信様が龍神の務めに出かけて行った日のこと。

「陽子様!!私達がやりますから!!」

龍神である信様に助けられてからしばらく経った。
玲奈達に傷つけられた心身はすでに回復し動き回れるようになった。
私は少しでも彼の役に立ちたいと、ここの使用人達に混じって実家にいた頃のように働こうと意気込んだ。
すると、掃除をしている使用人の妖の子が慌てて私を止めよう駆け寄ってきた。きっと、信様の婚約者となった私に手を煩わせるわけにはいかないと思っているのだろう。

「陽子様の綺麗な手を汚すわけには…」
「いいの。少しだけでも手伝わせて?それに、助けてもらってばかりで申し訳ないわ」

妖の子は感激しながら「陽子様〜」と感謝していた。私はその様子を見て思わず可愛いと思ってしまう。
まだ信様に何もお礼をしていない。何か恩を返したい。
そして、龍神の花嫁としての務めを果たしたい気持ちでいっぱいだった。

(癒しの異能がない今の私にできることは彼の無事を祈ることと、この屋敷とここで働く妖の子達を守ること。せめてそれだけでも…)

紅葉くんとつららちゃんも心配そうに「無理はなさらないで」と言ってくれている。実家にいた頃には考えられないことだ。
追放される前は、調子が悪くても働けと怒鳴られ、少しでも失敗すれば吊し上げにされみんなから笑われていた。
今はそれがなく悲しむ事も辛いことはない。
それでも気がかりなのは、玲奈に奪われたお母様の形見の簪のことだ。
玲奈は欲しい物が手に入るとすぐに飽きてしまう癖がある。
いらなくなった着物や髪飾り等を平気で捨てていたから心配でならない。
実は、信様に求婚された時に彼が約束してくれたことがある。それは、玲奈からお母様の形見を必ず取り戻してくれるという約束。

「あれは陽子の物だ。必ず取り戻す。俺が白鷺になってた時のように。あんな愚か者が使うには烏滸がましいにも程がある」

信様が白鷺に化けていた頃と同じ目でしてくれた約束。
静かな怒りが信様の美しい瞳に宿っているのが伝わってきた。こんなに私の為に怒ってくれる人なんていなかった。
今日の朝も、出かける前に私に誓ってくれた。

「もう君を泣かせたりしない。もし、また陽子を悲しませる様な者が現れたらすぐに飛んでくるからね」

こんなに大事にされるなんて。結婚した後の和正にもそんなこと言われたことなんてなかった。
優しい言葉と彼の想い、いつも私に与えてくれる綺麗な着物や装飾品、そして、信様が見てきた自然や村や都のお話。
私の傷付いた心と身体を癒すのに十分だった。
そんなことを考えながら私は仕事の手を進める。

(信様が好きなものってなんだろう?)

掃除を終えた次の仕事は食事の支度。妖の子達が考えてくれた献立通りに料理を作っていた時にふと疑問に思ったことだ。
疲れた彼を少しでも癒してあげたいと何か元気が出るモノを思うも思いつかない。まだ彼の好物を分かっていないせいだ。
私は紅葉くんにそっと尋ねることにした。

「ご主人様の好物ですか?」
「ええ。きっと疲れて帰ってくるから何か好きなモノを一品出してあげたくて」
「そうですね〜。あの人、結構甘い物が好きですよ。お菓子とか、甘めの味付けとか。後、辛いのが少し苦手ですかね」

紅葉くんから聞いた信様の好物。甘いものが好きだなんて少し驚いてしまった。そして、可愛いとも思えてしまった。

(辛いもの苦手なんだ)

あの凛々しい姿だと想像できない。私たちの前でしか見せないおちゃめな姿。
誰かの為に何かを作ってあげたくなる気持ちなんて久しぶりだった。あの家にいた頃には考えられない感情。
ここに来るまでは命令された通りに作らされて、玲奈達の口に合わなかったら罵られ作り直された。
あの人達はいつも「玲奈ならこんなもの美味しく作れるのに。お前は本当に何もできないな。こんな不味いものをだすとは!!」と彼女を与え私を蔑んだ。

(玲奈の作ったものは全部私が代わりに作ってあげていたモノなのにね)

玲奈が作った料理は全て私が代わりに作っていた。和正達はそれをとても美味しそうに食べていた。私がいなくなった今はどうだろうか。もう知る由もないが。
そんな嫌な思い出を振り切るように私は信様のために何を作ろうか考える。
すると、調理をしていた妖の子が「陽子様。信様は卵が好きなんですよ。厚焼きのやつとか!!」と教えてくれた。新鮮な卵があることも教えてくれた。

「陽子様が作ってくれたモノならなんでも喜びますよ♪」

妖の子が言った言葉に私は信様の嬉しそうな笑顔を思い出し顔が熱くなるのを感じた。きっと真っ赤になっている。

「そ、そうかな?」
「そうですよぉ♪大好きな人が作ってくれたら誰だって嬉しいですもん♪」

私はこの屋敷に来て嫌な思いなんて一つもしたことがない。それは私を愛していると言ってくれた信様、彼を支えているつららちゃんや紅葉くん、そしてここで働きながら屋敷を守る妖の子達のおかげだろう。
私は気持ちを奮い立たせ、彼の好物である甘めの厚焼きの卵を作ろうと決めた。
私は彼が喜ぶ顔を思い浮かべる。想像ではなくこの目で見たいとさえ思えた。
少し甘めに作った卵液を混ぜながら私は愛する人の帰りを待つのだった。