ひぃぃぃぃ! いやぁぁぁぁ! キャァァァァ!

 女の子たちは脱兎(だっと)のごとく一斉に逃げ出した。

「ゴラァ! 待ちやがれぃ……」

 アントニオは王剣を振り回し、追いかけようとする。一人くらい血祭りにあげねば気がすまないのだ。しかし、飲みすぎて足にきており、タタッと駆けた後、よろめいて思わずテーブルに手をついてしまう。

 くっ……!

 VIPルームの周りからは人影がすべて消えてしまい、不気味な静けさだけが残った。

「クソどもが!」

 アントニオは柔らかな丸椅子を一刀両断にしてふぅふぅと荒い息を立てる。

 畜生……。

 陣営は傾き、飲みに来ても楽しくない。追い詰められたアントニオは、なぜこんなになってしまっているのか理解できず、苦しそうに顔を歪めた。

 コツコツコツ……。

 突然足音が静かな室内に響く――――。

 女の子が逃げていったドアから、美しく長い銀髪の若い男がニコニコしながら入ってきたのだ。カチッとしたフォーマルのジャケットに、ワンポイントの銀の鎖が胸のところでキラキラと光っている。

 アントニオは気品漂うその見たこともない不審な男を、けげんそうに眺めた。

「おやおや殿下、王国の蒼剣ともあろう方がどうなされたのです」

 男は両手を広げ、嬉しそうに笑う。

「なんだ、貴様は!?」

 アントニオは男のにやけ顔が気に入らず、剣を振りかぶった。

「おや? 私を斬る? どうぞ? せーっかくいいお話を持ってきたというのに残念ですがね」

 男はひるむこともなく、オーバーアクション気味に肩をすくめた。

「……、いい話? どういうことだ?」

 アントニオはピクリとほほを引きつらせる。

「王国の蒼剣は次代の王国の太陽です。こんなところで(くすぶ)っているなどあってはならないことだと考えております」

「……。何が言いたい?」

「私はとある偉大なるお方に使える身。私がそのお方と殿下の間を取り持ち、殿下を王国の太陽へと引き上げて差し上げようと言っておるのですよ」

 男は両手を広げ、最高の笑顔を見せた。

「ほう? 俺を国王に……?」

「そりゃもう殿下のような武に長けた御仁が国王になってこそ、国は栄えるというものでしょう」

 男は営業スマイルでニッコリと笑う。

「お前は良く分かってるな……。そう! ジェラルドなんかに国は治められん!」

「我々は殿下を支持し、その代わりにささやかな利便を図っていただく……。いいお話だと思いませんか?」

 男の真紅の瞳がきらりと光った。

 その男の堂々たる立ち振る舞いからは、平凡な人物とは異なる特別なオーラが感じられる。どこかの国の密使であるという話に、アントニオは何の疑問も持たなかった。外国の勢力とつながるのは好ましくはないが、この際なりふり構ってはいられないのだ。

「どうする……、つもりだ?」

 男はニコッと笑うと、辺りを見回しながら小声で言う。

「人に聞かれては困ります。お耳を拝借……」

「手短に説明しろよ?」

 アントニオがかがんで耳を貸した時だった。

 男は胸のポケットから鋭利な棘をすっと取り出すと、目にも止まらぬ速さでアントニオの耳の穴に突きたてる。

 ガッ!?

 激痛に目を白黒させるアントニオ。

「お馬鹿さん……、くふふ……」

 男は嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべながら、アントニオの頭をポンポンと叩いた。

 グハァ!

 アントニオは紫の光を全身にまといながら床に倒れ伏せる。

「ふふっ、これで王国も終わり……。くっくっく……、はーっ、はっはっはっ!」

 男の笑い顔に突如無数の細かい亀裂が走ったかと思うと、男はボロボロと細かい欠片へと分解されていく。やがて微粒子になるとすうっと霧のように消えていった。


      ◇


 グ、グォォォォ……。

 床でのたうち回るアントニオだったが、いきなり彼のシャツの胸元が「パン!」と音を立てて弾ける。露わになったのは、不自然に膨張し、生き物のように蠢く巨大な大胸筋だった。まるで彼の体内に何かが宿り、その力で肉体を変貌させているように見える。やがて、その変化は腕や太ももへと波及し、彼の衣服を引き裂きながら、アントニオは人間離れした筋肉の塊へと変貌を遂げていった。

 しばらく苦しんでいたアントニオだったが、全身の肉体改造が終わるとハァハァと荒い息をたてながらゆっくりと立ち上がる。そして、生まれ変わった自分の肉体を触って確かめ、ニヤリと笑った。

 グガァァァァァ!

 まるで魔物のような恐ろしい咆哮を放つアントニオ。口には大きな牙がのぞき、その瞳には禍々しい赤い炎が浮かび上がっていた。

 アントニオはフンっとボディービルダーのポーズで、筋肉を美しく盛り上がらせる。そして満足げにニヤッと笑うと窓に突進し、ガラスを飛び散らせながら三階から飛び降りた。ズン! と地響きをたてながら着地したアントニオは、そのまま王宮へと駆けて行く。

 グワッハッハッハー……。

 深夜の街に、不気味な笑いが響き渡った。