「お待ちしておりました!!龍神様!!!」
玲奈が待つ屋敷に着いた信達は陽子の父親達に歓迎されていた。待ってましたと変な明るい声で信達を迎えていた。
だが、信は陽子を傷つけた者から受ける歓迎は不快で仕方がなかった。
不快感で苛立っているのに気付いているのはつららと紅葉だけで、屋敷の者は龍神が訪問したことへの感激で気付こうとする気配もしなかった。それが余計に信を苛立たせた。
今すぐにでも帰りたい。愛する妻である陽子の元に帰りたいと心の底から願っていた。苛立ちを隠すように信はため息を吐く。
その様子を見ていた紅葉は、苛立ちが変にダダ漏れていると分からせるように信に対し少しわざとらしく咳払いをする。
「(イライラしてるの全く隠し切れてませんけど?)ご主人様。早く席に着きましょう。巫女様をお待たせしてますから」
「(……だって仕方ないだろう)分かっている」
愛する妻を傷付けてきた者が気持ち悪く媚びてくる。大昔、復讐に駆られた蛇神を倒し、平和を取り戻した父と先代の巫女が見たら落胆する光景だろうと信は思う。村の惨状を見たら尚更だと。
きっと、屋敷で信の帰りを待つ陽子も悲しむだろうと信は心を痛めていた。
屋敷の者達にどんなに酷いことをされても陽子は信に恨み言なんて一つも言ったことなんてなかった。寧ろ、玲奈達に奪われてしまう恐怖が彼女を縛りつけている。
信の脳裏に玲奈の元に行かないでと告げた夜の出来事が過ぎる。
守ってあげたい、彼女を縛り付けているものを取り払って恐怖から逃がしてあげたい。そして、ずっと自分の側にいて欲しい。そう願った忘れられない夜。
玲奈達から取り戻さなければならないモノは沢山ある。信はどんな手を使ってでも奪い返すつもりだろう。
心配になったつららは紅葉に小声で呟いた。
「早く陽子様の大事なお母様の簪も取り戻さなきゃだよね…」
「ああ。全てはご主人様にかかってる。俺達にできることは全力でご主人様と陽子様を守り、そして、お助けすること」
「うん…そうだよね…!!私達も頑張らなきゃだよね…!!!」
玲奈に奪われた陽子の母親の形見である赤珊瑚の簪を取り戻すことも目的の一つ。
今すぐに返せと迫ることもできるが、血を流すことは陽子が望まないだろうと信は悟っていた。今はまだ相手の動きを探り、来る時に全てを奪い返すつもりだ。
周りに持て囃されながら玲奈を待つ信の姿を見て陽子の元夫である和正はどこか打ちひしがれていた。
(あれが龍神様……あんなのに勝てるわけがない…。玲奈が心当たりするのも頷ける…)
項垂れる和正を見て信は心の中で蔑む。この男が陽子の心を弄び、彼女の妹にうつつを抜かした馬鹿な男だと。
こんなに哀れで愚かな男なんて愛おしい陽子には似合わないフンっと鼻で笑った。
すると、和正が少し苦しそうに咳をした。顔色もあまり良くなかった。
近くにいた女中が駆け寄り様子を伺うが調子は良くないようだ。
(なんだ?病のようではないみたいだが…まさか…)
信は和正の様子を見て何かを察しかけた時、遂に龍神の巫女が姿を表した。
その姿は、巫女には似つかわしくない着物に身を包み、髪には陽子から奪い取った赤珊瑚の簪が刺さっていた。
玲奈の母とひばり親子達と数人の侍女を連れて玲奈は念願の龍神の前に現れた。初めて信を見た玲奈の目はとてもよく輝いていた。
「貴方が龍神様ですね…!!」
美しい龍神の姿に玲奈の心はときめかせた。思わず言葉を失ってしまう。
そんな玲奈を見て、和正は悲しげな表情を浮かべていた。もう彼女の心の中に自分はいないのだと改めて思い知らされる。
「玲奈…」
(似顔絵通り…ううん…それ以上だわ…!!和正なんかよりも何百倍も良い…!!!)
玲奈が現れた途端に漂ってきた甘ったるい香水の香りに紅葉は目眩を覚える。思わず顔を歪めてしまった紅葉だが、身に付けていた雑面のお陰で気づかれずに済んだものの、紅葉にとっては苦痛な時間が始まってしまったことに頭を抱えた。
つららは心配そうに横目で見るも駆け寄れずヤキモキしていた。
そんなことなど知る由もない玲奈はうっとりとした表情で信を見つめていた。
彼女の表情が目障りとしか思えなかった信は早く顔合わせの儀を進めろと溜め息混じりに指示した。
信の顔色を伺っていた陽子の父親は、不機嫌な様子を見せる彼を見て慌てて顔合わせの儀を進め始めた。
「ごめんなさい。龍神様のあまりの美しさに見惚れてしまいまして…」
「そうか。お前の感想なんかどうでもいい。早く名を申せ」
「あ…そ、そうですわね!!えっと…、私の名は玲奈。悪しき大蛇からこの村を守ってくれた龍神様から授かった癒しの異能を受け継いだ巫女でございます」
「……その割には貴様に気品を感じないが。それより、ちゃんと俺の親父の言いつけ通り分け隔てなく異能を施しているのだろうな?」
陽子の父親は一瞬ギクリとした様子を見せ、少し焦ったように突然ですと返してきた。説得力にかける返事でまた信のため息をする数を増やさせた。
その様子を見ていた玲奈の母親が悪びれもなく反論する。
「龍神様。この異能はとても神秘なモノ。それを下民共に施すのはどうかと思いますが」
「何故、龍神の巫女の血筋でもなんでもない貴様が決めつける。これは先代の龍神と巫女が交わした約束。部外者の貴様が口を出していいわけがなかろう。それに何故龍神の巫女の血筋でもないこの女が巫女となっているのだ。」
「っ…、で、ですが、私はこの子の母親。その権利は十分あると思いますが…!!確かに娘は巫女の一族の血は引いておりませんが、その素質は十分に…」
「もういい。黙れ」
「でも…!!!」
「神殺しの一族が何を言うか」
小さくボソリと呟いた信の一言に玲奈の母親は青ざめる。
龍神は神であるが故に何もかも知り尽くしている。先祖が起こした悪事も、愛する娘の為に自らが起こした悪事も何もかも。
何も知らない玲奈はただただ困惑するが必死に笑顔を絶やさず信を見つめ続けていた。
「玲奈と言ったな。確か、貴様の前に巫女であった少女がいたな」
「前の巫女……ああ!!まさかお姉様のことですかぁ?なんで急にあの人の話を…」
「貴様の姉だと聞いていたが」
今までにこやかだった玲奈の顔が悲しみの表情に切り替わる。目に涙を浮かべ辛そうな彼女に和正は駆け寄ろうとするが、また苦しそうに咳き込んでしまいその場を離れることができなかった。
涙で目を潤ませた玲奈は、助けを求めるように陽子のことを話し始めた。
「お姉様とは血の繋がりはないのですが…彼女が本来なら私が継ぐはずだった癒しの異能と巫女の名を先代の巫女の娘というだけで受け継いでしまった偽の巫女」
「ふーん。で?」
「彼女は異能を悪用し私達や村の方を苦しめ続けていました。お父様達と一緒にお姉様から異能を取り戻すことはできたのですが……」
玲奈は涙を流しながらお腹をそっと摩った。信は玲奈のその仕草に嫌悪感を覚え吐き気を催した。
「そのせいで、私と夫の愛する子供を毒で殺すという凶行に走らせてしまった…!!私のせいで愛する我が子を産んであげることができなかった…私は…!!」
涙を流し、姉と我が子を憐れむ玲奈の姿にひばり達女中は涙していた。和正と父親と母親も心痛な面持ちだった。
だが、信と紅葉とつらら達だけはとても白けていた。彼女が話していたことは全て嘘だと知っていたからだ。
チッと舌打ちをした信は立ち上がり玲奈を見下ろした。
「貴様の姉のせいで腹の子供が死んだと言いたいのか?」
「ええ……でも、私はこの子の分まで生き、巫女の務めを全うしたいと思っております」
「へぇ。その割には水子の魂が貴様の周りに漂っていないが?」
「え?」
「欲に塗れたその頭に教えてやろう」
信は苦笑いをしながら語り始めた。
「日の目を見ることのなかった水子の魂は、母親が死ぬまで取り憑く。愛する母親の幸せと守護の為に必ずな。だが、貴様にはそれがない」
「え、え?」
「それ以前に、貴様の腹に胎児がいた痕跡もない。貴様、本当に子を宿していたのか?それとも、貴様の姉から男を奪う為についた嘘ではないか?」
全てを知っているような信の言葉に玲奈は顔面蒼白で言葉を失っていた。陽子の父親が慌てて「何を出鱈目なことを!!」と憤慨していたが信は相手にしなかった。
信はずっと見ていた。白鷺に姿を変え、彼等の愚行を見続けていたのだ。
玲奈の妊娠が虚言だということも、和正が玲奈の可愛らしさに魅入られ陽子を捨てたことも、何もかも奪われ奴隷同然の扱いを受け家族や使用人達から虐待されていたことも全て。
そして、傷つけられても懸命に生きる愛する陽子の姿も。
「嘘じゃないです…!!本当に私のお腹の中に赤ちゃんがいて…!!!」
「神である俺を嘘つき扱いするつもりか」
「そ、そんなつもりじゃ…!!」
全て見透かされていることに玲奈はたじろぐ。信が向ける凍てつくような冷たい目線に声が震えた。
「なら、亡くなった我が子の為にしっかりと巫女の務めを全うするんだな。うつつを抜かず夫だけを愛せ」
「龍神様、待ってください…!!私は…!!」
「戯言は終わった。こちらも暇でないのでな。それと、軽はずみの気持ちで顔合わせの儀なんて二度とするな。以上」
「そんな…お願いです!!聞いてください…!!この顔合わせの儀行ったのは貴方様に巫女として認めてもらうことでもありますが…!!」
玲奈の口から出た巫女として認めてもらうという言葉。信の脳裏に蘇るのはここに来る前に見た村人達が傷つき怯えている姿と玲奈達の勝手な偏見のせいで死んだ者達の墓。
こんな人間を龍神の巫女として認めるなんて当然できるはずがなかった。
自分の腕に絡みつく玲奈の手を強く払いのける。だが、玲奈は諦めずに再び信の腕にしがみついた。
「離せ」
「嫌です!!神と巫女は一生離れられない存在。なら、私達は結ばれるべきだと思うのです!!」
「はぁ?貴様何を言っている」
「だから、その、私は貴方様の花嫁になりたくて…!!!貴方の力になりたいのです!!!私達が力を合わせればこの村をもっと良いものにできると思うのです!!お願いします!!私を選んでください!!」
信の美貌に魅入られた玲奈の顔。顔合わせの儀の本当の目的は彼への求婚だったのだ。
村の掟では、龍神の巫女が結ばれていいのは村の神社の宮司のみだとされているがそれさえも破ろうとしているのだ。
必死になって龍神に求婚をする玲奈の姿を見て和正は愕然としていた。完全に彼女の中に自分はいないのだと確信してしまったのだ。
調子が悪いのと相まって気が滅入ってしまった。
信は、呆れたようにため息を吐き、目を潤わせながら上目遣いで求婚してくる玲奈に現実を突きつけた。
「残念だが貴様を娶ることはない」
「え…!!どうして…」
「もう俺には愛する妻がいるのでな。彼女を裏切るようなことはしたくないのだ。諦めろ」
(う、嘘よ!!そんなの聞いてない!!もう龍神様に花嫁がいたなんて…!!)
既に妻を娶っていたという事実に狼狽える困惑する玲奈のことなど構うことなく信は帰路に着く準備を始める。
腕を振り払われた玲奈は、息苦しそうにその場でしゃがみ込んだ。顔を赤らめハッハッと苦しそうだったがが信は気に留めることはない。
早くここから離れたかった。この苛立った気持ちを愛する妻の顔を見て癒したかった。
一刻も早く陽子の元に帰りたい。その気持ちが限界まで来ていたのだ。
「帰るぞ。紅葉、つらら。妻が待ってる」
「はい」
「は〜い」
「ま…待ってください…龍神様…」
母親とひばりに介抱されながらも玲奈は信に手を伸ばす。信は呆れたように彼女の方に振り向き汚物を見るような目で睨みつけた。
「くどい」
「ひっ…!!」
今まで聞いたことない程の低く冷たい怒りが籠った声と言葉。完全に拒絶された玲奈はあまりの恐ろしさに短く悲鳴を上げてしまっていた。
これ以上彼に迫れば殺されてしまうと直感した。
信は怯える玲奈に背を向け部屋を後にする。とても無駄な時間だったと深く溜息をついた。
嗚咽を上げながら泣き続ける玲奈を慰める母親達の姿を想像しただけで吐き気を催してしまった。
きっと、陽子がこの屋敷にいた時もこんな調子だったのだろう。玲奈の嘘泣きを信じて、無実の罪を着せられた陽子に虐待を繰り返していた。
そして、この顔合わせの儀の時も玲奈の髪に刺さっていた赤珊瑚の簪を容赦なく奪い取った。
けれど今回は奪うことができなかった。
既に別の女のモノになっていた美しい龍神を玲奈は手に入れられなかったのだ。その証が彼女の泣き声だろう。
信達は玲奈の泣き声を背にようやく陽子が待つ屋敷へと帰ってゆくのだった。
玲奈が待つ屋敷に着いた信達は陽子の父親達に歓迎されていた。待ってましたと変な明るい声で信達を迎えていた。
だが、信は陽子を傷つけた者から受ける歓迎は不快で仕方がなかった。
不快感で苛立っているのに気付いているのはつららと紅葉だけで、屋敷の者は龍神が訪問したことへの感激で気付こうとする気配もしなかった。それが余計に信を苛立たせた。
今すぐにでも帰りたい。愛する妻である陽子の元に帰りたいと心の底から願っていた。苛立ちを隠すように信はため息を吐く。
その様子を見ていた紅葉は、苛立ちが変にダダ漏れていると分からせるように信に対し少しわざとらしく咳払いをする。
「(イライラしてるの全く隠し切れてませんけど?)ご主人様。早く席に着きましょう。巫女様をお待たせしてますから」
「(……だって仕方ないだろう)分かっている」
愛する妻を傷付けてきた者が気持ち悪く媚びてくる。大昔、復讐に駆られた蛇神を倒し、平和を取り戻した父と先代の巫女が見たら落胆する光景だろうと信は思う。村の惨状を見たら尚更だと。
きっと、屋敷で信の帰りを待つ陽子も悲しむだろうと信は心を痛めていた。
屋敷の者達にどんなに酷いことをされても陽子は信に恨み言なんて一つも言ったことなんてなかった。寧ろ、玲奈達に奪われてしまう恐怖が彼女を縛りつけている。
信の脳裏に玲奈の元に行かないでと告げた夜の出来事が過ぎる。
守ってあげたい、彼女を縛り付けているものを取り払って恐怖から逃がしてあげたい。そして、ずっと自分の側にいて欲しい。そう願った忘れられない夜。
玲奈達から取り戻さなければならないモノは沢山ある。信はどんな手を使ってでも奪い返すつもりだろう。
心配になったつららは紅葉に小声で呟いた。
「早く陽子様の大事なお母様の簪も取り戻さなきゃだよね…」
「ああ。全てはご主人様にかかってる。俺達にできることは全力でご主人様と陽子様を守り、そして、お助けすること」
「うん…そうだよね…!!私達も頑張らなきゃだよね…!!!」
玲奈に奪われた陽子の母親の形見である赤珊瑚の簪を取り戻すことも目的の一つ。
今すぐに返せと迫ることもできるが、血を流すことは陽子が望まないだろうと信は悟っていた。今はまだ相手の動きを探り、来る時に全てを奪い返すつもりだ。
周りに持て囃されながら玲奈を待つ信の姿を見て陽子の元夫である和正はどこか打ちひしがれていた。
(あれが龍神様……あんなのに勝てるわけがない…。玲奈が心当たりするのも頷ける…)
項垂れる和正を見て信は心の中で蔑む。この男が陽子の心を弄び、彼女の妹にうつつを抜かした馬鹿な男だと。
こんなに哀れで愚かな男なんて愛おしい陽子には似合わないフンっと鼻で笑った。
すると、和正が少し苦しそうに咳をした。顔色もあまり良くなかった。
近くにいた女中が駆け寄り様子を伺うが調子は良くないようだ。
(なんだ?病のようではないみたいだが…まさか…)
信は和正の様子を見て何かを察しかけた時、遂に龍神の巫女が姿を表した。
その姿は、巫女には似つかわしくない着物に身を包み、髪には陽子から奪い取った赤珊瑚の簪が刺さっていた。
玲奈の母とひばり親子達と数人の侍女を連れて玲奈は念願の龍神の前に現れた。初めて信を見た玲奈の目はとてもよく輝いていた。
「貴方が龍神様ですね…!!」
美しい龍神の姿に玲奈の心はときめかせた。思わず言葉を失ってしまう。
そんな玲奈を見て、和正は悲しげな表情を浮かべていた。もう彼女の心の中に自分はいないのだと改めて思い知らされる。
「玲奈…」
(似顔絵通り…ううん…それ以上だわ…!!和正なんかよりも何百倍も良い…!!!)
玲奈が現れた途端に漂ってきた甘ったるい香水の香りに紅葉は目眩を覚える。思わず顔を歪めてしまった紅葉だが、身に付けていた雑面のお陰で気づかれずに済んだものの、紅葉にとっては苦痛な時間が始まってしまったことに頭を抱えた。
つららは心配そうに横目で見るも駆け寄れずヤキモキしていた。
そんなことなど知る由もない玲奈はうっとりとした表情で信を見つめていた。
彼女の表情が目障りとしか思えなかった信は早く顔合わせの儀を進めろと溜め息混じりに指示した。
信の顔色を伺っていた陽子の父親は、不機嫌な様子を見せる彼を見て慌てて顔合わせの儀を進め始めた。
「ごめんなさい。龍神様のあまりの美しさに見惚れてしまいまして…」
「そうか。お前の感想なんかどうでもいい。早く名を申せ」
「あ…そ、そうですわね!!えっと…、私の名は玲奈。悪しき大蛇からこの村を守ってくれた龍神様から授かった癒しの異能を受け継いだ巫女でございます」
「……その割には貴様に気品を感じないが。それより、ちゃんと俺の親父の言いつけ通り分け隔てなく異能を施しているのだろうな?」
陽子の父親は一瞬ギクリとした様子を見せ、少し焦ったように突然ですと返してきた。説得力にかける返事でまた信のため息をする数を増やさせた。
その様子を見ていた玲奈の母親が悪びれもなく反論する。
「龍神様。この異能はとても神秘なモノ。それを下民共に施すのはどうかと思いますが」
「何故、龍神の巫女の血筋でもなんでもない貴様が決めつける。これは先代の龍神と巫女が交わした約束。部外者の貴様が口を出していいわけがなかろう。それに何故龍神の巫女の血筋でもないこの女が巫女となっているのだ。」
「っ…、で、ですが、私はこの子の母親。その権利は十分あると思いますが…!!確かに娘は巫女の一族の血は引いておりませんが、その素質は十分に…」
「もういい。黙れ」
「でも…!!!」
「神殺しの一族が何を言うか」
小さくボソリと呟いた信の一言に玲奈の母親は青ざめる。
龍神は神であるが故に何もかも知り尽くしている。先祖が起こした悪事も、愛する娘の為に自らが起こした悪事も何もかも。
何も知らない玲奈はただただ困惑するが必死に笑顔を絶やさず信を見つめ続けていた。
「玲奈と言ったな。確か、貴様の前に巫女であった少女がいたな」
「前の巫女……ああ!!まさかお姉様のことですかぁ?なんで急にあの人の話を…」
「貴様の姉だと聞いていたが」
今までにこやかだった玲奈の顔が悲しみの表情に切り替わる。目に涙を浮かべ辛そうな彼女に和正は駆け寄ろうとするが、また苦しそうに咳き込んでしまいその場を離れることができなかった。
涙で目を潤ませた玲奈は、助けを求めるように陽子のことを話し始めた。
「お姉様とは血の繋がりはないのですが…彼女が本来なら私が継ぐはずだった癒しの異能と巫女の名を先代の巫女の娘というだけで受け継いでしまった偽の巫女」
「ふーん。で?」
「彼女は異能を悪用し私達や村の方を苦しめ続けていました。お父様達と一緒にお姉様から異能を取り戻すことはできたのですが……」
玲奈は涙を流しながらお腹をそっと摩った。信は玲奈のその仕草に嫌悪感を覚え吐き気を催した。
「そのせいで、私と夫の愛する子供を毒で殺すという凶行に走らせてしまった…!!私のせいで愛する我が子を産んであげることができなかった…私は…!!」
涙を流し、姉と我が子を憐れむ玲奈の姿にひばり達女中は涙していた。和正と父親と母親も心痛な面持ちだった。
だが、信と紅葉とつらら達だけはとても白けていた。彼女が話していたことは全て嘘だと知っていたからだ。
チッと舌打ちをした信は立ち上がり玲奈を見下ろした。
「貴様の姉のせいで腹の子供が死んだと言いたいのか?」
「ええ……でも、私はこの子の分まで生き、巫女の務めを全うしたいと思っております」
「へぇ。その割には水子の魂が貴様の周りに漂っていないが?」
「え?」
「欲に塗れたその頭に教えてやろう」
信は苦笑いをしながら語り始めた。
「日の目を見ることのなかった水子の魂は、母親が死ぬまで取り憑く。愛する母親の幸せと守護の為に必ずな。だが、貴様にはそれがない」
「え、え?」
「それ以前に、貴様の腹に胎児がいた痕跡もない。貴様、本当に子を宿していたのか?それとも、貴様の姉から男を奪う為についた嘘ではないか?」
全てを知っているような信の言葉に玲奈は顔面蒼白で言葉を失っていた。陽子の父親が慌てて「何を出鱈目なことを!!」と憤慨していたが信は相手にしなかった。
信はずっと見ていた。白鷺に姿を変え、彼等の愚行を見続けていたのだ。
玲奈の妊娠が虚言だということも、和正が玲奈の可愛らしさに魅入られ陽子を捨てたことも、何もかも奪われ奴隷同然の扱いを受け家族や使用人達から虐待されていたことも全て。
そして、傷つけられても懸命に生きる愛する陽子の姿も。
「嘘じゃないです…!!本当に私のお腹の中に赤ちゃんがいて…!!!」
「神である俺を嘘つき扱いするつもりか」
「そ、そんなつもりじゃ…!!」
全て見透かされていることに玲奈はたじろぐ。信が向ける凍てつくような冷たい目線に声が震えた。
「なら、亡くなった我が子の為にしっかりと巫女の務めを全うするんだな。うつつを抜かず夫だけを愛せ」
「龍神様、待ってください…!!私は…!!」
「戯言は終わった。こちらも暇でないのでな。それと、軽はずみの気持ちで顔合わせの儀なんて二度とするな。以上」
「そんな…お願いです!!聞いてください…!!この顔合わせの儀行ったのは貴方様に巫女として認めてもらうことでもありますが…!!」
玲奈の口から出た巫女として認めてもらうという言葉。信の脳裏に蘇るのはここに来る前に見た村人達が傷つき怯えている姿と玲奈達の勝手な偏見のせいで死んだ者達の墓。
こんな人間を龍神の巫女として認めるなんて当然できるはずがなかった。
自分の腕に絡みつく玲奈の手を強く払いのける。だが、玲奈は諦めずに再び信の腕にしがみついた。
「離せ」
「嫌です!!神と巫女は一生離れられない存在。なら、私達は結ばれるべきだと思うのです!!」
「はぁ?貴様何を言っている」
「だから、その、私は貴方様の花嫁になりたくて…!!!貴方の力になりたいのです!!!私達が力を合わせればこの村をもっと良いものにできると思うのです!!お願いします!!私を選んでください!!」
信の美貌に魅入られた玲奈の顔。顔合わせの儀の本当の目的は彼への求婚だったのだ。
村の掟では、龍神の巫女が結ばれていいのは村の神社の宮司のみだとされているがそれさえも破ろうとしているのだ。
必死になって龍神に求婚をする玲奈の姿を見て和正は愕然としていた。完全に彼女の中に自分はいないのだと確信してしまったのだ。
調子が悪いのと相まって気が滅入ってしまった。
信は、呆れたようにため息を吐き、目を潤わせながら上目遣いで求婚してくる玲奈に現実を突きつけた。
「残念だが貴様を娶ることはない」
「え…!!どうして…」
「もう俺には愛する妻がいるのでな。彼女を裏切るようなことはしたくないのだ。諦めろ」
(う、嘘よ!!そんなの聞いてない!!もう龍神様に花嫁がいたなんて…!!)
既に妻を娶っていたという事実に狼狽える困惑する玲奈のことなど構うことなく信は帰路に着く準備を始める。
腕を振り払われた玲奈は、息苦しそうにその場でしゃがみ込んだ。顔を赤らめハッハッと苦しそうだったがが信は気に留めることはない。
早くここから離れたかった。この苛立った気持ちを愛する妻の顔を見て癒したかった。
一刻も早く陽子の元に帰りたい。その気持ちが限界まで来ていたのだ。
「帰るぞ。紅葉、つらら。妻が待ってる」
「はい」
「は〜い」
「ま…待ってください…龍神様…」
母親とひばりに介抱されながらも玲奈は信に手を伸ばす。信は呆れたように彼女の方に振り向き汚物を見るような目で睨みつけた。
「くどい」
「ひっ…!!」
今まで聞いたことない程の低く冷たい怒りが籠った声と言葉。完全に拒絶された玲奈はあまりの恐ろしさに短く悲鳴を上げてしまっていた。
これ以上彼に迫れば殺されてしまうと直感した。
信は怯える玲奈に背を向け部屋を後にする。とても無駄な時間だったと深く溜息をついた。
嗚咽を上げながら泣き続ける玲奈を慰める母親達の姿を想像しただけで吐き気を催してしまった。
きっと、陽子がこの屋敷にいた時もこんな調子だったのだろう。玲奈の嘘泣きを信じて、無実の罪を着せられた陽子に虐待を繰り返していた。
そして、この顔合わせの儀の時も玲奈の髪に刺さっていた赤珊瑚の簪を容赦なく奪い取った。
けれど今回は奪うことができなかった。
既に別の女のモノになっていた美しい龍神を玲奈は手に入れられなかったのだ。その証が彼女の泣き声だろう。
信達は玲奈の泣き声を背にようやく陽子が待つ屋敷へと帰ってゆくのだった。