タケルがやってきたのはアバロン商会本店。目抜き通りにある豪奢な石造りの建物で、木の板にフェニックスをあしらったシックな看板がかかっている。中には煌びやかな宝飾品が並び、ボロい服を着たタケルではとても気軽に入っていける雰囲気ではない。

「あのぉ、すみません……」

 タケルは入り口の警備員にクレアと約束があることを告げた。

「タケル様ですね。お待ちしておりました。どうぞこちらへ……」

 警備員はにこやかにタケルを二階のVIPフロアへと案内していく。豪華で煌びやかな室内、床には赤いカーペットが敷かれてあり、庶民には実に居心地が悪い。タケルは店員たちの鋭い視線に渋い顔をしながら、警備員に着いていった。

 洗練されたインテリアの応接室に通され、言われるがままにフワフワとした豪奢なソファーに腰かけたタケルだったが、とても場違いで居心地が悪い。出された紅茶の繊細な香りに圧倒されているとコンコンとドアが叩かれ、クレアが顔をのぞかせる。

「タケルさん、お待ちしておりましたわ!」

 クレアは満面の笑みで足早に入ってくると、後からは恰幅のいい紳士もついてきた。会長だろうか?

「きょ、恐縮です」

 タケルは慌てて立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げた。

「で、商品版はできましたの?」

 クレアは待ちきれない様子でタケルの顔をのぞきこむ。

「は、はい。こちらです……」

 タケルは早速テトリスマシンをクレアに渡す。

「わぁ……、随分……変わりましたね……」

 クレアはハイスコア表示もされ、ブロックに色もついたテトリスマシンに目を輝かせる。

「ほう……、これは珍妙な……。一体これは何なんだね?」

 紳士はクレアの後ろからテトリスマシンをのぞきこみ、口ひげをなでながらけげんそうな顔で聞いてくる。

「ゲームマシンよ? こうやるのよ!」

 クレアは【START】ボタンをタン! と叩いた。

「ほう……? なんか動いとるな……」

「これは列を消して楽しむのよ!」

 クレアは得意げにタン! タン! とボタンを叩き、次々とブロックを積み上げていく。そして『棒』のブロックがやってきた。

「見ててよ! えいっ!」

 クレアは得意満面に棒のブロックを隙間(すきま)に落とす。

 ピコピコっと点滅しながら四列が消えていった。

「ほう! なるほどなるほど……、これは新鮮じゃな……。どれ、ワシにも貸してみなさい」

 紳士はクレアのテトリスマシンに手をかける。

「ダメッ! 今、いいところなんだから!」

 身体をひねって逃げるクレア。

「ちょっとだけじゃって!」

「パパは後で!」

 親子喧嘩が始まってしまった。

「会長様、もう一台ございますのでこちらで……」

 慌ててタケルはカバンからもう一台を差し出す。会長にも興味を持ってもらえたことは予想外のチャンスであった。

「おぉ、ありがとう! どれどれ……」

 しばらく二人はテトリスに熱中する。

「くあぁ! なんじゃ、全然『棒』が出んぞ!」

「パパ、そこは辛抱強く待つしかないわ!」

「待つって……、もう余裕が無いんじゃぞ……。くぅぅぅぅ……。あっ! 出た! 出たぞ! ワハハ! こりゃ楽しいわい!」

 ゲームというものがないこの世界の人にとって、テトリスは極めて新鮮な体験だった。ブロックをクルクル回しながら落とせる場所を探し、うまく溝を作って育てた後、一気に棒のブロックで四列消し去ること、それは脳髄にいまだかつてない快楽を走らせるのだ。

 二人とも目をキラキラさせながらテトリスに興じている。しかし、今日は商談に来たのだ。ITベンチャーを起業し、スマホを開発するにはそれなりの資金が要る。この商談でその開業資金を稼がねばならないのだ。

「あのぉ、そろそろ商談に入りたいのですが……」

 タケルは恐る恐る声をかける。

「ちょ、ちょっと待って! 今ハイスコア更新中なの!」

「うはぁ、クレア、お前なんという点数を出しとるんじゃ……」

「ホイッ! ホイッ! ホイッ! あぁぁぁ、ダメッ! イヤッ! キャァァァァ!」

 クレアは絶叫し、額に汗を浮かべながら恍惚とした表情で宙を見上げた。

「いやぁ、タケル君! これは凄い、凄いぞ! これは売れる!」

 会長は興奮した様子でタケルの手を取る。

「そ、そうですか? 良かったです……」

 タケルは会長の熱気に気おされ、少し後ずさりした。

「百個作れるかね? それであれば金貨三枚、合計三百枚で買おう!」

 それは日本円にしたら三千万円、タケルはいきなりのビッグビジネスに心臓が高鳴る。魔法のランプにテトリスを書き込んだだけで三千万円、それは想像をはるかに上回る展開であった。

「ひゃ、百個……作れます!」

「おぉ、それじゃ頼むよ! 納期はいつになるんじゃ?」

 会長はノリノリで話を進める。

 だが、この時、ふとタケルの脳裏に『スティーブジョブズだったら契約するだろうか?』という問いが頭をかすめた。タケルは異世界Appleを作りたいのだ。一台何十万円もするテトリスマシンを百個バラまきました。それでジョブズは納得するだろうか?

『違う……。ジョブズはそんな男じゃない……』

 そんな発想ではとてもAppleにはなれない。多くの人を巻き込むことが次のビジネスの基盤になるはずなのだ。

 ジョブズだったらどうするか……。

 タケルは目をギュッとつぶって必死に考える。より多くの人に使ってもらい、なおかつ次の事業に繋がる収益が得られる道……。

 タケルにとって、ここが起業家として成功するかどうかが試される分水嶺だった。