「そっか、他にも小説を書いている人っているんだね……。そうだよね……!」
当たり前のことに気づいていなかった詩音は、教室の隅で小説を書いていた彼――七瀬文也と知り合ってやっと、仲間に気づくことが出来た。
自分も小説を書いている――文也にそう伝えるつもりはなかったが、詩音にとっては、共有しなくても自身と文也は”仲間”だった。
彼女が異様なまでに小説を書くことに”仲間”を求めるのには、深い理由があった。
彼女は元々幸せな人生を送っていたが、ある日突然彼女の両親は離婚した。
いや、ある日突然と言うと少し語弊があって、実際は少し前から喧嘩ばかりで離婚の予兆も見えていたのだけれど、詩音はまさか両親が本当に離婚するとは思っていなかった。
母親に引き取られた彼女は、それでも恵まれた生活を送ることが出来た。
詩音の母親は、自分の所為で片親になってしまった詩音に、”普通”の生活をさせてあげようと汗水だけでなく血さえも垂らして働いた。
詩音はそんな母親に、心から感謝して、自分は母に迷惑をかけてはいけないんだと優等生として生きてきた。
もちろん詩音の母親も、そんな詩音の優しさを汲み取って、さらに詩音に安定した生活をさせてあげようと必死で働いた。
――それが仇となったのかもしれない。
無理が祟って詩音の母親は仕事場で仕事中に倒れ、病院に搬送。そのまま一日も経つことはなく、詩音と顔も合わせられずに死亡。
それから詩音は塞ぎ込んでしまった。まさか、母が祖母よりも先に死んでしまうとは思っていなかったのだろう。
詩音が母親と顔を合わせたのは彼女の葬式でのことだった。
「……馬鹿。頑張りすぎだよ……!」
働くことも笑うことも、息をすることさえなくなった自らの母親を見た詩音は、自らの意思でどうすることも出来ず、胸の奥から湧き出る衝動が暴れるのに任せて暴走し始めた。
狂ったように暴れ、泣き、叫び――そんな彼女を、誰も慰めることはなく、それどころか「優等生だったのに」と憐れみの眼差しを向けた。
それだけなら詩音はなんとも思わなかったが――
「実の娘を残して一人で死ぬなんて、自分勝手な母親ね」
何気ない言葉が、詩音の逆鱗を撫でた。
詩織は言葉の主に掴みかかった。
それは、これまで優等生を演じ続けてきた反動であり、これからまた優等生を演じ続けなければならないことへの準備であり反抗だった。
そこに来て、周りの人たちが詩織を取り押さえた。
目頭に涙を溜めた詩織は、取り押さえられつつ涙ながらに母親の名を叫び続けた。
葬式が終わってからは、詩織は家の中で優等生を演じることをやめた。なぜなら、家の中に彼女の活動を見てくれる者は一人たりともいなくなってしまったからだ。
彼女の親戚は、葬式で大暴れした彼女を誰も引き取ろうとせず、彼女の父親は、母親と過ごした余裕のない日々の中で消息がわからなくなっていた。
結果的に彼女は一人――いわゆる天涯孤独になった。
それからの彼女は、学校など家の外では常に優等生を演じ、家の中では自分の趣味である執筆活動にのめり込む日々が続いた。母親が死んだ怒りとか悲しみとか辛さとか、それらをすべて小説にぶつけた。
皮肉なことに、詩音の母親が死亡する原因となった過度の労働による貯金と、詩音がずっとずっと小さかったころからコツコツ溜め続けた貯金により、詩音が使えるお金は節約すれば数年は暮らせるくらいの金額になっていた。
そしてお金の心配もあまりない詩音は家の外で優等生を演じ続けた代償として、家の中では勉強だか努力だか、そんなことは欠片もせず執筆だけに熱中し続けた。
結果的にそれは、定期的に宿題を忘れる、お茶目な部分もある女子生徒という、学校での”望月詩音”というキャラを立てることに貢献した。
しかし、他からの評価はともかく、執筆に熱中して他のことに目もくれないはずの彼女の中では、執筆を代償に「やらなければならないこと」をやらなくなってしまったことで自分を疑うようになった。
つまり詩音は、「私はやるべきことを放り投げて、誰も見ていない小説の執筆に熱中しても良いのだろうか」という疑問を自分にぶつけ始めることとなったのである。
そんな中、他人と関わることも、優等生を演じることもせず、教室の隅でパソコンを開いて何事かに熱中するクラスメイトにほのかな期待と憧れを抱き、覗き込んだ。
彼は、詩音と同じように、執筆に熱心に取り組んでいた。
詩音と違うところは、雑念なんてなに一つも取り入れずに自分だけを信じて進んでいたこと。
詩音にはそんな姿が酷く魅力的に見えて、創作との向き合い方として理想的に見えて、ついつい距離を詰めてしまった。
”優等生”として”クラスの除け者”に声をかけたわけではなく、”小説を書くことが趣味の望月詩音”として”小説家志望の七瀬文也”に声をかけた。
だからだろうか。彼との会話は詩音史上最高に楽しかった。”自分”を実感した。
”自分ではないなにか”を演じるわけでもなく、れっきとした”自分”を晒したのは彼女の母親の葬式以来で、しかもそれが受け入れられたのは、母親を除けば人生で初めてだった。
文也は詩音のことを”優等生”として見る側面もあったが、なにより彼は詩音のことを”詩音”として見ていた。
「七瀬くん……いや、文也くん」
詩音は柄にもなく、文也の電話番号が登録された携帯電話を胸に抱えてにやにやと笑う。
詩音にとって、こんな青春みたいな出来事をする暇はなかった。
男子に告白されることはあれど、それは容姿とか成績とか人気とか、本来の詩音ではなく詩音が持つステータスに感化されてのものだった。
だからこれは詩音にとっては、人生初めての青春だ。
この気持ちが恋なのか憧れなのかそれともなにか別の特別な感情か、詩音自身にもわからなかった。
しかしこれは詩音にとって間違いなく大切な出会いであり、大きな出会いであることは間違いなかった。
だから詩音は、たとえそれが不明瞭な感情でも、大事にしようと本心から思う。今度こそは失うまいと。
当たり前のことに気づいていなかった詩音は、教室の隅で小説を書いていた彼――七瀬文也と知り合ってやっと、仲間に気づくことが出来た。
自分も小説を書いている――文也にそう伝えるつもりはなかったが、詩音にとっては、共有しなくても自身と文也は”仲間”だった。
彼女が異様なまでに小説を書くことに”仲間”を求めるのには、深い理由があった。
彼女は元々幸せな人生を送っていたが、ある日突然彼女の両親は離婚した。
いや、ある日突然と言うと少し語弊があって、実際は少し前から喧嘩ばかりで離婚の予兆も見えていたのだけれど、詩音はまさか両親が本当に離婚するとは思っていなかった。
母親に引き取られた彼女は、それでも恵まれた生活を送ることが出来た。
詩音の母親は、自分の所為で片親になってしまった詩音に、”普通”の生活をさせてあげようと汗水だけでなく血さえも垂らして働いた。
詩音はそんな母親に、心から感謝して、自分は母に迷惑をかけてはいけないんだと優等生として生きてきた。
もちろん詩音の母親も、そんな詩音の優しさを汲み取って、さらに詩音に安定した生活をさせてあげようと必死で働いた。
――それが仇となったのかもしれない。
無理が祟って詩音の母親は仕事場で仕事中に倒れ、病院に搬送。そのまま一日も経つことはなく、詩音と顔も合わせられずに死亡。
それから詩音は塞ぎ込んでしまった。まさか、母が祖母よりも先に死んでしまうとは思っていなかったのだろう。
詩音が母親と顔を合わせたのは彼女の葬式でのことだった。
「……馬鹿。頑張りすぎだよ……!」
働くことも笑うことも、息をすることさえなくなった自らの母親を見た詩音は、自らの意思でどうすることも出来ず、胸の奥から湧き出る衝動が暴れるのに任せて暴走し始めた。
狂ったように暴れ、泣き、叫び――そんな彼女を、誰も慰めることはなく、それどころか「優等生だったのに」と憐れみの眼差しを向けた。
それだけなら詩音はなんとも思わなかったが――
「実の娘を残して一人で死ぬなんて、自分勝手な母親ね」
何気ない言葉が、詩音の逆鱗を撫でた。
詩織は言葉の主に掴みかかった。
それは、これまで優等生を演じ続けてきた反動であり、これからまた優等生を演じ続けなければならないことへの準備であり反抗だった。
そこに来て、周りの人たちが詩織を取り押さえた。
目頭に涙を溜めた詩織は、取り押さえられつつ涙ながらに母親の名を叫び続けた。
葬式が終わってからは、詩織は家の中で優等生を演じることをやめた。なぜなら、家の中に彼女の活動を見てくれる者は一人たりともいなくなってしまったからだ。
彼女の親戚は、葬式で大暴れした彼女を誰も引き取ろうとせず、彼女の父親は、母親と過ごした余裕のない日々の中で消息がわからなくなっていた。
結果的に彼女は一人――いわゆる天涯孤独になった。
それからの彼女は、学校など家の外では常に優等生を演じ、家の中では自分の趣味である執筆活動にのめり込む日々が続いた。母親が死んだ怒りとか悲しみとか辛さとか、それらをすべて小説にぶつけた。
皮肉なことに、詩音の母親が死亡する原因となった過度の労働による貯金と、詩音がずっとずっと小さかったころからコツコツ溜め続けた貯金により、詩音が使えるお金は節約すれば数年は暮らせるくらいの金額になっていた。
そしてお金の心配もあまりない詩音は家の外で優等生を演じ続けた代償として、家の中では勉強だか努力だか、そんなことは欠片もせず執筆だけに熱中し続けた。
結果的にそれは、定期的に宿題を忘れる、お茶目な部分もある女子生徒という、学校での”望月詩音”というキャラを立てることに貢献した。
しかし、他からの評価はともかく、執筆に熱中して他のことに目もくれないはずの彼女の中では、執筆を代償に「やらなければならないこと」をやらなくなってしまったことで自分を疑うようになった。
つまり詩音は、「私はやるべきことを放り投げて、誰も見ていない小説の執筆に熱中しても良いのだろうか」という疑問を自分にぶつけ始めることとなったのである。
そんな中、他人と関わることも、優等生を演じることもせず、教室の隅でパソコンを開いて何事かに熱中するクラスメイトにほのかな期待と憧れを抱き、覗き込んだ。
彼は、詩音と同じように、執筆に熱心に取り組んでいた。
詩音と違うところは、雑念なんてなに一つも取り入れずに自分だけを信じて進んでいたこと。
詩音にはそんな姿が酷く魅力的に見えて、創作との向き合い方として理想的に見えて、ついつい距離を詰めてしまった。
”優等生”として”クラスの除け者”に声をかけたわけではなく、”小説を書くことが趣味の望月詩音”として”小説家志望の七瀬文也”に声をかけた。
だからだろうか。彼との会話は詩音史上最高に楽しかった。”自分”を実感した。
”自分ではないなにか”を演じるわけでもなく、れっきとした”自分”を晒したのは彼女の母親の葬式以来で、しかもそれが受け入れられたのは、母親を除けば人生で初めてだった。
文也は詩音のことを”優等生”として見る側面もあったが、なにより彼は詩音のことを”詩音”として見ていた。
「七瀬くん……いや、文也くん」
詩音は柄にもなく、文也の電話番号が登録された携帯電話を胸に抱えてにやにやと笑う。
詩音にとって、こんな青春みたいな出来事をする暇はなかった。
男子に告白されることはあれど、それは容姿とか成績とか人気とか、本来の詩音ではなく詩音が持つステータスに感化されてのものだった。
だからこれは詩音にとっては、人生初めての青春だ。
この気持ちが恋なのか憧れなのかそれともなにか別の特別な感情か、詩音自身にもわからなかった。
しかしこれは詩音にとって間違いなく大切な出会いであり、大きな出会いであることは間違いなかった。
だから詩音は、たとえそれが不明瞭な感情でも、大事にしようと本心から思う。今度こそは失うまいと。