めっちゃ楽しみやわ。実は一番行きたかった場所やねん」
「凛ちゃんもそうなんだ。実は私も。ベルサイユ宮殿行ってみたかったんだよね」
 早速朝から凛子と盛り上がる美玲であった。
 誠一の方も、晃樹と楽しそうに話している。
 その時、ロビーに明るい声が響き渡る。
「え、すごーい! 豪華だね! 美味しそう!」
 神田姉妹の妹、菫である。
「いかにもフランスって感じですね」
 姉の美桜も穂乃果から見せてもらった写真に目を輝かせていた。
「昨日朱理ちゃんと行ったんですよ〜。朱理ちゃん、注文とかの時もフランス語ペラペラでカッコよかったです〜」
 穂乃果が昨日の夕食の写真を見せてへにゃりと笑っていたのだ。
「そういや朱理ちゃんと穂乃果ちゃん、一緒にご飯行ったみたいやね」
 凛子も二人が何を食べたのか気になるようである。
 美玲達四人も穂乃果に写真を見せてもらうことにした。
 オニオングラタンスープ、牡蠣や海老などの海鮮盛り合わせ、フォアグラ、牛肉のソテーと非常に豪華であった。
「すごい……。これ結構高いんじゃない?」
 美玲は写真を見て大きく目を見開いている。
「はい、高かったです。でもせっかくですし奮てみました〜。めちゃくちゃ美味しかったんですよ。朱理ちゃんが言うには、お昼にカフェとして利用する方がやっぱり安いみたいです」
 アハハと笑う穂乃果。
「それと、朱理ちゃん、ああ見えて結構食べるんですよ〜」
 意外そうな表情の穂乃果だ。
「へえ……意外」
 美玲も目を丸くした。
(朱理ちゃん、小柄で華奢なのに割と量を食べる。それでいて太る気配を感じない……。正直羨ましい。だけど……)
 美玲は自分の内面の変化に気付いた。

 今までは胸がチクリと痛み、朱理に対して劣等感を抱いてしまっていた。
 しかし、今は朱理に対する劣等感が完全に薄れていた。

(もしかして、生きて自分の人生楽しんでやるって思えるようになったからかな?)
 美玲は微かに口角を上げた。
「ちなみになんて名前の店か教えてもらっていい?」
「あ、俺も教えて欲しいわ。明日の自由行動、凛ちゃんと行くのもありやし」
「えっと、店の名前は……あ、これです。ちょっと詳しい場所までは忘れちゃったので朱理ちゃんに聞いてくださいね〜」
 誠一と晃樹は穂乃果にお店の名前を聞いていた。
「おはようございます」
 そこへ朱理がやってくる。おっとりとした声である。
「朱理ちゃん、おはよう。昨日はありがとね〜」
 朱理の姿を見るなり穂乃果はへにゃりと笑った。
「いえ……」
 朱理は困ったように苦笑する。
「あの、穂乃果さん。明日は私、パリにいる友達と過ごすのでご一緒できませんからね。本当に大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫だよ〜。多分」
 どうやら昨日、朱理と穂乃果に何かが起こったようだ。
「朱理ちゃん、何があったの?」
 美玲は恐る恐る聞いてみた。
「その……穂乃果さんの危機感のなさというか……色々とスリに狙われていたんですよ。穂乃果さんが」
 朱理はそう苦笑した。
「アハハ、朱理ちゃんがいてくれたお陰で何も盗まれなかったから大丈夫だったよ〜。それに、明日一人でもスマホがあれば何とかなる」
 被害に遭いかけた当人はあっけらかんとした様子だった。
「そのスマホを盗られかけていたんですよ。おまけに鞄に手を入れられる、ウエストポーチにまで手を伸ばしてくる人もいて大変でしたよ……。穂乃果さん、日本感覚じゃ本当に駄目ですからね」
 朱理は苦笑しながらやんわりとため息をついた。
「穂乃果ちゃん、明日ほんまに一人で大丈夫なん?」
「もしよければ私達と一緒に行動します?」
 穂乃果を心配する凛子と美桜。
 彼女達を横目に美玲は朱理と会話している。
「さっき穂乃果ちゃんから昨日の夕食の写真見せてもらったけど、かなり豪華だね」
「はい。豪華でした。せっかくですし、食べたいと思ったものを食べておきたかったんです。フランスといえば牡蠣でもありますし、フォアグラもニースで食べて美味しかったので、昨日のお店でも注文してみました」
 おっとりとした態度の朱理。しかし、やはりどこか堂々とした雰囲気でもある。
「昨日のお店、ミルフィーユも有名なんですよ」
「へえ、そうなんだ。明日行ってみようかな。せっかくだからフランスのスイーツも堪能したいし」
 美玲はクスッと笑う。
 すっかり朱理と普通に話せるようになっていたのであった。
 ベルサイユ宮殿に向かうためにバスに乗り込んだ美玲達ツアー参加者。
 この日はガイドとして仁美も同行する。
「皆さん、フランスと言えばベルサイユ宮殿のイメージがある人もいると思いますが、実はベルサイユ宮殿は割と歴史が浅いんですよ。何と、百八年くらいしか使われていないのです。現在は人生百年時代と言われていますが、人間の寿命プラスアルファの年数ですね。ルイ十四世がパリからベルサイユに拠点を移する前は、ルーブル宮殿が使われていました。皆さんが昨日行った美術館があった場所ですね」
(……そういえば、昨日そんな話聞いたっけ)
 美玲は車窓からの景色を見ながら、仁美の解説を聞いていた。

◇◇◇◇

 そしていよいよベルサイユ宮殿が見えてきた。
(もうすぐベルサイユ宮殿……!)
 美玲はワクワクと心躍らせていた。

 バスから降りる美玲達。
 開けた土地の少し奥に、コの字型の壮麗な宮殿が見えた。

 よく晴れた青い空の下、宮殿の屋根が煌めく様子はまさに当時の王侯貴族の栄華を象徴しているかのようである。

「ベルサイユ宮殿……本物だ……!」
 美玲は目を大きく見開き固まっていた。
 門の外からでも豪華絢爛で煌びやかな雰囲気が伝わってきて、十分(じゅうぶん)心満たされるものがあった。
「おいおい岸本さん、まだ中に入ってもないのに。まだまだこれからだぞ」
 隣で誠一は苦笑していた。
 その後、美玲は誠一に写真を撮ってもらい、ベルサイユ宮殿へ入るのであった。

◇◇◇◇

 厳重なセキュリティチェックを抜け、階段を上る。

 目に飛び込んでくる豪華絢爛で煌びやかな部屋、天井の絵画、所々にある百合をモチーフにしたフランス王家の紋章、価値ある調度品。

 美玲は見えるもの全てに心を奪われていた。
(本当にここで過ごした王族や貴族達がいるんだ……)
 かつてここで繰り広げられた華やかな舞踏会や宮廷生活に思いを馳せた。

「はい、ここが有名な鏡の間です。その名の通り壁一面鏡で覆われています」
 先頭を行く仁美がツアー参加者達にそう説明する。
 ちなみに添乗員の明美は最後尾にいる。
 美玲は目を輝かせる。

 壁一面の鏡、そして無数のシャンデリア。窓からの光が反射し、部屋全体が光の海と化している。

「すごい……」
 満足そうな表情の美玲。これ以上の言葉が出てこなかった。
 もちろん写真を撮ることを忘れてはいない。
 誠一と互いに写真の撮り合いや、二人で写る写真も撮ってもらった。

 フランスの華やかなイメージそのもののベルサイユ宮殿。過去と現在が交錯する場所である。
 美玲は圧倒されながらも、自身がこの空間にいることに対し、不思議な感覚になっていた。

 その後、美玲達は鏡の間を抜け、次の部屋へと向かった。
 マリー=アントワネットも使用したと言われている王妃の寝室。
 豪華絢爛、その上華やかで可愛らしい雰囲気の部屋である。
 赤を基調とした重厚な王の寝室とは雰囲気がガラリと変わる。
「皆さん、可愛らしい部屋ですよね。かの有名なマリー=アントワネットもここで過ごしていたんですよ」
 仁美がそう解説する。

 優美で繊細な装飾。そして壁には豪華な織物や絵画が飾られ、天井には美しいフレスコ画が施されている。

(こんなに豪華な部屋で暮らしてたんだ……。私なら緊張して落ち着かないかもしれないけど……一度はこういう場所でも生活してみたいかも)
 美玲は少しだけベルサイユ宮殿での生活を想像してうっとりとしていた。

◇◇◇◇

 ベルサイユ宮殿内部を一通り回った後は、それぞれ思い思いにお土産を選んでいた。
「あれ? 岸本さん、お土産買わないの?」
 誠一がお土産を見ているだけの美玲にそう声をかける。
「いやあ……今までは自暴自棄になってたからもう気になったやつどんどん買ってたけどさ……クレカ請求額が何か怖くなって……」
 ハハっと苦笑する美玲。
 この先の人生が続くとなれば、今までみたいに爆買いしていたら生活が苦しくなるのだ。
「今更じゃん。せっかく楽しみにしてたベルサイユ宮殿だからさ、今までみたいに心置きなく買えばいいと思うぞ。まあ破産しない程度にだけど」
 フッと笑う誠一。
「……まあ……そっか」
 美玲は少し悩みつつも、気になったものを手に取ってみた。
「……今まではお菓子とか中心だったけど、食器買って普段使いにしてみようかな」
「おお、いいんじゃないか。気に入ったものを使ってると毎日楽しいと思うぞ」
 ニッと白い歯を見せる誠一であった。
「そうだね。これ買ってみようかな」
 美玲は食器を手に取った。
 そしてレジへ並ぼうとした時、品物の前で悩んでいる朱理の姿が目に入った。
「朱理ちゃん、どれにするか悩んでるの?」
「美玲さん……。はい。実は同棲中の彼氏へのお土産なんですけど、彼紅茶が好きなので、どっちがいいかなと思っていまして」
 おっとりと微笑む朱理。
「朱理ちゃん、彼氏いるんだ。お嬢様って聞いてたから、そういうの家が厳しそうって勝手に思ってた」
 美玲は意外そうに目を見開いていた。
「実家は単に経済的に裕福なだけですよ。一番上の兄も二番目の兄も恋愛結婚していますし。ちなみにすぐ上の姉はアメリカ人と国際結婚して今アメリカにいます。ちなみに、家族でニースに行く時、兄夫婦も毎回ではないですが参加してる時があります。たまに姉夫婦もアメリカから来たりしてますよ」
 ふふっと笑う朱理。
 どうやら四人兄弟の末っ子らしい。
「何か……本当に意外」
 美玲はまだ驚きを隠せなかった。
「今回は彼氏と来なかったんだ」
「はい。彼は長時間フライトと外国の料理が合わないみたいなんです。大学時代も長期休みに一緒にドイツに行ったんですけど、やっぱり駄目みたいで」
 思い出しては苦笑する朱理。
「あ、これが彼氏なんですけど」
 朱理はスマートフォンに入っている写真を見せてくれた。
 眼鏡をかけた知的な好青年である。
「え、普通にカッコいい」
 美玲はクスッと笑う。
「ん? 何見てんの?」
 そこへ凛子もやってきた。
「朱理ちゃんの彼氏の写真」
「へえ、朱理ちゃん、彼氏おるんや。わあ、カッコいいな。やっぱり眼鏡をかけたらインテリっぽい感じになるけど、うちの晃ちゃんは……」
 凛子は朱理の彼氏と自身の彼氏である晃樹を見比べて苦笑した。
 同じ眼鏡でも、晃樹はインテリではなくひょうきんに見えてしまう。
「ええ、宮本さんも優しそうでいいと思いますよ」
 朱理はふふっと穏やかに笑う。
「まあそうなんよ。晃ちゃん、優しくておもろいんよなあ」
 凛子は少し離れた場所にいる晃樹を見て愛おしげに目を細めていた。
(何か凛ちゃん可愛い)
 美玲はクスッと笑うのであった。

 その後、会計を済ませた美玲はお土産の隣にパリで有名なマカロンのお店を発見した。
 こちらには初日からやたらとキラキラしたオーラを放っていた新婚の高橋夫妻がショーウィンドウの前で悩んでいた。
「佳奈、これも美味しそう」
「本当だ。何味だろう? フラ……フランボワーズ? フランボワーズって木苺だっけ?」
「多分そう。あ、下に英語表記もある。こっちのは英語でストロベリーだから苺だな」
「苺欲しいなあ。それと、キャラメルとバニラも。後、ローズも」
「あ、佳奈、後ろ並んでるから先に行ってもらおう」
 夫である悠人が美玲の姿に気付いたようだ。
「本当だ。すみません、私達時間かかりそうなのでお先にどうぞ」
 申し訳なさそうに微笑む妻の佳奈である。
「すみません、ありがとうございます」
 美玲は軽く会釈をし、会計に並んだ。
 会計の際、「ボンジュール」とカタコトのフランス語で挨拶をし、後はカタコトの英語でローズとキャラメルとバニラとピスタチオのマカロンを注文する美玲であった。
 その後、屋内ではなく外で食べるよう店員から指示があったので、美玲は屋外でマカロンを食べていた。
「美味そうだな」
 お土産を買い終えた誠一がやってくる。
「うん。美味しい」
 美玲は満面の笑みであった。
 その笑みを見て、誠一はフッと嬉しそうに笑っていた。
 次は噴水庭園の散策と昼食、その後大トリアノン宮殿と小トリアノン宮殿を見に行くのだが、現在はトイレ休憩の時間である。
「そういえば、フランス革命で処刑されたのってルイ何世でしたっけ?」
 ふと穂乃果が首を傾げている。
「ルイ十六世ですよ」
 朱理がおっとりとそう答える。
「ああ、十六世か〜。確か、死ぬ前に『お前もブルータスか』って言ってた人だっけ?」
 穂乃果がきょとんとしている。
「え……」
 朱理は少し引き気味だ。
「穂乃果ちゃん、それ絶対違うよ」
 美玲は高校時代に習った世界史を思い出そうとしていた。
「穂乃果ちゃん、それイタリア……と言うか、古代ローマのカエサルやな」
 凛子が苦笑しながら答える。
「それとさ、『ブルータス、お前もか』やな。『お前もブルータスか』やとブルータス何人おんねんってなるやん」
 隣で晃樹がそう爆笑している。
「確かに言われてみればそうだよな」
 誠一も笑いながら同意する。
 もうツアー終盤で、すっかり参加者達は打ち解けていた。

◇◇◇◇

 ベルサイユ宮殿にある、広大な噴水庭園。
 緑の絨毯のような芝生が遠くまで続いている。
 左右対称の平面的な幾何学的作りはフランス式庭園の特徴である。
「皆さん、この庭園はただの庭園ではありません。芸術と自然の融合なんですよ」
 仁美の説明に、美玲は納得していた。
(確かに、ただの庭園じゃない。自然も感じられて、見ても楽しい)
 美玲はクスッと笑い、写真を撮るのであった。

 その後、ベルサイユ宮殿内のレストランで昼食を取る美玲達ツアー参加者。
「仁美さんって、フランスでもヒトミって呼ばれてるんですか? スペルで言えば、H、I、T、O、M、Iじゃないですか。フランス語ってHの音は発音しないからどうなのかなって思ったんです」
 食事中、朱理がガイドの仁美に素朴な疑問をぶつけていた。
「ああ、夫や仲のいい人達にはちゃんとヒトミって呼ばれますよ。ただ、やっぱりフランス語はHの音を発音しないから、初対面の人にはイトミって呼ばれますね」
「そうなんですね」
 朱理は納得したように頷いていた。
「確かフランスってHをエイチじゃなくてアッシュって呼んでましたよね。私動画で見てびっくりしちゃいました」
 佳奈が炭酸水を飲み、そう言った。
「え? Hをアッシュって言うんですか?」
 美玲もそれには驚いていた。
「はい。せっかくだから少しはフランス語を勉強しようって思って、悠人と動画を見たんですけど、アルファベットでギブアップでした」
 佳奈は苦笑している。
「英語ですら微妙なのに、フランス語なんて分かるわけないですよ。Vはフランス語ではヴェ。そしてWはドゥブルヴェ……Vを二つに見立ててこう言うなんてもうめちゃくちゃです」
 悠人も苦笑していた。
「僕も大学時代第二外国語フランスってだったのでアルファベットから苦労の連続でした」
 宗平も苦笑して自らの大学時代を思い出していた。
「でも英単語も時々フランス語から輸入してきた系のやつもありますよね」
 誠一も会話に加わっている。
「フランス語から借用しているものですよね。実は英語のmountain……山もフランス語から来ているんですよ」
 添乗員の明美がそう説明すると、皆目を丸くして驚いていた。
「フランス語、奥が深いなあ」
「そうですねえ」
 年配夫婦の松本夫妻、茂と貴子が穏やかに笑っていた。
 昼食は和気藹々とした雰囲気であった。

◇◇◇◇

 昼食後はトラムで大トリアノン宮殿へ移動した。
 大トリアノン宮殿はベルサイユの壮麗さとは異なり、静かで親しみやすい雰囲気に包まれていた。
(何と言うか、ベルサイユ宮殿と比べるとシンプル。だけどやっぱり高級感はあるなあ)
 優雅なシンプルさがある大トリアノン宮殿。美玲はこちらにも心を奪われていた。
「この大トリアノン宮殿は、ルイ十四世が愛妾……要は愛人のことですけど、愛妾のモンテスパン夫人と密会するために建てられたんですよ」
 仁美がそう解説する。
 確かに愛人と密会するのならベルサイユ宮殿のような豪華絢爛な場所ではなく、シンプルで落ち着いた場所の方がいいかもしれないと美玲は思うのであった。

 柱の回廊ゆっくりと歩く美玲達。
 その名の通り、繊細な柱が並ぶ回廊である。ピンク色の大理石が特徴的だ。そこから見える庭園も、フランス式の幾何学的で美しかった。

 大トリアノン宮殿を回った後、再びトラムで小トリアノン宮殿へ向かった美玲達。
 五分程で到着した。
「小トリアノン、プティ・トリアノンとも呼ばれているこの場所は、ルイ十五世が愛人のポンパドゥール夫人のために建てたものでした。その後、ルイ十六世の妻で王妃だったマリー=アントワネットが堅苦しい宮廷生活から逃れるために使っていたそうです」
 仁美がそう解説する。
 落ち着いた上品さのある宮殿である。
 小トリアノン宮殿の王妃の寝室はベルサイユ宮殿のものとは異なり、豪華ではあるが落ち着いた雰囲気だった。
 その他にも、いろいろな部屋を回る美玲達。
 更には王妃の村里まで足を伸ばしていた。
 のんびりとのどかで可愛らしさのある雰囲気。
 美玲は深呼吸をし、その空気を全身に感じていた。

 ルーブル宮殿に比べると歴史は浅いが、それでもかつてフランスの中心地だったベルサイユ宮殿。
 一番行きたかった場所だったので、この日美玲は精一杯楽しんでいた。
 フランス六日目、この日は一日中自由行動だ。
 朝食を食べ終えた美玲は荷物を整理し、ロビーで待っていた誠一と合流する。
「遅くなってごめんね。お待たせ、中川くん」
「いや、気にするなよ。そんな待ってないから大丈夫」
 最終日、一緒に行動しないかと誠一から誘われていたのだ。
「もう私、セーヌ川クルーズ以外何も考えてないよ。パリは一昨日で見たいものは見ることできたし。あ、昨日朱理ちゃんから教えてもらったカフェ……なのかレストランなのか分かんないけど、そこのミルフィーユは食べてみたいかも。それと、せっかくだしパン屋巡りしたい。あれ? 何も考えてないけど何かやりたいこと次々出てくる」
 美玲は楽しそうに笑う。
「おう。店の名前聞いてるし、場所も調べたらから大丈夫。午前中空いてそうだったらまずはその店に行くか。セーヌ川クルーズは夕方とか夜の方がいいかもな。何か添乗員の斉藤さんが言ってたけど、エッフェル塔が夜の九時とか十時にライトアップされるらしいぞ」
 誠一はフッと頼もしげに笑うのであった。
 その表情に、美玲はやはりドキッとしてしまう。
「……ありがとう、中川くん。じゃあクルーズは夜だね。まあ夜って言ってもフランスはまだ明るいけど」
 美玲は少しだけ頬を赤く染めて微笑んだ。
「だな。パン屋巡りは……地図アプリ見ながら調べるか。何かこういうマークがあったらそこのクロワッサンは大会の賞とった経歴ありってことらしいぞ」
 誠一は美玲に自身のスマートフォンの検索ページに出てきた画像を見せる。
「そうなんだ。じゃあそのマークがあるパン屋探そうかな」
 美玲はワクワクと目を輝かせていた。
 その表情を見た誠一は、嬉しそうである。
 こうして、美玲と誠一のぶらりパリ歩きが始まるのであった。

◇◇◇◇

「……何これ?」
 美玲は目の前の光景にギョッとした。
 早速のトラブルである。
「ああ……地下鉄の券売機、故障してるっぽいな」
 誠一はフランス語で書かれた張り紙が貼られている券売機を見て苦笑する。
 券売機は二台あるのだが、どちらも使えないようだ。
 ホテル最寄りの地下鉄駅の券売機が故障し、駅員がいる場所にそこそこ長蛇の列ができていたのだ。
「まあこれは仕方ない。並んで切符買おう」
「そうだな」
 こればかりはどうしようもないので、美玲と誠一は諦めて並ぶことにした。

 何とか地下鉄の切符を買うことができた二人。そのまま目的地の方面の地下鉄に乗った。
 一昨日地下鉄に乗った時、手動のドアの開け方を覚えたので、今回は戸惑わずに乗ることができた。

「改めてさ、パリの街並みって何かお洒落だよね」
 地下鉄から降り、駅を出た美玲はパリの街並みを見渡す。
「まあ、確かにそうだな。日本とは違った雰囲気だ」
「うん。日本にも東京とか横浜とか神戸とか、お洒落な街はあるけど、それとは違うお洒落さがある」
 美玲はそう笑い、自身のスマートフォンでパリの街並みの写真を数枚撮る。
「岸本さん、パン屋、この近くだけど、早速行くか?」
 誠一がパリの街に夢中な美玲にそう呼びかける。
「うん」
 美玲は満面の笑みであった。

「んー! 美味しい!」
 サクサクの生地、ふわりと鼻奥を掠める香ばしいバター、ほのかな甘み。
 早速クロワッサンを買った美玲は、ベンチに座り舌鼓を打っていた。
「確かにクロワッサンの大会の賞を取ったって言われても納得できる味だな」
 誠一も目を見開き、クロワッサンを堪能していた。
「でも今食べ過ぎたらミルフィーユ、食べられなくなるぞ」
 誠一は隣でクロワッサンを食べる美玲を見て苦笑した。

◇◇◇◇

 続いて美玲と誠一は一昨日朱理と穂乃果が夕食を取ったレストランに行った。
 ランチやカフェメニューもかなり充実している。
「わあ……豪華……」
 美玲はそのインテリアに圧倒されていた。
 高級感あふれる空気が漂っていた。
 普段なら絶対に気後れしてしまうが、せっかくフランスに来ているのだから目一杯楽しもうと、案内された席へ進むのであった。
「めちゃくちゃ高級感あるからドレスコードとか必要かと思ったけど……そうでもないな」
 誠一は周囲の人のカジュアルな服装を見てホッとしていた。
 その後、美玲はミルフィーユと紅茶を注文し、特別感ある雰囲気を楽しむのであった。

 白く洗練された皿に乗った、美しく層を重ねたミルフィーユ。薄く繊細なパイ生地と濃厚なカスタードクリームが交互に重なり、表面は艶やかである。
 美玲はそっと用心深くナイフで一口分切り、口へ運ぶ。
 口の中に広がる甘さとバターの香り。サクサクとした食感。
 美玲は大きく目を見開き、表情を輝かせた。
「すごい……美味し過ぎる……!」
「そっか」
 誠一はコーヒーを一口飲み、見守るかのように美玲を見つめていた。

 スイーツと高級感あふれる空間を楽しむ二人であった。

 会計を済ませ店を出ようとした時、見知った顔を見かけた。
「あれ? 凛ちゃんだ」
「ああ、美玲ちゃん。もしかして、今出るとこ?」
 美玲は入り口で凛子を見かけて声をかけた。彼女の隣には晃樹もいる。
 凛子も美玲を見るなり表情を明るくする。
「うん。ミルフィーユ、美味しかったよ」
「そうなんや。私も頼もかな。今お店着いたとこやねん。楽しみやわ」
 ふふっと笑う凛子。
「誠一は今日も岸本さんと行動なんやな」
「まあな」
 晃樹の言葉にフッと笑う誠一。
「この後どこ行く予定なん?」
「まあパン屋巡りとか、パリをぶらぶらする予定。実は割と無計画なんだよ」
 誠一はハハっと笑いそう答えた。
「気ままにぶらぶらするのも楽しいよな。日本にはない景色見ることできるしさ」
 晃樹も同意していた。

 少しだけ四人で話した後、美玲と誠一は店を出て再びパリの街をぶらぶらと巡るのであった。

La vie en rose 〜人生の夜明けはパリの街で〜

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