店で眠りこけ彼の寝場所を奪うという、とんでもない迷惑をかけた上に、寝坊をしたため大事なプレゼンに遅刻寸前だったから、お礼もろくに言えなかった。

 ここは金額で、誠意を見せるしかない。

「あー、要らない要らない。今朝も言ったけど俺はこのビルオーナーで、酔って眠ってしまった女の子を助けたからと、善意の行動に報酬が欲しいなんて望んでいない」

 彼は頼んでいないケーキとカフェオレをオーダーすると、いつもは私が座らないカウンターへと誘導しながら、差し出された封筒を柔らかい言い方ながらも頑なに受け取らなかった。

「本当に、ごめんなさい……出来れば、何かお礼がしたんですけど……」

「良いよ。本当に……じゃあ、君の名前教えてよ。今は個人情報だって、価値ある情報だって知ってる? 公式な開示はかなり制限されているし、表立っては簡単には手に入らないから。名前を教えて。それで、この件はチャラにしよう」

 彼はそう言って、冗談めかして言ったので、有難い申し出に私は微笑み頷いた。

「私なんかの名前で良ければ、大丈夫です。私は鳴瀬まゆです。この辺りに住んでいる普通の会社員で、今朝は大事なプレゼンがある会議の日だったのに、遅刻しそうで本当に焦りました」

「なるほど……俺は諏訪冬馬。冬の馬でとうま。よろしく。まゆちゃん」