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だが……次の作品の象徴になるのは、あの絵しかない」

僕がそう言うと、妻は静かに俯いた。何も言わない妻に緊張が募るが、僕は彼女の言葉をただ静かに待った。

……きっと妻は不安なのだと思う。曰く付きの物を迎えようとしている旦那なんて、普通なら今すぐ叱責されてもいいくらいだ。それをわかっていながら、僕はそんな危険な橋を渡ることを妻に許してもらおうとしている。

(傲慢、だろうか)

僕は俯く。……妻から聞く言葉を想像して、僕は喉の奥がきゅっと締め付けられるのを感じる。

妻はゆっくりと顔を上げると、言葉を紡いだ。

「……本来なら私は止めなくてはいけないのでしょうね。私と、貴方のために」

「……」

「でも、貴方が決めたことなら、私は全力で応援したいと思っています。それがどんな道でも」

「信じていますから」と言う妻に、僕は込み上げてくるものを感じる。真っすぐ偽りのない言葉が、僕は心底嬉しかった。

「ありがとう。僕は……世界で一番の幸せ者だ」

「ふふっ、まだまだ早いですよ。ちゃんと絵をお迎えしてからもう一度言ってください。それに、まだ約束は終わっていませんよ」

「えっ?」

「露天風呂、一緒に入ってくださるのでしょう?」

そういう妻に、僕は詰まる鼻を啜り、笑みを浮かべる。

「そういえばそうだったね」

「早く準備しないとまた他の方々に先を越されてしまいますよ」

そう言って笑う彼女に急かされるがまま、僕は露天風呂にはいる準備を始める。ちらりと盗み見た妻は、楽しそうに鼻を鳴らしている。少しばかり音がズレているのは、昔から変わらない。

(……彼女には本当に情けない姿ばかりを見せているな)

夫として力になれることはなりたいと思うが、それよりも至らない点が多すぎる。何かできればいいのだが……人生うまく行かないものだ。今度なにかお礼としてアクセサリーのひとつでも見繕おうかと考えていれば、小さく袖が引かれる。

「あなた、早く行きましょう」

「ああ」

とても楽しみにしていたのだろう。僕の袖を引き、目を輝かせる妻に、僕はつい笑を零してしまった。僕の妻は相変わらず愛らしい。

妻に急かされる足で露天風呂へと向かった僕たちは、混浴と書かれた札に顔を合わせ、少しだけ顔を赤くする。一緒に風呂に入るなんてこと、結婚してからは一度も無かったから、尚更大事件だった。

「ど、どうしようか?」

「わ、私は、どちらでも……」

「僕も、どっちでも……」

「「……」」