その日、美海はすぐに家に帰って、お母さんに「課題があって集中したいから部屋に入ってこないで」と伝えてから部屋にこもる。机の引き出しの中に大事にしまっていた夏葉のやりたいことリストを取り出し、そっと開いた。パラパラと見たことはあったけれど、じっくりと読むのは初めて。1ページ目、2ページ目……目を皿のようにして、一文字も逃さないように読んでいく。
「……どこにも書いてない」
やりたいことリストに旭の名前は一文字もない。ただ純粋に夏葉がやりたかったことだけが箇条書きになっている。リストだけじゃ二人がどんな関係だったのかは分からないまま。もしかしたら、夏葉の両親に聞いてみたらわかるかもしれない。でも、夏葉が亡くなってから連絡するのも憚られて疎遠になってしまっているし……もしくは、旭が話す気になるのを待つか。あの調子なら聞いてもはぐらかされそうな気がするけれど。美海はため息をつく。
旭の名前はないけれど、リストには美海の名がたくさん記されていた。リストのひとつ目を指でなぞる。
「『美海と一緒にまた海に行きたい』か……約束してたもんね、夏葉」
自分の名前が登場するたびに、夏葉の心の中にいた自分の存在が想像していた以上に大きいことを知る。もしかしたら美海と同じ気持ちだったのかも……そう考えると、嬉しい気持ちが膨らんでいく。暖かいひだまりにいるみたいな心地よさ。けれど、それはすぐに現実という波がさらっていってしまった。美海の心に残されたのは、あの暖かい気持ちの源だった夏葉はもういないという事実と絶望感。夏葉がやりたかったことを一緒にできたら、どれだけ自分は幸せだっただろうと美海は思う。残された限られた時間、それら全てを使ってでも大好きだった夏葉と一緒にいたかった。ノートの上にぽたぽたと涙が落ちる。ノートが汚れないように遠ざけて、美海は両手で顔を覆った。嗚咽が漏れる。本当は声を出して泣きたいけれど、リビングにいる母に心配をかけたくなくてできるだけ声を潜めて泣いた。溢れる涙を拭こうとしたとき、美海の手はふっと止まった。
「……そっか。夏葉はまだ、私の中で生きているはずだよね」
美海はあることに気付いた。夏葉はもういない。けれど、自分の心の中で彼はまだ生きている。美海が死ぬまで、彼との思い出は何度でも美海の中で蘇る。心の中で息づいている夏葉を抱きしめるように、ノートを手に取って抱きしめた。
「うん、そうだね、夏葉。……ずっと一緒だよね、これからも」
ノートを胸に抱く美海。そして顔を上げた。夕日が決意に満ちた美海の横顔を照らす。陽が沈んでいくのを横目で見ながら、美海は何度もその決意を心の中にいる夏葉に語り掛けた。
残りの人生全部使ってでも、このノートに遺された「夏葉の願い」を叶えていく。それこそがきっと自分に託された使命なんだ、と美海は思う。目を閉じると、すぐそこに夏葉がいるような気がした。
「うん。これからも、ずっと一緒だよ、夏葉」
美海の呼びかけに答えてくれる夏葉はいない。けれど、きっと彼も喜んでくれているような気がした。