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「それで……あなたが『華絵 彼岸花』を引き取ってくれる、というお話でしたよね」

「ああ。ちゃんと妻にも了承を得たよ」

僕は妻を見つめ、彼女を見た。



「――nezasaさん。君の絵を、僕の作品の表紙として使いたい」

驚いた顔をする彼女に、僕は観光案内所にあったパンフレットを差し出した。そこには小さくだが、『華絵 彼岸花』の絵が印刷されている。僕なりの誠意だった。

彼女はパンフレットを見ると、不安げに眉を寄せる。その顔は、本当に僕に託しても大丈夫なのかと問わんばかりの表情だった。

僕は小さく息を吐いて、静かに目を伏せた。思い出すのは――自分の心の奥底。

「……僕はね、昔とある作家に心を奪われて創作の道に足を踏み入れたんだ」

「とある作家、ですか?」

「ああ。当時は鬼才とも言われていた画家、“ぱぱぱ”という人なんだけど……知っているかな」

「は、はい! もちろん!」

大きく頷くネザサに「よかった」と呟いて、僕は今までの出来事を話した。

「絵を描いてみたりもしたんだけどね、上手くいかなくって。気が付けば小説なんて文字を書く仕事に就いて……でも、中々理想のようにはいかなかった」

僕は少し前の出来事を思い出す。……苦しい心境をぽつぽつと呟くように吐露する。その間、二人は黙って話を聞いてくれた。

「それでも僕は足掻いた。妻の事も蔑ろにし、大切な作品が奪われても。僕は作品に囚われていたんだ」

「作品に……」

「まあ、自分なら出来ると調子に乗っていた凡人だったんだけどね」

クスクスと笑みを零せば、nezasaは痛ましそうな視線を僕に向けた。その視線が何となく嫌で、逃げるように視線を逸らす。

「様子のおかしい僕に気づいたのは、妻と親友だった。……四六時中一緒にいる妻を疎ましいとすら思っていた僕を、妻はしっかりと見ていてくれたんだ」

「……いい奥さんなんですね」

「昨日も旅館の人に言われたよ」

「ちょっと、あなた……!」

突然褒められたことで顔を真っ赤にする妻に、笑みが込み上げてくる。可愛らしい反応についいじめてしまいたくなるが、それでも、口にする妻への言葉に嘘偽りはない。

「妻は僕を救ってくれた。親友は、僕を助けてくれた。だから、僕はここにいる。だから――僕は、戦わなくちゃいけない」

――未熟な自分と。自分自身の欲と。葛藤と。

妻と、自分の生活を守るため。妻の居場所をちゃんと守ってやるために。

(妻が、僕の為にしてくれたように)