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 千羽鶴がやっと出来上がった。クラスを代表して旭と野乃花が病院に向かう。美海がいる病棟に着くと、もう顔見知りになった看護師が旭に向かって手を振ってくれた。

「あら、すごいじゃない! 千羽鶴?」

 野乃花が持っている袋の中身を見て、看護師ははしゃいだような声を上げた。

「青崎さんに……病気が良くなりますようにって、みんなで作ったんです」
「そう……きっとご家族は喜んでくれるはずよ」

 手続きをしてから二人は美海の病室へ向かう。すると、美海の母が病室から飛び出してきた。

「旭君、そろそろ来る時間だと思って……良かった」
「おばさん、何かあったの?」
「美海が起きたの。久しぶりに……お願い、会ってあげて。これが最期かもしれないでしょう」

 美海の母の言葉を聞いた旭は、野乃花を廊下に置き去りにして美海の病室に飛び込んでいく。ベッドに座り込んだ美海は、確かに目を開けていた。旭は細く長く息を吐きだしながら、ゆっくりとした足取りで美海に近づく。

「……美海」

 名前を呼ばれたことに気付いたのか、もしくは人の気配を感じ取ったのか、美海は首を旭に向かって動かした。ずっと寝てばかりだったから、足首や腕がすっかり細くなってしまった。旭は美海の手を取る。ほんのりとしたぬくもりが伝わってきた、まだ生きている。旭はバッグに手を突っ込み、その中に入っている『二つの箱』を取り出そうとしていた。

「美海。俺だよ、旭、わかるか?」

 そう呼びかけても、美海に反応はない。真っ黒な眼は何を見ているのか、視線が合うこともない。

「なあ、美海……何かやりたいこととか、ない? 俺さ、美海にはまだ生きていてほしいから、なんかわがまま言ってよ。どんなことでも、俺、叶えるよ」

 どんな無理難題でも、彼女をこの世界につなぎとめるためならなんだってする。

「まだ夏葉の手紙のことだって伝えていないし。あぁ、今日も持ってきているんだ。読むだろ?」

 彼女の手に力は籠らないし、うんともすんとも言わない。顔をゆっくり動かして、一冊のノートが置いてあるテーブルに視線を向けるだけだった。それを見てハッとあることに気付いた旭は、渡そうとしたものを再びバックの中に仕舞いこむ。

「……また来るよ。必ず守るから、お前たちの約束」

 夏葉が話していた、流星群の思い出。美海が話していた、夏葉との約束。それを果たすことこそが、美海の最後のわがままに違いない。美海はきっと、そこで夏葉の言葉を待っているのだと旭は受け取った。

 長く起きて疲れたのか、美海が船をこぎ始めた。体がぐらぐらと揺れている美海をベッドに寝かせ、旭は彼女に向かって「またな」と囁いた。今日が最期にならないように、願いを込めるみたいに。振り返ると、野乃花が真っ青な顔で立ち尽くしていた。今の美海の様子がショッキングだったのかもしれない。最後に会った時よりも症状は進行していて、野乃花の記憶に残る美海とは別人になっていただろう。
 それでも、野乃花は真っ先に旭の心配をしてくれた。

「旭君……大丈夫?」
「うん」
「千羽鶴、青崎さんのお母さんに渡しておいたんだけど……。ねえ、青崎さんはどうなるの?」
「俺の親友も同じ病気だったんだ。徐々に記憶がなくなったりして、最終的には脳死状態になった」
「青崎さんも同じようになるの?」
「それは分からない」
「……旭君はどうするの?」

 以前、野乃花に同じことを聞かれたのを思い出す。

「大丈夫。俺はちゃんと、自分の気持ちに蹴りをつけるって決めたから」
「それなら良かったけど。私も流れ星にお願いしておくね、旭君がちゃんと自分の気持ちを青崎さんに伝えられますようにって」
「そうそう気軽に流れ星なんて流れてこないだろ。気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
「え? 今度流星群来るじゃない!」

 野乃花の言葉に旭は自分の耳を疑う。

「さっきネットニュースを見て知ったんだけど、流星群が来るんだって」
「いつ? それいつなの?」

 スマホを取り出して、野乃花はさっき見ていたネットニュースを確認する。

「来週末だって。これがどうかしたの?」
「ううん、何でもないんだ。ありがとう、佐原さん! 俺、ちょっと行くから」
「旭君!」

 突然駆け出して行ってしまった旭を見送る野乃花。病院の中を走るのはだめなんじゃないか、と心配しながらその背中を見送る。野乃花は振り返って、ドアが開きっぱなしになっている美海の病室を見た。千羽鶴は紙袋に入ったまま、美海の母は美海に寄り添っている。あれが飾られる日はもしかしたら来ないかもしれない、野乃花が考えたことは無駄だったかもしれない。彼女は俯き考える。

(それじゃあ、無駄じゃないことってなんなのだろう?)

 美海のために何かできることはないのか、と帰り道はそのことばっかり考えていた。

 一方旭は、来週末の流星群に備えて色々と下調べをしていた。病院内のマップを見ながら、美海を高台まで連れ出す方法を考える。きっと外出の許可は出ないだろう、美海の両親に話を提案してもきっと反対されるに決まっている。ならば、美海の病室に忍び込んでこっそり連れ出すしかない。非常階段やナースステーションの位置、夜間の出入り口を一つずつ確認して、頭の中で考えを巡らせる。美海を背負いながら高台に向かうのはきっと体の負担になるに違いない。けれど、ここで体が動かなくなってもいい、と旭は思っていた。夏葉が繋ぎとめてくれた命、燃やし尽くすならこの流星群の夜しかない。ある程度のルートを考えてから、旭は再び美海の病室に向かう。

「旭君? どうかしたの?」

 ちょうど美海の母が千羽鶴を飾ろうとしている最中だった。

「あの、忘れ物を……」
「そうだったの? あ、ちょっと席外していても構わない? 学校の皆さんからもらった千羽鶴を飾りたいんだけど、いい場所がなくって。ナースステーションでフックとか借りられないか聞いてきてもいい?」
「あ、どうぞどうぞ。その間、俺が美海の事見てますから」

 美海の母が病室を出た瞬間、旭は美海の耳元に口を近づける。

「来週末、流星群がやってくるんだって」

 深い眠りについた美海はピクリとも動かない。けれど旭はそれに構わず話を続ける、きっと美海に届いているはずだと信じて。

「俺、迎えに来るから。絶対、美海に流星群見せるって約束するから」

 旭は美海の手を取り、自分の小指を彼女の小指に絡ませた。

「お前との約束は絶対に守るよ。来週末、真夜中に迎えに来るから。ここで待っていて」

 すぐに美海の母が戻ってきた。

「そういう貸し出しはしていないって言われちゃった」
「あぁ、そうなんですね」

 とても重大な隠し事をしているせいか、声がなんだか変な気がする。でも、美海の母はそれに気づいていない様子だ。

「こんなにキレイな千羽鶴、初めて見た。クラスの皆さんにお礼を言っておいてくれる?」
「はい」
「……美海はもしかしたら、このまま見ることはないかもしれないわね」

 旭は「また来ます」と頭を下げて、再び病室を出る。次に来る時は、彼女との約束を果たす時だ。