詩音は、受賞したことを喜ぶことも出来ず、部屋のベッドの上で一人うずくまっていた。

 文也を憎んでいるというわけではない。文也に怒っているというわけでもない。

 ただ、文也を傷つけてしまったこと、そして文也に憎まれてしまったであろうこと、嫌われてしまったであろうことが悲しくて、胸が押しつぶされるように思う。

「祝ってくれると思ったんだけどなあ……」

 つうっと涙が零れた。

 受賞したらきっと祝ってくれる、褒めてくれる。詩音はそう思っていた。

 実際、詩音が文也はきっと詩音を褒めたはずだ。

 ただ、小説に関してはどうしても気持ちを込めすぎてしまって、冷静になることが出来なかったというだけだ。

 内心見下されたというのは完全に被害妄想だし、大した努力もしなかったというのだって完全な妄想であって、実際には詩音の創作への力の入りようは異様と言っても過言ではなかった。

 だから悪いのは全て文也で、詩音はただ文也の嫉妬心の被害者だった。

 だけど、詩音は彼に憎しみを抱くことはなかった。

 代わりに詩音が気にしたのは、文也が追い詰められているであろうことと、自分がこれ以降文也と関われないということ、そして文也に嫌われたであろうことだ。

「辛いなあ……」

 止め処なく溢れる涙を止めるように枕に顔を埋め、押し付ける。

 それでも涙が止まることはなく、濡れた枕の生温さが詩音にとって不快に感じられる。

「LINEだけ、送っておくか……」

 詩音はもしかしたら文也をさらに怒らせてしまうだけの結果になるかもしれないとも思った。

 だが、なにもやらないよりはマシだろう、ダメ元でメッセージを送信する。

『出来ればもう一回だけチャンスが欲しい。どうか、話し合いの機会を設けてくれませんか?』

 詩音は、メッセージを送信してからしばらくトーク画面を睨み続けたが、いくら画面を更新しても既読の表示がつくことはない。

 なぜなら、文也は詩音のLINEをブロックしたからだ。

 詩音は一旦諦めようとスマホをベッドの上から机の上へ放り投げた。

 ベッドの上でうずくまって目を閉じる。

 しかし詩音が寝ることは出来ず、当然文也からの返信も来ないまま憂鬱な朝がやってきた。布団の外の空気が冷たい。

「今日も、学校か……。文也くんに頼ることも出来ないんだよね……」

 今日もいつも通りいじめられるだろうと考える。

 詩音がいじめに耐えられていたのは文也がいたからであって、独りでいじめられて耐えられる道理はない。

 もしかしたら日が変わって文也の気が変わっているかもしれないと期待しながら詩音は通学路を歩くが、その気持ちが晴れることはなかった。

 ちくちくと胸を刺す文也の不在という事実と、冬の朝の段違いな寒さ。

 はあと溜息を吐いて上を向くと、一面曇天の空が満天に広がっている。

 「文也くんと喋ることも出来なくてこっちだって機嫌が悪いのに空まで曇ってるのかよ」と心の中で悪態をついた詩音は、学校が近づいてきているのを認めると、歪んだ表情を整える。

 下手に隙を見せるとクラスメイトたちにどう叩かれるのかわかったものではない。

 恐る恐る教室に入ると、案の定クラスメイトたちからの好奇の視線に晒されたが、その風当たりが普段よりも強いように感じられて、詩音は内心で首を傾げた。

 しかし気のせいだと片付けると、文也の姿を探して教室を見渡す。

 まだ文也は来ていないらしく、その姿は教室にはなかった。

 それを確認した詩音は溜息を吐いて、普段通りに向けられる視線を普段通り無視して授業の準備をする。

 そうしていると文也は時間ギリギリに教室へやってくる。

 それと同時に、雑談で満たされた教室の中でひとつ、詩音にとって気になる言葉が聞こえた。

「詩音って片親らしいよ」
「そうなのね。あんなにイキってたのに、片親? 片腹痛い」

 実際には、詩音は片親なのではなく、両親がいない。

 だが、詩音は貧乏ながらも母親が必死に働いた貯蓄があるので、見下されるような生活をしているつもりはないし、それで見下されるのは母親が馬鹿にされているような気がして不快だった。

 しかし下手に反応しても注目の的になるのは間違いなく、文也に嫌われた時の静かさからは考えられないような沸き立つ怒りを心のうちに抑える。

「片親なんて、詩音って案外可哀そうだよね」

 春香が詩音を嗤うように言った。

 そこでようやく詩音は、文也が言っていた嗤われるのが怖いという言葉の意味がわかった。

 どうして人に嗤われるだけで心が動くのだろうか、自分を強く持っていればそんなことはあり得ないじゃないかと、詩音は不思議に思っていたが――。

「可哀そうとか、言わないで」

 詩音は立ち上がった。

 嗤われるのが怖いというわけではなく、自分が辛いんだと、苦労しているんだと決めつけられるのが不快だった。

 よく通る声で告げた彼女の姿を、クラス中が見ていた。

「うちは片親じゃない」

 ずっと、言えなかった。

 父親が家を出て行き、母親が死んで、一人で暮らしていること。

 だって、それを知られてしまったら今みたいになるから。

 でも、こんな状況になることが怖いとは思っていなかった。ただ厄介だと思っていただけだった、そのはずなのに。

 詩音は、四方八方から視線を感じた。

 いつもなら味方でいたはずの文也も、他人事のように遠巻きにこちらを見ている。

 人の目が怖い。初めてそう思った。

 いや、初めてではない。

 詩音が母親の葬式で暴れた日、あの時も自身を止めようとする周りの視線がひどく恐ろしかった。

 今もあのときも、詩音の周りに明確な味方は一人もいない。

「私の親は、両親ともいない。でも、お母さんは必死に働いてくれてた。今の私は特に生活に困ってない。だから、可哀そうとか言わないで」

 詩音の母は、詩音の生活を楽にしたいという一心で最期まで働いて、結果的に、そのおかげで詩音が生活面で苦労することは少ない。

「あ、そう? で?」

 春香とその取り巻きは半笑いで言った。

 その様子を見ていた文也は、いくらなんでもやり過ぎだと止めようかと足を一歩踏み出した。

 だが、人と関わってこなかった文也はその分心の成長も遅かったのか、意地を張ってしまい、踏み出した足を引っ込めた。

 詩音は文也のその仕草には気づかず、内心馬鹿にした様子の春香を睨みつける。

 しかし、なにを言うことも出来ずに静かに腰を下ろした。

 言ってしまった。

 ずっと言えなくてずっと隠していたことを言ってしまったのにも関わらず、詩音の心は意外に落ち着いていた。

 詩音への視線に込められる悪意が強くなる中、チャイムが鳴り、担任が教室に入ってきて朝のホームルームが始まる。

 詩音がちらりと文也の方を見ると、彼は詩音の方を見ていたが、詩音と目が合うと彼はすぐに目を逸らした。