リハビリする気にもなれなくて、旭は気力なくベッドに横たわる日々が続いていた。気持ちが足踏みをしていて前に向かない。それどころか、過去の行いばかり悔いている。夏葉が死んでしまったのだって、自分に責任があるかのように思えてきた。
 そんなある日、思いがけない人々が旭の見舞いにやってきた。

 「旭君、久しぶり。覚えているかな、夏葉の母です」
 「……はい」

 現れたのは夏葉の両親だった。

 「お母さんから聞きました、大変な手術だったって」
 「俺、あの……」

 自分の心臓が夏葉の物なのか、確認したかった。でも、夏葉の両親だって誰に提供されたのか知らされていないだろう。言葉を噤み、旭は二人が話すのをただ聞いていた。

 「君が生きていてくれて、本当に良かった。夏葉もきっと喜んでいるよ。夏葉の分まで、どうか元気に過ごしてほしい」

 夏葉の父の言葉に、旭はただ頷く。もしかしたら、彼らも気づいているのかもしれない。旭の体の中で夏葉が息づいていることに。

 「旭君、これ、夏葉から」
 
 夏葉の母は紙袋を差し出した。中にはやりたいことリストが書かれたノートと小さな白い箱、そして封筒が一通入っている。

 「君に渡して欲しいって。やっと渡せることができたわ」
 「これ、中身は?」

 旭は小さな箱を取り出す。しかし、両親も中身を知らないらしい。首を横に振っていた。

 「俺にどうしろって言うんだよ、夏葉……。お前を死なせてまで、俺はこれ以上生きたくないよ」
 「お願い! そんなことは言わないで……!」

 夏葉の母が旭の手を取った。

 「これからはどうか、旭君がやりたかったことを成し遂げる人生であってほしい。夏葉もそう願っているはずだわ。それに、臓器提供は夏葉の意思でもあるから」

 夏葉の父が定期入れの中から一枚のカードを取り出す。

 「あの子が亡くなってからいつも持ち歩いているんだ。臓器提供の意思カードなんて、どこで手に入れたんだか」
 「夏葉はきっと、自分が脳死状態になるんじゃないかって予想していたんだと思う。だから前もって準備していたのよ」

 彼は生きていた時から、もしもの時は臓器提供ができるよう自分の考えを表示していたのだ。旭は夏葉の言葉を思い出す。

 「死ぬことで誰かの役に立つことができればって、夏葉は言っていました。なんか、アイツらしい」
 「そうね、本当にそう」

 夏葉の両親は旭の体の負担にならないよう、すぐに帰ってしまった。一人になった病室で、旭はまず封筒を手にする。封筒には震える文字で『旭へ』と記されていた。手紙も同じように文字が震えている。彼が最期に、旭に何を伝えたかったのか。それを全て受け取りたくて、旭は瞳を大きく開いて文字を一つずつ追っていく。

 『旭へ

 このてがみを君がよんでいるということは、ぼくは死んで、きみはぶじに生きているのでしょう。こっちのびょういんにきて、あさひと友だちになれて、本当にたのしかったです。ありがとう。

 実は、あさひにお願いがあります。
 どうか一日でもながく生きてほしい、ぼくの分まで。
 そして、できたらでかまわないから、美海にあってほしい、です。

 どうか、美海を支えてほしい。美海が生きるのをあきらめないように。やりたいことリストのノートもあの子にわたして。あさひがぼくの代わりになってほしい。いっしょにすごしてほしい。
 ぼくは、いっしょにいることができなくなるから。あさひ、どうか美海をよろしくおねがいします。きみはぼくにとって、一番しんらいしている友だちだから。

 そして、美海にあうことができたら、このあとの記しているぼくの気もちを伝えてほしい。ぼくがずっと言えなかった言葉だ。
 いっしょにわたしているはこの中身も、美海にわたしてほしい。きみにしかたのめません、どうかよろしくおねがいします。』

 旭はそこまで読んで、手紙をぐしゃっと握りしめた。

 「なんで俺に託すんだよ! 自分で言えよ!」

 旭の心臓がそれに返事をするみたいに小刻みに脈打った。言える勇気がなかっただって? そんなの、お前が甘えているだけだろう? 美海だって、夏葉の口から聞きたかったはずなのに!

 旭は深呼吸を繰り返して、何度も手紙を読み返した。夏葉が最期に遺した、美海への想い。それを包むように手紙を抱きしめる。

 「……誰かの役に立ちたいって言ってたよな? 夏葉」

 胸にいる夏葉に呼びかける。

 「なら、俺は……お前たちの役に立てるよう頑張るよ。残りの人生は、全部夏葉と美海に捧げる」

 旭が見つけた自分自身が生きる理由。それはかけがえのない友達の代わりになって、彼の想い人に寄り添うこと。きっと、美海も夏葉と同じ運命を辿るのかもしれない。その前に必ず、夏葉が言いたくて言えなかったことを美海に伝える。そのために自分は生まれてきたのだと旭は思った。

 どうにかして美海に会えないかと思っていたある冬の日、旭と両親は主治医に呼び出されていた。

 「リハビリ、順調そうだね」
 「おかげさまで」
 「すごい張り切っているってリハビリの担当者から話を聞いているよ。そろそろ退院しようかという話をしたいんだけど、その前に一個提案があって」

 旭は両親と顔を見合わせる。

 「僕の知り合いで移植医療のプロフェッショナルがいるんだ。いや、僕自身もプロだと思っているけれど、技術や知識は僕以上のすごい医者で。彼がぜひ君をこれからフォローしていきたいと話しているんだ。退院して実生活を送っていくにあたり、何か不都合なことがあればサポートしていきたいって」
 「そんなにすごい先生に診てもらえるなら……」
 「ただ、彼がいるのは少し離れた街にある病院で……」

 ここから離れると思うと少し寂しさを感じる。病院を移る事に迷い始めた時、主治医は一冊のパンフレットを差し出した。

 「この病院なんだけど」

 旭はそれを見て大きく目を丸める。心臓も喜び始めていた、だってここは……夏葉が美海と過ごしていた病院。そして、まだ美海がいるはずの街だったから。

 「無理にとは言わないけれど」
 「行きます!」

 即答する旭を見て両親は少し驚くけれど、プロフェッショナルに診てもらえるなら安心できると思い、転院を願い出る。診察室を出てから、旭は両親にあることを頼みこんだ。

 「ねえ、夏葉のお父さんとお母さんに連絡取れたりしない?」
 「連絡先なら聞いているけれど……どうするつもり?」
 「聞きたいことがあるんだ!」

 美海が今どう過ごしているのか。病院にいるのか、普通の生活を送っているのか。夏葉の願いを叶えるために教えてほしいと頼み込んだら、夏葉のお母さんはちょっとだけ教えてくれた。

 「今、高校に通っているって聞いているの。それ以上は……夏葉が亡くなってから、連絡しづらくて」

 どこの高校なのかを聞き出して、旭は礼を言う。そして夏葉に呼びかけた、もう少しで美海に会える。会える、会えるんだ! あの美しい海を背負って輝いていた女の子に会えるんだ!