異能の継承の儀は村のみんなの目に触れる前に速やかに行われた。
お母様の時とは違い、私の手と足に木製の枷を付けられた。枷の重みが現実を突きつける。
どうせ逃げられない。下手に逃げようとすれば酷い目に合う。もう諦めるしかなかった。
和正のお父様である宮司様が本殿に向かって継承の儀を執り行うと述べた。龍神の巫女の名と癒しの異能が私から玲奈に継承されるのを龍神様に教えたのだ。
言葉を述べた後、遂に儀式が始まる。
神官達が継承の唱えを詠唱し始めると、私の身体から複数の魂の様なモノが溢れ出てきた。癒しの異能が具現化されたモノだろう。
異能は抵抗しながらも私の身体から出されてしまう。そして、吸い込まれるかの様に玲奈の身体に収まってゆく。

(すごい…これが癒しの異能なの?こんなすごい力が私のモノになるなんて最高じゃない!!)

全身に流れ込んでくる異能に玲奈は興奮気味だ。私はその逆で突然異能が身体から抜け出せたで視界が歪みその場に倒れ込んだ。誰も駆け寄って来る人はいなかった。玲奈には大丈夫かどうか聞いているのに。

「玲奈!!大丈夫かい?」
「ええ。全然平気よ。寧ろ力が満ちてきてるの!!」

和正は妻であった私に目もくれなかった。どんなに私が苦しんでいようと彼の中で私への想いは消えているのだ。
みんな玲奈にしか気にかけない。あまりにも自分自身が惨め過ぎて涙が溢れた。悔しさしか残らなかった。
私の味方はもう誰もいないのだと思い知らされたのだった。






和正と離縁し、異能も失い、巫女でなくなった私に与えられたのは家の使用人。けれど使用人以下の扱いで酷いものだった。
今まで私の味方でいてくれた人間は全員暇に出され、周りにいるのは玲奈達に支える者ばかりになってしまった。
私が玲奈の姉であっても容赦はない。

「アンタみたいな女が玲奈様の姉なんて信じられないよ!!この鈍間(のろま)!!!」
「ご、ごめんなさ、うぅ…」

上女中(かみじょちゅう)のひばりさんが激しく私を叱責し容赦なく頰を打たれた。
彼女は玲奈とお継母様のお気に入りの一人だ。前妻の子で龍神の巫女であった私をひどく嫌っている。
だから、私がこの家の娘だとしても平気に殴ってくるし差別もしてくる。
変に抵抗するともっと酷い目にあうからじっと耐えるしかなった。
もうこの家に私の味方は殆どいない。もし、いたとしても影で心配そうにしているだけだ。
私は打たれた頰を抑えながら仕事を再開させる。周りの女中さん達は私を見てクスクスと嘲笑う。
反論できない弱い私はじっと耐えるしかなかった。
和正の態度も変わってしまった。今までは幼馴染として、妻として私を見ていた目と声は軽蔑が込められたものと変わっていた。

「お前なんかと結婚してたと思うと本当ヘドが出るよ。こんな汚い女のお前が龍神の巫女であったこともな」
「そんな…!!」
「うわ。また気持ち悪い泣き顔してる。玲奈とは本当大違いだな」

あまりにも酷い言葉に耐えられなかった私は思わず涙を流してしまった。その様子を和正は鼻で笑った。
今まで殴ってくることなんて一度もなかったのに、玲奈と結ばれた今ではお父様の様に手を出してくる。
とても、次期宮司の男とは思えない程歪んだ表情を浮かべる人と成り果てている。
それでも私はまだこの人のことを愛してしまっている。この家を離れられない理由の一つとなってしまっていた。
もう一つの理由はやはり亡き母との思い出が詰まっているから。
ずっとこの家で過ごしてきた優しくも楽しかった思い出が私を外の世界へ飛び出すことを拒み続ける。
いざ外に出たとしても何も無い私がすぐに路頭に迷うことなんて容易に予想できてしまう。
だから、私が地獄の日々を耐えるしかないのだ。
私が是が非でも手放せない宝物、お母様の形見の簪を売るなんてできない。私に残された唯一の形見。
どんなに僕力を加えられようとこれだけは守ると私は誓った。
そんな私に一羽だけ味方がいる。あの白鷺だ。
狭い屋根裏部屋に追いやられた私に白鷺は変わらず会いに来てくれる。その嘴にはいつもみたいに綺麗な花が咥えられている。
この子のお陰で私が救われている。感謝しかない。

「ありがとね。白鷺さん。でも、今の私は…」

巫女だった頃の美しさはない。
全身痣と傷だらけ。顔には火傷の痕だってある。いつも整えていた長い髪もボサボサ。着飾ることなんて許されなかった。
そんな私を見ても白鷺は逃げようとしない。寧ろ私の元に来る回数が増えた。
花以外にも果物も持ってきてくれる様になった。
女中になった今ではあまり食事を与えられていない。ひばりさん達が「アンタに飯を食わせるぐらいなら、その辺の乞食共に渡した方がマシ!」と言われて最低限の量の食事しか与えられていなかった。酷い時は玲奈達が食べた夕食の残飯しかくれない時もある。
だから白鷺からの贈り物はとてもありがたかった。

「とても助かるわ。貴方のお陰で飢えを凌ぐことができたわ」

私はそっと白鷺の背を撫でる。白鷺は気持ち良さそうに目を閉じた。
全てが変わってしまった私を見限ることなく通い続ける不思議な白鷺。目を開き私を一目見るといつも通り夜空へ飛び立っていった。
私を見る目は巫女だった頃と変わらない愛しいものを見る眼差しのまま。

(本当に不思議な白鷺。いつも何かを伝えようとするけど何なのかしら…?)

私に何かを訴えようとするも躊躇する様な仕草が多くなった気がする。その謎を胸に秘めたまま私は唯一の味方である白鷺が現れるのを待つのだった。




白鷺が私の元に現れた翌日。
遂に玲奈の魔の手がお母様の簪に伸びた。いつも大事に持っている紅珊瑚の簪に目をつけられてしまったのだ。
お継母様やひばりさん達に簪を玲奈に渡せと迫ってきたが私は断った。死んでも渡したくない大切な形見を私はぎゅっと握りしめる。

「陽子!アンタいい加減にしなさいよ!!私の可愛い玲奈を悲しませるつもり?!」
「いつまでも意地張ってないで玲奈様と奥様の気持ちを考えな!!その簪は玲奈様に相応しいブツなんだ!!見窄らしいアンタが持っていい物じゃないんだよ!!早くよこしな!!」

他の女中仲間も私に対して罵倒してくる。
いつもみたいに殴られて頰は赤く腫れ上がり口の端からは少し血が出た。一つにまとめていた髪も引っ張られてめちゃくちゃになってしまっている。
私は必死になって抵抗を続けた。
そんな私を見て痺れを切らしたお継母様がひばりさんに何か指示をした。そして、ひばりさんが何かをお継母様に渡してきた。渡された物は鋏だった。

「そこまで渡したくないならもうこうするしかないねぇ」

お継母様が鋏を持ってこさせた理由。それは、二度と簪を挿せないように私の長い髪を切り刻むこと。もう一つは、二度と逆らわせない様にする為だろう。
私は恐怖で身体が震え上がる。

「い、いや…っ!!やめてください…それだけは…!!!」
「だったらアンタが持ってる紅珊瑚の簪を奥様に渡しな!!」
「そんなこと…」
「できないのね?本当嫌な女!!こんなのが玲奈の姉なんて聞いて呆れるわ!!」

お継母様は持っていた鋏で私の髪を躊躇なく乱暴に切り始めた。無惨にも切られてゆく髪が床へ落ちてゆく。
刃が私の顔を傷つけようと気にかけることなく切り進めた。
女中のみんなもその様子を面白そうに笑いながら眺めていた。

「アンタも切りな?お人形さんの髪の毛切るの大好きでしょ?」
「うん!!アタシもやるぅ!!!」

ひばりさんが仕事場に連れて来ていた娘のろかちゃんも使って私を苦しめた。
この子は力の加減を知らない。
ひばりさんから聞いた私が玲奈を虐める悪い人だという嘘を真に受けて、お前は悪い奴だと玩具を投げつけられたりしている。今回はそれが更に酷くなったもの。
私の肌から血が出ていようと怖がることなく切り続ける。

「ろかはお人形さんの髪を切るのが好きだからねぇ。丁度コイツがいて助かったよ。あはは!!!」

ひばりさん達の嘲笑いを背に、床に散らばる髪の残骸を見て、私は幸せだった頃の時間を思い出していた。
まだ和正がおかしくなる前の結婚して間もない頃。
彼が漆塗りの赤い櫛で私の髪を梳かしてくれた時に言ってくれた言葉。

「陽子の髪は本当に綺麗だな。黒曜石みたいだ」

サラサラになった私の髪をいつも愛おしそうに触れていた。私はそんな彼の姿が大好きだった。
だが、そんな幸せだった思い出は見事に壊された。散らばる髪を掴み絶望する。
腰まであった髪は滅茶苦茶に切られてしまい男の人のようになってしまった。
すると、ひばりさんが唖然とする私から簪を奪い取った。抵抗する気力がないほど私は弱くなってしまった。

「本当馬鹿な子。素直に渡せば髪なんか切られずにすんだのに。この簪はもう玲奈の物。アンタにはボロがお似合いよ」

ひばりさんから簪を受け取ったお継母様は勝ち誇った表情でそう言い放った。周りの女中達もいい気味だと笑みを浮かべていた。
私から簪を奪い取った後みんな仕事に戻ってゆく。
深い悲しみと悔しさでいっぱいだった私はしばらくその場から動けなかった。

誰も助けてくれない。
なんで私はこんなにも弱いのだろう。唯一のお母様の形見も守りきれなかった。

床に散乱している切り刻まれた髪の毛を見つめながら私は涙を流した。










その日の夜。ある二人の女中が白鷺に襲われ簪を紛失してしまう事件が起こる。
二人共龍神の巫女の玲奈の侍女だという。ある者から譲り受けた紅珊瑚の簪を彼女に届けようとしていた時に襲われたという。
本来は玲奈の母親が届ける予定だったものの、しっかり手入れをしてから娘に渡して欲しいと侍女に頼んだそう。
一人は両目を潰され、もう一人は片目を潰され顔に深い傷を負い精神に異常をきたしているという。

「あの、あの…白鷺が私達を…!!!やめて…!!怖いぃ…!!!」

生き残った侍女は錯乱していて話にならない程。とても手が付けられないらしい。
よく屋敷に現れる白鷺が犯人だと目をつけていたが、白鷺は龍神の使いとして崇められている。
玲奈から「こんなのに襲われたら堪ったものじゃない。早く排除してよ」と皆に命令したが、下手に手を出せば主人である龍神に(たた)られると恐れられ実行されなかった。
玲奈に届けるはずだったの簪は事件の現場には落ちておらず、襲われた二人の血痕と無理矢理抜かれた髪の毛と破れた着物の破片と数本の白い羽が散乱しているだけだった。








髪を切られ簪を奪われてから5日経った朝。
ようやく簪が玲奈の物になったという現実を受け入れ始め、切られた髪も整え、いじめに耐えながらいつも通り仕事をこなす日々を送っていた頃。
突然、私の目の前にあの白鷺が私の枕元に現れた。嘴にはお母様の形見の簪が咥えられていた。
真っ白なはずの羽毛には赤い血が付いている。けれど、怪我をしている様子がないので白鷺自身の血ではないみたいだ。
驚いて飛び起きた私にそっと簪を返してくれた。

「これ貴方が取り戻してくれたの…?まさか私の為に…?」

私の言葉が分かるのか白鷺はどこか嬉しそうに首を縦に振った。
私はあまりの嬉しさで思わず白鷺にそっと触れようとする。触れられた白鷺は怖がることも逃げようともしない。寧ろ、ずっと私に触れられることを望んでいたかの様に目を瞑っていた。

「ありがとう」

もう簪を挿せる髪はないけれど、これは私に残された唯一のお母様の生きた証。2度と奪われまいと私は簪を強く握った。
白鷺が首を伸ばし私の顔にそっと擦り寄る。羽毛が触れて少しくすぐったい。
すると、白鷺ゆっくりと嘴を開いた。

「もう少しの辛抱だ。必ずお前を迎えにゆく」
(え…?!)
「陽子。僕の可愛い花嫁」

突然聞こえてきた男の人の声に驚く。
ずっと喋ることのなかった白鷺。とても妖には見えなかった。白鷺は私から離れ満足げに私を見つめている。

「あ…貴方は一体…」
「もう()き分かる。陽子。貴女は龍神の巫女に相応しい女性(ひと)。必ず幸せにするよ」

白鷺は美しい白い羽を残して再び夜空を飛んでいった。
その羽を拾い上げ、白鷺が飛んでいった方向をじっと見つめる。

(どういうこと?あの白鷺は何者なの?私を迎えにって…花嫁ってまさか…)

白鷺の正体は分からない。
どうしてずっとあの白鷺が私のそばにいてくれたのかも分からないままだったが、あの声が教えてくれそうな気がしてならない。
でも、一つだけ分かる。彼は私の味方であること。
喋れる白鷺という不思議な味方を得た私の心はどこか晴れやかだった。
朝日を浴びながらその声を信じると心に誓うのだった。