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「ああ、はい。もちろん、俺としても貴方が引き取ってくれるのは嬉しいんですけど」

「“けど”?」

「……持ち運びに関しては、考えていませんでした」

「え」

「すみません」

マサキくんの言葉に、僕は瞬きを繰り返す。……あれだけ考察した上、僕に頼み込んでおきながら肝心なことを忘れていたなんて。

唖然とする僕とマサキくんを、ネザサが交互に見つめる。僕はその視線に苦笑いをした。

(しかし、持ち運びが出来ないとなれば、僕が引き受けるのは難しいかもしれないな……)

「……あの、すみません。少しよろしいでしょうか?」

手詰まりか、と思ったその時。妻の声と共に彼女の手が挙がる。

「どうしたんだい?」

「あの、他の絵にしてもらうことは出来ないのでしょうか?」

「え、でもそれは……」

「わかっています。『華絵 彼岸花』の解決がしないことは。……でも、私たちが探しているのは小説の表紙です。もし他により良い作品があれば、そちらを選んでも罰は当たらないのではないでしょうか」

「それは……」

妻の見上げる視線に、僕は言葉を詰まらせた。

(……確かに、妻の言う通りだ)

僕たちは表紙になる絵をもらい受けるため、ここまで来たのだ。『華絵 彼岸花』の被害を食い止めるためではない。それはわかっている。わかって、いるのだ。

「……それでも、このまま見て見ぬ振りは出来ないよ」

「あなた……」

「あっ、で、でも、nezasaの他の作品は見てみたいな。簡単な興味本位だけど」

あははは、と声を上げて笑えば、ネザサの嬉しそうな視線が向けられる。しかしそれも、一瞬の事だった。

「……」

「ネザサ? どうした?」

(……おや?)

はっとしたような顔をした彼女の表情が、だんだんと曇っていく。何かを隠している、というよりは何か重要なことを忘れていたと言わんばかりの顔で。じっと彼女の言葉を待っていれば、薄い唇がゆっくりと動き出した。

「……ない」

「え?」

「……まだ、出来てない」

「「えっ」」

――出来て、いない……?

出来ていない、というのは、何のことだろうか。まさか、絵が出来ていないとでもいうのだろうか。……否、それ以外に何があるというのか。

(う、うそだろう)

「頭の中では出来てるの。でも、まだ描き起こしてなくて……」

「描き起こして、いない?」

「……描こうと思ってはいるんだけど、その……お義父さんが死んじゃってから、妹尾のおじさんが記憶喪失になっちゃったでしょう? だからその……それどころじゃなくなっちゃって」