誰の家の塀かわからないがこれは一体どこまで続いているんだろう。
灰色の壁、歩いても歩いても一向に終わりが見えない壁。
この壁があるせいでわたしはどこまでも迂回をし続けなければならない。

空を切り、海を切り、陸を切り、それらを売り。
誰かの持ち物と化してしまった世界の中で、何も手にできなかったわたしの両親、それから産まれたわたしが、こういう誰かの持ち物に行く手を阻まれる。

嫌気が差す、夏の陽射しがめっぽう強い午後、図書館への道のり。
首にまいたタオルももう汗でぐっしょりと濡れて、ただの重りのようになってしまった。
しぼれば大量の水が垂れるだろう。
そしてアスファルトの上でジュッと蒸発するかもしれない。
と思えばまるでサウナだ。

これじゃあ読みたかった本も忘れてしまう。
着たかった服も思い出せない。
そしてその服を誰に見せたかったのかも。
今ではそのすべてがあやふやになってしまった。
図書館へ行くという第一の目標をただただ意地になって目指している。
なんと憐れな高校二年生だろうか。

それも大声で叫んだとて蜃気楼に消える。
セミにすら勝てないだろう。
ただ強炭酸をむりやり流し込むみたいな喉の痛みが走って──それだけだ。
もう諦めて帰ろう、とか、弱気になるのも仕方のないことでしょ。
と幻覚みたいなもう一人の自分の幽霊が、水着姿でわたしの目を指さしてなだめる。
不快だ。

そんなこんなで交番に差し掛かると、中から警察官が出てきた。
サボり癖のあるコタマとかいうチャラ目の男。

「よーす」

簡略化された挨拶。
ヒョロガリの見た目に、顔を真っ赤にして、制服のズボンの裾をまくって団扇をあおいでいる。
交番の入口の段差に腰をおろしながら片手をあげている。

「こんにちわ」
「どこいくの」
「図書館、てか馴れ馴れしい」
「まあまあ、顔なじみじゃない」
「勝手になじまないでもらえます?」
「世界平和を思うならやっぱり気兼ねない挨拶は大事じゃない」
「それはごもっとも」
「でも嫌な気持ちにさせたなら謝るよ、もう少しかしこまろうか、警察官として」
「いえ結構です、それはそれで嫌そうなんで」
「むずかしい子だ」
「子供あつかいまでする?」
「ごめんごめん、大人大人」

コタマは笑いながら謝る。

「ねえ、アイス奢って」

馴れ馴れしさにお返ししてアイスをねだってみる。

「お安い御用で」

コタマは出来る騎士のようにわたしにかしずいてみせた。

交番の中を指差し、そこの椅子にかけて待ってるといい。
クーラーのない交番の蒸し暑さは異常だったけれど。
それでも窓から入り込む熱風と揺れる雑草を見ていればどことなく安心することができた。

ったく足が痛い、あの壁さえなければ歩く距離をもっと減らすことができるのに。
汗ばんだ太ももとふくらはぎを軽くもみながらぼやく。
そういえばアイスの種類、言ってなかったな。
咄嗟に思い起こした近くのセブンティーンアイスの自販機のラインナップに指を向ける。

口には出さず、第一候補と第二候補を決め終えると、そのまま大人しくコタマの帰りを待った。
しばらくして。

「ほい」

と差し出されたチョコミント、とは別の手に持ってるアップルシュガーコーンに目が行く。

「あ、こっちのほうがいい?」
「んー、迷うね」
「考えてるうちに溶けちゃうぜ?」
「じゃあ半分しよ」
「嫌だよ、JKとアイス舐め合うとか、法律はさておき世間の目がある」
「でも警察官でも淫行逮捕はよくあることだよ」
「どんな論法だよ、正当性ってのはそういうのじゃないぞ」

コタマはまたカラカラと笑った。

細くなる目、しわくちゃの顔、大げさなリアクション。
クラスメイトの誰一人も笑わせることが出来ないわたしの不器用なセンスにも素早く対応してくれる優しさ。
ひねくれたわたしの理解者、でも大切な人だとか思っちゃいけないらしい。
本当に捕まってしまうかもしれないから。
本人が身体を許しても、彼は別の許されない何かによって、法に裁かれてしまうのだから。

「じゃあチョコミントでいい」
「もう一個買ってこようか?」
「さすがに二つは食べれないよ」
「そうだな、欲張っても人生良いことはない」
「で、競馬は勝てたの?」
「欲張っても人生良いことはない」
「負けたのね」
「欲張らなければ勝ってた」
「どこからが欲張りで、どこまでが欲張りじゃないんだろうね」
「この世には分相応という言葉がある」
「つまり?」

わたしはコタマを試すように視線を向けながら首を傾げてやった。
コタマは溶けかけたアップルシュガーコーンアイスを音を立てて啜り上げると「失った事実を与えられたと思おう」と前向きに回答した。
すると今度はわたしのほうがカラカラと笑っていた。