美海の手のひらに、小さなガラスの欠片が乗った。長い時間海を漂い、丸みを帯びた美しいシーグラス。手のひらに乗ったそれと旭の顔、交互に見ていると旭は二ッと口角を上げた。

「欲しかったんだろ? シーグラス」

 頷く美海。シーグラスをまじまじと見つめる。

「夏葉から聞いてたんだ、美海と海に行ったときのこと。美海がそれ欲しいって言ってたけれど、見つからなかったって。絶対に見つけてやるって約束したけど……それを果たすことができなさそうだって。だから、夏葉の代わりに俺が見つけてやろうと思って」
「……ありがとう」

 夏葉と旭、両方の想いが美海の手のひらに乗っている。約束を忘れずにいてくれた夏葉と、それを代わりに叶えてくれた旭への感謝。美海が小さく口にすると、彼は「いいって」とまた笑った。

「もしかしたら、ここ、まだあるかも。一緒に探そうよ」
「……うん!」

 美海も靴と靴下を脱ぎ、裾をまくって海に入っていく。旭が波打ち際で砂を掘っているので真似しようとすると、突然高い波が立った。

「美海! 気を付けて!」

 大きな水しぶきが美海を襲おうとした瞬間、旭が海と美海の間に飛び込んできた。彼の体の半分がびっしょりと濡れてしまう。

「池光君! ご、ごめん……」
「いいって、これくらい。美海は大丈夫? 濡れてない?」

 旭が庇ってくれたおかげで、美海はあまり濡れずに済んだ。置きっぱなしだったリュックに戻り、持たされていたタオルを旭に渡す。

「池光君、これ使って」
「お、ありがとう」

 濡れた服を拭きながら旭は、小さく首を傾げる。

「池光君、どうかしたの?」

 心配そうに声をかけてくる美海の言葉に旭は引っかかったらしい。「それだ!」と美海を指さす。

「その『池光君』っていうのやめてよ。他人行儀すぎて落ち着かないんだ、夏葉にも初対面から『旭』って呼ばれてたし」
「で、でも……」

 そんなに親しくないし……と美海が思ったとき、旭は「あ!」と声を上げた。

「シーグラス、もう一個見つけた!」
「え? いいな」
「欲しい?」

 美海が小さく頷くと、旭はまたいたずらっ子みたいな笑みを浮かべる。

「旭って呼んでくれるならあげる!」
「え、あ、ちょっと待って!」

 走り出す旭を追いかける美海。旭は気を遣ってくれたのか元々走るのが早くないのか、美海はすぐに彼に追いついた。

「あ……旭!」

 勇気を出して、一歩だけ踏み込むようにその名を叫んだ。彼は振り返り、そしてとても満足そうな笑顔を見せたのだ。

「はい、美海。これで夏葉のやりたかったこと、一個叶えることができたな」
「……うん!」

 手のひらには二つのシーグラスが乗る。

「ありがとう、旭」
「どういたしまして。体調は? 大丈夫そう?」
「うん、まあ……平気かな」
「もう少しだけ探してさ、早めに帰った方がいいよ。俺、家まで送る」
「……ありがとう、旭」

 二人はそれから何個かシーグラスを見つけて、昼過ぎには帰りの電車に乗っていた。座席に座った美海はハンカチに包んだシーグラスを、旭は窓の向こう、どんどん遠ざかっていく海を見つめている。

「キレイだったな、海」
「そうだね」
「また行きたいな」
「……私も。行けるといいな」

 残された時間のことを、ふとした拍子に考えてしまう。また海に行ける確証はなくて、美海は旭と約束することはできなかった。旭もそれが分かっているのか、小さく頷くだけ。その反応が、美海には少し楽だった。

「美海はこれからも、夏葉のやりたいことリストを叶えていくんだろ?」
「うん、そのつもり」

 限りある時間、それを全て使ったとしても彼の願いを叶えていきたい。それが今の美海にとっての生きる希望だった。

「俺も付き合うよ」
「え?」
「また今日みたいなことがあったら危ないし。それに、一人より二人でやったほうが、きっと楽しいだろう?」
「……うん」
「だから、連絡先教えてよ。これから待ち合わせするときとか、連絡とれなかったら大変だし」

 二人はスマートフォンを取り出して、互いのIDを交換する。親しかいなかったトークアプリの連絡先に、軽快な音と共に旭が現れた。

「次は、タイムカプセルを開けに行く……だっけ?」
「よく覚えてるね、旭は」

電車に揺られながら、二人は並んで座る。なんだか、瞼が重たくなってきて美海は目をこすった。眠たくなってきた美海に気付いたのか、旭は「寝てなよ」と美海の肩を抱いて引き寄せた。その優しさに甘えるように、美海は目を閉じる。

☆☆☆

「……何アレ」

 電車に乗っていたのは、旭と美海だけではなかった。少し離れた席から、同じクラスの野乃花が美海を睨みつける。彼らが電車に乗ってきた時から気づいて、バレないようにチラチラと横目で見ていたけれど……まるでカップルみたいな二人の距離感に、野乃花の心にふつふつと怒りがこみあげてくる。

「何よ、アイツ」

 美海が不治の病らしいということは、噂で聞いている。優しくしてあげた方がいいってことも、理性では理解できている。でも……気になっている男の子と親しくしている様子を見ていると、気持ちはざわめき、冷静さが失われていくような気がした。

「ムカつく、青崎さん」