あの白鷺との出来事からしばらく経った頃。
村ではある噂で盛り上がっていた。それは、新たに龍神の巫女となった玲奈の事。
彼女があまり巫女としての勤めを果たしていない事と、本当に次期宮司である和正の子を本当に妊娠しているのか疑問を持ち始めていたのだ。
玲奈が妊娠を告げて結構経っているのに一向に体型に変化がない。それどころか、平気で酒を飲んだりと妊婦とは思えない行為を繰り返している。
少しでも咎めればろくな目に合わない。
村を追放された者もいれば、牢屋に閉じ込められてしまう者、玲奈に無礼を働いたとして施しを与えることを禁じたりと目に余るものばかり。だから誰も何も言えないのだ。
玲奈の実母であるお継母様もお父様も彼女に溺愛しているせいで何も言わない。すぐに別の人間に責任を押し付ける。それは夫の和正も同じだ。
この頃から私の中にあった筈の和正への想いはすでに冷め切っていた。
きっかけはやはりお継母様と玲奈の取り巻きによって簪を奪われ髪を切られたあの出来事だ。
無理矢理切り刻まれた髪は耳が見えてしまうほど短くなってしまい、他の使用人から男みたいだと揶揄われるようになった。
玲奈の味方しかいないこの家は私のことをいつまでも見下してくる。少しでも格好を変えるとすぐにそれをネタにして揶揄してくる。
けれど、その行為は使用人だけなど留まらず遂に和正さえ私を蔑み始めた。

「他の奴らに聞いたけど、本当に男みたいだな?こんな奴と結婚してなんて本当最悪だわ。それに比べて玲奈はお前と大違い。あんなに美しくて優しい子はいないよ」

完全に私の中の優しかった頃の和正は死んだ。目の前にいるのは和正の形をした何かだと思うようになった。
お母様を亡くし泣いてばかりの私を慰めて勇気づけてくれた男の子も、私の髪を優しく大事に扱ってくれた男性(ひと)も、ずっとそばにいてくれた幼馴染は私の中で死んだのだ。
離縁して欲しいと懇願してきた時は情けない声を出していたのに、私がこの家の使用人となった途端態度を変えて横暴になった。
お父様に似てきた。怒鳴る声もすぐに手を出すことも。
もうこの家に居場所なんてない。行く宛がないのがこんなにもどかしいと何度思っただろう。
いつまでこんな日々を送ればいいのだろうか。
私はあの白鷺が言った"必ず迎えに行く"という言葉を信じながら生きてゆくしかなかった。
けれど、いつまでも悲しがってるわけにもいかない。
白鷺が私を迎えに来てくれた時に泣いて顔を腫らした姿なんて見せられない。
私は、白鷺が取り戻してくれた簪を握りながら彼が飛んでいるだろう空を見つめた。



激しい雨が降る夜のことだった。
突然玲奈が私と夕食を共にしたいと告げてきたのだ。
いつもは見窄らしい姿の私と夕食を共にするなんて以ての外だと蔑んでいたのにどういう風の吹き回しなのだろうか。
断りたかったが使用人であるが故に拒否権は無いに等しい。

(また私をみんなの前で虐げる気なのね)

玲奈の思惑が手に取るようにわかってしまう。
私にとって玲奈は我儘だけど可愛い妹だと思っていた。
けれど、お母様を失った私の元に後妻としてやってきたお継母様と共にやって来た可愛らしい女の子は最初から私を嫌っていた。
その子が私の妹になったと知った時はとても嬉しかったけれど玲奈は全く違っていた。
お父様も玲奈達がやって来てからは私のことを疎ましく思う様になった。お継母様と一緒に冷たい視線を向けることが多くなった。

《玲奈の方が可愛い。前妻に似たお前が自分の娘だと思いたくない》

お父様の言葉は平気で私の心を傷つける。
本当にお母様によく似た私を自分の娘として見ていないのだろう。
私が龍神の巫女になってもお父様達は変わらなかった。
離縁された挙句異能を玲奈に奪われ使用人になってからさらに酷くなっていった。

「玲奈に感謝しろよ陽子。見窄らしいお前を憐れんで夕食を囲んでくれたんだから」
「本当よね。玲奈はどんな子にでも手を差し伸べてくれる素晴らしい娘。貴女と違って美しくて賢いのだから」
「本当に玲奈を嫁に迎えられて嬉しいよ。前の結婚は大失敗だったけど」

相変わらずお父様達は私を蔑み玲奈を持ち上げることしか言えない。元夫の和正の楽しそうに会話に参加してる。
私は聞こえないふりをしながら食事を続ける。全く美味しく感じなかった。
その時だった。

「っ……か、和正さん…、これ何か変…よ…」

突然、食事中に玲奈が苦しそうに倒れたのだ。ガチャガチャと皿と料理が畳に散らばる。
玲奈の口から赤い血の一筋が伝う。

「玲奈!!玲奈!!!!」
「い、いやぁー!!玲奈ー!!」
「早く医者を!!!」

みんな倒れた玲奈に駆け寄る。ぐったりと横たわる玲奈に応急処置を行ったり、急いで医者を呼びに行ったりはている様子を私は呆然と見ているしかなかった。
私は我に返り玲奈に近寄ろうとするが「触らないで!」とお継母様に突き飛ばされた。
突き飛ばされ倒れ込んだ私に皆冷たい目線を向ける。

「きっとコイツが玲奈様の食事に毒を盛ったんだ!!」
「そうに違いない!!玲奈様を妬んで…!!」

疑いの目が私を睨む。私じゃない。そんな物知らない。

「ち、違います!!私は何もしてません!!」
「何が違うんだ!!!ずっと玲奈を妬んでたくせに!!」
「こんな奴が俺の元嫁で玲奈の姉なんてな。お前には失望した」
「和正待って、本当に私じゃないの!!私は何もしてないのよ!!!」
「黙れ!!この女を捕えろ。処分はお義父さんと話して決める」

近くにいた男の使用人に捕らえられ引きずられる様に部屋を後にする時だった。
和正に抱えられながら運ばれてゆく玲奈の口元がニヤリと笑ったのだ。全て私を陥れるための罠だった。
珍しく私を夕食に呼んだのはこうゆう事だったのだ。

(どうしてなの…?!どうして私をこんな目に遭わすの…?!玲奈…玲奈…!!!)

私がどんなに無罪だと訴えても誰も信じてくれなかった。
とても寂しく冷たい牢に閉じ込められた私は泣きながらそう訴え続けるしかなかった。
処分が言い渡されるまでの間、尋問でいつも以上に叱責され血が出るまで殴られた。

「何を泣いている!!苦しいのは玲奈様なんだぞ!!お前が毒を盛ったせいで玲奈様のお腹の子供は死んだのだから!!」

玲奈は一命を取り留めたものの、お腹の子は助からなかったと告げられる。それが皆の怒りを買いさらに私を追い詰めていった。
身体中が痛い。誰も助けてくれない現実に私は耐えるしかなかった。