「え? いや、俺、今着いたばっかりで……」
「またいなくなっちゃったの! 私が手続きでちょっと席を外している間に……」
美海がいなくなってしまったことを知った旭は美海の病室に駆け込む。スマートフォンと夏葉のやりたいことリストが書かれたノートが机に置きっぱなしになっていた。
「俺も探しに行きます!」
「待って!」
美海の母は駆け出そうとする旭の手首を掴んで、慌てて止めた。
「旭君、無茶はしないで! 君だって、体調が万全っていうわけじゃないでしょう!?」
忠告というよりも悲鳴に近いような甲高い声だった。旭は首を横に振る。
「大丈夫です。俺、約束したんです。夏葉と美海、それぞれと。夏葉の代わりに美海のことを支えるって。だから、俺は行かないといけない……夏葉なら、どれだけ体調が悪くても探しに行くと思うから。二人との約束、俺、破りたくないんです」
旭は夏葉のノートを自分のバッグに押し込んで走り出していた。病棟を駆け抜けていると、警備員が無線でやり取りをしながら忙しなく病院の中を歩いているのが目に飛び込んできた。きっと彼らも美海を探しているのだろう。でも、と旭はノートを開く。なんだか、美海は病院の中にはいないような気がした。
「……これだ」
夏葉のやりたいことリスト、最後のページは文字がぐちゃぐちゃとなっていて読みにくい。彼が懸命に書き記した言葉を読み解く。そこにはこう記されていた。
『美海と、また一緒に流星群を見る』
旭は夏葉から何度も聞かされていた。美海と過ごした中で一番楽しかった思い出は、病院の近くの高台で流星群を見たことだ、と。何度も同じ話を聞いたから、余計に深く印象に残っている。夏葉が楽しかったと話すなら、きっと美海だって同じに違いない。
「高台、高台……美海のお母さんに場所聞いておけば良かった」
マップアプリで高台の位置を調べ、それを頼りに走り出していく。小高い丘の上にあって、少しだけ傾斜がきつい道を昇っていく。息が切れて胸が苦しくなり、その度に木にもたれかかっては休む。高台のてっぺんに目を向けるとオレンジ色の夕日が沈みこもうとしているのが見えてきた。きっともうすぐだ、と旭は自分を奮い立てる。
「……美海!」
旭が予想していた通り、美海は高台にいた。海に沈みこもうとするオレンジ色に燃える夕日、それが逆光となって美海の姿が良く見えなかった。まるで夕日の中に飛び込んでそのまま溶けてしまおうと思っているんじゃないか、旭にはそう思えた。不安になってもう一度その名を叫ぶと、美海は振り返った。
「旭……? どうして?」
自分のことは分かるみたいだ、今は。旭はほっと胸を撫でおろす。
「心配したよ」
旭は美海の母に、彼女が見つかったことを連絡する。位置情報もつけているから、すぐにここに向かってくるだろう。旭は美海の隣に腰を下ろした。海が夕日を反射して、きらきらと光っている。まるで初めて見たときみたいに、変わらず海は美しいまま。変わっていくのは美海だけだった。
「よく私がここにいるって分かったね」
「ノートを見たんだ。そして、夏葉からここで流星群を見たって話を聞かされていたのを思い出した」
「……うん、私、そのことはまだしっかり覚えている」
夕日に照らされた美海の横顔を旭は見つめ、彼女の言葉をじっと待つ。美海はゆっくりと目を閉じた。そして瞼の裏で、まるで映画を上映させるみたいに思い出を振り返る。
「ここで流星群を見に来たのは、もう3,4年くらい前かな? 海に行ったときと一緒で、病院のレクレーションで来たの。流星群がやってくる日、小児科に入院していて外出ができる子達と一緒に」
いつもなら早く寝なさいって怒られるのに、この日は夜更かしが許された。その上、夜中に外に出られるなんて! 真夜中に外出するなんて初めての経験で、雨が降ったり曇ったりしないようにたくさんのてるてる坊主を作ってレクの日を待ちわびた。当日は夜中に眠くならないよう昼寝もたっぷりして。夏葉も美海と似たような様子で、せわしなく外出の準備をしては、持ち物を確認するのを繰り返していた。
「今でも忘れられない。見上げたら夜空は星でいっぱいで、あちこちから星が流れてきたの」
美海は空に向かって手のひらを伸ばす。右から左、手のひらで夜空を塗り広げるように大きく動かした。旭は想像する。夜空にきらめく小さな星と、雨みたいに降り注ぐ流れ星を。美海が見た本物は、きっと旭が想像している夜空より何十倍もキレイだったに違いない。美海はうっとりと息を吐いた。
「本当にキレイだった。あんなに星がいっぱいの夜空も見たことがなかったのに、それだけじゃなくて流れ星もいっぱいで。夏葉と、いっぱい願い事しようねって約束して」
美海はそこで言葉を区切る。
「でも、一つも叶わなかったな」
「何を願ったの?」
「奇跡が起きますように。私も夏葉も、病気が治りますように……きっと周りの子達も、似たようなことを祈っていたと思う。病気が治って退院した子もいたけれど……」
旭も、同じ頃、同じように流星群を見たら似たようなことを願っていたに違いない。その気持ちが痛いほどよくわかる。
「……最期にもう一度だけ、あの星空を見ることができたらな。夏葉も同じことを考えていたなんて」
「よく話していたよ。美海ともう一度だけでいいから、一緒に流星群が見たいって」
「そっか、夏葉が。……なんか、もう、しんどくなっちゃった」
旭は驚き、食い入るように美海を見つめた。美海の目尻に涙が浮かび、それはまるで流れ星みたいにするりと流れていった。
「夏葉がいない世界で生きるのは、しんどいの。私ね、今日も何回も夏葉が死んじゃったことを忘れちゃって……夏葉は? ってお母さんに聞いちゃった」
いつも一緒にいたはずの夏葉がどこを探してもいない。彼女がどれだけ困惑したか、不憫で仕方がない。
「その度に、お母さんが教えてくれるの。夏葉はもういない、一年くらい前に死んじゃったんだって」
何度も何度も、彼女にとって酷な真実を突き付けられる。その度に強いショックを受けて、身と心はバラバラになってしまいそうなくらい強い痛みが美海の頭を襲った。
「……早く、夏葉が迎えに来てくれないかな?」
「そんなこと言うなって。夏葉はそんなこと望んでいない!」
「どうして夏葉は死んじゃったんだろう、私を残して。やりたいことリストなんていらないのに、夏葉が生きてさえくれていれば、私はそれでいいのに!」
そして、美海はもう一度小さく呟く。
「どうして……どうして夏葉は死んじゃったの……?」
「夏葉は、夏葉は死んでない!」
旭は声を荒げる。美海の手を掴んで、自分の心臓の真上に置いた。美海の手のひらに、彼の少し早くなった鼓動が伝わってくる。
「旭?」
「夏葉は死んでない。生きているんだ、ここで。俺の胸の中で」