翌朝、美海は起きてすぐ旭にメッセージを送る。急遽病院に行くことになり、今日は学校を休むことにしたこと。美海はそこまでメッセージを打ち込んで、今日彼と約束をしていたことを思い出す。今日は夏葉のリストではなくて、放課後、一緒に課題をやろうという話をしていたんだ。美海はそれも破ってしまうことを旭に謝ってから、スマートフォンをバッグに仕舞った。

 病院には朝一で向かったけれど、予定にない検査を希望したからか待ち時間が長くなってしまった。待っている間も、バッグに仕舞ったスマホには何回も通知が届く。

「美海、どうしたの?」
「ん? 旭からメッセージがいっぱい来てるの。今授業中なのに」

 ふふっと美海は笑う。旭、授業中にスマホをいじって先生に怒られていないといいけれど。彼の前の席に座っている美海がいないから、きっと旭の手元は先生にバレバレに違いない。

「旭君、なんて?」
「大丈夫? とか、検査の結果分かった? とか。そういうのばっかり」
「そう。……いい友達ね、旭君」
「うん。夏葉と旭が仲良くなったのもわかる気がする。人のことばっかり考えて心配してるんだから、二人とも」

 旭のメッセージに対して返信していると、美海は検査室から名前を呼ばれた。バッグとスマートフォンを両親に託して、美海は検査室に向かう。その背中を見送った両親は、深いため息をついた。心配で仕方がない、といった様子で貧乏ゆすりをしたり、こめかみのあたりをもみ込んだりしている。

「そういえば、夏葉君のご両親から旭君のことを教えてもらおうって前に話していたよな? 聞いたのか? 最近よく美海から名前を聞くけれど、一体どういう子なんだ?」

 娘に悪い虫がついたんじゃないか、と変な心配をしている美海の父親を見て、母は笑った。彼は冗談のつもりで言ったつもりではないのは重々承知の上だけど、その『どこにでもいる娘を心配する父親』の姿が愛おしい。

「どういう子なのはちょっとだけ教えてもらったけれど、詳しくは聞いていないの。夏葉君の家だって、まだ落ち着いていないだろうし」
「そうか……」
「でも、旭君が元気だって言ったら喜んでいたわ。とても心配していたみたいだから」
「心配?」
「うん。実は、旭君はね――」

 そんな話をしている内に、美海が検査室から戻ってくる。診察室の前で待とうとしたら、すぐに呼ばれた。挨拶をする隙も無く、主治医の藤森はモニターに2枚の脳のスキャン画像を映し出した。

「……っ」

 美海たちは言葉を失くしていた。映し出された脳の画像は二枚とも、もう正常な脳と比較するまでもなくスカスカの空洞ばかりになっている。

「こちらが、先ほど撮影した美海さんの脳の画像です。それで、こちらが……別の病院から提供された、同じ疾患だった患者のMRI画像です」

 夏葉だ、と美海はすぐに気づく。

「委縮の度合いがほぼ同程度なのが分かりますか? この患者は……このMRIを撮影してから間もなく、亡くなっています」

 まるでセリフみたいに、用意していたように藤森がそう言った。そこに感情は乗っていなくて、抑揚もなく、傍から聞いていると冷たく感じられるような言い回しだった。けれど、一人くらい冷静な人がいなかったらこの場は持たなかったに違いない。美海の父は悔しそうに拳で自分の膝を殴りつけ、母は外にまで聞こえるくらい泣き叫んでいた。美海も我慢することができなくて、ポロポロと涙をこぼす。覚悟はしていたつもりだったけれど、残された時間の少なさにショックを隠し切れない。少し美海の両親が落ち着いてから、藤森は続きを切り出した。

「これから先は治療方法を模索するのではなく、最期の時間をどう過ごしたいのか……それを考えてみて欲しいんです。美海さんやご家族の後悔が少しでも減るように」
「後悔……」
「やってみたかったことに挑戦してみたり。ご家族でゆっくり過ごしたり……もちろん、入院するのも構いません。むしろ、その方が美海さんにとって安全かもしれませんし」

 入院という言葉を聞いて、美海は首を横に振った。入院なんてしたら、もう気軽に旭と一緒に出掛けられなくなる。それは嫌だ!

「やりたいことが、まだたくさんあるんです。だから、私はできるだけ入院とかもしないで、今までと変わらない生活を送りたいです」

 背筋を伸ばし、その決意を医師に告げる。藤森は彼女の答えが元々分かっていたのか、深く頷いていた。

「わかりました。ただ、くれぐれも無理はしないように。少しでも体調に異変を感じたらすぐに休んで。病状がさらに悪化した時には、入院することも検討してください。すぐに入院できるように調整しておきますから」
「はい」
「……ご両親と少し話がしたいので、美海さんは外で待っていてもらってもいいですか?」

 促されるまま診察室を出る美海。どんな話をするのだろうか? 気になって仕方がない。待合室のベンチに座る、待っている間暇だなと思ってバッグからスマホを取り出した。旭からのメッセージがどんどん増えていく。そこにいつもと変わらない生活があるような気がして、美海は小さく笑った。旭に本当のことを話したらショックを受けるだろうか? 夏葉だけじゃなく、美海までもうじき死んでしまうということを知ったら……せっかく友達になれたのに、もうお別れなんて。美海だって、そんなこと信じたくない。メッセージアプリを開くと、検査結果を知りたいのか「どうだった?」といったようなメッセージが並んでいた。

「大丈夫だよ、明日は学校に行くから」

 声に出しながら旭に返信のメッセージを送る。旭には、検査結果に変わりはなかったという嘘をつき続けよう。これからも彼との楽しい時間を過ごしたいから、余計な心配をかけるのはやめておこう。そう思っていると、すぐに旭からの返信が届く。美海は時計を見た、まだ授業中じゃんと笑ってしまう。

『何かしんどくなったら、すぐに言うこと! 約束だからな!』

 その約束を守ろうか、美海は迷う。そして、こう返した。

『夏葉のやりたいこと、早く叶えてあげないとね』
『次の休み、暇だったら一緒にでかけない?』

 続いて、勝手に時間と待ち合わせ場所も決めてしまう。すぐに『わかった』という返信が来て、それ以降美海の様子を心配するようなメッセージは来なかった。取り繕うことができた、と美海は安心する。

 けれど、彼女が隠そうとした自分の病状を旭も知ることになってしまうのだった。それは、週末の休日――旭と美海が約束をした日に起きた。