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 二人で海に行ってから数日後。学校が終わってから、美海は旭と病院に向かっていた。夏葉のやりたいことリストに書かれていた願いを叶えるために。

「タイムカプセル、どこに埋めたの?」
「え?」
「掘り返すためにスコップも用意してきたんだぜ。力仕事は任せろよ」

 旭は自分のバッグから真新しい金属のスコップを取り出し、ポーズを決める。その姿がおかしくて美海は吹き出してしまった。

「なんだよ、笑うことないだろ」
「旭、ちょっとは考えなよ。病院の敷地に私物埋めてもいいと思う?」
「あ……」
「タイムカプセルはある場所に預けてあるの。ついてきて」

 美海は旭を連れて入院病棟に向かう。小児科のフロアまでエレベーターに乗っている間も、旭は不思議そうな顔をしていた。

「ここ。私たちが入院していた病棟」

 美海が小児科の入院病棟へ続く扉を開ける。慣れ親しんだ消毒液の匂い。入院している子どもの色んな声が、あちこちから響いていた。

「すみません。看護師の安藤さんっていますか?」

 美海はナースステーションにいた若い看護師に声をかけた。待っている間、旭は美海に尋ねる。

「安藤さんって?」
「私たちがここで入院しているときに、一番お世話になった看護師さん」

 その安藤という看護師はすぐにやってきた。美海を見た瞬間、大きな目いっぱいに涙を浮かべた。

「美海ちゃん……っ」
「やだ、安藤さん。泣かないでよ……」
「ごめんなさいね。夏葉君のことを聞いてから、初めて美海ちゃんに会ったから……」

 安藤は目尻を拭って、さらに涙が出ないように堪えていた。

「それでね、安藤さん。タイムカプセルのことなんだけど」
「美海ちゃんと夏葉君が二十歳になったら開けるって約束していたやつのことでしょう? ちゃんと覚えているわ。でも……」

 安藤は美海の肩に手を乗せる。

「でも、夏葉君はともかく……まだ美海ちゃんは二十歳になっていないじゃない。もう開けるつもりなの?」
「いいの。夏葉がね、やりたいことリストに『タイムカプセルを開ける』って書いていたんだ。でも、きっと私も二十歳まで生きられないと思うし……約束より、夏葉のやりたいことを優先しようと思って」

 とっくに諦めたような美海の表情を見た安藤の目から、再びボロボロと涙がこぼれてくる。それをティッシュで拭い「すぐに戻るからね」とナースステーションの奥へ引き下がっていった。戻ってきた安藤の手には、お菓子の缶があった。

「わぁ、懐かしい」
「ね、本当に懐かしい……。夏葉君と美海ちゃん、二人でタイムカプセルを作ったから、預かってほしいって言われたのが昨日の事みたい」

 美海だって、その時のことをまるで昨日のことのみたいに思い出せた。これを作ったのは十歳になったばかりの頃、考えたのは夏葉だった。テレビでタイムカプセルの話題を耳にして、すぐに影響を受けた。美海が持っていたお菓子の缶詰めにそれぞれ『ある物』を詰めて、安藤に預かってほしいと頼みに行った。

「僕たちが二十歳になったら取りに来るから、お願いします」

 安藤はにっこりと笑って引き受けてくれた。本当にまだ持っていてくれたことに感謝して、美海は深く頭を下げる。

「美海ちゃん……どうか諦めないで、最後まで」
「やだ、安藤さん。急に何言って……」
「夏葉君だってきっとそう願っているはずだと思うの。美海ちゃんが、せめて二十歳までは諦めずに生きていて欲しいって。だから、これを作ろうって考えたんじゃないかな?」

 旭もその言葉に頷いた。美海の命を未来につなぐための手段だったに違いない。けれど、美海は小さく首を横に振るだけ。

「……ありがとうございます、今まで大切に残しておいてくれて」

 安藤の願いに返事をすることなく、美海は深く頭を下げて病棟を後にする。美海と旭は病院の中庭にあるベンチに座ってタイムカプセルを開けることにした。美海は大きく息を吸って、勢いよく缶を開けた。中を見て、旭は声を上げる。

「手紙? 手紙だけ?」

 タイムカプセルの中には手紙が二通入っていた。封筒には「夏葉へ」「美海へ」と書かれている。まだ幼さの残る文字だ。

「うん。二十歳のお互いに向けて書いたの。……私も夏葉も、その頃には大人になれないかもしれないって宣告されていたはず。でも、そんなに深刻に考えていなかったな、私は。当たり前のように夏葉も私も生きていて、このタイムカプセルを開けることができるんだって思ってた」
「……そっか」

 旭が「美海へ」と書かれた手紙に手を出そうとするので、美海はその手を叩いた。

「プライバシーの侵害! 絶対に読まないで!」
「わかったよ」

 美海が自分宛ての手紙を開けた時、旭はそっぽを向く。こっちを見ていないか気を配りながら、美海は夏葉の手紙を読み始める。

(……このころの夏葉の文字、かわいいな)

 漢字の少ない手紙は、便せんいっぱいに彼の想いが綴られていた。彼は初めに、美海が二十歳まで生きていることを喜んでくれていた。良心が痛む、幼い夏葉に約束を破ってしまったことを心の中で謝りながら、美海は先を読み進める。
 
『どうか一びょうでも長く生きて、この世界にあるきれいなものを全部見てから、天国にいる僕に教えに来て欲しい』

 手紙に託した夏葉の思い。きっと彼は、このころから夏葉の方が先に亡くなるという予感をしていたんだ。気づいていなかった、美海は幼かった自分に思いを馳せる。美海はただ、夏葉と毎日一緒にいられるのが嬉しくて……自分の未来なんて能天気な事しか考えていなかった。夏葉の手紙を仕舞い、自分が何を書いたのか思い出す。

(なんか、恥ずかしいことを書いた記憶がある……!)

 青くなったり赤くなったりしている美海に気付いた旭が、美海に声をかけてくる。

「なあ、何かあった? 手紙にどんなこと書いてあったんだよ、少しでいいから教えてよ」
「……だめ」
「じゃあ、美海が何を書いたかとかは?」
「それはもっとだめ!」

 確か『二人とも二十歳になったら結婚したい』とかなんとか、ませたことを書いた覚えがある。あまりの恥ずかしさに頭を掻きむしりたくなってきた、ここでは目立つからしないけれど。美海はその代わりに、深い深いため息をついた。
 
 手紙をリュックに仕舞う前に、もう一度読み返す。最後の一文が気になってしまった。

『さいごに。自分のねがいが叶っていますように』

 夏葉の願い。やりたいことリストに記されているだろうか、美海はノートも開くけれど……それっぽいことは残されていない。

「旭は知ってる? 夏葉の願い」
「十歳の夏葉の願いはさすがの俺もわかんないよ」
「だよね……」

 美海は肩を落としながら手紙とノートを仕舞った。その様子を見る旭は、心の中で美海に謝っていた。

 ――ごめん、もし十歳の夏葉と十六歳の夏葉の願いが同じなら……俺は知っているかもしれない。

 でも、言う時は今じゃない。夏葉がやりたかったタイミングで、彼の最後の願いを美海に伝える。それが自分の役割だ、と旭は前を向いた。