「七瀬、詩音と遊園地デート行ったってマジ?」

 詩音さんと初めて出会った日に憂いていたことが、今起きた。

 目の前に立つ「複数人の人間」が恐ろしくて、心臓の鼓動が速くなる。

 なるほど、確かに男女が二人きりで遊園地に行ったら世間一般的にはデートと思われるのかもしれない。僕はそこまで思考が及んでいなかった。

 さて、なんと返すべきか。

 僕の考えとしては、詩音さんとは遊園地に行ったけどデートをしたという意識はないのだが、詩音さんから見ればあれはデートだったのかもしれない。その場合に僕が「デートではない」なんて発言をしたら彼女は不快な気持ちをするかもしれない。

 冷静に見える思考の結果導き出された答えは、他人への丸投げだった。

「遊園地に行ったことは本当だ。デートかどうかは、し――望月さんに訊いてくれ」

 他のクラスメイトの目の前で詩音さんのことを詩音さんと呼ぶのはまだ少し抵抗があって、厄介ごとの種にもなりそうなので苗字呼びにしておく。

 そんな僕の内心は露知らず、クラスメイトは僕の発言を素直に受け入れるはずもなく、僕にさらに追及した。

「で、七瀬としてはそれはデートだと思ってるの?」
「詩音のことはどう思ってるの?」
「楽しかった?」

 複数人からの相次ぐ質問に答えられるほど僕の人間経験は優れていない。

 僕の心拍数は信じられないほど速くなり、頭の中は真っ白になり、すぐにあたふたと戸惑ってしまう。

 どうしよう。

 完全に思考停止。

「ちょっと、七瀬くんのところに集まらない! はい解散!」

 どうすればいいのかわからなかった僕を助けてくれたのは、やはりと言うべきか詩音さんだった。

「詩音は七瀬みたいな奴にも優しいんだね……」

 僕が名前も知らないクラスメイトたちは、詩音さんの言葉で不服そうにしながらも去っていった。

「ありがとう、詩音さん……」
「どうも。しばらくは私が助けるけど、それ以降はどうなるかわからないんだから、文也くんももうちょっと人に慣れた方が良いよ」

 詩音さんは珍しく僕に注意した。

 真剣な表情だった。

 普段は僕を甘やかすばかりなので、たまにはこういうことも必要なのかもしれない。彼女の指摘は尤もなもので、僕は改善しなければならないという気になる。

「心に留めておくよ。確かに、例えば書籍化するとしても、多くの人と関わることになるし」
「うん、そうだよね。無理に、とは言わないけど、ちょっとずつ克服していこう」

 すぐに詩音さんは優し気な笑顔を浮かべて、普段通りの声のトーンで話し始める。

「それと文也くん、良さげな水族館見つけたんだけど、どうかな!?」
「待って、なんでそれを教室で言おうとしたの?」

 クラスメイトたちの大半は既に解散したとはいえ、まだまだ教室内の様々な場所で聞き耳を立てているクラスメイトたちも見受けられる。

 僕はそんな場所で出かける話をすると、また「複数人の人間」に取り囲まれてしまうかもしれない予感がして、想像するだけで恐ろしかった。

「またこそこそと相談して見つかって、敵意を持って話しかけられるよりは良いんじゃないかと思ったんだけど……嫌ならごめんね」
「なるほど、納得だ」

 詩音さんと出会ってからこの言葉しか発していないような気がする。

 詩音さんはいつも妙な説得力を持った言葉で僕を納得させてくれる。果たしてその説得力は一体どこから出てきたのか、小説家志望としては見習いたいところだ。

「文也くんはどう思う? 定期的に一緒に遊びに行くって、クラスの皆にも理解してもらった方が良いんじゃないかと思うんだけど……」
「僕は、自分がクラスメイトたちの前で話すことは出来ない。だから、情けないけど詩音さんが説明してくれるならそれで構わないと思う」

 僕はまた逃げてしまった。

 ついさっき、人間への恐怖を克服しなければいけないという話をしたばかりなのに、それでも逃げてしまった。向き合うことが出来なかった。

 僕は自己嫌悪に陥る。

「文也くん」

 僕はいつも、こうやって俯いて自分のことばかり考えている。

「文也くん」
「!」

 何度声を掛けられていたのかわからないが、すぐ目の前に詩音さんの顔があって驚く。

「文也くん、大丈夫?」
「詩音さん……ごめん」

 僕は目を瞑り、咄嗟に謝った。

 いくら詩音さんと言えども、目の前で自己嫌悪され無視されたら怒っても無理はないだろう。僕は詩音さんを怒らせてしまったのではないかと恐れた。

「なんで謝るの? 大丈夫?」
「え……」

 僕はゆっくりと目を開く。

「辛いんだったら遠慮なく言ってね。私じゃ力にならないかもしれないけど、出来る限り力になるから」

 顔を上げる。

 詩音さんは怒っていたと思っていたが、目を開いた僕の目に映っていたのは不安げな表情をした詩音さんだった。

 怒っていると言った面持ちではない。どちらかと言えば、心配しているというような表情だ。

 どうやら僕は、詩音さんの器を舐めすぎていたらしい。僕が想像するよりずっと、詩音さんの器は大きい。

 だからといってそれに頼りっ放しというわけにもいかないので、少しずつでも詩音さんに心配されないような人間を目指すしかない。

「文也くんは、魅力的な人間だから。これから少しずつ悪いところをなくしていけば、きっとすごい人になれるよ!」

 純粋に褒めるのではなく、課題も提示して進む道をわかりやすく示してくれる。消極的な僕とは相性が良いかもしれない。

「でも、たとえ僕が悪いところをすべてなくしたとしても、詩音さんほど素晴らしい人間にはなれないと思う」
「そうかな……。そんなことないと思うし、そうだとしても、今度は文也くんの良いところをさらに伸ばすとか、新しく良いところを作るとか人生は長いんだからいつか超えられるかもしれないじゃん!」

 詩音さんの言葉は希望で溢れていて、僕も頑張ろうという気持ちにさせてくれる。なにもない特別じゃない日だけど、今日を生きる勇気と元気を与えてくれる。

 僕はもはや詩音さんに依存しているのかもしれない。

 だけど、それでもいい。

 依存していても良いから、少しでも長く一緒の時間を過ごしたい。

 そんな僕の希望を叶えるような言葉が、詩音さんの口から飛び出した。

「それで文也くん、水族館のことなんだけど」
「えっと、良さげな水族館があるんだっけ」

 詩音さんはこちらに目配せをして、スマホの画面をこちらに見せた。

 その水族館は、名前に「水族館」という文字列を冠さない水族館で、創作のアイデアとして使うにはあまりにセンスのある名前をしていた。

「この水族館は、ここからどのくらいの距離にあるの? 僕は実は電車も得意というわけではないから、あまり遠いと行きづらいんだけど」
「電車で二時間くらいだって。ちょっと遠いし、別の場所にする?」

 詩音さんはまたもや悲しげな様子も見せずに場所の変更を提案する。

 だけど僕は詩音さんに迷惑をかけるだけではいたくなかったので、一歩踏み出す。

「いや、二時間くらいなら大丈夫だ。そこにしよう」
「無理はしない方が良いと思うけど……」

 詩音さんはそう言ったが、僕の目を見てなにかを察したのか、それ以上特になにか言うこともなく、僕たちはその水族館に行くということで決定した。

「それじゃあ、いつ行くか今決めてもいい?」
「僕は構わないけど、いつでも空いてるから決めるようなこともないと思うよ」
「たとえそうだとしても、文也くんと水族館に行く日を、楽しみにしたいから」

 詩音さんは幸せそうに笑った。

 当然、詩音さんのそんな笑顔を見た僕に抵抗が出来るはずもない。

「それじゃあ、今週末は空いてる?」
「うん、空いてるよ。今週の土曜日で良いかな?」
「詩音さんがそれでいいなら、僕はそれで構わない」

 詩音さんはまた笑った。

 詩音さんは、本当にいつも嬉しそうに笑う。その笑顔が魅力的で、長編を一作品書けてしまいそうなほどだ。

「それじゃあ文也くん、今週の土曜日に水族館で!」
「うん、それで」

 最終確認を終えた詩音さんを、ちょうどいいタイミングでクラスメイトのうち複数人が手招きして呼び寄せた。

 詩音さんは名残惜しそうにこちらを見ながら、クラスメイトたちの方へ向かって行った。

 自惚れかもしれないけど、その笑顔が僕に向けているものより少し劣るように思えて、少し心配だ。