「ねぇ、ちょっと喉乾かない?」

 確かに何も飲んでいない。気にしだすと水分が欲しくなる。目的の店の反対側にはオシャレなカフェがあった。

「あそこでお茶する?」
「いや、何か他にも色々他の頼んじゃいそうだし、お金も」
「ハードル高いし入っていい店じゃない気がする」

 確かに今の私達だとレベルが足りないかも。

「自動販売機なら、出口のとこにあるんじゃないか」

 向かうと自動ドア付近に、二つ赤い自動販売機があった。私はシンプルにお水。青葉さんはストレートティーで、水無月くんはオレンジジュース。
 そばにベンチがあったので、座って飲水タイムを挟んでから目的のお店へ。
そこは雑貨屋さんという感じで、ぬいぐるみだけでなく、子供向けのおもちゃ、洋服に食器とかも売っている。それらがごちゃごちゃと置いてある。

「色々あるねー」
「何かすっごく整理整頓したくなるんだけど……」

 青葉さんは綺麗好きなのだろうか、少し居心地悪そう。
 水無月くんはぬいぐるみが沢山ある真ん中の棚に釘付けだ。ピンクのイルカ、伊勢海老、強面なウツボ、リアル寄りのタコ。海の生物が多い。
 私はその中でウツボのぬいぐるみに惹かれて手に取った。

「あんた……それ買うの?」
「可愛くない?」
「怖いし」

 そう言いながら、リアル寄りのタコを見せてくる。

「いや、そっちだって」
「可愛いでしょ」

 どうやら可愛い観で決定的な違いがあるみたいだ。

「じゃあ玲士に決めてもらうしかないわね」
「えー? これでもバトル?」

 ライバルだからか関係ないことでも勝負を仕掛けてくる。まぁ、価値観の一致は恋愛には大事なのだろうけど。人それぞれで良くない?

「玲士、どっちが可愛いと思う?」
「え?」

 私達が選んだぬいぐるみを見て若干引きつった表情を見せる。
「どっちもそんなに……これの方がいいでしょ」

 第三勢力の伊勢海老のぬいぐるみが、キュートバトルに乱入してきた。

「「まぁ……」」

 青葉さんも同感なのか、微妙な反応。

「シンプルで良いとは思うけど」
「なんかそれだけって感じ。ひねりがないのよ」
「いや。可愛いは可愛いでいいだろ」

 確かに記憶の中には普通に可愛いぬいぐるみだらけだった。覚えておこう。

「今回は引き分けね」
「あーうん」

 決着もついた所で、私達は各々ぬいぐるみを購入して、お店を出た。

「これからどうしようか?」

 時刻は三時半で日はまだ現役バリバリだ。
「俺はまだ時間あるけど」
「あたしは――」

 すっと、青葉さんの足と言葉が止まる。どうしたのだろうと、彼女を見ると顔が真っ青で、何かに怯えているようで。視線の先を追うと、私達と同い年くらいの女子二人が談笑しながら話していて、こっちに来ていた。

「……っ」

 私の背に隠れると、右の袖口を摘んできて、その指はとても震えていた。
 事情がわからないけど、あの子たちと顔を合わせてはならないことだけはわかった。色々事情を想像しそうになるけど、その前に体が先に動いた。

「青葉さん、ちょっとこっちに行こっ」
「……うん」

 私は左手を掴んで、足早にすぐそこにあった、トイレや喫煙室に繋がる細い通路に逃げ込んだ。

「お、俺も……」
「あっ水無月くんじゃん」
「ねぇ、ちょっといいかな?」

 背後では知り合いなのか話しかけられている水無月くんの困った声が聞こえた。

「大丈夫?」
「……ええ」

 何とか口に出したといった空気量の返事だった。顔も青ざめていて
 青葉さんを奥にして、二人で左側の壁に背中を預け、彼女達が水無月くんから離れるまで息を潜めて待つ。

「……」

 何か力になれないかと思う。でもどうしたって、あの言葉をまた言われるんじゃないかって怖かった。そして、それがレバーとなって喉の奥を閉ざしてしまう。
向こうでは、ちょっとやり取りをするだけで別れていく。けれど、彼女達は、こっちに向かってきた。動くべきかそのまま背景となるべきか、思考と鼓動がスピードアップ。ただ現実はすごくスローモーションに感じられて。
ふと、体の左側面に仄かな体温が触れ合う。青葉さんは、私に体をくっつけて、ぎゅっと目を瞑り祈るように顔を俯かせていた。

「っ」 

 足音が目の前に来ると、反射的にそっちに向けてしまい、一瞬目が交錯。そのままの流れで青葉さんに向けられる。けれど、それもすぐに逸れて、そのまま通り過ぎて行った。

「もう行ったね」

 青葉さんは私に近づけていた体を遠ざけてため息を一つ。

「戻ろっか」

 コクリと頷く肯定を確認してから、心配そうに見つめる彼の元へ足を返そうとすると、引き止められる。

「聞かないの?」
「言いたくないことかなって思ったから」
「そう」

 本当は気になるし、助けになりたかった。でも怖かった。結局、想像力を働かせて、楽しいことではないことだと現状理解で立ち止まるだけで。

「ねぇ、いつまで手を握っているの?」
「あっ、ごめん」

手を解くと、束の間ひんやりとした柔らかな感触が残った。

「日向、大丈夫か?」
「……まぁ」

 明らかに元気がなかった。

「水無月くん、さっきの子たちは知り合い?」
「クラスメイトだった。はぐれた友達を探してたみたいで、見てないかって聞かれた」

 こっちをチラッと見たのも探していたからだろう。

「それで、次はどうしようか?」

 時間あるとか、何をしようかとか、その言葉が浮かんできたけど、ぼかして聞いた。

「次か。やることは終えたしな」
「あたし、ちょっと疲れたかも。悪いけど」

 青葉さんは申し訳無さそうに答えた。

「そうだね。私もちょっと疲れたし、解散しようか」
「そうだな」

 待ち合わせていた場所に戻る。皆少なからずとも疲れがあるため、口数は少なかった。

「じゃあここで。今日はありがとね」
「こっちこそ」
「……ええ」

 二人に手を降って別れる。途端に一人になって心許なさを覚えて、逃れるように小走りで駐輪場へ。
 周囲の自転車はポツポツと減っていて、これからもそれが続くと思うともの悲しさを感じた。
鍵を差し込み自転車のスタンドを上げる。手で持って駐輪場を出てからサドルに乗り、ペダルを踏み込んだ。少しレーシングゲームのペダルの感覚が残っていた。
 まだ明るい、遊び終わりの道を走る。私の全身に、充実感と疲労感がブレンドされたふわふわが覆っていた。そこに風を浴びると清々しさに変わる。
 家まで無意識に今日のことを回想した。これは妄想じゃなくて、でも妄想みたいに楽しくて。意識を戻そうとするのだけど、すごい引力で引き戻されてしまう。
そうしているとあっという間に家に着く。何か轢いていないか急に不安になるけど、そういう感覚はなかったから大丈夫。自転車を置いてから袋を持って玄関前に。バッグから家の鍵を出す。二つの鍵穴に入れて回している間、私はふと水無月くんと青葉さんの姿を脳に描いていた。
上の鍵穴に差し込み軽く回している間、水無月くんが今日買ったぬいぐるみに囲まれている姿を想像してほっこりした。そして、下の鍵穴に差し込み回そうとするけど、滑りが悪くて固くなっていて、入れ直し力をめいっぱい込める。鍵と格闘している間、青葉さんが部屋の隅でうずくまっている姿が思い描かれてしまった。それは、悪意に囲まれていた彼女に重なって見えて。
ガチャリと回しきれると上の空から落ちて、目の前に戻る。

「大丈夫かな」

 二つの相反する感情を抱えながら、私はドアの鍵を開けた。
 日曜日を挟んで月曜日。学校へ向かう景色は、いつもと同じだけど少し綺麗に感じられた。ただ、授業は相変わらず埃っぽくて、鉛のように重かったけど。
昼休みとなってまたあのベンチに。今日は、まだどちらとも話せてはいない。でも、メッセージでやり取りを少ししていて、あの後、楽しかったということを送った。向こうも少ない文字量だったけど、好感触だと思う。
 元気に咲かせている花を膝に乗せて、目をつむりベンチに座る。また香りが鼻腔から脳に入ると、彼の記憶が蘇る。
 それはあの遊びに行った日の光景だ。その中で会話をしている時のシーンが幾つも再生されて、その度に彼の心の声で、もっと自然に明るく話したいと心の中で叫んでいた。
 一度フェードアウトしてから繋がりのある秘密にフェードイン。それは彼が小学六年生の頃の記憶みたいだった。あのファンタジーゲームの主人公に影響を受けたことで、クールぶることをし始める。最初は主人公みたいになれて満足気だった。しかし、次第に口数が少なくなったことで、どう人と話せば良いのかわからなくなってしまい、友人の数も減っていく。しかも、そのキャラクターと認識されたことで、戻すこともできなくなった。そして最後に、前と同じように、そのキャラ変した彼と、同い年くらいの青葉さんが泣いているのを遠くで眺めている記憶で終わった。
 秘密の覗き見が終了。意識が引き戻されると同時に声が聞こえてきて。

「……さん。星乃さん」
「うわわ! いつの間に」

 目を開けるとすぐそこに水無月くんがいた。盗み見ている本人を前にしたことで、申し訳無さが強くなる。

「悪い。そんなに驚かせるとは」
「いやいや。ちょっと私の世界に入ってたから、周りのことに意識がいってなくてさ」
「そうか」

 相変わらず表情筋が固まって、言葉も少ないけど、本当はゲームの話をしていたあんな感じで振る舞いたいのかな。
 それなら力になりたいって思う。これは余計なお世話じゃない。問題なし。

「座る?」
「あ、ああ」

 左に避けると間を空けて、水無月くんが腰を掛けた。

「一人になりたくてここに?」
「いや……」
「じゃあ、私に会いに来たとか? ……なんて」

 ちょろっとからかってみるけど、自分で恥ずかしくなってしまう。

「……」

 肯定も否定もなくて居心地の悪い無言の時間に。

「な、何か言ってよー」

 自分から言っておいて何だけど。助けて欲しい。

「その、たまたま来ただけだ」

 そう答える彼の目は泳いでいた。やっぱりそうなんだ。でも、これ以上に突っ込むと私にもダメージが入るから止めた。
 柔らかな風が髪を揺らす。花の香りを知覚するけど、記憶の蓋は開かなくて。彼も感じているはずだけど、普通な状態だ。

「……」

 もっと親しく話すには何が必要だろうか。単純に友人として距離を詰めたいというのもあるけど、水無月くんの悩みの手助けをしたいと思った。それは、私の本心でもあるし、秘密を見ている贖罪でもある。
でも正直、私も他人との交流が得意というわけじゃない。それに、男の子とだし、同性とはまた感覚も違う。だから、一人分の空白を埋める方法を思いつかなくて。
 その答えが出ることはないまま、気まずさの中、昼休みが終わりを迎えた。
 月曜日のラストスパートをかける前の、五時間目と六時間目の小休憩。私は、期末テストの影がチラついてくること水無月くんのことで頭がいっぱいだった。

「なーに気難しい顔をしているの? 似合わないわよ」

 私の机に手をついて真正面に立っている唯一の友人と目を合わせると、思わず弱音を吐き出したくなる。

「綾音ちゃぁん。私分かんないよ」
「そんなことは言われてもこっちも分かんないし。勉強のこと?」
「それもだけどぉ」

 これ以上が続かない。何と言えばいいか言葉に詰まる。

「もしかしてだけど、水無月くんのこと?」
「うぇぇぇ!」

 大声を出してしまい、クラスの視線の集中砲火を浴びる。軽くごめんさいと頭を下げて体を小さくした。

「どうしてわかるの?」
「何か、青葉さんも含めてゲーセンで遊んでいたって、噂が回ってたわよ。全く、噂も馬鹿にできないわね」

 もうそんな情報が共有されてるって怖い。これが情報化社会ですか。

「というか、どういう繋がり? 想像もできないんだけど」

 流石に本当のことは言えない。いつもの妄想と思われるだけだし。

「運命の出会い的な?」
「言いたくないならいいけどね」
「本当だよー」

 信用がなさすぎて、信じてもらえなかった。

「それで? 何に悩んでいるの?」

 やっぱり綾音ちゃんはぶっきらぼうだけど優しい。その懐に甘えさせてもらう。

「あのね、彼と仲良く話したいなって思うんだ。でも、クールな感じだから」
「確かに、会話とか好きそうじゃないわね」
「でもでも! 心の中ではもっと親しく会話したいって思っているんだよ」

 断言すると不審な目を向けられた。

「それ妄想入っていない? 現実と区別ついている?」
「か、関わってそう感じたの。私の直感は当たるんだから」

 友人は苦笑しつつも理解を示してくれた。

「とりあえずあなたのことを信じるとして」

 真剣な表情に様変わさせると、じっと眼差しを送ってくる。

「それって、勇花に似ていると感じたわ」
「え?」
「最初のあなたってそんな感じだったもの」

 思い返してみるけど、そんなような、違うような。

「そんな冷静キャラに見えた?」

 私にはそんな魅力も隠されていたのか。

「外から見たらクールな感じに思えたわ。中身を知ったら、あれだったけど」
「それ貶しているよね? 評価下がっているよね?」
「だからこそ、友達になりたいと思えた。あなたも、水無月くんのことをそう思っているんじゃない?」

 持ち上げられたり落とされたり、綾音ちゃんに心を手玉に取られている。喜んでいいのかなこれ。

「ちなみに、どうして私の中身はあれだって思えたの?」
「そんなの何回か話をしていたら、察せたわよ」
「まじですか……」

 ちょっとショックだ。妄想大好き女とバレていたなんて。
 でも、違った認識をされて離れられるよりは全然いい。

「異性だけど同じ人間。親しくなりたいって、言葉がなくとも、態度と行動を示せばいずれ、無意識に向こうも自分を出せるようになるわよ」

 実践した人の言葉は重くて、その対象が私なのだから説得力は段違い。

「ありがとう綾音ちゃん先生」
「その呼び方は止めて」
「はい」

 問題の一つの解決の糸口を掴んだ気がする。勉強の方は見つからなかったけど。
 話し終わりにちょうど担任の宮崎先生が長い髪を靡かせながら入ってくる。先生は、いつものように紺のスーツをビシッと決めていて、生真面目さを引き立たせていた。そのため、注意される前に綾音ちゃんは急いで席に戻った。
 六時間目は道徳の時間だ。他の教科と比べると楽な感じもするけど、たまにグループワークとか強制的な発言を求められるから、地味に面倒くさい。

「では授業を始めます」

 先生は、キリッとした瞳をいつもより鋭く、口調もどこか固くて重い雰囲気を漂わせていて、すごく嫌な予感がした。
教科書を開く前にプリントが配られて、チラッと一番上のタイトル部分を見た。

「いじめについてか……」

的中させてしまった。預言者か未来予知者かな、なんてふざけたことを考えないと、精神を落ち着けられそうになかった。

「今回はいじめについてです」

 その簡潔な言葉から授業の中身へと入っていた。まずは、どんないじめがあるとかその理由について例を出しながら先生が説明していく。わかりやすく皆で無視することや物を隠すといったものだけでなく、あだ名で呼ぶことやからかうこともいじめになると。そして、そのことについてどう思うか手を挙げさせて聞いていった。上がらなければ、ランダムに指していき、発表することになった子は、言い淀みながらなんとか答えていた。運良く私の名前を告げられることはなかったけれど、発表はなくともプリントに書く欄があったので、そこに当たり障りない感想を書いた。

「どんな些細なことでも当人がいじめだと感じればいじめになります。では次に教科書102ページを開いてください」

 その次に教科書に書かれているストーリーを席順に一人一人丸読みで繋いで読んでいくことに。物語は、ある女の子がリーダー格の女子に嫌われて、周りの子を巻き込んで、無視をしたり物を隠したり、聞こえる声で悪口を言ったりする。その状況を見ている主人公は、どうすればよいかというシンプルなもの。私はその主人公に自分を重ねた。

「このような時は、雰囲気に流されず加担してはいけません」

 私の二つ前の席の子が読み上げる。思い出す、教室の中で髪の毛を引っ張られている青葉さんの周りに何人もの子がいて、笑っていた。

「そして、それを見たら先生に報告しましょう。先生は誰が言ったかを公言せず、守ってくれます」

 次の男の子がゆっくりと棒読みで読んだ。あの時、暴力を振るわれている彼女を室内だけでなく、廊下で、遠巻きに見ている子も沢山いた。
 そして私の番に回ってくる。それはあまり読みたくない文章だった。

「最後に、可能ならば勇気を持って手を差し伸ばして上げましょう」

 私の読み上げる声はまるで別人みたいだった。偽物の声と言葉。 
 否応なしに記憶は這い出す。傍観者と参加者の群れから、無抵抗に耐え忍んでいる青葉さんに差し伸ばしたあの瞬間。

「あたしに関わらないでよ! 余計なことしないで!」

 私は彼女の鋭い視線と拒絶的な言葉をぶつけられ、手をはたき落とされた。
 だから、今の私には人を助けるなんて大それたこと、出来っこなくて。
 だってあの行動が正しかったのか今でもわからないから。でも多分、間違いだったんだ。あの日からずっと後悔し続けている。

「では次に、教科書のことを踏まえて、二人組みを作って話し合ってみましょう」

 朗読が終わると、次はいじめる側にならず、見たら助けるにはどうしたらよいか、話し合うことに。席を自由に動いて良いこととなり、私の隣の席が空いたので、綾音ちゃんが来てくれた。 

「今日は中々重いテーマね」
「そう……だね」

 綾音ちゃんにはまだ話せていなかった。結構暗い話だから、言うタイミングとかないし、空気を悪くしてしまうから。それに、思い出してそのことを語るのも負担があって。でもそうやって色々理由を並べるけど、結局一番は綾音ちゃんに拒絶されることが怖いからだ。きっと受け入れてくれると思うのだけど、もしものことがあれば私は立ち直れなくなってしまう。

「お互いの意見をプリントに書き込まないといけないのよね」

 プリントの一番下に二つ大きな空欄があって、そこを最終的な自分の意見と相手の意見で埋めないといけない。

「うーん、自分の意見かぁ」

 過去のことばかに処理に追われて意見にまで意識が回らない。

「これって言葉にすれば簡単だけれど本当にその状況になったら、流されそうになったり、標的にされるのが怖くて助けに入れなかったりしそうだなと思ったわ。現実的には、なんとか加害者側にならないようにして、先生にそのことを伝えるというのが出来そう。だから、自分が出来そうなことをしっかりと想像しておくことが大切なんじゃないかしら」

 綾音ちゃんは、自身の意見をつっかえることもなくサラッと言ってのける。その言語化能力が羨ましい。

「私は……私は」

 一つの明確な答えは持っていて、それを実践したこともある。でもそれを言葉にするのは躊躇われた。

「あはは、全然思いつかないや」
「意外。勇花なら、即答で助けに行くって言うと思っていたわ」
「へ? いやいや、私そういうタイプに見える?」

 聞き返すと、何かを探るように無言でじっと見つめてきた。

「まぁ、なんとなくそう思ったの」
「そ、そっか」

 言い当てられて血が元の場所に引っ込みそうになった。もしかしてだけど、あのことを知っているのかも。

「そろそろ、話し合いを終えて書いてくださいねー!」

 浮かんだ疑念を精査する前に、先生の呼びかけで意識が目の前の紙に浮上した。

「やばっどうしよう」

 何か言わないと綾音ちゃんに迷惑がかかってしまう。別の解を必死に脳内に探す。

「ねぇ勇花。これに書いたからって、やらなきゃいけないってわけじゃないんだから、難しく考えずぱっと思いついたことを言えばいいと思うわ」

 思考に溺れていた私に助け舟が出され、助かろうと何も考えず乗る。

「なら、いじめられている人がいたなら見ないふりをせず手を伸ばす。って感じかな」

 なんとか意見を伝えられ、私と綾音ちゃんはそれぞれ書いていった。
 元の席に戻るよう先生に指示され綾音ちゃんはプリントを持って自分の席に。

「ではプリントを回収するので後ろから回してください」

 埋め終わったプリントを前の席の子に渡す。全員が回し終え先生が回収する。

「これで授業を終わります」
「起立、礼!」

今日日直の男子が号令をして、全員でありがとうございましたと言い、授業が終わった。

「……はぁ」

 精神の疲労が強く、また席に座ると疲れがどっと押し寄せてくる。
 いつまで悩み続けるんだろうか。出口は未だに見つからず永遠とも思える暗闇の中を彷徨っている。
 それは逃れられない苦しみで。だから、私は目を逸らすために妄想をした。
 この気持ちから開放されて青葉さんや水無月くん、綾音ちゃん、それだけじゃない色々な人と一緒にいる光景を。
「じゃあまた明日ー」

 帰りの会が終わり、部活のある綾音ちゃんに手を振って廊下に出た。ちょうどクラスの前を通った青葉さんと目が合ってしまう。

「あ」

 声を出してしまい青葉さんが立ち止まる。

「何よ?」

 何でもない視線なのに、過去の幻影が、責め立てるような視線に変貌させる。もしかしたら、私の心が見透かされていて怒っているかもなんて、妄想が飛び出した。

「ううん、何でもないよ。じゃあ」
「な、何なの?」

 苦しい言い訳でこの場を後にする。学校を何かに急かされている気持ちで抜け出す。帰路は、埋めていた地雷の処理をしていた。何とか埋め終え、帰宅。二階に駆け上がり自分の部屋へ。リュックや体操服袋を置いて、部屋の奥にあるベッドに倒れ込む。毛布の柔らかな生地が顔を包んで、少し苦しいけど暖かかった。

「はぁぁ」

 一度起き上がってベッドの端に座ってぼーっと全体を眺める。ベッドから見て、右側には教科書とかぎっしり詰まっている勉強机と椅子。左側にはクローゼット、隣には漫画や小説の入っている本棚。その上に、忍者姿の熊と侍姿の熊のぬいぐるみが座っている。真ん中にはフローリングの床の上に絨毯が敷いてある。

「ん、なんだろ」

 勉強机に置いてあるスマホの通知音が鳴る。沈んだ腰を上げて、スマホを手に取り、絨毯の上に座り込んだ。
 青葉さんからのメッセージだった。

「さっきの本当に何もなかったの? 様子がおかしかったけど」

 心配してくれているみたいだ。ライバルって宣戦布告しているのに。

「へへ」

 何だか嬉しい。向こうから送ってきてくれて、話して良いんだって思える。
 私は本当に大丈夫ということを伝えてから、元気なウツボのスタンプを送った。すると、考えるタコのスタンプからサムズアップするタコで、会話が終了した。

「あっ……これかも」

 ピンときて私は、連絡先一覧から水無月くんの名前をタップした。
 あの遊んだ後のメッセージ以降、彼とのメッセージのやり取りはない。思い立った勢いで、その下にまたこちらから文字を打とうと指を動かした。
 男の子と一対一なんだと意識すると、普通に緊張する。心臓の鼓動に思考が乱されて、フリックして入力した文字が大丈夫か心配になるけど、判断ができない。変に思われるとか、これで一気に嫌われてしまうとか負の妄想が飛び出してきた。それで、最後に送るワンタップが硬直してしまう。

「綾音ちゃん先生、私頑張る」

 綾音ちゃんの言葉とイマジナリー綾音に勇気を貰って、スマホに親指を落とした。

「水無月くん、ちょっといい?」

 画面に表示されると、やり切った感じがしてホッと息をつく。
 けれど、すぐに既読がついて再び体の太鼓が鳴り響く。返事が来るまでの時間はスローモーションに感じられた。

「なに?」

 シンプルな返信。きっと彼の秘密を知らなければ、迷惑だったと猛省していただろうけど、多分大丈夫だ。

「えーと」

 思いつきで行動したけど、中身は考えていなかった。
 おでこをつつきながら、アイデアの海にダイブ。しかし、埋まっている財宝は見当たらなくて。ふと本棚の小説が目に入り、ひらめく。

「用ってわけじゃなくて少し話したいなって思って」

 まず話したい意思表示を挟む。

「前オススメしてくれた小説、中盤まで読んだんだけどめっちゃ面白くてさー」

 共通の話題があって助かった。これならきっかけとして、自然だよね。
 相手のレスポンスを待つ。既読がついてから少し長い。もしかしたら、続きがあると思われているのかも。でもでも、売っている途中の可能性だってあるし。
 チャットの間合いの読み合いをしていると、それに終止符が打たれる。

「中盤か。そこ結構熱いよな」

 自律神経が緊張から穏やかに緩和される。

「うん夢中になっちゃう。しかも、ゲームで語られなかった主人公の過去とかも出てくるし」
「わかる。それと読んでると、ゲームやりたくなってくる」

 弾む文字コミュニケーションに指がスマホの上を踊る。

「少し曖昧な所とかあったりしてさー。思い出せないと、ゲーム機に手が伸びそうになっちゃうよー」

 勉強机の端っこに、携帯と据え置きどちらの機能もついているゲーム機があって、冷たくなっている。

「俺、今ちょっとやってた」

 そう送られてまたドクンとしてピリピリとした感覚になる。

「ごめん、邪魔しちゃったかな」
「いや全然」

 その感情のない一文が怖い。どう返信しようか、それとももう何もしない方が良いか。
 そうこうしていると、連続して彼から送られてきた。

「暇なら一緒にやらないか?」

 予想外の言葉に、操作ミスを恐れてスマホを床にゆっくりと下ろす。水無月くんから、お誘いがあるなんて。
 答えは決まっているのだけど、無意味に妄想や今後起きそうなことを想像。

「うん。やろう」

 ゲーム機を充電器に繋ぎつつ、オンラインの部屋を作ったりしてもらったりし、準備を進める。そして、通話しながらやることになった。
「もしもーし」

 私は充電コードを伸ばして絨毯の上で携帯状態のままゲームをする。そばに、スマホを置いてスピーカーモードに。

「もしもし。聞こえてる?」
「うん、大丈夫」

 電話しながら男の子と一緒にゲームをする。何かすごい仲いい二人みたいな感じで、ちょっと恥ずかしい。もちろん、悪い気はしなくて。

「何しようか? ストーリー?」
「それは長そうだし、ボスを倒しに行かないか」
「りょーかい」

 このゲームはストーリーモードとは別に、オンライン専用のモードがある。それは、自分なりのアバターを作り、世界の人やNPCと共闘してミッションをクリアするもの。これなら短時間でも沢山遊べる。
 ログインして中世ヨーロッパ風の街に降り立つ。
 前回の止めた場所の酒場から出てから、外への出口まで行くと、強そうなゴツい黒鉄の鎧や紅の剣を装備した男の子のアバターがいた。

「めっちゃ強そう」
「一応、最強装備だから」
「ひぇーすごい」

 水無月くんは戦士キャラクターで防御も攻撃も高い。対して私は女の子の魔法使いで、そこそこ強い紫色のローブとか青色の杖を装備している。

「あんま上手くないし、足を引っ張っちゃうかもだけど、その時はごめん」

 このモードでは、四人パーティを組むのだけど、敵のレベルが上がると、コンピューターの仲間だけでは、難しくなる。一応ランダムに世界の人と一緒に組んで出来るのだけど、足引っ張るのが怖くて出来なかった。

「いいよ、気にしなくて。ゲームだし楽しくやろ」

 ガチ勢かなとちょっと怖かったけど、安心する。

「そうだね。じゃあ何をしようか?」
「そっちがクリア出来てないのとかある?」
「えーとね」

 メインメニューから未達成のクエストを見ると、一番上にあるレベル八十のボスモンスターの討伐があった。

「青龍討伐クエストかな」
「それか。そのクエストからレベル最大でも、コンピューターだけだときつくなるんだよな」

 突然難しくなったわけだ。何回もチャレンジしたのだけど、無理すぎて詰んだ苦い思い出が蘇る。

「あの日のリベンジだ」

 頭の隅の隅に悔しさが残っている。それを晴らす時。

「やろうか」
「うん」

 装備確認よし。出口にキャラを動かし、リロードを挟んで、コロシアムにワープ。二足歩行の青色のドラゴンが降り立つ映像が流れてから、戦闘スタート。
 コンピューターの仲間は回復役の僧侶とサポート役の踊り子。

「俺が引き付けるから後ろから攻撃お願い」
「わかった」

 水無月くんが前線でボスに果敢に剣を振るう。尻尾で薙ぐ攻撃が来れば回避や盾で防御。私は後方からひたすら炎、氷、雷の魔法を放つ。

「やばっ」

 広範囲攻撃の回避を失敗してもダメージを受けてしまう。体力ゲージが一気にゼロに近づいて赤色になる。しかも、ドラゴンがこっちに。

「大丈夫」

 けれど、水無月くんの一定の範囲の人を守るスキルで助かる。

「ありがとう」

 僧侶に体力の回復をしてもらい危機を脱した。さらに、踊り子の踊りで魔力上昇して、さらに魔力ポイントも回復。

「よーし」

 再び攻勢に出る。カチカチとボタンを速攻で押して魔法のオンパレード。

「体力半分きた」
「はやっ」

 水無月くんが強すぎてボスの体力ゲージがゴリゴリ減っていく。

「こっから、攻撃が強くなるから気をつけて」
「わ、わかった。……あ」

 広範囲巨大火炎放射をもろに受けて体力がゼロになりダウン状態に。

「忘れてた……」

 他の二人もダウンしてしまっている。確か、ここからで全滅してしまうことが多かった。
 すぐさま水無月くんに助けてもらう。ダウン状態は、ボタンの長押しで復帰可能だ。何度もやられると時間がかかる。更には、ダウン状態で攻撃を受けると復帰もできなくなるので注意しないといけない。

「助かったー」
「とりあえずまた引き付けるから、その間に」
「オーケー」

 少しずつ連携が取れてきている気がする。通じ合う感じで楽しくなってきた。

「よしっ。そっちは大丈夫?」
「少しやばい」
「私が注意を引くから回復して」

 彼が後方に下がっている間、私が魔法を打って、相手の攻撃を回避。当たれば一発アウトのギリギリの攻防に画面に意識が集中する。

「うわっ」

 ボタン操作を避けるではなく攻撃にしてしまい、もろに鋭利な爪に切り裂かれた。

「ごめんやられた」
「時間稼ぎナイス。下がって」

 最強戦力の戦線復帰だ。攻撃が当たらないよう祈りながら心を持たない味方の下へ。なんとか踊り子に助けてもらい一安心。体力を癒やしてもらい強化を貰う。

「後ちょっとで倒せるぞ」

 ボスのゲージが赤色になってほとんどない。後一歩だ。
 もう捨て身の勢いで魔法を連打。彼も防御を捨てて一騎加勢に攻めたてる。僧侶や踊り子も杖と踊りで微かなダメージを与える。
 コツン。僧侶の杖の弱々しい音と共に青龍が倒れ込む。

「……ええ」

 余りにスッキリしない終わりで、嬉しさより困惑が勝ってしまった。

「はは。まさか僧侶が倒すとは」
「ふふっ。まさかだね」

 意外な結末だけど、ちょっと面白いからいいや。頭の隅の隅の悔しさも開放されたし。
 街に戻るとクリアしたことによる報酬を得た。新たな杖が手に入ってさらなる強化に繋がる。それに、また次のレベルのミッションも増える。

「水無月くんまだ行ける?」
「ああ」
「次のやつやろ」

 それを皮切りに私のミッショをサポートしてもらいクリアをしていった。
 談笑しつつ夢中になってしばらく遊んだ。時間が圧縮されたかのように時間が経つのが早くて、いつの間にかもう窓の外は藍色に。時計を見ると七時だった。

「そろそろ終わりにしようか」
「そうだな」

 あれから七つのミッションをクリアして一気に進んだ。達成感と充足感に浸ってしまう。
 だけど、頭の端っこにいた冷静な自分が、宿題の二文字を囁いてきた。

「……やば、数学の宿題出てるの忘れてた」

 完全に失念していた。

「そういえば、俺のとこも出てたな」

 成績優秀な彼なら何の苦もないのだろう。努力の結果なのだけど、羨ましい。

「数学苦手?」
「というより勉強全般無理。学ぼうとするともう頭がいーってなる」

 テストの点も平均を常に下回っていて、成績も芳しくない。
元々の資質もあるのだろうけど、それだけじゃなくて勉強をしていると、塾に通っていた頃の嫌な記憶が蘇って、やる気が萎えてしまい捗らなくなってしまう。

「そうか……その」

 言葉が途切れて無言に。電話が切れたのかと不安になる。

「教え……ようか? 良ければ」

 またも想定外の提案だった。

「いや、ごめん。変なこと言った」

 返答が遅れたせいで、すぐさま撤回されそうになる。

「ううん。その、ちょっと驚いちゃって」

 じわじわと距離が詰まっていることが明確になってきて、嬉しくなる。

「その、水無月くんが良いならお願いしたいな」
「あ、ああ。全力で教える」
「ふふっ、ありがと」

 この水無月くんとの通話を通して、私の心の中心に一つの炎が灯った気がした。
 翌日の火曜日。四時間目までルーティンの如く授業をこなしてお昼休みになった。この時間に、一階の図書室で教えて貰うことになっていた。
 数学の教科書とノート、ワークを手に抱えて階段を降り、左向きを変えて数歩進めば昇降口があって、その前に左右に廊下が伸びている。図書室は左の奥にあり、近づくに連れて人気が無くなっていく。
 少し開けづらいドアをスライドして中に入る。本に囲まれたこの場所には人がぽつぽつとしかいなくて、ドアの近くのカウンターにいる図書委員の男子生徒は暇そうにしていた。
 図書室の奥には、ほとんど人が利用しない勉強スペースの長机がある。位置としては、ドアからそのまま直進した所とドアとは反対の窓際の二箇所。窓際の方面へと足を運ぶと水無月くんがすでに一番奥の席で座って本を読んでいた。一瞬、一つ開けて座ろうとしようと思ったのだけど、それだとやりづらいと思い、隣に腰を下ろした。

「水無月くんよろしくね」

 そう声をかけるとパタンと本を閉じて私に向き直る。

「ああ。数学だったか?」
「うん。てか、宿題やり忘れちゃってさ。六時間目に数学があるんだけど、今日黒板に答えを書く順番だから、教えて欲しいなって」
「あれ、昨日思い出してたよな?」

 自分でも何をしているんだと思っています、はい。

「てへ」
「……やろうか」

「ごめんなさい」
 教科書を開いて該当の箇所までページをめくる。同い年の男の子にこんな至近距離で教えてもらうなんて。紙の擦れる音とか、水無月くんの息遣いとか、細かな音に敏感になってしまう。

「ここが、こうなって」
「ふんふん」

 水無月くんは懇切丁寧に教えてくれる。何度もわからないと伝えても、面倒くさそうにしなくて、寄り添ってくれた。

「確かにそこはむずいけど、この公式さえ覚えれば出来る」
「それが何かうーってなるんだよねー」
「まぁそこは何とか我慢してもらって」

 めちゃめちゃを言っても怒らないで受けて止めてくれて。そこで勉強のストレスが解消されて、一人よりも百倍は楽しく筆が進む。勉強をしていてこんな感情になるのは、とても新鮮だった。
 ただ唯一気になる点は他の人の視線。声を潜めても周囲に漏れ聞こえているし、しかも隠れファンもいる水無月くんと仲良くお勉強。悪目立ちしていないか不安になる。

「出来たー。もう疲れた帰りたい」
「いや、帰ったらやった意味なくなるだろ」

 冗談に突っ込んでもらえた。嬉しい。

「だよね。せっかくだし頑張りますかー、五時間目まで」
「そこで燃え尽きるなし」
「えへへ」

 そんな会話をしている中、時計を見上げるともう残り五分ぐらいになっていた。勉強に夢中なんていつぶりだろうか。初めてかもしれない。

「そろそろ戻ろっか」
「そうだな」

 そう言って、勉強道具を片して図書室を出る。そこから並んで歩いて、二階まで軽く雑談しながら歩いた。

「じゃあな」
「うん。今日はありがと」

 別れて教室に戻り席に座ると、綾音ちゃんが隣の人の席に座った。

「機嫌良さそうね」
「そうかなー」
「顔に出過ぎよ」

 口元に力を入れるのだけど、すぐに緩んじゃう。

「水無月くんとは上手くいっているみたいね」
「あはは、その言い方付き合ってるみたいじゃん。でも、綾音ちゃんのおかげで、仲良くなれてる」
「それは良かったわ。けれど、少し気をつけたほうがいいかもね」

 顔を近づけて口横に手を当てて、周りに聞こえないようにして。

「変な嫉妬とか噂とかあるかもだから」
「で、でもそんなことあるかな」

 そういう妄想は良くしたものだけど、リアルでも起きるのだろうか。

「密かな人気があるからね。ま、そういう可能性もあるってことよ」
「も、もうー。怖がらせないでよ」
「ごめんなさいね、少し心配性だから」

 流石に大丈夫だよね。笑い飛ばしたいのだけど、そうもいかなくて。
 一抹の不安を残して、昼休みが終わりを告げる。
 窓の外は灰色の雲が空を覆って薄暗くて、今にも雨が降りそうだった。
 水曜日、木曜日と水無月くんに勉強を教えてもらう日々が続き、そして金曜日となった。天気は雨で多少気持ちは浸水。
 けれど、その心を綾音ちゃんや青葉さん、そして水無月くんに乾かしてもらえる。
 今日もお馴染みとなった図書室で、今日も水無月くんに教えてもらっていた。

「……」

 家でやるより捗るし、ストレスも無くて最高なのだけど、一昨日からこちらを見る人の気配が増えている気がしている。たまにこそこそ話も耳に入ってきて、すごく私の悪口を言われている想像が膨らんで、集中力が削ぎ落とされてしまって。

「それでここがこうなって……ってどうかしたか?」
「いや、その」

 背後から露骨に人から見られている感覚がチリチリとしていた。しかも、足音が静寂の中でコツコツと接近してくる。間近まで来ているはずなのに、そのままで。
 何をされるのか。もしかして、あなたには相応しくないとかで修羅場とかになったりするんじゃ。
 カチコチになった首を後ろに動かした。

「って青葉さん?」

 あわあわしている青葉さんがそこにいた。手が中途半端な位置で伸びている。

「あ、その」

 もしかして話しかけようとしたのだろうか。

「日向が図書室って珍しいな」
「まぁ、少し暇で来たのよ。それで、あんた達は仲良くお勉強?」

 ちょっぴり嫌味っぽく言うけど、むっとはならなくて。

「そう。水無月くん教えるの上手くてさ、シャーペンが進むんだ」
「ふーん。ま、玲士が上手いのは知っているけど。昔とか教えてもらってたし」
「何で張り合ってるんだよ……」

 ライバルなだけあって、付き合いの長さでマウントを取ってくる。流石にこれには勝てない。

「なら、最近はどうなの?」
「星乃さん?」

 カウンターを仕掛けてみた。

「え? ない……けど」

 効果はてきめんだったようで、言葉を詰まらせた。

「そ、それが何よ。だからって負けじゃないから」
「何のバトルしているんだ?」

 完全に蚊帳の外になっている彼は置きざりに話は進む。

「じゃあ、引き分けってことで」
「むぅ」
「お、終わったのか?」

 埒が明かないと思い、すぐに矛を収めようとするけど、青葉さんは不満そう。

「な、なら。今教えてもらえればあたしの勝ちよね」
「え? そ、そうなるかな」

 まだ引き下がらない。そんなにこだわる勝負なのだろうか。

「玲士、そういうことだから」
「どういうことだよ。それに、時間ももうない」

 いつの間にか、昼休みも残り五分だ。

「明日、どう?」
「明日って休みだけど。どこでやるんだ?」
「えーと……む、昔みたいに、あたしの部屋でとか?」

 頬を赤らめて恥ずかしそうに勉強のお誘いをする。

「いいんだが……」

 チラチラと水無月くんが助けを求めるアイコンタクト的なの送ってくる。

「私も入れてもらってもいいかな」

 断られるかもだけど尋ねてみる。

「構わないけれど」
「良いんだ」
「別に。あたしの勝ちは決まっているし。過去と今の二つでね」

 青葉さんは勝ち誇った笑みを浮かべる。

「あ、あのぉ。図書室では静かにお願いします」

 騒いでしまった音を聞きつつけて、図書委員の気弱な男子生徒に注意されてしまった。
 皆で謝り、小声で約束の詳細を決めることに。予想外にも休日に勉強会が決まってしまった。

「ふふっ」

 空は暗雲に包まれているけど、私の心は晴れやかだ。気がかりなのは、明日の天気の機嫌だ。
 私の心を反映してくれと天に祈った。
 土曜日の朝、部屋の窓から穏やかな日差しが目覚めを手伝ってくれる。どうやら想いは届いたようで、スッキリ起床した。
 午前は、スマホで動画をぼーっと眺めて過ごし、昼になればお母さんが作ってくれたオムライスを食べた。そして身支度を整えれば午後一時。チャットで行くことを伝え、青葉さんの家へ自転車を走らせた。
 場所はそこまで遠くなくて、中学の前を過ぎ、木々に囲まれた通りを駆抜け、その途中に住宅街への入口があって、そのコンクリートの坂を登った。そこから三つほど道が分かれていて、真ん中に直行。一番奥に青葉さんの家。手前には水無月くんの家がある。

「ここか」

 二階建ての一軒家で、外観はクリーミーな白色にオレンジ色の屋根。赤色の車が一台停まっている。
 大人の人が出たらどうしようと考えながら、インターホンを押す。

「はい」

 青葉さんの声で安心しつつ、星乃だよと伝える。間もなく白色のドアがガチャリと開かれた。

「入って」

 ちょっとしたドアまでの階段を登って中に。

「お、お邪魔しまーす」

 最初に感じるのはなんとも言えない別の家の匂いだ。靴箱の上には、習字で夢と書かれたものと花瓶に白い花が挿してあった。置いてある靴は整理されていて、その先には赤色のスリッパが置いてある。

「上がって。それ履いていいから」
「う、うん」

 彼女に連れられて螺旋階段を登る。二階に出たすぐそこに扉があった。そこが青葉さんの部屋のようだけど、右側に通路伸びていてる。和室なのかドア前にスリッパが一つの出迎えがあった。
 部屋の中へ入ると、懐かしい和室の草の香りが不思議な落ち着つく。日本人の性だろうか。
 真ん中に足の低いテーブルが陣取っていて、そこに正座している水無月くんがいた。出口から右側に押入れらしき襖があり、左側には本や教科書、CDが詰まった棚があった。その近くにスクール鞄が立てかけられていて、その上にカレンダーがあり、今日の日付に丸印がつけられていた。ぬいぐるみは棚の一番上に置かれていて、あのタコもいる。

「お茶持ってくるから待ってて」
「あ、ありがとう」

 水無月くんの対面の位置でドアを背にして座る。青葉さんは一度部屋を出たので、二人残された。

「もうやってたの?」

 すでにノートが広げられていてその上にシャーペンが転がっている。

「少し予習してた」
「予習? すごいね、私の辞書には無かったよ」
「何その駄目なナポレオン」

 フランスの偉人だっけ。無意識に出た言葉がその人と近いなんて、誇らしい。
 そんな雑談していると、青葉さんがお茶の入ったコップを持ってきてくれた。水無月くんが青色で私が黄色、そして彼女はオレンジ色だった。
 配り終えると、鞄から筆記用具を出し、左側の本棚を背にして座った。

「……」

 そしてそのまま二人は無言でノートに向き合い始める。シャーペンの筆記音だけが残って。

「え」

 妄想と違うんだけど。もっとこう、会話とかあったりして、なんなら遊んだりして、全然勉強できないなって。それでもちょびっとしてやった気になって終わるみたいな。

「どうしたのよ?」
「分からないことでもあったのか?」

 思った以上に二人共真面目だ。関係性もあるかもだけど、一回一緒に遊んでいるしこうなるとは。

「二人共勉強するんだぁって」
「「当たり前じゃん」」
「ですよね」

 二人から困惑の表情が溢れていた。こうなってくると、お喋りしながら教えてもらってたのは、水無月くん的に疑問符がついていた可能性もある。

「その、勉強会って名ばかりで、少しだけやって、ほとんど集まる口実みたいなイメージだったんだけど」
「ふーん、あたしはしたこと無いからわかんないけど」
「俺も」
「いやごめん。私の勝手なイメージだから、気にしないでやろう」

 余計なことを言ってしまった。郷に入れば郷に従えだ。私も筆箱と歴史の教科書、課題プリントを机に広げた。

「あ」

 教科書を出す際に、その上にあったUNOの束までも出てしまって、青葉さんに拾われる。

「いや、それは……たまたま入ってたというか」

 完全に遊びにきた人ですね、はい。

「……やりたいの?」
「ええとその。はい」

 観念して正直に伝えた。

「他にも、トランプとかこれも持ってきてる」

 携帯ゲーム機も取り出した。

「もう、本当に遊びがメインじゃない」
「あはは」
「俺も持ってきた」

 水無月くんも、色違いの同じものを持ってきていたようだ。

「玲士まで……」
「日向も持ってたよな?」
「はぁ、仕方ないわね」

 楽しげにため息をついた。

「じゃあ、あの日の再戦をしない?」
「何だっけ」
「レースよ。持っている?」

 なるほど。ゲームセンターで決まらなかった決着をつけるということだろう。確かに、おなじシリーズの携帯ゲーム版は持ってきていた。

「あるよ。やろう」
「ずっと気になってたんだが、二人はどういう関係なんだ?」
「ライバルよ」

 彼女が勉強机の引き出しからゲーム機を持ち出した。
 全員で同じソフトを起動してから通信。画面に自分を含めた簡易的な自分を模したのアバター三体が現れた。
 キャラクターは全員自分のアバターを使用することに。

「ルールはどうしようか」
「コンピューターありで、普通のルールでいいと思う」
「わかった」

 ステージをセレクト画面になり、それぞれ数ある中から選んで、最後にランダムで決まる。私は海の中を進むステージを選択。途中で、巨大なウツボも現れる。
 青葉さんは溶岩と砦のステージで、水無月くんはお菓子の世界のステージだった。

「あっ。あたしのになっちゃった」
「得意じゃないの?」
「全然。難しいとこだから、当たったら皆困るだろーなーって思って」

 何という自爆特攻。

「ちなみに、水無月くんが選んだステージは得意なやつ?」
「そんなに。背景とかギミックが、かわい……じゃなくて面白くていい」

 理由が二人で正反対だ。

「あんたはどうなの?」
「ウツボいるから」
「……あんたたち、一応レースゲームなんだけど」

 そんな会話をしている間に、レースが開始された。
 スタートダッシュには成功して、一位で城の中へ入る。荘厳な城内は入り組んでいて、炎や振り子ハンマーなど多数のギミックを避けて進む。

「ちょっ最悪」

 順調に進んでいたのだけど、甲羅をぶつけられ転倒。さらに、爆弾やバナナに連続で被弾し、一気に最下位の一つ前の十一番に。
 マップを見ると、一人だけ圧倒的に後ろにいて。それは青葉さんだった。

「めっちゃ落ちるんだけど!」

 癖なのか、曲がる時にその方向に体も一緒に動かしている。それでいて、壁にぶつかったり崖から落ちたりしているみたいだ。

「って水無月くん速っ。ゲーム全部上手いの?」

 逆にトップも独走状態で、下手したら青葉さんを周回遅れにしてしまうかも。

「結構やっているから」
「コイツ、何でも出来すぎて腹立つのよね」
「何でもは出来ないぞ。俺だって」

 画面に集中していたから定かではないけど、水無月くんのその言葉尻が私へと向いていた気がした。

「はい一位」
「……ぐぬぬ」 

 水無月くんは順当にトップで青葉さんはボトム。そして私は、熱戦を演じるため、十一位のままゴールラインを切った。普通にやれば三位くらいにはなれたと思う。

「お、おかしいのよ。今までなら落ちなかったしダートに入らなかったんだけど」
「アシスタント機能を忘れたんじゃないか?」

 このゲームは苦手な人も楽しめるよう、コースアウトしそうになったり壁にゴツンとなったりしないよう、サポートしてくれるシステムもある。

「それよ! 忘れていたわ」

 途端に勝ち気さが復活。

「もう一回よ! これ無しならあんたには勝ってるわね」
「う、うん」

 流石にサポートありなら、普通にやってもいいかな。
 そうして行われたウツボステージの二回戦でも、青葉さんはゴールする前に順位が決まってしまった。ちなみに、私は二位で水無月くんは首位だ。

「嘘でしょ……」

 ガックシと項垂れた姿を尻目に三回戦、四回戦と行われた。
 最後に四レースの順位で得られるポイントで最終の結果を出す。それで一位は水無月くん、私は最初のレースが尾を引いて四位、青葉さんは最下位だ。

「日向……よくそんなので自信ありげな感じ出せてたな」
「うっさいわね。あんたみたいにゲーム脳じゃないから」
「いや、それにしてもだろ」

 こんな言い合いも幼なじみだからこそなせるものだろう。これには、私も入ることはできなくて。少しの疎外感と距離の遠さが身に沁みた。