「泣きたい」「死にたい」「消えたい」、どこから湧き出てくるんだろう。
誰か助けてよ。こんなに苦しいのに。そんな言葉すら吐くことは許されない。
「詩乃?なんか元気ないけど、大丈夫?」
「ん?あー、実はちょっと寝不足でさ!今日は早く寝るから大丈夫!」
弱音は許されない。だって、人は明るい人が好きなんでしょう?
たまにくらい弱音を吐くのは許される?嘘ばっかり。「死にたい」とか「消えたい」なんて急に言ったら、困るくせに。
「寝不足なの?詩乃、今日は早く寝るんだよ!」
「分かってるよー!」
漫画のように、小説のように、心の闇を救ってくれる人は現れない。
夜にベッドに寝転がって、携帯でSNSを開く。「詩乃」と言う名前のリアルの知り合いしかフォロワーがいないアカウント。
「苦しい。誰か助けて」
そんな言葉を打っては消すことの繰り返しだった。投稿ボタンなど押せるわけがない。世界はそんなに甘くない。厳しい言葉が浴びせられて終わりだ。
誰か教えて欲しい。
弱音はどこまで許されるの?
どんな弱音を吐いても、私を嫌わない人は世界のどこにいるの?
分かってるよ、私にはどうせいない。だから、今日も嘘をつく。
「今日も楽しかったー!明日も良い日になりますように…!」
投稿ボタンを押して、明るい言葉を世界に放つ。嘘つきな私でも、暗い私よりマシなんだ。
当たり障りのない投稿。知り合いがポツポツといいねを押すだけ。それでも、一つだけ返信がつく。
「詩乃の明日が良い日になりますようにー!」
嘘の言葉に返ってきた返信に泣きそうになる自分がいた。
神様、弱音はどこまで許されますか?
本心を全て言って良い訳じゃないことは分かっているの。だから……少しだけ、ほんの少しだけ、許してはくれませんか?
「今日も楽しかったけど、疲れが溜まってきてる気がする…!明日は無理せず楽しんでこ!」
誰からも返信は来ない。それでも、前の投稿と同じ位いいねがつく。
こんな言葉じゃ表せられないほど、心は悲鳴をあげているのかもしれない。
それでも……
「明日は、今日よりも無理しないでおこうかな」
そう思えたのなら、きっとこの弱音には価値がある。
小さな弱音が世界を変える。
fin.
誰か助けてよ。こんなに苦しいのに。そんな言葉すら吐くことは許されない。
「詩乃?なんか元気ないけど、大丈夫?」
「ん?あー、実はちょっと寝不足でさ!今日は早く寝るから大丈夫!」
弱音は許されない。だって、人は明るい人が好きなんでしょう?
たまにくらい弱音を吐くのは許される?嘘ばっかり。「死にたい」とか「消えたい」なんて急に言ったら、困るくせに。
「寝不足なの?詩乃、今日は早く寝るんだよ!」
「分かってるよー!」
漫画のように、小説のように、心の闇を救ってくれる人は現れない。
夜にベッドに寝転がって、携帯でSNSを開く。「詩乃」と言う名前のリアルの知り合いしかフォロワーがいないアカウント。
「苦しい。誰か助けて」
そんな言葉を打っては消すことの繰り返しだった。投稿ボタンなど押せるわけがない。世界はそんなに甘くない。厳しい言葉が浴びせられて終わりだ。
誰か教えて欲しい。
弱音はどこまで許されるの?
どんな弱音を吐いても、私を嫌わない人は世界のどこにいるの?
分かってるよ、私にはどうせいない。だから、今日も嘘をつく。
「今日も楽しかったー!明日も良い日になりますように…!」
投稿ボタンを押して、明るい言葉を世界に放つ。嘘つきな私でも、暗い私よりマシなんだ。
当たり障りのない投稿。知り合いがポツポツといいねを押すだけ。それでも、一つだけ返信がつく。
「詩乃の明日が良い日になりますようにー!」
嘘の言葉に返ってきた返信に泣きそうになる自分がいた。
神様、弱音はどこまで許されますか?
本心を全て言って良い訳じゃないことは分かっているの。だから……少しだけ、ほんの少しだけ、許してはくれませんか?
「今日も楽しかったけど、疲れが溜まってきてる気がする…!明日は無理せず楽しんでこ!」
誰からも返信は来ない。それでも、前の投稿と同じ位いいねがつく。
こんな言葉じゃ表せられないほど、心は悲鳴をあげているのかもしれない。
それでも……
「明日は、今日よりも無理しないでおこうかな」
そう思えたのなら、きっとこの弱音には価値がある。
小さな弱音が世界を変える。
fin.