モン・サン=ミッシェルに近付いて来た。
「さあ皆さん、モン・サン=ミッシェルが見えてきましたよ」
明美がそう言うと、ツアー参加者は窓の外に目を向ける。
バスの車窓からは、テレビやガイドブックなどで見たことがある景色が見えた。
少し離れたところに見える、ポツリと浮かぶ小島にそびえ立つ修道院。
「今日天気予報は雨なのですが、運よくまだ雨は降っていません。別のツアーの時は完全に雨でモン・サン=ミッシェルの姿は雲に隠れていたんですよ。皆さん、本当に運がいいです。晴れ男や晴れ女の方がこの中にいるのでしょうね」
「俺、晴れ男かもしれへんな。だっていつも俺が旅行してる時は晴れるもん」
明美の言葉を聞き、凛子の前に座る晃樹が後ろに振り向きニッとドヤ顔をする。
「それやったら昨日も雨降らんかったはずやで。全部偶然や」
凛子が苦笑しながら答えていた。
ツアー参加者達は、明美の言葉を聞きながら車窓から見えるモン・サン=ミッシェルの写真を撮っていた。
(あ、羊だ。小さいからまだ子供かな)
美玲はふと、放牧されている子羊達を発見した。
「それから皆さん、右手に子羊の放牧の様子が見えます。可愛いですよね。ですがあの子羊達、食用なんですよ」
(食用……)
明美の言葉に美玲は脱力し、何とも言えない気持ちになる。
「何か可哀想だね」
「うん。確かに……。肉とか好きだけど、いざこうして言われるとな……」
前の方の席で、新婚夫婦の佳奈と悠人がそう話している。
小さな草原を無邪気に駆け回ったり、草を食べる子羊達。その目は無邪気でうるうるとしているように見える。
「実はモン・サン=ミッシェルの子羊の肉はブランド品なんですよ」
(あの子羊達は食べられるために……。でもそれを残酷だって言うのも何というか……人間のエゴかも。昨日だって、エスカルゴとか鯛とかを食べたんだし。いつもだって、豚肉とか普通に食べてるじゃん)
美玲は放牧されている子羊達を見ながら軽くため息をついた。
そうしているうちに、モン・サン=ミッシェル付近のレストランに到着した。
「岸本さん、隣いいか?」
「いいけど」
昨日は誠一にポケットWi-Fiを使わせてもらっていたから彼の隣に座った。しかし、この日はその必要はない。それにも関わらず、誠一は美玲の隣に座った。
そして、美玲の正面には朱理が座る。
晃樹と凛子カップルは、今岡親子を挟んだ位置にいた。美玲からは少し遠い。
早速前菜としてスフレオムレツが運ばれてきた。
「Bon appétit」
「Merci madame」
相変わらず朱理は流暢なフランス語でお礼を言った。すると店員の女性は上機嫌になる。
「瓜生さん、フランス語そんな風に話せるようになるまでどのくらいかかった?」
誠一が興味ありげな様子である。
「えっと……二年くらいですね。小さい頃からニースに行ってたので、その時に覚えました」
朱理は目線を左上に向け、少し思い出すような素振りをして答えた。
「二年か。何かすごいな」
誠一は楽しそうに笑う。
「そうですか? 大学とかで第二外国語を真面目に学べば二年くらいで習得可能ですよ」
おっとりとした雰囲気とは裏腹にハキハキしている朱理だ。
フォークとナイフを上手に使い、スフレオムレツを口にする。そのテーブルマナーが洗練されており、お嬢様感が滲み出ている。
「二年……僕、大学時代第二外国語はフランス語でしたけど、とても二年じゃ難しかったです」
朱理の隣に座っていた、一人参加の宗平が苦笑する。
「まあ個人差はありますよ」
朱理はふふっと笑った。
「俺、大学時代の第二外国語は中国語だったな。もうすっかり忘れてる。私は日本人ですって意味の、我是日本人しか言えないわ。岸本さんは?」
「え?」
誠一からいきなり話を振られて驚く美玲。
「大学ん時の第二外国語」
「えっと……韓国語」
「おお、韓国語か。マスターできたら韓国のドラマとか字幕なしで見ることできるよな。音楽番組でもK-POP増えてるし」
美玲の答えを聞いた誠一は楽しそうに笑う。
「韓国語もハングル文字に法則性があって面白いって友達が言ってました」
朱理は美玲を見てニコリと微笑む。
「確かにそうかも」
美玲は少しぎこちなく微笑んだ。朱理に対するコンプレックスが少しだけ刺激されてしまう。
「瓜生さんは大学時代の第二外国語何だった?」
誠一は朱理に目を向ける。
「私はドイツ語でした。ロシア語にするか少し迷っていたのですが、学部が化学系だったので、ドイツ語の方が馴染みあるかなと思いました。それに今はウクライナ侵攻のこともあってロシア語使う機会がなさそうですし」
最後の方、朱理は苦笑した。
「ああ、ウクライナ侵攻な……。俺、修士一年の時ロシア旅行したわ。ウクライナもコロナが世界的に流行り出す前の夏に行ったことある。今はどっちも行けねえもんな……」
誠一も苦笑する。
「そうですよね。私、エストニアなら行ったことありますよ。中世ヨーロッパの雰囲気の城塞都市が素敵でした」
朱理は空気を重くしないよう明るい話題に切り替えた。
「エストニアかあ。俺も社会人一年目の夏に行った。あの街の雰囲気いいよな」
誠一も楽しそうである。
朱理の隣で宗平は興味深そうに二人の話を聞いている。
美玲は楽しそうな誠一と朱理の様子を見て何だかモヤモヤしていた。胸がチクリと痛む。
(この気持ち……何だろう……? 朱理ちゃんは私にはないものをたくさん持ってる。うん。嫉妬してることは認めるよ。でも……)
美玲はチラリと誠一に目を向ける。
(何か……中川くんが朱理ちゃんと話してるのは……嫌だな)
美玲は誠一から目線を外し、少しだけうつむく。
そして、ふと高校時代を思い出した。
◇◇◇◇
高校三年の秋。
夏以降、一気に教室内の空気は大学受験モードに入っていた。
そんな日の放課後。
三年の教室は、放課後勉強する生徒達のために解放されていた。
この日、美玲は予備校の予定がなかったので、教室に残り入試の過去問を解いていた。
そして、完全下校時間の放送が流れた。
(もうこんな時間)
美玲は教室の時計を見て驚く。
思った以上に集中していたようだ。
美玲は筆記用具、ノート、過去問などを片付けて、帰る準備をする。
その時、美玲の水色の蛍光マーカーが机の上をコロコロと転がり、床に落ちる。マーカーはそのまま転がり続けた。
そのマーカーを、美玲の斜め後ろに座っていた誠一が拾う。
「岸本さん、はいこれ」
「ありがとう、中川くん」
美玲は誠一からマーカーを受け取った。
「おう。あ、そうだ。またコンビニに新作のやつ売ってた」
誠一はニッと笑い、リュックからお菓子を取り出した。
「一緒に帰るついでに食わねえ? あ、それとも他の友達と約束ある?」
悪戯っぽい表情の誠一。
「ううん。今日は友達と待ち合わせとかはないから。ていうか、それ気になってたやつだ!」
美玲は誠一のお菓子を見て目を輝かせた。
「よかった。じゃあ帰るか」
誠一はホッとしたように笑う。
「ん、美味しい。何か体に染み渡る。今日すごく集中してたからお腹すいてることに今気付いた」
幸せそうな表情の美玲。
高校の最寄り駅まで向かう途中、美玲は誠一と一緒にお菓子を食べていた。
「よかった。岸本さん、めっちゃ頑張ってたな」
誠一はフッと笑い、お菓子を食べる。
「家だとちょっとだらけちゃうからね。今日予備校もないし」
「予備校か」
「中川くんは予備校とか塾行ってないんだっけ?」
美玲はお菓子を食べながら首を傾げる。
「おう。自力で何とかやってる」
誠一はそう言いお菓子を食べる。
「すごいね」
ふふっと笑う美玲。
誠一はじっと美玲を見つめる。
「……中川くん? どうしたの?」
「いや、お菓子付いてるぞ」
誠一は美玲の口元を指差す。
「え! 嘘!?」
美玲は慌ててハンカチで口を拭く。
「これで取れた?」
「いや、まだ」
誠一はニヤリと笑う。
「ええ……」
美玲はゴシゴシとハンカチで口を擦る。
「嘘。全部取れたから」
誠一は悪戯っぽく笑った。
「もう!」
美玲は頬を赤く染めて、軽く誠一の肩を叩いた。
美玲の中で、確実に誠一への想いは生まれていた。しかし、この心地のいい関係を壊したくないと思った美玲は、気持ちを伝えずに卒業したのである。
その後、別々の進路になり、誠一に会わなくなったことで、彼への気持ちは薄れていった。
美玲はそれに対してホッとしたような、寂しいような気がしたのである。
「さあ皆さん、モン・サン=ミッシェルが見えてきましたよ」
明美がそう言うと、ツアー参加者は窓の外に目を向ける。
バスの車窓からは、テレビやガイドブックなどで見たことがある景色が見えた。
少し離れたところに見える、ポツリと浮かぶ小島にそびえ立つ修道院。
「今日天気予報は雨なのですが、運よくまだ雨は降っていません。別のツアーの時は完全に雨でモン・サン=ミッシェルの姿は雲に隠れていたんですよ。皆さん、本当に運がいいです。晴れ男や晴れ女の方がこの中にいるのでしょうね」
「俺、晴れ男かもしれへんな。だっていつも俺が旅行してる時は晴れるもん」
明美の言葉を聞き、凛子の前に座る晃樹が後ろに振り向きニッとドヤ顔をする。
「それやったら昨日も雨降らんかったはずやで。全部偶然や」
凛子が苦笑しながら答えていた。
ツアー参加者達は、明美の言葉を聞きながら車窓から見えるモン・サン=ミッシェルの写真を撮っていた。
(あ、羊だ。小さいからまだ子供かな)
美玲はふと、放牧されている子羊達を発見した。
「それから皆さん、右手に子羊の放牧の様子が見えます。可愛いですよね。ですがあの子羊達、食用なんですよ」
(食用……)
明美の言葉に美玲は脱力し、何とも言えない気持ちになる。
「何か可哀想だね」
「うん。確かに……。肉とか好きだけど、いざこうして言われるとな……」
前の方の席で、新婚夫婦の佳奈と悠人がそう話している。
小さな草原を無邪気に駆け回ったり、草を食べる子羊達。その目は無邪気でうるうるとしているように見える。
「実はモン・サン=ミッシェルの子羊の肉はブランド品なんですよ」
(あの子羊達は食べられるために……。でもそれを残酷だって言うのも何というか……人間のエゴかも。昨日だって、エスカルゴとか鯛とかを食べたんだし。いつもだって、豚肉とか普通に食べてるじゃん)
美玲は放牧されている子羊達を見ながら軽くため息をついた。
そうしているうちに、モン・サン=ミッシェル付近のレストランに到着した。
「岸本さん、隣いいか?」
「いいけど」
昨日は誠一にポケットWi-Fiを使わせてもらっていたから彼の隣に座った。しかし、この日はその必要はない。それにも関わらず、誠一は美玲の隣に座った。
そして、美玲の正面には朱理が座る。
晃樹と凛子カップルは、今岡親子を挟んだ位置にいた。美玲からは少し遠い。
早速前菜としてスフレオムレツが運ばれてきた。
「Bon appétit」
「Merci madame」
相変わらず朱理は流暢なフランス語でお礼を言った。すると店員の女性は上機嫌になる。
「瓜生さん、フランス語そんな風に話せるようになるまでどのくらいかかった?」
誠一が興味ありげな様子である。
「えっと……二年くらいですね。小さい頃からニースに行ってたので、その時に覚えました」
朱理は目線を左上に向け、少し思い出すような素振りをして答えた。
「二年か。何かすごいな」
誠一は楽しそうに笑う。
「そうですか? 大学とかで第二外国語を真面目に学べば二年くらいで習得可能ですよ」
おっとりとした雰囲気とは裏腹にハキハキしている朱理だ。
フォークとナイフを上手に使い、スフレオムレツを口にする。そのテーブルマナーが洗練されており、お嬢様感が滲み出ている。
「二年……僕、大学時代第二外国語はフランス語でしたけど、とても二年じゃ難しかったです」
朱理の隣に座っていた、一人参加の宗平が苦笑する。
「まあ個人差はありますよ」
朱理はふふっと笑った。
「俺、大学時代の第二外国語は中国語だったな。もうすっかり忘れてる。私は日本人ですって意味の、我是日本人しか言えないわ。岸本さんは?」
「え?」
誠一からいきなり話を振られて驚く美玲。
「大学ん時の第二外国語」
「えっと……韓国語」
「おお、韓国語か。マスターできたら韓国のドラマとか字幕なしで見ることできるよな。音楽番組でもK-POP増えてるし」
美玲の答えを聞いた誠一は楽しそうに笑う。
「韓国語もハングル文字に法則性があって面白いって友達が言ってました」
朱理は美玲を見てニコリと微笑む。
「確かにそうかも」
美玲は少しぎこちなく微笑んだ。朱理に対するコンプレックスが少しだけ刺激されてしまう。
「瓜生さんは大学時代の第二外国語何だった?」
誠一は朱理に目を向ける。
「私はドイツ語でした。ロシア語にするか少し迷っていたのですが、学部が化学系だったので、ドイツ語の方が馴染みあるかなと思いました。それに今はウクライナ侵攻のこともあってロシア語使う機会がなさそうですし」
最後の方、朱理は苦笑した。
「ああ、ウクライナ侵攻な……。俺、修士一年の時ロシア旅行したわ。ウクライナもコロナが世界的に流行り出す前の夏に行ったことある。今はどっちも行けねえもんな……」
誠一も苦笑する。
「そうですよね。私、エストニアなら行ったことありますよ。中世ヨーロッパの雰囲気の城塞都市が素敵でした」
朱理は空気を重くしないよう明るい話題に切り替えた。
「エストニアかあ。俺も社会人一年目の夏に行った。あの街の雰囲気いいよな」
誠一も楽しそうである。
朱理の隣で宗平は興味深そうに二人の話を聞いている。
美玲は楽しそうな誠一と朱理の様子を見て何だかモヤモヤしていた。胸がチクリと痛む。
(この気持ち……何だろう……? 朱理ちゃんは私にはないものをたくさん持ってる。うん。嫉妬してることは認めるよ。でも……)
美玲はチラリと誠一に目を向ける。
(何か……中川くんが朱理ちゃんと話してるのは……嫌だな)
美玲は誠一から目線を外し、少しだけうつむく。
そして、ふと高校時代を思い出した。
◇◇◇◇
高校三年の秋。
夏以降、一気に教室内の空気は大学受験モードに入っていた。
そんな日の放課後。
三年の教室は、放課後勉強する生徒達のために解放されていた。
この日、美玲は予備校の予定がなかったので、教室に残り入試の過去問を解いていた。
そして、完全下校時間の放送が流れた。
(もうこんな時間)
美玲は教室の時計を見て驚く。
思った以上に集中していたようだ。
美玲は筆記用具、ノート、過去問などを片付けて、帰る準備をする。
その時、美玲の水色の蛍光マーカーが机の上をコロコロと転がり、床に落ちる。マーカーはそのまま転がり続けた。
そのマーカーを、美玲の斜め後ろに座っていた誠一が拾う。
「岸本さん、はいこれ」
「ありがとう、中川くん」
美玲は誠一からマーカーを受け取った。
「おう。あ、そうだ。またコンビニに新作のやつ売ってた」
誠一はニッと笑い、リュックからお菓子を取り出した。
「一緒に帰るついでに食わねえ? あ、それとも他の友達と約束ある?」
悪戯っぽい表情の誠一。
「ううん。今日は友達と待ち合わせとかはないから。ていうか、それ気になってたやつだ!」
美玲は誠一のお菓子を見て目を輝かせた。
「よかった。じゃあ帰るか」
誠一はホッとしたように笑う。
「ん、美味しい。何か体に染み渡る。今日すごく集中してたからお腹すいてることに今気付いた」
幸せそうな表情の美玲。
高校の最寄り駅まで向かう途中、美玲は誠一と一緒にお菓子を食べていた。
「よかった。岸本さん、めっちゃ頑張ってたな」
誠一はフッと笑い、お菓子を食べる。
「家だとちょっとだらけちゃうからね。今日予備校もないし」
「予備校か」
「中川くんは予備校とか塾行ってないんだっけ?」
美玲はお菓子を食べながら首を傾げる。
「おう。自力で何とかやってる」
誠一はそう言いお菓子を食べる。
「すごいね」
ふふっと笑う美玲。
誠一はじっと美玲を見つめる。
「……中川くん? どうしたの?」
「いや、お菓子付いてるぞ」
誠一は美玲の口元を指差す。
「え! 嘘!?」
美玲は慌ててハンカチで口を拭く。
「これで取れた?」
「いや、まだ」
誠一はニヤリと笑う。
「ええ……」
美玲はゴシゴシとハンカチで口を擦る。
「嘘。全部取れたから」
誠一は悪戯っぽく笑った。
「もう!」
美玲は頬を赤く染めて、軽く誠一の肩を叩いた。
美玲の中で、確実に誠一への想いは生まれていた。しかし、この心地のいい関係を壊したくないと思った美玲は、気持ちを伝えずに卒業したのである。
その後、別々の進路になり、誠一に会わなくなったことで、彼への気持ちは薄れていった。
美玲はそれに対してホッとしたような、寂しいような気がしたのである。



