次第に旭が落ち着き、二人は手を繋いで教室に戻った。二人が戻ったとき、教室の中はいやに静かだった。クラスメイトの視線は旭と美海に向いた後、ゆっくりと野乃花に向かっていく。野乃花は自分の席に座って、しゃくりあげるように泣いていた。左側の頬は赤くなっている。
「旭……」
美海は旭の背中を押す。旭は渋々と言った様子で野乃花に近づいた。
「ごめん。叩いて……ごめんなさい」
旭は深々と頭を下げる。それに驚いたのはクラスメイト達だった。次々と声が上がる。
「いや、池光は悪くないだろ!」
「私だったらもっと殴ってたよ」
自分を擁護してくれる優しい声がありがたかった。けれど、旭はそれらに感謝しつつも振り払うように首を横に振る。
「あれは俺の憂さ晴らしみたいなもんだから。暴力で解決しようとするなんて、最低な人間がやることだ……本当にごめん」
旭の真摯な言葉に再び教室が静かになる。ガタッと野乃花が勢いよく立ち上がった。あふれ出す涙や鼻水をティッシュでふき取って彼女も勢いよく頭を下げた。美海は驚く。野乃花はしゃくりあげながら、ゆっくりと謝罪の言葉を口にする。野乃花の周りにいる女子たちもどうやら泣いていたみたいで、目の周りが赤くなっている。
「わ、私こそ、青崎さんと旭君にひどいこと言って、本当に、本当にごめんなさい!」
どうやら、美海と旭がいなくなった後、野乃花たちのグループは教室中からこっぴどく叱られたらしい。旭に振り向いてもらえないから美海に嫌がらせをするなんて幼稚だし、それに「どうせもうすぐ死ぬ」なんて言葉、あまりにもひど過ぎる。懸命に病気と向き合っている美海に対して思いやりがない。正論の言葉で叩かれ、クラス中から白い目で見られることとなった野乃花たちはぐうの音もでなくなって、昼休み中ただメソメソと泣いていたみたいだった。
「……佐原さん」
美海は一歩前に出る。旭は心配して美海と野乃花の間に立とうとするけれど、美海は「大丈夫だから」と旭を押しのけた。
「いいよ、別に」
まるで許すような言葉に旭はギョッと目を丸める。野乃花も許してもらえたのだと思って、嬉しそうに顔を上げた。
でも、違った。美海と目を合わせた野乃花の表情が、どんどん青くなっていく。美海はまるで氷のような冷たい視線で、まるで汚いものを見るかのように野乃花を見つめていた。
「佐原さんに対してイライラしつづけるのも、私にとっては時間の無駄なの。だから、もうどうでもいいから」
「……あの、でも……」
「反省してるなら、もう無駄なことで私の時間を奪わないでくれる? 佐原さんと違って、私の時間が限りあるの。お願い」
自分の声が思ったよりも冷たくて、そこでようやっと美海も自分がとても怒っていることに気付いた。怒るって、本当に体のエネルギーをみるみると消費してしまうし、何だか胃のあたりがムカムカして気持ち悪い。あまり健康には良くなさそうだった。
「……いいよね、長く生きられる人は」
それだけを小さな声で呟いて、美海は自分の席に戻っていった。
「いいのか? もっと言い返してやってもいいんだし、お前はもっと怒ってもいいよ。教科書捨てられた上に侮辱されているんだし」
旭がそんなことを言いながら、美海の後についてくる。
「うん、いいの。言いたいことは全部旭が言ってくれたから」
「……ならもっと言ってやれば良かったよ」
旭はそんな冗談を言って笑っている。さっきまで謝っていたのに、そんなことを言うなんて本当に反省しているの? と美海は思った。でも、今の彼の中にはもう怒りや悲しみはなさそうだった。美海はほっと胸を撫でおろす。次の授業の用意をしながら、美海は旭に声をかける。
「ねえ……もしここに夏葉がいたら、どんな反応するかな?」
「夏葉が? うーん……アイツ、結構ビビりっていうか、たとえ怒っていたとしても言い返したりすることはなさそうだよな」
美海も頷く。
「私がメソメソしていたら慰めてくれたけれど、あんまり一緒に怒るってことはしなかったな」
「確かに。アイツって怒りの感情あったのかな?」
二人は夏葉の思い出を語り合い、笑いあう。予鈴が鳴ったとき、美海は改めて旭の方を見る。
「ありがとう、旭」
「なんだよ、改まって」
「言いたくなったの。旭と友達になれて、信頼して良かった」
その言葉に、旭は大きく目を丸めた。そしてすぐにふにゃっと満面の笑みを浮かべた。
「こちらこそ」